第7話 くろねこのわるいくせ❤

 ナツメが、日の落ちたゴミ山の頂上に立ち、こちらを見下ろしている。

 月明かりを受けて淡く輝く金色の瞳は神秘的で、その視線はとっても甘い。闇の中に溶け込むような漆黒の毛並みは、泥だらけで薄汚れてしまった今もなお、まるで妖艶さを失っていなかった。


 ナツメは、しなやかに身体からだを屈めたかと思うとふわりと空中へと身を投げ出した。まるで重力の支配から抜け出しているかのような身の軽さで、音もなく地面に着地する。

 その、何者にも縛られていないかのような自由な姿にしばし見惚れてしまう。


 だが、この一見優雅に立ち振る舞っているこの子猫は、何かに囚われているのだという。

 ナツメは、こちらに歩み寄ってきながら自分の身の上話を語ってくれた。


「ニャニャミャイは継子つぐこだった。ニャニャミャイだけではない。ここに暮らす者は、みな元継子だ。お嬢を除いては」

「さっきから継子って言葉がよく出てくるんだけど、それ何?」

「まずはそこからだな」


 ナツメは、ビール瓶ケースに座っていた私の眼の前まで移動してきて、ぺたりと近くに座り込んだ。

 またもや毛繕いをしながら話をしてくれるようだ。しばらく見ていて気づいたことがある。

 どうもナツメは、本当は綺麗好きな質のようだ。

 生ゴミと動物の糞尿臭がきついゴミ山を根城にしているくせに、自分の身体からだが汚れているのが気に入らないらしい。

 だからしきりに毛繕いをしたがるのだろう。


 ペロペロ舐めながら話すのって難しくないのかな? いやでも、よく考えたら人間だって食事したりしながらお喋りしたりするし……とか変なことを考えてしまった。


「継子はそうだな……語弊を恐れず言うと、魔法使いの一族……のようなものか?」

「ま、魔法使いぃ?」


 またまた突拍子もない言葉が出てきたので、ついつい目を瞬かせてしまった私の反応に苦笑しつつも、ナツメは頷いてみせた。


「今更、そんなことで驚くか?」

「まあ……それは確かに」


 喋るネズミや子猫、無限ループする路地などなど。魔法だとしか思えないような出来事にすでに慣れてきて、それを事実として受け入れ始めている自分がいた。

 人間というものは、思った以上に適応能力があるようだ。


「継子はな、こう書く」


 ナツメは指で、地面に文字を書きながら説明してくれる。子猫のかわいらしく短い指からにゅっと鋭い爪を出し、それを上手に使ってびっくりするくらいに達筆な字を書いた。


 書いたのは二文字。『継子』、と。


 私より圧倒的に上手くて綺麗な文字だ。


 むう……子猫のくせに生意気。


 それ以降もナツメは、聞き慣れない言葉が出てくるたびに、地面に美しい文字を書きながら説明してくれた。


「継子とは、妖言およずれごと――もしくは分かりやすく『おずれごと』と書くこともあるが――現世うつしよことわりを越境するための力が込められた継白つくもと呼ばれる咒物じゅぶつを代々受け継いで、育てている者たちのことだ」

「つまり継子が魔法使いで、継白ってのが魔法の杖で、妖言およずれごとってのが、魔法みたいなもんってこと?」

「ふむ。さすがククリだな。まあ大体その認識で大きく外れてはいないだろうよ。あ、そうそう。この白という字なのだが、昔の文献を当たると、白ではなく百という字が使われていることがあるのだ。書き間違いと取らえられているようだが……」


 そういいながら、ナツメは鼻息荒く、耳とヒゲをピクピクと動かして嬉しそうに笑った。


 いきなり、どうしたんだろ? やけにご機嫌に見える。


「ここからはニャニャミャイの勝手な解釈となるが……継白は百代を経れば付喪つくも――つまり神と成ると言われていてな。恐らく白の字は、元々は百という字を当てていたのだろうよ。百代に渡り力を継いで行く物――『継百つくも』、とな」


