ぼくら水中観測隊−2話

「クリーチャーだな。形態、エネルギー反応から見てヌマスナメリだろう」


湖上に倒れたクリーチャーは研究所で保護されることになった。以前からこの湖で暮らす固有種らしいその生物はヌマスナメリというらしかった。近くで見るとずいぶん怪我をしていた。古いものから生傷まで、なにか鈍器で打たれたような傷跡が主だった。

マコは先程からグズグズ泣いて、そいつが浮かんでいる水槽から離れようとしない。余程ショックだったのだろう。白い体が赤い水の中に浮かぶ光景がフラッシュバックする。


「こんな、傷だらけで、ごめんね…痛かったよね…」

「バカ、別にお前が怪我させたわけじゃないだろ」

「でも、私がやめてれば、怪我したままあんな風に泳がせなくて済んだのに…」


先程まで使っていた釣竿は水槽の脇に所在なげに放置されていた。使っていたルアーもワイヤーもクリーチャー捕獲専用のもので、傷をつけないためのものになっている。それでもマコはまるで自分のせいだと言わんばかりに悲痛な顔で水槽を見つめていた。


そして一番の疑問は、この生き物はカメラを飲み込んだと思しき一投目で竿に掛かった生物では無かったのである。レントゲンを撮ってもカメラは影も形もなかった。そして丈夫な歯で噛み締めていたらしい釣り糸、もとい金属繊維を編み込んだワイヤーには、くっきりと同個体の歯型が残っていたものの、もし噛みちぎっていたとしても刃物で切断された断面のようにはならないだろうと断定された。

機械担当のキリさんがガジェットに録画していた映像を苦い顔で見返している。ほんの数分間で途切れてしまうが、それらしき生物が映りこんだ様子はなかった。


「うーん、これだけじゃなんとも…最初の引きがあったときにはもう壊れてたらしいね」

「ワイヤーには溶かされたような痕跡があった。金属を溶解するような生物はこの湖では目撃例がない」

「再調査が必要だね。カメラの紛失も痛いし」

「また釣り撮影すんのかよ?冗談じゃねえ」

「たわけ。失敗を繰り返すのは阿呆のすることだ、別の方法を使うに決まっとろうが。今の湖にはなにか特殊な生物がいるようだからな」

「特殊な?」

「ヌマスナメリは温厚なクリーチャーだ。他の生物と争うことはほとんどない、それがあの怪我だ。体表には火傷のような傷もあった。その溶解液を出す生物による攻撃だろう」


特殊な生物。そいつはあの白いクリーチャーと戦っていたのだろうか。だとすればあの大きさの相手に一方的に傷を付けられるなんて、どんな妖怪七変化が棲んでいるのだろうか。もうあの湖でボートを漕ごうなんて言う気にはなれそうもない。


「喜べ、水中探索だ。潜ってこい」

「なお悪いわ!!」


最悪だ。前々から思っていたが、この局長は人の嫌がることを進んでやらせる天才である。


「でも、また逃げられちゃうんじゃないですか?さっきだって、カメラを咥えてるはずなのに全然どこにいるかも見えなかったよね」


確かにそうだった。目で見て捕えられないとなればよほど素早いのではないか?そんな生物が捕獲できるものだろうか。それにあの衝撃、丈夫なクリーチャーですらこんなにひどい怪我をするのに、俺たちなんかひとたまりもない。震える肩を誤魔化したくてツナギを握り締めた。


「そいつをどうにかしないと、また犠牲が出るぞ」「!」


意気消沈している俺たちに向かって、ハカセは続ける。


「この個体は放っておけば動けなくなっていただろう。だが治療すればまた元のように湖で生きることが出来る」


マコははっとして水槽に手を伸ばした。小麦色の指先と、白い胸鰭が透明なアクリル板越しに触れている。


「そうだよ。怪我の原因が突き止められればね」

「湖沼内部の生態系を脅かしているものがいるとなればそれは我々の管轄だ。湖が死ぬ前に解決せねばならない」

「湖が…」

「我々が、お前たちが湖を守るのだ」


マコは弾かれたように立ち上がり、はい、と勇ましく声をあげる。

俺は唇を噛んで、ゆらゆらと水槽の中で揺蕩う白い生き物から目を逸らしていた。



翌日になって、俺とマコは丸っこくて狭っ苦しいボートに乗っていた。コンタクトレンズを更に湾曲させたような窓が天井兼ハッチとしてあり、閉めると少しひらべったくなって鰭が生えたガシャポンの容器みたいな形になるそれは、潜水艇だという。どう見たって公園の遊具程度にしか見えないが、聞くところによれば素晴らしく高性能な最新式らしい。

