錬金人形:アルヌ・サクヌッセンム 壱

 錬金術の到達点は『質量』の否定である。

 18世紀後半。アントワーヌ・ラボヴァジェが発見した質量保存則は、無から有を生み、有を無に帰す錬金術の命題を完膚なきまでに殺拭した。

 閉鎖系においては、時間が経過しても物質の総重量は変化しない。

 反応前の質量と反応後の質量は等しく、銀や金が増加することなど科学的に在り得ないし、ましてや卑金属の原子量が貴金属のそれへと変化することもない。

 数々のアプローチの過程で培われた分析的な手法や材質への知見が『化学』へと受け継がれたことをもって、錬金術はその意義を終えた。

 少なくとも、まともな人間にとっては。


                   +


「おいッ、バービケイン! いつまでこの僕に掃除なんてやらせるつもりだ!?」

 長い金髪をくくった青年が、箒片手に老人の首根っこを引ッ掴んでいる。

「フォフォフォ……修行が足りんよ。まずは実技じゃ」

 バービケインと呼ばれた、矮躯の老人はフードの下で笑った。

 それがますます青年の怒りに火をくべる。

「錬金術を極めれば、遊んで暮らせるようになるんじゃなかったのかよッ」

 錬金術はその意義を終えた。少なくとも、まともな人間にとっては。

 青年……アルヌ・サクヌッセンムはまともな人間ではなかった。


 ――働かずして、金銭と名誉が欲しい!!


 その一心で、錬金術師を自称する道端の露天商に教えを乞うたのが、そもそもの間違いだったように思える。実際のところサクヌッセンムの人生は、国立土木学校グランゼコールに合格したところまではかなり上手く行っていたのだ。

 問題はその後だ。堕落する大学生が怏々おうおうにしてそうであるように、娯楽のないシャン=シュル=マルヌの地で、くだらない賭け事にどっぷりはまったのがマズかった。ナントの片田舎、ちっぽけな港町から知識だけを頼りに出てきた彼には、そういう世の中の誘惑に対する忍耐と用心が絶望的なまでに欠けていた。勝てば兎に扮したご婦人方が甘い声ですり寄って来る遊びは、童貞のサクヌッセンムにとって刺激が強すぎたのだ。

 だが、学費を払えずに田舎に帰るだけならまだ笑い話で済んだだろう。

 彼の極めつけの不運は、学費すら払えないほど困窮したところで、楽観的な考えで怪しげな『錬金術』とやらに場当たり的に頼ってしまったということ。

 ――そして、その身に類稀なる錬金の才を宿してしまっていたことだった。


「《人形ゴエティア》を遣え……あれなら掃除も一瞬で済むだろう。これも修行なのだ」

 バンビーケインはしわがれた声で笑う。

「絶対に、嫌だ。僕は……本当に働きたくない……」

「いい加減に理解せんか。お主は錬金術の天才なのだ。不真面目で物覚えも悪いが、何よりも錬金術師としての稀なる資質を持っておる……それ即ち無を有に変ずる根本原理の透徹よ......」

「ムニャムニャやかましいぞこのペテン爺ッ! もう修行はやめだッ!」

 サクヌッセンムは箒を投げ捨て、べきべきと足蹴にする。

「今日こそ僕はナントに帰るぞ……訳の分からない哲学や工学を詰め込まれるのはうんざりなんだよ!」

「フム」

 バービケインは顎髭を軽くなぞった。

「だが、ここを出たとて……お主には行く宛がないのではないかね」

「ヴッ」

 事実だった。

 学費未納のためグランゼコールを放逐された彼は、借金取りに追われている。実際のところバービケインが彼を匿わなければ、むくけつき男どもの鉄火場である木工ギルドに借金の片としてその身を売り飛ばされていただろう。サクヌッセンムは労働を致命的に嫌悪していたし、額に汗して喜ぶ人間を見る度に本当に同じ人類なのかと困惑していた。

 よって、サクヌッセンムは得体の知れない老人と得体の知れない『錬金術』の修行に青春を浪費するしかない。もしも人生にも質量保存の法則が適用されるならばこの不幸も必ずどこかで揺り戻しが来るはずだが、生憎と人生が好転する兆しはまるで見えていなかった。


(......この僕が、毎日額に汗水垂らして修行だなんて、絶対に間違っている。そうだ......質量保存の法則も、間違っている。不幸の後には幸運がやって来るだって? 最初から幸運にさせろバカ!)


