みんなが知っている悪女が記憶喪失になりました!

太刀川千尋

第一章 悪女の記憶喪失編

第1話 記憶喪失の悪女

 この物語は、とある悪女が幸せになるまでのお話。


 魔法と魔獣が住む世界にある国、キャルぺローン帝国。優しい自然の風が吹く都市ハンデリアールに住む公爵の娘リリアン・ネルベレーテは有名な悪女である。彼女が参加するお茶会では必ずしも暴動が起こる。彼女が気に触るような行いをする令嬢には酷く当たる。わざと転ばせたり、お茶をかけたり、ドレスを破ったりした。

 彼女をお茶会に呼ぶ物好きはこの都市、いやこの帝国自体存在しない。そんなリリアンの唯一の楽しみは乗馬。今日は少しだけ公爵家の領土を馬で散歩をしていた。


「風が気持ちいいですわ〜」


 金色の髪を靡かせながら風を感じるリリアンは丘にある冬に咲く『シラユキ』という木を目指す。昔からあるその木は、リリアンの心の拠り所になっている。新生児として生まれた彼女は公爵家に居場所はない。家族とは離れた屋敷で暮らしている。

 リリアンは馬を走らせると突然馬が暴れ出し、振り落とされないようにしがみつくが、手綱が切れてしまい落馬してしまう。頭を強く打ってしまったリリアンはそのまま気を失ってしまう。


「キャァーーーーーー!!!!!お嬢様!!!」


「すぐに主治医を呼ぶんだ!!!」


ーーーーー


 自室に運ばれたリリアンは頭に包帯を巻かれた状態で目を覚ます。ほっとした使用人はリリアンのことを見つめる。しかしなにも話さないリリアンにほとんどの使用人は焦る。


「お、お嬢様…大丈夫ですか?」


 リリアンは今の状況に理解できずに体を起こす。いつもと様子が違うリリアンに主治医はリリアンに声をかける。


「お嬢様、大丈夫ですか?自分の名前はわかりますでしょうか?」


「えっと…どちら様でしょうか?」


 リリアンの言葉にその場に居合わせた使用人に雷が落ちたかのように衝撃が走る。落馬の影響で記憶喪失を起こしているのかも知れないと思い、すぐにリリアンの執事は執事長に伝えに向かう。本屋敷に居る旦那様、ハンス・ネルベレーテ公爵にそのことが耳に入り、早急にリリアンの元へ向かう。


「リリアン」


 部屋に入ってくる公爵にリリアンはなにも感じない。彼を見つめるその瞳は他人を見るような瞳。


「えっと…どちら様でしょうか?」


 リリアンから出た言葉に公爵は焦りを感じた。執事長から話は聞いていたが、ほとんど相手にしていなかった。彼女がまた騙して演技をしていると思っていたためである。

 昔にも怪我をしたと嘘をつき、公爵を呼び出したことがある。そのことに腹を立てた公爵は2度と彼女の顔を見たく無いと思い、この離れた屋敷に住まわせている。


「お前、本当に記憶が無いのか⁈」


 脅すように見つめるその瞳にリリアンは体に震えが止まらない。本当の彼女ならこんなこと日常に感じているはず。この睨みの効いた公爵に恐れることすらない。本当に記憶が無いことを信じた公爵はすぐに帰ってしまう。

 リリアンのことでこれ以上頭を抱えたくない。公爵がいなくなったリリアンの部屋からは静寂が訪れる。


「お、お嬢様…」


「ごめんなさい、私のせいで…」


 すぐに謝罪をするリリアンに専属メイドはど肝を抜かれる。リリアンは彼女に笑いかけて全ての人にこの部屋から出てもらう。

 一人になったリリアンは顔からすごい汗が出る。恐怖でもう心臓が飛び出してしまいそうになっている。彼女は記憶喪失になったのではなく、異世界で火災で亡くなった北条ほうじょう莉里亜りりあに入れ替わってしまっただけ。


「なにあの公爵…!!というか自分の娘によくあんな態度取れるね!!!」


 心のうちに溜まったイライラを吐き出すリリアンは息を切らしながら鬱憤を晴らす。リリアンは周りを見渡し、公爵家の部屋にしては汚れていると感じる。だかしかし、リリアンはため息が漏れる。この悪女に転生だけはしたくなかった。この世界は莉里亜の時に作り出した世界。前世の自分は本当に情けないやつだった。

 莉里亜は優しい家族の間に生まれた。ごく普通の人生を送っていた莉里亜だったが、高校生の時にある女グループに目をつけられてしまった。彼女たちからのいじめは酷いものだった。初めはノートや教科書を隠すなどの軽いものだったため相手にしていなかったが、日に日にエスカレートしていき、殴ったり蹴ったりするようなこととなっていた。教師に相談などもしたが、彼らは相手にもしてくれなかった。怪我をした姿を見ても見て見ぬふりを続けられた。

 このままでは心が壊れてしまうと感じて脳内でこの世界を作り出した。物語はとある男爵令嬢が皇太子と結婚する話。リリアンはその物語の悪役、彼女の最後は皇太子によって処刑されるというストーリー。

 そんなある時に、莉里亜は女グループに呼び出しをされて小さな小屋に向かうとガソリンがかけられた部屋に閉じ込められてしまう。そして遊び半分で小屋に火をつけられて莉里亜の一生は終えた。きっと彼女たちは罪に囚われることはないだろう。リーダー格の火百合ひゆりは社長の一人娘なのだから。大した罪にならないだろう。

 転生をしてリリアンになってしまった莉里亜は決意する。リリアンは窓を開けて大きく深呼吸をする。


「絶対に、処刑にならない…!これからはいい子にして幸せになろう!!!」

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