第6話 事件の始まり

「いや冷や汗かきましたよ」

 側近の一人、エリックが身内だけになった気やすさからか、砕けた口調で言った。

「グロワーヌ侯爵とは何か個人的に遺恨があるようですね。気になりつつ調査も後回しになっていましたが、急ぎ調べましょう」

 スコットも先程の凍るような空気を思い出して頷く。

「そっちじゃないです。いつレオナルド殿下があのおっぱいを掴んで揉みしだくんじゃないかとヒヤヒヤしました。巨乳だし、顔も結構殿下のタイプじゃないですかー」

 レオナルドが無類の巨乳好きというのは側近たち一部の者のみのトップシークレットだ。

「そっち⁉︎」

「お前たちが絶対触るなってオーラでにらみつけてくるから無理だろ。俺と結婚したいって言ってくるくらいだからちょっとくらい触っても良かったんじゃないか?」

 レオナルドが赤みを増した瞳で側近を睨む。興奮するとダークレッドから鮮やかな紅になる瞳は王族の血をひく者の8割ほどに遺伝する特徴だ。多少は意思の力で抑えることができるが、そうすると睨むような冷たい表情になってしまう。

「まさか本気でエリス嬢と結婚考えてるわけじゃないですよね? 元聖女ということもありますが、それ以外にも問題ありすぎです」

「元聖女ね…」

 従軍した聖女がお役目そっちのけで、騎士と淫らな行為に耽っていたというのは、戦争が終わってから、気づくと広まっていた噂だ。レオナルドも一部地域の戦闘で陣頭指揮をとって戦っていたし、もちろんその場に聖女もいた。しかし、噂のような行為は全くなく、むしろいい雰囲気になりかけた聖女をレオナルドが寝所に呼ぼうとして大聖女にきつく叱られた。

 それだけでなく危うく治癒能力のある聖女まとめて引き上げられそうになり、側近総出で平謝りに謝って怒り心頭の大聖女を宥めた。

 この大聖女は30年戦争が始まる以前から何度も衛生隊として従軍した経験があり、非常に高潔な人間なのだ。もし自分の配下の聖女がそのような行為をしているこのに気づいたら、叱責どころではすまさず、聖女から除名していたであろう。

「スコットはいろいろ魔道具作りに戦場回ってただろ? 何か噂の元になるようなことは見聞きしてないか?」

「それは…まあ男と女がいればそれらしい雰囲気の男女はいましたけど、噂のような仕事放棄して…なんて酷い事例はなかったですよ。ただ…」

 スコットは少し言い淀んで

「やっぱりアルノーは今思い返すと不可解なことがいくつかありますね。実際不埒な聖女の噂の大元はアルノーですし」

 そんな話をしているうちにもう間も無くホールだ。

「あー面倒だ。結婚はしないでセックスだけできる相手を選ぶなら大歓迎なのに」

 この男、ピンチの時は神がかり的な才能を発揮するのに、普段はいかに好みの女性とセックスするかしか考えてない。

「最低なことさらっと言わないでください。そろそろ誰が聞いてるかわからない場所ですよ」

「それに王太子が婚約者もいない状態だから、我が国の年頃の令嬢がワンチャンかけて次期王妃の座狙ってます。その煽りで高位貴族の子弟が結婚しようにも、相手がみんな王太子狙いで非常に困ってるんですよ。

 さっさと相手を決めないと、早く後継がほしい貴族たちが国王に直訴しかねません。がっちり実家の手綱ついているご令嬢でいいならいいんですけど、ご自身で気に入った女性を選びたいなら早く決断してください」

 かくいうエリックもなかなか結婚相手が見つからない。王太子の側近ということもあり、次期王妃の座に座れなかった時の保険のような思わせぶりな態度ばかりとられて、いささか嫌気がさしている。

「あー、でも本当に誰でもいいんだ。巨乳で可愛いくて、色が白くて、髪とかミルクティーみたいな色のふわふわの感じで。あ、足とか細い方がいいなあ」

「それそのままエリス嬢ですよ。それにそのピンポイントな外観、誰でもよくないじゃないですか」

「しかも条件に外見しか出てこないとか、本当最低ですね。もっとこう、優しい、とか聡明とか、そういう内面的な好みはないんですか?」

 ホールの大扉が見えてきたところで、すっと現れた男がいた。グロワーヌ侯爵である。レオナルドは内面の興奮を飲み下すようにすっと抑えて瞳に感情が出るのを防ぐ。

「レオナルド殿下、先程は元部下が大変失礼いたしました。治療院にまでお運びいただき感謝の至りです」

レオナルドは鷹揚に頷くだけにした。

「自業自得とはいえ、結婚どころか、元聖女は奉公すらまともにできないので、焦ってあのような暴挙にでたのでしょう。まあ、雇うほうにしてみたら主人や年頃の息子を誑かされてはたまらないですからな」