 サクヌッセンムは、懐から平たい真鍮製の円盤を取り出した。

 掌ほどのサイズの真鍮盤は、中心に硝子が嵌め込まれ、その内部を粘性のある銀色の液体が満たしていた。また、円盤の周縁には呪紋がびっしりと彫り込まれている。


「【其は鍵であり冠である。第二十四の霊は、ストラスと呼ばれる】」


 それは王冠だ。この世ならざる力を戴く冠。《人形》を錬じ、統べるための。囁きと共にサクヌッセンムは円盤を放る。真鍮の円は放物線を描き、樫の木の座卓に落下した。瞬間、座卓を構成していた木材がぶるりと震え――裏返った。木の繊維が歪み、飴細工を捏ねるように形を変えていく。


「物質は微粒子の集団から構成されている。化学的な変化は、その集団の再編成によって生じる……」


 座卓の足の半分が腕部へ、もう半分が脚部へと姿を変える。

 天板はひとりでに折り畳まれ、胸甲となって真鍮盤を包んだ。

 最後に扁平な頭部が兜となって胸を綴じ、背中からはしゃらんと銀の糸が垂れる。サクヌッセンムは五指に金属輪の付いた牛革の手袋を嵌めた。銀の糸は手袋の金属部分と癒合する。サクヌッセンムの指の動きに合わせ、人形が滑らかに蠢いた。水銀の《演糸》で接続された、それは《人形》だった。


 ゴーレム、と呼ばれている。

 ヘブライ語で「未完成なもの」を意味し、カバラの秘呪――シェム・ハ・メフォラシュを刻まれた、伝説上の泥の《人形》。

 だがサクヌッセンムの錬金の才は、机上の空論であるゴーレムの操作と精製を実際に可能にしていた。

「おい。掃除をするぞ」

 木卓を構成材料として顕現した《人形》に対し、錬金術師は厳かに告げた。

 牛革の手袋から水銀の糸に運指のエネルギーが伝わる。箒を手にしたゴーレムは連動し、猛烈な勢いで工房を片付けはじめた。


                    +


「今日の修業は済んだか、サクヌッセンム」

 バービケインは蹲るゴーレムの天板にティーカップを置いた。


(……こいつは、いつもそうだ。ベン・イェフダー・バービケイン……)

 

