Episode2

翌朝。4月1日。

弓弦の顔を、ブランがペシペシと頬を叩く。

あたかもかまってと言いたげな様子である。

やがて、弓弦は目を覚ます。

彼は、上体を起こしてブランを抱き抱えてソファに座る。


「おはよう、ブラン」


弓弦は、ブランを下ろしてソファから立ち上がり大きく「うーん」と大きな声を上げながら伸びをする。

ブランには、猫用の自動給餌が設置されている。

そして、そのままキッチンへと向かった。


「秋山の朝食でも作っておいたやるか」


弓弦は、1人暮らしが長かったためか家事は一通りできる。

でも、近年は仕事が忙しかったからか料理を作ることが出来なかった。

彼は、冷蔵庫を開ける。

そこから、食材を出して料理をしていく。


その頃、晴夏はまどろみの中にいた。

彼女が起きるのはまだ先の話だ。

晴夏は、昨日今勤めている会社を退職し退職祝いで浴びるほどに飲まされたのだった。

ただ、弓弦と出会わなければ自宅へと帰ってくることは出来なかっただろう。

それほどまでに飲んでいたのだから。

彼女がなぜ1人だったのか。

それは、晴夏が途中で抜け出して帰って来たからである。

主役が途中でいなくなるというちょっとした珍事だった。

彼女の部屋は、ブランが通れるように少しだけ隙間を開けている。

だから、しっかり閉じられることはない。

そこから、おいしそうな匂いが漂ってくる。

その匂いは、キッチンで弓弦が作る朝食である。

匂いが漂ってくると晴夏の鼻がピクピクと動く。

やがて、彼女は目を覚ます。


「うぅ、頭痛い」


晴夏は、頭を押さえながらベッドから這い出る。

そして、鼻を鳴らす。


「なんか、美味しそうな匂い」


彼女は、フラフラしながら自室の入口へと向かう。

壁に近付くと伝い歩きをする。

そうしていると、ドアが開く。


「物音がしたから起きたのかと思って来たが・・・大丈夫か?秋山」

「あれ?先輩?」


弓弦は、晴夏の言った言葉に首を傾げる。

彼は、あぁと小さくつぶやく。


「お前、覚えてないのか。

公園で呆然としていた俺のとこにベロンベロンに酔っぱらったお前がちょうど来たんだ。

送って来る途中で寝ちまったからベッドに放り込んだんだ。

でも、間違っても何かあったわけじゃないぞ。

俺は、ソファで寝たからな」

「先輩、ありがとう。

私一人じゃ帰って来れなかったかもしれないから・・・。

先輩が公園にいてくれてよかった」

「ほら、朝飯作ってあるから行こうぜ」


弓弦は、彼女に肩を貸して歩き始める。

そして、リビングの小さなテーブルへと向かう。

この部屋にはダイニングはない。

テーブルもリビングのソファに付属されて背の低い物しかない。

晴夏を、ソファに座らせるとそこにブランがやってきて膝の上に乗る。


「おはよう、ブラン」


にゃあと小さく鳴くブラン。

彼女は、優しく背中を撫でる。

弓弦は、キッチンから料理を持ってくる。


2人は、そのあと朝食を食べる。

ある時、晴夏が口を開いた。


「先輩は、いつ帰るんですか?」

「えっと・・・そういえば俺がなんで公園にいたか言ってなかったな」


彼女は、首を傾げる。

弓弦は、キッチンで洗い物を終わらせてリビングにちょうど戻ってきたところだった。


「ハルミとの婚約が破棄になったんだ。

それで、家も追い出されて仕事もクビになった」

「え!どうしてですか?

先輩あんなに身を粉にして頑張っていたじゃないですか」


弓弦の6年間を、彼女は知っている。

時には遠くから眺め、時には近くで支えながら。


「先輩、それなら私と仕事をしましょう。

私と会社を作りましょう。

私には、先輩が必要なんです」


晴夏は、フリーランスのデザイナーとして仕事をする為に会社を辞めた。

前職は、まったく違う営業職をしていたが副職で始めたデザインの仕事が軌道に乗り、本職としていた営業職をしているとタスク管理がし辛くなったからフリーランスとして働こうとした矢先だったのだ。

ただ、デザイナーとして得意先と個人で案件を抱えることが出来るがそことの案件が終わってしまうと営業をしなくてはならない。

そう言ったことが出来る人材が欲しかった。


「先輩がマネジメントしてくれるなら私、とても助かります」

「えっと、どういうことだ?」

「はい、私。昨日で営業職を辞めたんです。

その退職祝いの席で飲み過ぎて今に至ります」

「ああ、副職が軌道に乗ったって前に言っていたな。

なるほど・・・うーん、俺としては今までやってきたことと変わりはないか」


弓弦は、広告代理店の総務部で働いていた。

総務部だったのだが、なぜか営業もしていたしそのほかいろんな業務を1人で抱えていた。


「じゃあ、ひとまず会社として軌道に乗るまで頑張らせてもらうよ」

「はい、先輩・・・弓弦さん、お願いします」

「なんだよ、改まって。

まあ、ビジネスパートナーだからもう先輩じゃねえか。

晴夏、よろしくな」


こうして、2人だけの広告代理店がスタートするのだった。

まだまだ、小さな第一歩に過ぎない。

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