この恋だけは推理《わか》らない

恋塚咲夜

第一話 GOD BLESS

1-1 岩永朝司

 憂鬱な春が終わろうとしている。


 散る花を惜しむような桜色の夕焼けを、岩永朝司いわながちょうじは頬杖をつきながら眺めていた。窓側最後尾の席に座る朝司以外、教室には誰もいない。昼間、人いきれ溢れる空間には、主のいない机の影だけが並んでいるだけだった。


 教室の扉を引く音が聞こえてくる。


 探るような間を置いてから、ゆっくりと内履きの足音が近づいてきた。朝司は「またか」と振り返らずに春の斜陽を見つめ続ける。


「……岩永朝司さんですよね?」


 女子の声だった。朝司はため息まじりに振り返る。見慣れぬ少女だ。


 肩まで伸びた黒髪は夜空のようにしっとりと黒い。目鼻立ちは随分と整っていた。切れ長の目は、ぱっちり開いた二重瞼。自己主張しすぎない程度に高い鼻梁。だが、前髪が少し長く、目にかかっていた。ついでに猫背だ。顔立ちはいいのに、どこか暗い。


 学校指定のセーラ―服を着ていることから察するに、文科系の部活従事者だろう。運動系の部活なら、放課後はジャージであることが多い。既に下校時間を過ぎているから帰宅部とも思えなかった。


「恋愛の神様という噂は本当でしょうか?」


 驚く朝司の目をジッと見つめながら少女が問いかけてくる。


 朝司の年齢は十七歳――すなわち彼女いない歴十七年。

 だというのに朝司は皆から<恋愛の神様>と呼ばれていた。


 理由は複合的なモノであり、偶然が重なった結果とも言えるだろう。例えば一要素として、朝司の保護者が神社の宮司をしており、しかも縁結びで有名な神社だったから。更には中学の頃、恋愛相談をしてきた友人にアドバイスをした結果、三回ほど連続でいい結果につながったから。


 それも中学の頃の話だ。

 高校入学と同時に恋愛の神様役は終わるかと思いきや、今も尚、放課後になると二年二組の教室に相談者がやってくる。


 目の前の彼女のように。


 朝司はため息まじりに尋ね返す。


「君、誰?」

「二年三組の小井塚咲那こいづかさなです」

「……名乗りもしない人が多いのに、君はしっかり名乗るんだね」

「名乗らないほうが良かったですか?」


 朝司は眉間に力を込めながら咲那を見返す。咲那はきょとんとした様子で小首を傾げていた。


「いや、名乗るも名乗らないも君の好きなんだけど……まあ、いいや。君みたいなのもいるんだろうさ。なに? どんな悩みを抱えてるの?」

「えっと、その……恋の悩みというわけではなく、いえ、一応、恋の悩み? なのかもしれないのですが……」


 視線をそらしながらモニョモニョと言っている。


「えっと、実は、その……私、ネットで小説を書いてるんです。その……恋愛要素多めの小説で、その……書籍化までさせていただきまして……」


 耳まで真っ赤になりながら必死に言葉を並べていく。


「すごいじゃん。なら君は小説家の先生なんだ?」

「いえ、その……ほとんど少女漫画の焼き直しといいますか、実体験に基づいたわけじゃなくて、その、で、ネットで書き続けてたんですけど……」


 咲那が泣きそうな顔で視線を足元へと落とす。


「……今、書けないんです」


 と言われても、反応に困る。百歩譲って恋愛の相談なら、多少の助言はできる。多くの成功と失敗を見聞きしてきたからだ。だが、恋愛小説の書き方など朝司は知らない。


「担当編集さんに相談したら……恋をしたほうがいいと……でも、私、人と話すの、苦手で、誰かを好きになるとか……そんなの無理で……」


 要するに――


「君は恋をしたいと? そういう相談でいいの?」


 朝司の問いかけに、咲那は勢いよく首を横に振った。


「いえ、違います! 私、その辺、諦めてるので! ホモサピエンスとの恋愛は無理かなって! むしろ、漫画とかアニメの推しキャラを追いかけてるほうがいいです! 三次元にはスパダリいませんし!」

「スパダリってなに?」

「スーパーダーリンの略です。女性の理想の全てが詰まった完璧なイケメンです!」


 見た目はいいのに残念な子なんだな、と思いながら朝司は「はあ」と相槌を打った。咲那は勢いのまま、まくしたてていく。


「小説を書けないのはネタ切れのせいです! 少女漫画とか小説だけでは限界が来てるって心が叫びたがってるんです! でも、私に恋愛とか無理じゃないですか!」

「いや、無理ってことは……」

「無理なんですよ! 男の子って目が怖いし! あと、CV寺島拓篤じゃないし!」


 CVってなんだ? と思ったが、尋ねる隙が無い。


「私は越えたいんです! 目の前にある小説の壁を! 理想と麻酔を詰め込んだ作品も好きですよ! でも、リアリティー! なんか、そういうのを入れないと私は次にいけない気がするんです!」


 その語気に気おされつつも朝司は「なるほど」と相槌を打つ。


「……小井塚さんは今のままの自分に不満があると」

「そうです!」

「なら、がんばって恋をしたら? それで小説にもリアリティーが……」

「私の話、聞いてました?」


 低い声ですごまれた。ちょっと怖い。


「恋愛はコスパとタイパの悪い贅沢品なんですよ! 時間もかかるし、気を使うし、彼氏に浮気とかされたらマジ無理です! 失恋などしようものなら、その後の人生を生きていける自信がありません! それに比べて、ソシャゲの推しキャラはCV寺島拓篤だし! 結婚も不倫もしないし! ASMRなら甘い声で囁いてくれますし! 舞台化とかもされますし! 私を裏切ったりイジメたりもしないじゃないですか!」


 朝司にこんな風に話しかけてくる時点で、それとなく察してはいたのだが、咲那はかなり個性的な子だ、と朝司は思った。


「なので、私は自分の経験から恋愛を学ぶ気がありません。そんな暇があるなら、推しに課金して脳汁出してたほうがいいです。毎日が涅槃ニルヴァーナなんです」


 そこまで言ってから急に勢いを無くし「まあ、小説が書けないとお金も入らないので推し活も滞るんですが」と肩を落としていた。


「……で、結局、俺への相談ってなんなの?」

「私は私の話を聞いてほしいんじゃないんです。岩永さんの話を聞かせてほしいんです」


 朝司は「どういうこと?」と改めて問い返す。


「恋愛の神様として聞いてきたコイバナを私に教えてくださいっ!」


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