「自業自得、というほどの行いを彼女がしていた、ということでしょうか?」

 スコットが尋ねるとグロワーヌ侯は大きく頷いた。

「それはもう。全く監督不行き届きで紅顔のいたりですが、何人もの騎士と関係を持っていたようで」

「その中には卿も含まれるのか」

 軽く侮蔑を持ってレオナルドが聞くと

「とんでもない! 聖女は負傷兵を癒す貴重な戦力です。聖女と関係を持つなどとんでもないことです」

「殿下、そろそろ戻らないと会場の方々が騒ぎはじめますよ」

「失礼する」

 スコットの言葉にレオナルドは話を切り上げた。しかしグロワーヌ卿も並んで歩き出す。

「ところで、エリス嬢はどこの治療院へ?」

「それが何か卿に関係でも?」

「私の監督不行き届きでこのような事態になったようなものです。せめてもの罪滅ぼしに後見人となって支えてようかと」

「殊勝な心掛けだな。後で連絡させる」

 ホールに入ると、ゲストの視線がレオナルドに集中した。

「殿下、私の娘を紹介します」

 グロワーヌ候の言葉に金髪の美女が静々と進み出てきた。

「ロザリンヌと申します。どうぞお見知りおきを」

(美人…だけど殿下の好みとは外れるなー)

 エリックは相手の胸を盗み見しながら思った。それに

(さっき声高にエリス嬢を批判してた令嬢だな。それにあの爪、あれでドレスの糸を切ったわけか)

 ロザリンヌがエリスの後ろに回った直後にドレスが破れる音がしたのは周囲の者たちは気づいているだろう。それでも批判がロザリンヌよりエリスに向かうのは圧倒的な身分の差やエリスの場違いな格好のためだ。

「それにしても、殿下はお優しいですね。あんな見え透いた誘惑をするような元聖女を介抱して差し上げるなんて。

 お気をつけなさいませ。きっと人目がなかったことをいいことにお手つきにでもなったと騒ぎ立てますわ」

 レオナルドは穏やかに諭すように答える。

「私の側近たちは優秀なのでそんな不届き起こり得ません。さあ、ダンスが始まるようです。最初の曲のお相手をお願いできますか?」

 レオナルドは微笑みながら、ロザリンヌの手を取った。

(この人、興味ない人には普通に愛想振りまけるんだよなー)

 令嬢たちの嫉妬と羨望の視線と、そのエスコートできた父親たちの落胆をを背に優雅にホールの中心へと歩き出すレオナルドを見てエリックは思った。   

 感情が瞳に現れてしまうのは、政治には不利だ。瞳が赤く輝いてしまうような感情が揺れる状況になると、それを抑えようと知らずキツイ表情になってしまう。逆に全く感情が動かされない時は、無理に抑える必要がないぶん傍目からは穏やかに見えるのだ。 

 エリスに会った時、非常に厳しい顔をしていたのは、好みの巨乳が目前に現れて、胸を舐めるように見てしまわないように必死に衝動を押し殺していたからである。

 子どもころからの友人であり、今や側近となった三人とスコットは、そんなレオナルドの事情がよくわかっている。そして王太子かつ英雄の一人となったレオナルドが感情を無理に押し殺さず付き合える存在として受け入れられていることに、少なからず優越感を抱いているのだった。


 2時間ほどだれとも分け隔てなくダンスをし、誰もおざなりにせず、といって誰も特別扱いしない実にニュートラルなダンスを淡々とこなしていたところ、戻ってきたアーノルドがさりげなく耳打ちした。

「失礼、プレンティスの美しい花々を私一人で独占しては、ほかの令息たちに申し訳ない。少し外すので、この後はみなさまでお楽しみください」

 華麗に挨拶をして、誰からも言葉をかける隙を与えず、さっとホールから退場した。

「で、何があった」

「実はグロワーヌ侯を密かに監視していたところ、側近らしき男2人に何か指示しました。それで、もしやと思いまして…エリス嬢が着替えた後、あのドレスをお借りして、それをトルソーに着せたんです。つまり気を失っているエリス嬢を運んでいるように見せかけました」

 レオナルド目がギラリと紅く光った。

「案の定人気のない庭先に差し掛かったところで襲撃に遭いました」

「相手は?」

「申し訳ありません、取り逃しました。エリス嬢は狙われていることがわかったので、今は王宮に止まってもらっています」

それに、とアーノルドが続けた。

「相手はドレスが囮だと気づいたので、彼女がまだ王宮のどこかに匿われていることもわかっているでしょう」

「エリス嬢は今どうしてる?」

 レオナルド一行は走りそうな勢いでずんずん歩いていく。

「ジャンがついています。念の為部屋は移動しました」

「エリス嬢は何かとんでもないパンドラの箱を抱えてきたな」

 レオナルド得体の知れない不吉な予感にゾッと背筋が寒くなるのを感じた。

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