シノブシ3

九里方 兼人

晴美

晴美 1

「さあ。デザインフェスタまであと少し。みんな悔いのないよう頑張りましょう」

 八畳ほどの部屋の中には所狭しと机が並べられ、四人の若い女性達がペンを走らせている。

 その部屋の中央には、質素ながら今時のデザインを施された服に身を包んだ晴美が激励の声を上げていた。

「今回のミソノ・ミハルブースには全員のデザインを並べるつもりだから。もしかしたら企業の目に留まって商品化が決まるかもしれないよ。みんな気合入れてこうね」

 机に向かう女の子達は言われるまでもなく、という様子でしきりにペンを走らせる。

 このオフィス、アトリエミハルの所長でもある晴美は皆の作業を見回しつつ室内を徘徊する。

 晴美は表では「御園ミハル」という顔を持っている。

 世間では若い世代のカリスマデザイナーと呼ばれているが、全盛期はもう遠い昔。

 それでもカリスマとして一世を風靡した人気は根強く、今も出版社と専属契約を結んでいる。

 もっとも、一時はかなり危なかったが、新しく入った見習いのおかげでその危機は脱することができた。

「どう? 楓ちゃん、この製図板慣れたかな」

 晴美は奥の一番大きな机で作業をしている新人、楓に声をかけた。

「あ、はい。やっぱり本格的な製図板で描くといいですね」

 晴美は自慢気に口角を上げる。

「私のは特注品だからね。この机で今まで数々の大ヒット商品を生み出して来たんだから」

 楓が作業しているのは部屋の一番奥、一番大きな机で、普段は晴美の専用机だ。

 元々予定していた新人ではないので作業場が無い。

 普段は時間を調整して開いている席で作業している。

 今日は発表の追い込み前ということもあって所員は全員揃って自分の机を使っているため、晴美の席を使わせていた。

「でも、いいんですか? ミハルさんの仕事、遅れちゃうんじゃ……」

 晴美は事務所でも「ミハル」と呼ばせている。

 仕事とプライベートのスイッチを切り替えるためとか、個人情報の漏洩防止を徹底するためとかもっともらしい理由は並べているが、実際にはデビュー当時舞い上がって自分で決めた芸名を皆に呼ばせたがった時の名残だ。

 実際今もモデルをやっているので、熱心なファンやストーカーから個人情報を守っているのも本当だ。

 もっとも今メインで発表しているのは下着なので、そろそろ下着姿を雑誌に載せるのには微妙な年齢に差し掛かっている。

「いいのいいの。私のは仕上げだけだし」

 今回のデザインフェスタでは晴美の作品はメインではない。

 どちらかと言うと所員のデザインした物を前面に押し出す予定だ。

 晴美は学生時代に雑誌で取り上げられ、デビューして以来カリスマとしての地位を維持し続けていた。

 今時の流行をいち早く取り入れ、更にその先を行くようなファッションを牽引したのも事実だが、影では新しい芽をブランドの権力で潰して回っていると言う噂も立っていて、晴美自身にもその自覚はある。

