水飲鳥人形:サー・ピジョン 参
じゃん!とオフレンダのギターの音色が響く。少年は目を虚ろに蕩かし、『葬送人形』と精神を同調させるように痙攣していた。
「まずいな。精神を人形側に引きずり込まれたか、オフレンダ少年!」
《人形》の中には呪術と一体化して存在しているものも数多い。古代ガリアにおける『
未熟な人形遣いとは、人の持つ悪意、呪いに耐性のない者――換言すれば人を信じ、善美とされる行いを尊ぶ心の持ち主。すなわち善人である。
『……そうだね。皆、良い人たちだった』
オフレンダはフィシオスの人々を信じていた。
実際には、彼が人身御供に選ばれていたにも関わらず。
ギターの鋭い旋律が走る。髑髏の唸り、笑い声をサー・ピジョンは幻聴した。
『葬送人形』の髑髏が姿勢を低く、低く、駆ける。紐飾りの極彩がサー・ピジョンにはまるで肉食獣の攻性変色のように感じられる。『葬送人形』の持つ、二振りの
「――穏やかではありませんね!」
右手に握る『水飲鳥人形』の鳩頭から水滴が射出された。同時、人形の《仕掛け》が励起する。鳩頭を備えた杖が動れるように旋回した。鳩のさえずりのような擦過音とともに、振り下ろされた擲斧は教会の天井に弾き飛ばされた。
……通常、《人形》の膂力はその大半が人間に勝る。《演糸》によって操られる《人形》は、人間と異なり関節や駆動系に負荷が掛かることを前提とした構造をとっているからだ。《人形》を操演者自身に纏う着襲縣の《人形》であっても、操演者の防御力に優れる反面、一般的な(※
ではなぜ、ただの人間であるサー・ピジョンが『葬送人形』の二刀を弾き飛ばすことが叶ったのか。その要因はサー・ピジョンが持つ、『
①:『水飲鳥人形』は、杖に備わった鳩頭から水滴を射出する。
②:鳩頭は水滴を飲み込むまで自動で高速追尾する。
水滴が『葬送人形』を切り裂くように軌跡する。閃電のような俊敏さで、『水飲鳥人形』のステッキごと振り上げられ、『葬送人形』の髑髏を打ち据える。
糸演縣の《人形》は、常に《演糸》による指示によって操作されているため、挙動にほんのわずかなタイムラグが存在する。つまり、《人形》そのものを武器として扱うサー・ピジョンにとっては、常に一拍だけ遅い。
体が浮いた『葬送人形』の真下に、既に純白のマントを翻している。
③:鳩頭が高速で水滴を追尾している間、操演者はその速度に追随する。
④:追尾速度は水滴との距離に反比例する。近いほど早く、遠いほど遅い
ずん、と空気が歪んだ。『水飲鳥人形』による爆発的な加速と踏み込みから、背中全体で目標物を擦り潰すように接着する高速の当て身。八極拳においては
しかし、その反作用を逃がせずに受けたサー・ピジョンの身体は――
⑤:追尾中、杖と操演者は空気抵抗などの物理的な影響を受けない。
――人形の骨格に罅を入れるほどの体当たりを放った。しかしサー・ピジョンは、未だ健在である。
『水飲鳥人形』は、己を犠牲として誰かを救う能力ではない。
己の健在を以て全てを調停するという覚悟の証である。
「やあやあ、申し訳ありませんね。しかし……杖を握る間の私をどうこうしようという考えは、少々捨てた方がよろしいかと」
『水飲鳥人形』の能力は、水滴を追尾する際の速度と不壊性を操演者自身にも付与する。《演糸》にて《人形》を攻撃端末として扱う
備手縣は一見すれば、攻撃射程では糸演縣に及ばず、防御力では着襲縣に及ばないという弱点が存在するように見える。しかし、己と武器を一体にして戦う備手縣は、先ほどサー・ピジョンが膂力に勝る『葬送人形』を巧みな武錬と能力の合わせ技により翻弄したように――その精密性と即応性こそを武器としている。
(とはいえ、このまま操演者を倒してめでたし、とはいかない)
サー・ピジョンは横目にオフレンダを見る。
オフレンダは涎を垂らしながら、凄まじい勢いでギターを掻撫(かな)でていた。剥がれた爪と指の皮がぐちゃぐちゃに絡まり、弦が赤銀に染まっている。
《人形遣い》を無力化するには、三つの方法がある。
