没落令嬢、馬券でお家再興を目指します

@mrorion

第1話 納得の婚約破棄

「エトワール・ド・リュネット、お前は今日から私の婚約者ではない」


 星降る宮殿のバルコニー。

 センテリア王国の第一王子ベスティオは、静かにそう告げた。


「これは戯れではなく厳然たる事実だ」


 目につく場所には誰も居ない。もちろんエトワールには、カーテンの陰、バルコニーの下、壁のそば、聞き耳を立てている幾つもの気配が感じ取れるけれど。


「……お気遣い感謝いたしますわ。こうして、人目につかない場所でお話しくださったこと」

「私の品位を落としたくないだけだ」


 ベスティオ王子は厳しい顔で、エトワールの亜麻色の髪のすぐ上の方を睨み据えている。暗い茶色の長髪は後ろに引き結ばれている。鋭い瞳は朝霧のような灰色で知的な輝きに満ち、透った鼻筋、それでいて、少しだけ甘えを残した口元。

 綺麗な顔だな、と最後にエトワールは思う。

 幼い頃から見慣れた顔だった。いつの間にか賢くなろうとして、背伸びばかりして厳つい表情しかできなくなった。でも、嫌いではなかった。ずっと。


「それで、婚約破棄の理由を伺ってもよろしいかしら?」

「身に覚えがないとでもいうのか」


 ベスティオ王子はわざとらしく溜息をつく。


「お前は由緒正しき公爵家の娘であり私の婚約者であり、学問に、祈りに、花嫁修業に身を入れなければならない身の上。寸暇もないはずの身分でありながら、競馬場へ通ってばかり」

「あら…」

「馬主として一頭、二頭馬を走らせ、貴族席に集った他の馬主と交流する程度であれば、私とて大目に見たところだった。ところがお前は貴族用の桟敷席でなく、一般席に陣取って、朝から夕方まで離れない有様。馬券を買ってはレース中は大声で外聞もなく喚き散らし、買った馬が来なければ大声を上げ地団太を踏み、買った馬が来たら来たで品のない叫びを上げて喜び、挙句の果てには馬券を外した周囲の民草を煽り散らす」


 王子は低く一息に言い切って、はっきりとエトワールの碧い瞳を指さした。


「お前はとてもではないが、王室に迎え入れられる女ではない!」

「困りました。身に覚えしかありませんわ」

「身に覚えしかなくてよく『婚約破棄の理由を』なんて言えたものだな?!」


 でもベスティオ様、それは今に始まったことではありませんわ。

 あなただってよく知っていたはず。

 だって、昔はあなたも隣にいたのだから。なんなら私より大騒ぎしていたのだし。


 エトワールはその言葉を飲み込んで続ける。


「他にも理由があるのではなくて?」

「……そうだ。お前の兄が、隣国アルバロイドの間諜と内通しているという噂があった。そのようなものの身内を妃にはできない」

「それから、我が領地で流行った疫病、でしょう?もう我が公爵家は、私が殿下と婚約した頃のような資産家ではなくなってしまいましたわ」


 その言葉を聞いたとき、ベスティオの灰色の瞳に激しい稲妻が灯った。本当に一瞬、その激しさにエトワールははっと一歩後ずさった。それでも一瞬だった。ベスティオはまた大袈裟に溜息をついた。


「私は新たな姫と婚約する。お前はもう二度と、私の前に姿を見せるな」


 いつからこうなるとわかっていたのだろう。いつのまにか、全部わかっていた。家の没落、変わっていく王子、失われていく美しい思い出、重なる不運、何一つ止められなかった己の無力さ。あと馬券取ったときに周囲を煽り散らすのはよくないということ。

 わかっていたのに、涙が零れそうになる。それを彼女は、最後の矜持で食い止めた。


「あなたのくださったすべての思い出に感謝しますわ、ベスティオ様」


 没落令嬢エトワール・ド・リュネットが、婚約者に残した言葉は本心からのものだった。王子はじっとその瞳を見つめてから、目を逸らした。


「……そう言いながら、お前は今もオウィニア競馬場のレース結果を気にしているに違いない」

「それも本心ではありますわ」

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