2人乗りとはいえぎゅうぎゅうに詰められてまさしくガシャポンのプライズの気分を味わえる代物だが、マコは興味津々できょろきょろ船内を見回していた。


「頼むから変なとこ押さないでくれよ、頼むから」

「押しません!なんだと思ってるの人を」


マコはあまり機械に強い方ではなかった。以前、誤って研究所内のモニターをショートさせ、スクラップにした実績がある。

何もしてないのに壊れたんだよお、とは先端がひん曲がったプラグを手にして半べそをかいていたその日のマコの言である。


「だいたいこういう技術やら経験を求められる調査は博士とか先輩がやって然るべきでは」

「単純な話だ。ウチは人手不足、私と研究員2人と貴様らしかいないことはわかっとるだろう」

「だからハカセがやりゃいいでしょ」

「これも単純な話だ。船の操縦は簡単な作業だが、陸上で船と生物を補足するなりいざとなれば捕獲器を用意するなり、我々は陸上でやることが多い。万一の時のためにも待機しているべきだ」


それもそうか、と納得しかけたのも束の間、


「かつ、私もキリもそれに乗るには少々上背が余る」

「あ、たしかに!」「チビで悪かったな」

「小回りが効くのは利点だな」

「あと、船舶免許っていらないんですか?」

「私有地だからセーフだ」


だからといって、マニュアルを手に持っただけのただのバイトの高校生にやらせるのか。そもそもこんなちっぽけなボートで乗り込んで大丈夫なのか、金属も溶かすようなやつ相手に。マニュアルをぺらぺら捲っていると、よろよろ歩いてきたキリさんがどっこいしょ、とポリタンクをいくつか荷台に詰んだ。


「はあ、その潜水艇は、ふう、障害物探知や地形測位などなど最新式のシステムを多数搭載し骨組みも装甲も特殊合金で加工が施された」

「キリさんのメカ知識はすごいなあ」

「重度の機械オタク」

「失敬な、とにかく頑丈で、燃費も良くて、変形させればジェットボートにも水上バイクにもなる優れものだよ!」

「もっとクリーチャーが嫌がる周波数が出るとかそういうのはねーの?」「ないよ!」


ぐずぐず言ってないでさっさと行ってこい、と浅瀬から蹴り出され、慌ててハッチを閉める。ゆっくりと、しかし着実に水中へと向かって進んでいく小舟は、ついに全方位を淡いみずいろに光る湖水に包囲された。透明なドームの内側から眺める湖は湖畔から眺める穏やかに揺らめく様子とはまったく違っていて、想像よりもずっと賑やかだった。ひっきりなしに目の前に現れては過ぎ去っていくたくさんの魚たちに、マコは嬉しそうに目を輝かせる。


「すごいすごい!こんなにたくさん、あっ見てメダカ!ザリガニ!」

「すご、すごいな…底の方はこんなに水草とか生えてるんだ」


水底のあちこちに群生する藻や水草達は水中の森のように生い茂って水の流れになびいていた。俺は頭上をすれすれで避けて泳ぎ去っていく生き物たちをなるべく直視しないよう水底に意識を向けていた。草やら藻やら、植物なら怖いことは無いのだ。動物はマコが見てる、俺はそれ以外を観察すりゃいい。そう自分に言い聞かせるように胸の内で唱え、特に水草の多い岩場に目をやった。


「ほんとにすごいねえ、なんか水族館に来たみたい」

「呑気だな、危険かもしれねえのに…」

「わかってるって!ちゃんとほら、色々用意してきたもんね」

「そのでかい鞄何が入ってんだ?」

「えーとね、非常食!」

「普通に弁当じゃねえか!遠足気分かよ!」


鞄の中には弁当箱の包みであろう巾着と、1Lは入りそうなステンレス製の水筒が入っていた。確かにもしもの時のために非常食は必要だろうけど、他に調査に適切な何かがあっただろ。