一つは操演者自身を再起不能にすること。これが最も確実な方法である。
しかし、サー・ピジョンの中にオフレンダを殺す選択肢はない。
もう一つは、《人形》の操作媒体である《演糸》を無効化すること。
『葬送人形』の《演糸》は明らかにオフレンダの演奏するギターの音色だ。
しかしギターを壊した所で、オフレンダに逆流した呪いが解けるわけではない。
例え《演糸》を断った後に『葬送人形』を壊したとしても、《演糸》による『葬送人形』との繋がりが失われている以上、オフレンダの解呪にはなり得ない。
――よって、最後の方法を取る必要がある。
《演糸》によって『葬送人形』がオフレンダと繋がっている間に、『葬送人形』を破壊するのだ。そうすれば『葬送人形』の破壊に巻き込む形でオフレンダの呪いを解くことができる。
……分の悪い賭けだ。だが、試す価値はある。
そこまで考えて、彼は苦笑した。
この先オフレンダに何の価値が生まれずとも、彼を救う。
誰かがやらなければならない。サー・ピジョンはそのために存在する。
「オフレンダ少年、待っていたまえ! きみをその呪いから解放する!」
サー・ピジョンの背負う純白がはためいた。
彼はステッキを刺剣のように構え、立ち上がる『葬送人形』を睨む。
髑髏からは銅線や紐飾りがぼろぼろと剥離し、幾何学模様の彫り込まれた骨格が覗いていた。サー・ピジョンはその紋様を注視する。紋様に混じって、わずかにではあるが文字のようなものが見て取れたのだ。
エリザベタ。
ナクィラ。
ミーカ。
メラニー。
……
オフレンダの鳴らす曲調が変化する。密林の色彩を思わせる鋭くも野性的な旋律から一転、陽気な友人や貴婦人が手を繋いで踊り狂うかのような粒立ったスタッカートが雨あられのように降る。
オフレンダの曲に伴うように、『葬送人形』がその歯を剥き出した。
『エリザベタはカラカの街へ行った! ナクィラはソンリサと約束をした! ミーカはウエスダと遊んだ――』
歌が形を成す前に、サー・ピジョンの高速の突きが、『葬送人形』の頭蓋骨を吹き飛ばす――止まらない。胸骨・腰骨・蝶形骨・肩関節・膝蓋関節・顎関節、
半秒に七回の突き。攻撃に水滴の射出動作を連動させることで、管槍のように絶え間ない刺突の連動を可能にしている。だが。
『メラニーは、脚を高く投げ出して……地面にキスした……』
けたたましい笑いと共に、吹き飛んだ頭骨が歌声を奏でている。
何十人もの男と女の声が重奏した、それは地の底から響く死の音色だった。
《人形》は意思を持たない。確かに、オフレンダは『葬送人形』に籠められた呪いによって操作されてはいる。しかし、呪いとはそもそも指向性を持った人間の害意が呪術的な手続きによって成就した状態だ。決して自律的な思考を持つことはないし、ましてやオフレンダを特別扱いするなどという事態は存在しない。そのはずだ。
しかし、この『葬送人形』は現にオフレンダを守るような行動を取っている。
……『葬送人形』は、オフレンダや彼の先代であるメラニーの演奏によって鎮められる。彼は確かにそう語っていた、
『こうやって、髑髏を鎮めてたんだ。そうしないと、人が死ぬって……そう教えられてきた』
『数日前から、急に皆が倒れ始めてさ。多分、何かの拍子に髑髏を怒らせちゃったんだ――次はきっと、おれだと思う』
『次はきっと自分だ』というオフレンダの言葉は、ある意味では正しい。なぜなら、彼は恐らくフィシオスの村人によって生贄として育てられていたからだ。
彼の前任者であるメラニーは村人に「旅芸人の一座に加わった」と偽られ、そして戻らぬままに、『葬送人形』の中に名前が刻まれている。フィシオスの村人はそうやって生贄を捧げることで、『葬送人形』という災厄から村を守って来たのだ。だが、今の段になって『葬送人形』はオフレンダを守るような動きを見せていた。つまりフィシオスの村人たちはオフレンダを生贄に捧げようとしていたからこそ『葬送人形』に殺されたのだ。
……《人形》に意思はない。
通常のカラ・ベラ傀儡は死者の日のシンボルとして広く国民に親しまれているが、この『葬送人形』に残されているのは呪いだけだ。