 だがさすがにそんな立ち回りにも限界を感じ始めていた。

 これからは自分を押し出すより、自分のブランドを継続させることに注力した方がよいのではないか。

 ミソノ・ミハルの意志を受け継ぐ新たな世代を育成する。

 今回のデザインフェスタはその先駆けでもある。

「それに、みんなの作品を喰っちゃったら悪いしねぇ」

 髪を撫でて冗談とも本気ともつかない調子で言う。

 そろそろアラサーと言える歳。ここからは経営者として新たな立ち位置を確立しようという試みだ。

 楓は先の素人デザイン募集に応募して、見事採用された期待の新人。

 技術はまだまだだがそこは教えることで向上していくだろう。センスに光る物はあるものの、この先頭角を現すかどうかはまだ分からない。

 しかし他の所員とは違う何かがあることは晴美も確信している。

 室内をゆっくりと歩き、右側の所員を見てから左側の所員を確認する。

 この二人は結構長くアシスタントをやっていて、教えることはもうほとんどない。

 創作のセンスもないわけではないが、長くアシスタントをやっていたせいもあって、発想が晴美寄りだ。

 それはそれで心強いのだが、次世代のデザインを担うというには近年の若者の基準とは少し遠い。平たく言えばパッとしない。

 当人もそのポジションに不満を抱いていないようなのだが、晴美としてはやはり向上心や意欲を保ち続けてもらいたいので、今回のフェスタにエントリーさせている。

 二人共アシスタントとしてはベテランなので、晴美は動向を見守るだけだ。

 センスにまで口を出しては個人の色が消えてしまう。

 そしてもう一人、入口付近の机でたどたどしく製図板を操作する眼鏡の女の子のもとへと足を運ぶ。

「ん。いいんじゃない。やっぱり郁美はセンスあるよ」

 郁美と呼ばれた眼鏡の子は顔を赤くしながらも手を動かす。

 楓よりも年下の最年少。大学一年生だ。

 元々御園ミハルのファンで、熱心にファンレターを送ってきていた。

 いつもかわいいイラストを添え、自身のデザインしたような服のイラストを描いてきていた。

 それを見染めた晴美がスカウトしたのだが、初めは「私なんか……」と渋る郁美を大学進学と共に呼び寄せた。

 こちらの大学を受けてみて、落ちればそれまで、合格したなら運命だと思って挑戦すればいい、と背中を押した。

 そして晴美の期待に応えるように合格。

 才能という面では一番の有望株で、晴美はいずれ自分の跡を継ぐことになると予感している。

 ただ引っ込み思案な所があって、あまり目立たないよう表現を抑える傾向にあるのが玉にきずだ。

「さて、そろそろ定時になるけど、皆どうするの?」

「まだやっていきますよ」

「悔いのない様にって言ったの、誰でしたっけ?」

 古株の二人が言い、晴美が苦笑いする。

「でも、頑張りすぎると私がブラックな事務所長だと言われちゃうかもしれないでしょ」

「私は……、上がります」

「楓ちゃんも遠慮はしなくていいのよ? 私はいつでもその席使えるんだから」

 ええ、と言いつつも席を空ける準備をする。

 楓も自宅に作業場を作ってあるからそれほどは困らない。

 晴美は狭い休憩スペースのソファにどっと腰を降ろす。

「この場所も空けるかなー。さすがに手狭だもんね」

「そんな……。休憩する場所無くなっちゃうじゃないですか」

 楓としても自分のために皆の共有スペースが減ってしまうのは申し訳ない。

「今度隣のビルにカフェできるみたいだから。休憩はそこでいいんじゃないかな」

 事務所には資料棚のスペースも多くてかなり圧迫している。

「そろそろ事務所の移転も視野に入れなきゃかなぁ」

 と笑うも、そうそう都合のいい物件は空かないものだ。

 そんな話をしていると入り口のドアが開き、数人の男達がずかずかと入って来た。

「よお、郁美。仕事終わったんだろぉ? 帰ろうぜぇ」

 そのうちの一人が馴れ馴れしく郁美の肩を抱き、郁美も困ったように押し返す。

「あの、ちょっと。困るんで……」

 しばらく押し問答に押し合っていたが。

「ちょっと、何あんた達。勝手に入って来ないでくれる?」

 呆気に取られていた晴美が言うも、男達は悪びれる様子もない。

「ああん? オレ、コイツの彼氏」

 所員は一斉に郁美を見る。

 郁美は「あ、いや、何というか……」と煮え切らない様子だったが、やがてこっくりと頷いた。

 あんぐりと口を開ける晴美達に男はドヤ顔で返す。

「分かったろ? オレは仕事終わった彼女を迎えに来たんだ。それとも何か? ここは時間外勤務を強制するブラック企業か?」

「あの、ごめんなさい。私帰ります」

 郁美はいそいそと帰り支度をする。本人がそう言う以上、晴美達にできることは何もなかった。

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