それぞれの思い(1)

「違うわ、これじゃない」


 キルケイ宝石工房の売り場に響く、失望したような声。

 眩いばかりのドレスを纏ったオーロラの厳しい目つきの先にあるのは、蝋でできたティアラの試作品だ。

 霜の花と名付けたティアラは、ほぼ完成品に近い見事な造形美をしている。見る人が見れば、その技術の高さに舌を巻くはずだ。それなのに。


「違う?」


 ライラは、こわごわと聞き返した。

 ローガンには、「お前さんにしては上出来だ」と、褒められた図案だった。ここ二日、ほぼ徹夜で削って、やっと形にしたのだ。何が違うというのだろう。ライラは、割り切れない気持ちで、オーロラの答えを待った。


「キルケイの宝石は、こんなものじゃないでしょう。もっとときめきがあって、ひと目見ただけで胸が熱くなる、そんな宝石のはずだわ。だけど、このティアラにはそれがない」


 オーロラが、がっかりしたような顔をする。


「やっぱり見習いじゃ、この程度なのかしら」

「どうでしょうねえ」


 隣に立つ執事は、曖昧な笑みを浮かべた。


「だけど……」


 見習いであることは最初に言ったはずだ。ライラは反論しようとしたが、すぐにやめた。


「私が一目惚れしたキルケイの宝石は、まるで、恋人を思って作られたような、甘さや愛しさを感じられるものだったわ。そういうものを求めていたの」

「甘さや愛しさ……でも、まだ試作品なので」

「言い訳するつもり?」


 オーロラは憤然として言った。


「私がここのティアラにどれだけ期待しているか、少しも分かっていなようね。人生がかかっているの。舞踏会に集まる貴婦人たちの中で、誰よりも輝かなければならないの。それを、まだ試作品だから、ってどういことよ!」


 オーロラの怒りはもっともだった。見習いかどうかが問題ではない。そんなもの、実力不足の言い訳に過ぎない。ライラは不甲斐なさに唇を噛んだ。


「私は、若くて美しい名門貴族の長男と、燃えるようなロマンスがしたいの。親が決めた無難な相手と結婚するなんて、まっぴらごめんなの。レディになるために、どれだけの時間と労力をかけてきたと思ってるの? それを、あなたは台無しにしようとしているのよ!」

「ご、ごめんなさい……」


 ライラは必死で頭を下げる。


「謝罪が聞きたいんじゃないわ。あなたは、私がときめくようなティアラが作れるの? 作れないの? どっちなの?」

「そ、それは……」


 オーロラに詰め寄られ、ライラは口ごもった。


「できますよ。もう少し時間をくれませんかね」

「ひっ!」


 そこへあらわれたのは、ローガンだ。

 オーロラは、髭面の大男に驚いて、素早く執事の後ろへ隠れる。


「キルケイの職人を侮らないでもらいたいね。ライラは必ず、お嬢さんを満足させるティアラを作ってみせますよ」

「お、親方!」


 勝手に啖呵を切られても、作るのはライラである。今以上のものを作れる自信がないライラは青ざめる。


「伯爵令嬢のお顔に泥を塗るような真似をすれば、この店もどうなるか分かりませんが、覚悟はおありですか?」


 オーロラの執事が冷たく言い放った。


「ああ、もちろんさ。下街職人の名誉にかけて、最高のティアラを作ってみせようじゃないか」


 自信満々に言い切るローガンに、ライラは頭を抱えた。


「そ、そこまで言うなら、少しくらい待ってさしあげてもいいわ」


 執事の後ろから顔を覗かせ、びくびくしながらオーロラが言う。


「ええ、楽しみにお待ちください」


 ローガンは睨みつけるように、オーロラを見下ろした。ライラは、一発触発な雰囲気にはらはらする。


「じゃあ、また後日」


 我慢ならなくなったオーロラは、ローガンの威圧的な視線から逃れるように、そそくさと店を出ていくのだった。


 ◇


「あっ」

「うわっ」


 ライラの左肘とジェイデンの右肘がぶつかり、同時に二人は声をあげた。

 机を隣り合わせにするライラとジェイデンは、作業中こうしてたびたび腕をぶつけ合う。


「もう少し離れろ。俺が右手に刃物を持ってたら、どうするんだよ」

「ジェイデンがこっちに寄りすぎです」


 ライラは負けじと言い返した。


「なんだと?」


 ジェイデンが凄んできたので、ライラはふいっと顔をそむける。


「ライラ、ジェイデンがなんで左利きか知ってるかい?」


 険悪になりかけた空気を払うように、レイモンドが言った。


「えっ、いいえ。知りません」


 ライラはちらりと隣を見る。確かに、ジェイデンが左利きのおかげで、腕同士がぶつかっても大怪我にはつながらなかった。もしもジェイデンが右手にナイフを持っていたらと想像して、背筋が冷たくなる。

 そうでなくとも、ライラの指先は、自分でつけた切り傷だらけだ。


「ジェイデンはな、向かい側のローガンの手元を食い入るように見ながら、必死で技を盗んだんだよ。だから、刃の運び方までそっくりだろう」


 右手でナイフを持つローガンと、左手にナイフを持つジェイデンは、鏡の向こう側とこちら側のように対照になっていた。


「右利きのローガンを真似たから、左利きになったってわけなんだ」


 レイモンドは、家族に向けるような優しい目をしていた。


「弟子に取ったばかりの頃のジェイデンは、まだ生意気な口もきかなかったし、素直で可愛かったなあ」


 ローガンがにやにやしながら言うのを、ジェイデンが「はいはい」と聞き流す。


「俺に息子がいたら、こんな感じかねえ」

「親方の息子なんて、ごめんですよ」


 どこまでも素っ気ないジェイデンに、ローガンは苦笑した。


「ローガンには、息子よりまず、奥さんだろ。どっかにいい相手はいないのかい?」


 すでに孫が五人もいるレイモンドにはかなわない。ローガンは、小さく笑った。


「いたんだよ、奥さん。俺にもいたの。すごい美人の妻がね」

「も、もしかして、逃げられたんですかっ?」


 ライラはうっかり口走ったあとに、「すみませんっ」、とすぐさま謝った。髭も髪も伸ばし放題のローガンが、愛想を尽かされたのではないかと思ったのだ。


「逃げられたわけじゃねえよ。病気で死んだんだ。もう十年以上も昔の話さ」


 しんみりとローガンが言うので、皆も黙り込む。


「俺のせいさ。貧乏で苦労ばかりかけたからな。あの頃は今と違って、宝石なんて見たこともなかった」


 ローガンはポケットから指輪を取り出した。枝に止まった小鳥と、実のような小さな淡いピンクの石。キルケイらしい、可愛い指輪だった。


「ひとつめの指輪は、あいつのために作ったんだ。あいつに似合う指輪を考えていたら、いつも窓辺にやってくる小鳥を眺めてたのを思い出してさ。あいつは故郷に帰りたがっていたんだ。雪降る大地にたくましく咲く花や、氷の上に佇む長い尾羽根を持つ青い鳥の話を、何度も聞かされた」


 愛おしそうに、ローガンは指輪を見つめる。


「罪滅ぼしだよ。あいつのために、俺は幾千もの宝石を磨くのさ」


 ローガンが生み出す宝飾品が美しいのは、愛が込められているからだ。大切な人を失った悲しみを孕んでいるからだ。

 込み上げてくる熱いものを押し留めようと、ライラは瞼をきつく瞑った。

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