つまり――呪いそのものが、オフレンダを生かすべきだと判断したのだ。
オフレンダはそのことを全く知らない。ただ子供らしい善良と盲目のままに、フィシオスの人々を信じている。全ての真相を彼に告げた時、彼は今までのように素晴らしい音楽を鳴らすことが出来るのだろうか。
「
――そう。音楽だ。
オフレンダの言によると、『葬送人形』は直接村人に手を下したわけではない。
先程から『葬送人形』がオフレンダの演奏に合わせて歌っている「
(その前に、『葬送人形』の頭蓋を壊す)
サー・ピジョンは杖を旋回させ、吹き飛んだ頭蓋を追いかける。しかし散らばった骨が蛇のような形を取り、サー・ピジョンに飛び掛かった。
「押し通らせて頂きます!」
『葬送人形』の骨格自体を解体・再構成して迫って来る骨の群れは、しかしサー・ピジョンのステッキの前に一閃される。なおも頭骨が歌を紡ごうとするが、サー・ピジョンは駆けながら思い切り自らの両耳を杖で打つ。鼓膜を潰したのだ。
『葬送人形』の歌声がぼやけ、オフレンダの調べが聞こえなくなる。『葬送人形』の頭蓋が動揺したように震え、ステッキを避けようとするが――備手縣である『水飲鳥人形』は、それよりも早い。
『水飲鳥人形』の鳩頭が、『葬送人形』の頭蓋を叩き割る。
同時に頭蓋の中に響く振動から杖越しに『歌』を感じ取らないように、サー・ピジョンは素早く杖を抜き放った。
先程まで自立してサー・ピジョンを追っていた骨がたちどころにがしゃがしゃと崩れ落ち、物言わぬ白骨へと返る。
「呪いは人間の一面だ。私はきみのような存在には負けない」
サー・ピジョンは杖を払い、独り言ちた。
そのままオフレンダの許に歩み寄る。
「オフレンダ少年。怪我はないかな」
「ん……お、兄さん……?」
オフレンダの喉元がこくりと動いた。華奢な鎖骨がはだけている。
彼の持っていたギターは、指骨と共に教会の長椅子の下に転がっていた。
サー・ピジョンはギターを持ち、オフレンダに渡してやろうとする。
だからこそ。目に入る。
ギターの面板に彫られた、その文字を。
見る。目にしてしまう。
『オフレンダは
吹き飛ばされた指骨が彫刻していた、
呪いを完成させる
……呪いとは、悪意だ。
『葬送人形』の歌声はその悪意を伝達するために存在し、それは如何なる情報媒体においても、その呪歌の完成を知覚した生命体の心臓を停止させられる。
サー・ピジョンは胸を掻きむしり、倒れた。
汚れ一つ許せなかった白いマントが、教会の土埃に塗れる。
苦悶の声と共に、手を伸ばし空を引っ搔くが、誰にも届くことはない。
オフレンダが駆け寄り何事かを自分に言う。
震えるものは、もはや自分の耳朶の内にない。届かない。
(ああ)
サー・ピジョンは、己の最期を悟った。心臓がぽっかりと失われたような感覚があった。もはや余命は幾許もないだろう。調停者稼業に着いた時から、自分の命が失われる覚悟はしていた。だが。目の前の少年は、サー・ピジョンの命を奪った罪悪感に、永劫苦しむことになるだろう。
(それは許せないな)
サー・ピジョンは苦悶の中で、少年らしい笑みを見せた。
「オフレンダ……少年……君には、まんまとしてやられたよ」
オフレンダの夕焼け色の瞳から、涙が零れる。サー・ピジョンの白い肌に水滴が吸い込まれていく。『水飲鳥人形』が慰めるようにその涙を啄んだ。
「私の属する組織が裏で『葬送人形』を操り……む、村人たちを殺したのさ」
違う。
「だ、だが、『葬送人形』は土壇場で……軛から解き放たれ、君を守った」
違うだろ。
「君が……良き村人たちの仇を討ったんだ……」
ふざけんなよ。嘘だって言え。
(おかしいな。耳を失ったのに、全て聞こえている)
自分の胸を叩き泣きじゃくるオフレンダを、サー・ピジョンは弱弱しい力で抱きしめてしまった。嘘をつき通すべきだったことはわかっている。
だが……もしも自分が村人に裏切られ、望まぬ呪いに身を蝕まれ、これから一人で生きていく彼のことは、誰が祝福してやれる?