「そういうユウは何持ってきたの!」

「…こ、工具セット…」

「重くない?」「人のこと言えんのか?」


操縦しながらも膝の上に抱えているツールバッグをちらりと見やる。良く考えれば非常食も整備のための工具も端から船に積まれていたが、いいだろ、あると何となく安心するんだから。


「わかるわかる、ないと心もとないよね」

「一緒にすんな」


暫く窓の外を眺めていると、何か違和感を感じ、ある1箇所に目を凝らした。鈍い青色をした他より背の高い水草が生えている場所。俺の様子に気づいたのか、マコが俺の目線にに顔を近づける。


「なにかみつけた?」

「ん、いやあのへん、なんか草の動きが違くないか?ゆらゆらしてさ」

「ああ、きっと根元に大っきいガザミがいるからじゃない?ほら、ほかの草で隠れてるけど、ハサミが見える」


そう言われ件の草の茎に沿って目線を下げていくと、確かに大きなカニのようなものが居るのが見えた。昔近所の沢で遊んでたらサワガニに足の小指を挟まれたことがあったなと思い出した。あんなでかいハサミで挟まれたら俺の足なんぞ一溜りもないだろうな。また恐ろしげな気分になってきたのを払拭するように頭を振り、再度ガザミに目をやる。たしかにいるな、と言いながら、目線の先のガザミはなぜだかゆっくりと、ふわふわ水中に浮かびだした。


「なんだありゃ、溺れてんぞあいつ」

「あはは、カニとかって時々流されてふわふわしてるよね、かわい…」


マコが言いかけてぴたりと止まったのは、そのガザミが不意に視界から消えたからだった。俺たちはきょとんとして顔を見合わせる。確かにそこにいたはずの、ゆうに横幅30センチはあろうかというサイズの甲殻類が、忽然と姿を消してしまった。


「あ、あれ?どこいった?」

「え、おかしいな…」


慌てて先程見ていた背の高い草を確認したが、変わらず同じ場所で揺らめいていた。そして、そのすぐ横にふわふわ浮かぶ、先程は見当たらなかった何か丸っこくて小さな、見覚えのあるもの。


「ハサミ?」「えっ?あ、ほんとだ…えっ?今見てたガザミのだよね…?」


じゃあ、体は?

咄嗟に理解できないものを認識した刹那、船体がどんと殴られるような衝撃によって大きく揺れた。


「なっ、なんだ!?」

「わかんない!何にもぶつかったりしてないはずなのに、」


辺りを見回すも、大きな生き物や岩などがある様子はなかった。船底に何かぶつかったのだろうか?いや、今の衝撃は、確実に船体の真横からだった。気づけば手首のガジェットが小さく振動している。


「今の、クリーチャーだ」

「そうみたい、だけど、でもどこに?ずっと見てたけどそれっぽいのはいなかったよね」

「やっぱりきっと、すごい素早いやつなんじゃないか?ぶつかって、すぐ行っちまったとか」

「なら、今ぶつかったのが最初の魚ってこと?」


そう考えると、途端にぞっとした。あの白いクリーチャーの痛々しい姿が脳裏に浮かぶ。ともかくまた衝突しないうちに報告しないと。手首のガジェットで研究所の2人を呼び出す。


「ハカセ、カメラ泥棒がいたっぽい」

「ぽいとはなんだ。姿を捉えたか」

「それが船にぶつかってきたんですけど、ぜんぜん見えなくて。近くにはいるみたいなんだけど」


ハカセは地上でこちらの船に搭載されたカメラの映像を確認している。ガジェットの反応を伝えると怪訝そうにふむ、と鼻を鳴らした。


「確かに今ほどカメラが大きく揺れたな。しかしこちらからもクリーチャーらしきものの姿は…」


そう言うなり、どういうことかとガジェットを覗き込む俺たちを鋭い声色で一喝した。


「お前たち、今すぐ浮上しろ!そこから離れるんだ!」

「えっ!?ハカセ?」

「早く!そいつは−−」

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