 サクヌッセンムは憤慨する。借金取りから匿われているという弱みさえなければ、今すぐにでもこの胡乱な老人の師匠面を殴って止めさせたかった。

「ゴーレムを安易に裏社会に売り出さないのは、賢明な判断であったな」

 紅茶の湯気がバービケインの顎髭を僅かに湿らせる。

「僕だって売れるもんなら売りたいんだよな。でも、それは凡才の考えだ」

 サクヌッセンムは舌打ちして味の薄い紅茶を啜った。


「何回でも言うけど、僕は働きたくない。面倒事は全部誰かに押し付けて、最終的に僕自身が名誉と利益を得られる仕組みを構築したいと思っている」

 サクヌッセンムは水銀の《演糸》が繋がった左手の手袋を弄る。机となったゴーレムの左腕が動き、サクヌッセンムの紅茶に蜂蜜を注ぎ入れた。

 バービケインはその光景に目を細める。

「精製したゴーレムを働かせたとしても、一の手間から五の仕事を発生させてるだけだ。本当に無から有を造り出したいなら、もっと抜本的な発想の転換を図る必要がある……」

「なれば如何にする? ゴーレムに卵でも産ませると?」

 バービケインが顎髭を撫でつけ、笑う。

「――その通りだ」

 しんと。荒唐無稽な夢想の肯定に沈黙が下りた。

 だがサクヌッセンムは構わず、自説を開陳し続ける。

「ゴーレムというアプローチによって、無から有を生みだすには……単純な理屈だ。

「……その為には、自己複製と知性の機能が必要になるが」

「そうだよ。けど、生物の生殖数理モデルは参考にならない。あらかじめ自己複製の《仕掛け》を備えた《人形》を解析するのが最も確実だ」

 そこまで言って、サクヌッセンムは息を吐いた。

「でも、そんな都合のいい《人形》が存在するわけないんだよな。あんた以外の《人形遣い》は知らないから、サンプルも足りないし……」

「……我が弟子よ。別の《人形遣い》と言ったな」

 バービケインが低い声を漏らす。

「なぜ、錬金術が廃れたのか分かるかの?」

「弟子呼ばわりするなッ。理由なんか興味ないよ……僕みたいな天才とやらが存在しなかったからじゃないのか?」

「自惚れるな阿呆」

 ばふん!と空気の腕がサクヌッセンムを殴りつけた。

 今の攻撃は、バービケインの構成した空気のゴーレムだ。

 ゴーレムの最大特徴は構成材質そのものを自由に選択できるということに尽きる。

火や木材、水、果てはバービケインが錬成したような『空気』まで、実物質であれば核である真鍮盤――『冠』によってゴーレムを錬成できる。

 ましてバービケインはサクヌッセンムのように詠唱をせずとも、真鍮盤を翳すだけでゴーレムの一部または全部を錬成することが可能だった。

「お主は確かに才ある弟子だが、錬金術の歴史は肥沃だ。三十年ほど前は……ここフランスでも、素晴らしい《人形遣い》が何人も鎬を削っていた」

「はあ? なら、そいつらと一緒に研究を進めればいいだけでしょ。僕と同じ考えに辿り着いた奴も、何人かいるんじゃないのか?」

「最早、一人も残っておらん」

「……なに?」

 バービケインはティーカップを傾ける。

 不揃いな茶葉が、さびしく紅茶の底に蟠っていた。

「《人形遣い》を狩る組織のことを知っているか?」

「オイ。クソ爺……少し待て、いったい何を……」

「お主に話しておくべきかと思ってな。『聖列境会Order of Saints』と呼ばれる組織のことだ」

 バービケインは十字を切る。

「クソッ。何だよ、その大層な名前は……教会の関係者か? というか、そんな奴等が居ると知っていて僕を錬金術の道に引き込んだのか? やっぱりペテンみたいなもんじゃないかッ」

「借金取りに引き取られ、死ぬまで働くのとどちらがマシだ?」

「……」

 サクヌッセンムは答えなかった。

 大多数の人間ならば命あっての物種だとしたり顔で言うだろうが、生憎とサクヌッセンムはまともな人間ではなく、それを目の前の老人に見抜かれていることもまた癪だったからだ。


 サクヌッセンムが働きたくないことに、特段の理由はない。

 彼自身は片田舎から出てきた、多少土木と建築に詳しい大学生の抜け殻でしかない。ただ、自分のような何も背負わない人間が、『無を有に変える』という偉業を成し遂げれば……少しは生きやすくなるのではないかと思った。

 面倒なことが嫌いなら、上手く生きていけなくても仕方ないのだろうか。

 何かに縛られていなければ、大きなことを成し遂げてはいけないのだろうか。

 そうではないほうがいいな、とサクヌッセンムは思う。


「……働くということは、尊厳と時間の譲渡だ。働いてる間、人は人形になる……一だったものを、零にしてるんだよ。自分の人生じゃないんだ」


 究極的な怠惰とは、怠惰であるために徹底的に工夫を施さなければならないという矛盾を内包している。バービケインは、他の誰もが顧みぬサクヌッセンムの怠惰の才を見出した。サクヌッセンムにとって師弟ごっこをしなければならないこの事態は不幸だったが、それでも比較的な部類の不幸に落ち着いていると彼自身は考えていた。

「……そいつらは、何だって《人形遣い》を狙う?」

「人が神の似姿を造るのは、冒涜だという理屈だそうだ」

「下らない戒律だな。存在するかも解らない知性を仮想して、そいつに身を捧げるなんて、宗教家は揃いも揃ってマゾヒストしかいないのか?」

「しかし、彼奴らは《人形遣い》を殺す能力を持っておる」

 バービケインは貨幣のようなものが大量に繋がれた鎖を取り出した。

 目を凝らすと、そこには硝子が嵌め込まれた真鍮の円盤――ゴーレムの核、『冠』が繋がれていた。《人形遣い》の遺品ということなのだろう。

「これまでに三十四人死んだ。研究をめねば、お主もいずれこの内に入る」

 バービケインは瞑目していた。

 この老人の後悔するような姿は、サクヌッセンムも見たことがなかった。

「お主には才がある。ここで、その命を仇花とすることは……」

「ハ! 言ってろ、ペテン爺。何度も言うが、働くくらいなら死んだ方がマシだ」

 サクヌッセンムは思わず、金髪を掻いて毒づく。

「《境会》とやらが来るなら、戦うさ。僕が三十五人目になってやる」

 懐の真鍮盤――その熱を感じる。それは冠であり鍵だった。

 単なるゴーレムの核ではない。錬金術師に叡知を与える冠として、未知に踏み出す勇気をこじ開ける鍵穴として、『冠』は常に術師とともにある。

 それが、バービケインからの最初の教えだった。


「――あんたは、必ず僕の理論を完成させろ」


 サクヌッセンムは真鍮盤を取り出し、バービケインのカップに打ち鳴らす。

 師は答えず、静かに茶の残りを傾けた。


 ――その翌日。

 アルヌ・サクヌッセンムの偉大なる師、

 錬金術師アルケミストベン・イェフダー・バービケインは命を落とすことになる。



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