(あらゆる呪いを生む、人間が嫌いだ)
戦争を見た。
飢餓を見た。
騙し合いを見た。
政争を見た。
その全てに、常に倦んでいた。
(それでも、忘れられないものがある)
サー・ピジョンが調停したあとの広場に、鳩が降り立っていた。
人々の炊き出しの匂い。彼の手を握り涙する子供の顔。笑い声。
昨日の話。明日の話。そのすべてが鳩を呼んでいたのだと思う。
(人間の作り出すものまで、嫌いだったわけじゃない。もう一度あの鳩を見ることができるなら、ぼくは何度だって)
昔日と死影が、血のように混じりあっていた。
だからもう、やるべきことをやる必要があった。
難しくはない。彼の人生は、ずっとそうだったから。
サー・ピジョンはオフレンダの手を取り、そして優雅に微笑んだ。
「良い音楽だった」
その日フィシオスの村で、一人の《人形遣い》が死んだ。
《
+
『葬送人形』の呪いに呑まれていた時から、全部記憶はあった。
当然だ。あいつとおれは、音楽で繋がっていたんだから。
鳩のお兄さんが言ったことは、全部噓だっておれは解っていた。
それでも、それを認めてしまったら、何もかもを失くす気がした。
お兄さんのくれた希望も、村の皆がおれを生贄にしようとしていたことも、メラニーお姉ちゃんが村の皆に殺されたことも、おれがお兄さんを殺してしまったことも、全部。
一日中おれはお兄さんの傍にいて、おれの歌を褒めてくれた唇とか、おれみたいに曲がってない髪とか、まだ空を映しているはずだった青い目とかを眺めていた。
「……は、はは。何だ。し……死んでいるではないか」
だから。そいつらのことも、おれはすっかり忘れていた。
「小僧! その男はアシエンダ復古戦線の敵だ。死体ごとこちらに引き渡せ」
数日前に村に土足で踏み込んで来たそいつらは、お兄さんのことがよっぽど嫌いだったのか、死体によってたかって唾を吐いたあと、お兄さんの服や杖を剥ぎ取り始める。
「これは……『
その内、「フッコセンセン」の中の偉そうな一人が、お兄さんの荷物の中から、妙な彫り物を取り出して笑った。
おれがぼんやりと奴らを見上げると、そいつはおれの腹を蹴り飛ばした。
何も感じたくなかったのに、痛いものは痛い。おれは教会の椅子に吹き飛ばされて、せき込んだ。
「何だよ、それは……」
「知らんのか、小僧。これを裏社会に売ると、相当な根が張るのだよ。何でも人形同士が殺し合うという与太話があってな、ははは……」
――殺し合う。
人形同士が。
「よこせ」
おれはギターを手に取った。
……『あいつ』はお兄ちゃんに頭蓋骨を砕かれていなくなったけど、その後また蘇った。
今はずっとおれの後ろにいる。繋がったまま、呪いを受けている。
だからやり方はもう解っていた。
「お兄さんのものにそれ以上触れるな。殺すぞ」
「……小僧。折角拾った命を無駄にするつもりか?」
やつらの目の温度が変わった。こいつらは村を占領しようと踏み込んできた頃から、弱い人間を食い物にすることに全く躊躇がない。
なら、おれもそうなれば良いと思った。
「……無駄にしたいんだよ」
弦に指を添える。
おれを助けてくれた鳩のお兄さんが褒めてくれた音楽。
もう、人を殺すことにしか使えない。
「もう一回だけ言うぞ。その根付を、よこせ」
「は」
やつらはおれに銃を向けた。
「なら、この男と共に神の御許に召されるがいいさ」
銃が構えられる。銃口は、おれの心臓を正確に狙っている。
……同じ所には行けない。
おれの心臓はもう穢れている。
お兄ちゃんの命を生贄に捧げたから、こいつは蘇ったんだ。
善良な人間の心臓。それが、生贄の条件。
それを――あいつから聞いた。
「――来い。カラベリタ」
二振りの擲斧が、やつらの脳天をかち割った。
教会に静寂が満ちる。音楽を鳴らすにはちょうどよかった。
ひょっとしたらこのために、おれはあいつに選ばれたのかも知れない。
けたけたけたとあいつが歌う。
髑髏が笑う。
『エリザベタはカラカの街へ行った!』
死ねばいい。
『ナクィラはソンリサと約束をした!』
死ねばいい。
『ミーカはウエスダと遊んだ!』
死ねばいい。
『メラニーは、脚を高く投げ出して地面にキスした!』
「お前ら、全員死ねばいい」
やつらの叫び声が聞こえる。
おれの心臓は穢れた。
お兄さんが言うような夢を叶えちゃいけないと、そう思う。
だから、沢山悪い奴らを殺そう。
《人形遣い》も、そうじゃないやつらも、全部。
そうすればいつか誰かが、おれの死神になってくれる。
『――オフレンダは、音律を失った!』
……そして、おれは《人形遣い》になった。
《
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