ゆきて紡ぎし物語〜虹の乙女と影の予言〜

成井シル

第1章 人族の国 モナルキーア

第1話

「王都まで、直接ですか?」

 母サリュの大きな声に、トリルは体を起こした。読みかけの――といっても、もう百回は読み返しているけれど――英雄サルヴァトーレの冒険記を閉じて、急いで一階へ下りる。

 店内に顔を覗かせると、母は驚いた顔で甲冑姿の人物と話していた。急ぎの注文で剣を五十本と言われたときにもあれほどには驚いていなかったのに――トリルは首を傾げた。

 母が大きく見開いていた目は青みがかった黒で、父も同じ色だ。トリルの瞳は同じ色だったが、なぜかトリルだけが、瞳の中に虹のような色合いをたたえていた。

 一方、髪の色はみんなまったく同じで、やはり青みがかった黒だ。トリルは動きやすいように、その髪をあまり伸ばさず、短めに整えておくのが好きだった。

「こちらの職人――ブッフォ殿の作を持参し、供出して頂きたいのだ」

「今季の騎士団への武具供出は、既にノルド伯様に届けたと思いますけど」

 トリルはそう言いながら、母の横に並んだ。

 王国の騎士団が使用する武具は、各都市の各職人から数揃いずつ用いられるのが慣わしだった。職人達の腕を競わせるという目的だという風にトリルは聞いていた。そしてそれらの武具は、季節ごとに各都市の領主の元に集められ、一緒に王都へと送られていく。

「先の季の供出で、こちらのブッフォ殿の鍛えた剣が騎士団長バルカロール様の目に止まってな。あらためて一振り用立てて頂くとともに、一度お会いしたいとのことなのだ。多忙故こちらに足を運ぶことは叶わぬこともあり、招待してもてなしたいと」

 トリルは横目で母を見る。すると、母がいつも通り、何かあるなら言いなさいと視線で伝えてきたので、トリルは騎士をまっすぐ見据えて口を開いた。

「王都までは、馬を走らせても二日はかかります。その間は店を閉めるとなると、正直、うちとしては苦しいんですが」

 甲冑の男が、驚いた顔でトリルを見る。

 よくある反応だ――と、トリルは表情を変えない。どうにも、若い女は内向的であれという偏見があり、トリルが朗々としゃべると年長の男性は驚く。その度に、トリルは内心で「小娘扱いされてたまりますかっての」と、生来の負けず嫌いに火をつけるのだった。

「これはしっかり者のお嬢さんだ。だが、心配は無用だ。交通に使った費用、滞在で必要な費用等々、必要経費ということで、手当が出る。これが額面だ」

 トリルは書簡を受け取り、封蝋を丁寧に剥がした――王家の紋章の封蝋は、それ自体がちょっとしたお金になるという話を思い出しながら。

 用心深く取り出した羊皮紙に目を通していく。そして一言、「こんなに」と言葉が漏れた。そこに書かれていた額は、店の売り上げのひと月分をゆうに超えていた。馬車を借りて二、三日王都の宿に泊まり、お土産にちょっとした家具を買って、それでもなお余裕がある。

「お二方の顔を見れば是非もないように思えるが、万が一にも断るようであれば、今日の内にノルド伯の城へ参上されよ。その旨の連絡が無い場合、承諾したと見なすゆえな」

 鎧をがちゃがちゃ言わせて、男は店を出て行った。その後ろ姿を見送りながら、留め具のいくつかが緩んでいるのをトリルは見た。

 そして一家はその夜、ついに王都にまで腕を認められた父を称え、乾杯した。


 次の朝、父が「これは三百本打って一本出来るかどうかだ」としまっておいた長剣を手みやげの筆頭に、いくつかの武具の類を貸馬車に載せて、一家はノルドを発った。

 初夏の風が、背の低い草花を撫でる。

 生まれて初めての旅に、トリルの胸はずっと高鳴っていた。街の外の世界、旅や冒険にずっと憧れていた。向かっている王都カステロって、どんなところなんだろう。名前は本で見た。そこから来た人の話も聞いたことがある。けれど、うまく想像はできなかった。ノルドで鉱人ドワーフを見たことがあるけれど、他の種族の人もいるのかな。森人エルフはいるかもしれない。水人フォークは、きっといないだろうな。まさか、竜人ドラグーンが街を歩いていたりして――トリルは車中で、これまでに読んだ本の挿絵をあれこれと思い出していた。

