花は色づく僕らの笑顔

瑞原チヒロ

前編

 桜よ。

 お前はどうして、あの時の僕らにあんな約束をさせた?



*****



 あの頃の僕らは、未来のことなんか考えずにただ今を楽しく生きることが重要だった。

 僕は早くに母を亡くした。だから「未来なんかあるかどうかも分からないんだからさ」なんて、すれた言葉も口にして。

 そして僕の周りに集った二人は、その言葉を否定することもなかった。ただただ僕と一緒に遊んでくれた。遊びに誘ってくれた。


 そんなことを続けて五年――

 大学受験を迎えて、初めて僕らにつきつけられたものは、「未来」という「現実」だった。


 おかしな話だ。なぜ現実に「未来」があるんだ。だけどそうだったんだ。現実に未来を見出さなければ、高校三年生――この先一年やっていけない。


 いつもの友の一人、タカヒロは「俺は遊び人になる」と宣言していた。

 それでも教師には大学へ行けとしつこく言われていたから、四年制の自由度の高い大学を探していた。


 もう一人、タカヤもあまり勉強や就職を考えている様子はなかった。

 ただ、タカヤには夢があった。風景画師の夢。


「今更遅いだろうけどね」とつぶやきながら、タカヤは芸術系の大学に行くことを決めた。


 ――今更、遅いだろうけど、ね


 その言葉を聞いた時、僕は胸を激しく拳で突かれたような気がした。まるで僕を責めているような言葉だと思った。仲良し三人組み、率先していたのは僕だ。タカヒロはアイツ自身も遊びに誘ってくれたけど、タカヤは常に受身だった。


 ――アイツだって乗ってきたんだから、アイツの責任だ。

 僕は自分にそう言い聞かせた。


 タカヒロとタカヤの進路が気になって、注意力散漫になっていた。結局、進路を決めるのが一番遅かったのは僕だ。タカヤのように取り柄もない僕は、ただ父親がうるさくすすめるままに英文科に行くと教師に言って、教師を仰天させた。

 そりゃそうだ。僕の成績、特に英語は、万年赤点ぎりぎりなんだから。

 それでも、今の時代英語が最先端だと、父は言って聞かなかった。


 タカヒロはなぜか、遊び人のくせに頭がほどほどによかったから、志望した大学には余裕で行ける見込みがあった。


 タカヤは進む道を決めてから、真剣に勉強を始めた。根が真面目なヤツだから、一度始めると跳ね上がるように成績があがった。


 僕も必死で勉強を始めなくてはいけなくなった。今までやったこともない教科書とのにらめっこ。ノートを取る。それってどうやるんだ? そんなことから始めた高校三年生。


 余裕なんかからきしなくなった。


 たまにタカヒロが誘いに来ても、とげとげしい声で断った。いらいらした。今までは自分が二人にかけてきた言葉なのに。


 タカヒロは僕を蔑んだ目で見て、だんだん近寄らなくなっていった。三人、クラスも違う。会おうと思わない限り、そもそも会うことがない。

 そう、タカヒロとも、タカヤとも会わなくなっていって。


 僕は心にぽっかりと穴が開くのを感じていた。タカヒロが差し出してくれた手を、振りほどいたのは僕だ。なのになんでこんなに悲しいんだ。


 中学一年生からの付き合い、三人組み。

 その存在は大きすぎた。

 勉強なんかより、二人の方が大事に決まっているのに。

 僕は、

 現在から見出さなくてはいけない、「未来」に囚われた。



*****



 ある日あまりに苦しくて、僕はタカヒロの教室に行った。

 タカヒロは僕を見て、いったんは無視しようとした。だけど考え直したように僕の方へやってきて、


「よう。どうだ? 勉強の方は」


 と話しかけてくれた。

 その瞬間、僕は解放されたような気分になった。


「ああ、ほどほどに」


 そう答えると、「そうか」とタカヒロはにやりと笑った。タカヒロの笑い方の癖だ。


「なあタカヒロ――」


 僕は思い切って言ってみた。


「今日、放課後遊びに行かないか?」


 断られるはずがないと思っていた。タカヒロは余裕で大学へ行ける予定なのだ。今日一日くらい、なんてことはないはずだ。

 しかし。

 タカヒロは軽く手を振って、


「無理」


 と言った。

 僕は思わず、声を荒らげた。


「なんで……っ」

「あー、お前知らなかったっけ。俺の志望大学変わったんだよ。担任がうるさくてさ……もっと上狙えって。だから俺ももう少し勉強しねえと追いつかねえんだ」

「そんなのお前らしくないじゃん。遊べればいいんだろ? お前は先生の言葉なんかで左右されるヤツじゃないだろ?」


 ――その時、タカヒロが僕を見た目つきを。

 僕は生涯忘れられないかもしれない。


「……川ってのは、何又にも分かれてるもんなんだよ」


 低く言って、タカヒロは教室の中心にまで行ってしまった。

 再び声をかける気にはなれず、僕は教室の戸口でうなだれた。


 タカヤの教室に行ってみた。

 タカヤはいなかった。クラスのやつらに聞いてみると、タカヤは休み時間、しばしば行方不明になるとのこと。

 ああ、と僕はおぼろげに思った。


 風景描きに行ってんだろうな。


 僕とタカヒロと遊んでいる時にはノートによく写生していた。僕らが知らない内に立ち止まって熱心に描いていたせいで、僕らとはぐれたこともある。


 学校は色んな風景を見つけるスポットがあるだろう。きっと冒険のしがいがあるに違いない。


 ……今のアイツはひょっとしたら、僕らと遊んでいる時より輝いているかもしれない。

 楽しそうに写生するタカヤの姿が脳裏に浮かんできて、僕はまたうつむいた。


 ――僕の知らない内に、二人は変わっていく。


 いや。それとも本来の姿に戻っていっているんだろうか。

 二人を押さえ込んでいたのは僕自身?


 何とも言えない空虚な思いが心に差し込んだ。


 僕は「未来」になっても、変わる気はなかった。変わった自分を想像できなかった。英語を駆使してばりばりの外交系? そんな馬鹿な。英語が無事身についたとしても、きっともてあましているに決まってる。


 現在に見出さなければいけない「未来」の中で、二人はますます変わっていくのだろうか……


 ふと思った。

 タカヤは「現在」の中にある「未来」を、どう描くだろう。

 風景画師がそんなものを描くはずがないか。

 そんなことを思って、僕は自嘲気味に笑った。

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