 そして事が起きたのは、行程の半分を過ぎたあたりだった。

「襲撃だっ!!」

 聞き慣れない声は、御者のものだ。父がおそるおそる前の幌から外を覗き、すぐさまトリルと母の方に向き直った。

「怪物に囲まれている」

 小声で言いながら、父が腰の剣を抜き放った。父が手にしている剣は青黒く輝きながら、その刀身に木目のような不思議な模様を光らせている。いろいろな合金を試している中で一振りだけ完成した、偶然の産物。薄い鉄の板を真っ二つにするほどの切れ味で、どうにか量産出来ないかと苦心したが、結局、二本目が完成することはなかった。

 しかし、トリルは父が剣術の使い手だという話は聞いたことがなかった。ましてや、怪物相手に戦った経験なんてあるのだろうか――不安に駆られながら、トリルもまた、献上する予定の剣を一本手に取った。当然ながら、自分にも剣術の心得などない。物心ついた頃から真剣をおもちゃ代わりにしていたから、振り慣れてはいる。だが、それだけだ。斬ったことがあるものといえば、野菜と肉、それから果物だけだ。今、隣で剣と盾を構えている母の方がよほど斬り慣れて・・・・・はいるだろう。

 それでも、ただ黙って震えて殺されるよりは――瞬間、馬車の幌がベキベキと音を立てて、柱ごと後方に外れた。どうやら、怪物達が飛び掛かり、引っ張って破壊し、また距離をとったらしかった。

 御者は車の前で剣を構えてはいるが、恐怖のためか切っ先が小刻みに揺れている。それを見てとれるほどにはトリルは冷静らしかったが、襲撃者達の姿を見て血の気が引いた。

 襲撃者は、オークだった。

 人と同じような姿形をしてはいるが、顔は崩れ、真っ黒い皮膚は爛れたように醜く、腰布のようなボロをまとう以外は何も身につけていない。手には、武器というのは憚られるような棒切れを持っている。

 彼らは、オンブラと呼ばれる存在の中のいち種族だ。陽の光を嫌い、暗闇に生じ、すべての生き物に仇なすと言われている。人里近くには現れず、森の奥や山の下に潜む――はずが、なぜか、この真昼の街道に姿を現した。

 オークの姿は絵で見た、オンブラとは何かは話で聞いた。しかし、直に見るのは初めてだ。どのオークも大きく見える。街では目立つほど大柄な父よりも大きく見える。

 怖い――トリルは剣を握る力を強めた。

 ゲッゲッゲ、と気味の悪い笑い声をあげて、オーク達がゆっくり、ぐるぐる馬車の周りを歩き始める。親子は幌がなくなった車の上で緊張して構え、御者はカチカチと歯を鳴らした。

 襲撃者達が、だんだんと詰め寄ってくる。

 固い唾が、喉に痛い。

 ヒュンッ――風切り音が鳴り、オークの一体が声も無く倒れた。

 ざわつくオーク達が、また一体、また一体と倒れる。姿勢を低くしたオーク達の中の一体が、何かに気付いて指をさす。トリルがつられてそちらを見ると、向こうから、馬に乗った戦士が駆けてくるのが見えた。

「サルヴァトーレ……?」

 誰にともなく、トリルは昔話の英雄の名を呟いていた。その戦士は風のように突進し、トリルの身長ほどもあろうかという巨大な剣を振り、一体のオークの体を両断したかと思うと、すぐさま向き直って次のオークの首をはねとばし、さらに二、三歩進んで巨剣を振り上げた。股の下から切り裂かれたオークは、本を開くように右と左に分かれて倒れた。おののいて逃亡を図った残りのオークに向かって、戦士は手投げ斧を投げつけ、その背中に深々と刃を突き立てた。

 そして戦士が剣を下に向け、トリルの方に向き直ったとき、冒険物語に憧れる乙女は十六年の人生で最大の驚きを味わった。

 戦士は白馬に乗っていたのではない。上半身は人間、下半身は馬のそれ――戦士は、人馬ケノスと呼ばれる種族だった。車の上に立っているトリルよりもさらに目の高さが上にあった。

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