 ナツメはだんだんと話に興が乗ってきたようで、目をキラキラと輝かせ始めた。


「百代というのは、本当にきっかり百代というより、何代にも渡って受け継ぐ必要がある。多くの年数がかかる。というくらいの意味だろうがな。

そして、だ。白という字は百から一を引いたように見えるだろう? 故にこの白という字は、『次百つくも』――つまり『九十九つくも』のことをさしていると思うわけだ」


 ナツメは、何やら興奮したご様子で、小難しそうなことを早口で捲し立てている。


「つまるところ、未だ百に至らぬものということだな。それ故、付喪になる前段階。未だ過程の段階の物に、百ではなく九十九きゅうじゅうきゅうである白という字を当てるようになったのではないかと……」


 ナツメはひたすら楽しそうに語りつづけている。テンションMAXだ。

 持ち前の丸い金色の目を見開いて、さらに真ん丸に。耳をピンと立て、鼻はヒクヒク。ヒゲはソワソワとせわしなく動かしている。

 垂直に立てた膨らんだ尻尾を、小刻みにプルプルと振るわせている。


 何より……甘えるように前足でふみふみ、ふみふみと押してくる。柔らかい肉球が当たってすごく気持ちいい。

 ねえねえ、聞いて聞いて、とでも言っているような仕草だった。


 どうやらナツメにとって、大好きな話のネタのようだ。


 あー……駄目だこりゃ。

 超かわいいいし見てるだけでなんだか幸せな気持ちになれるのはいいとして……このままにしといたら、いつまでも話しつづけそうな雰囲気なんですけど。

 すっごく楽しそうなとこ悪いんだけど、完全に話が脱線していってるよねこれ?


 私は、仕方なく話に割って入ることにした。


「そっか! なるほど! おっけ! 完璧に理解した。それでさー私が聞きたかったのはナツメが囚われているって言ってたことについてなんだけど……。後、お嬢のことも知りたいかなーとか」


 私の横やりで、はっと我に返ったナツメは、話が脱線していたことに気づいたようで、恥ずかしそうに視線を落とした。


「すまん……。またいつものニャニャミャイの悪い癖が出たようだ……。継子仲間でさえ、義兄様あにうえさま以外誰も興味を示してくれなかったようなことを、こともあろうに門外漢のククリにダラダラダラダラと」


 口を噤んでしょんぼりと耳を垂らしてしまった。尻尾もだらんと垂れ下がる。


「この手の話になると、どうもニャニャミャイは周りが見えなくなるらしい。ニャニャミャイ以外の者にとっては、取るに足らぬつまらぬことらしいと理解していたはずなのに。久しぶりに話を聞いてくれる者にあったせいでつい。いい迷惑だったな……」


 しまったー。ここまでへこむ? もしかして地雷ふんじゃったっぽい? でも、しょぼくれている姿も結構かわい――じゃなくって。


「あーごめんごめん。違う違う。面白かった。まじ面白かったし。たださ、今はちょ~っと他に聞きたいこととかあって? 

つか、目をキラキラさせて話すナツメを見てるだけでなんか癒やされるし。そっちの話もまたいつか改めて聞かせて。ね?」

「そ、そうか? 興味ある?」

「勿論。あるあるー」

「聞いてくれるのか?」

「聞かせて聞かせてー」


 この子猫。妙に大人びて見えることもあれば、やっぱりまだ子猫なんだなと思える時もある。


 ともかく、なんとか元気を取り戻してくれたのか、ぺたりと伏せていたナツメの耳がゆっくりと立ち上がり、再び話し始めた。


妖言およずれごとを行使するに当たり、いくつかの守らなければならないルール。つまり犯してはならない禁忌が存在する。それを破ったものは人の形を失い――永遠の夜。時の牢獄に囚われるのだ。継子としての名を奪われてな」

「永遠の夜?」

「ふむ。永遠の夜――常夜とこよ。この世界のことだよ。ここはずーっと夜の世界だ。この世界には、決して夜明けは来ない」


 確かナツメはさっき、「ここは繰り返される世界」とも言っていた。

 円環構造になって閉じてしまった時の輪から、抜け出せなくなっている世界だという事だろう。

 つまりここは、ずっと同じ夜だけが繰り返され続けているということか。

 まさに、時の牢獄と呼ぶに相応しい。


「元々ククリがいた世界が現世うつしよ。そして、ここは現世うつしよではなく隠世かくりよ。またの名を常夜とこよだな。永久に変わらぬ夜の神域。時の牢獄と言うわけさ。そして、ニャニャミャイは咎人とがびと。ルールを破り、禁忌を犯した継子の成れの果て」


 なるほど。ナツメは、元々は人間だったと言うことなのか。

 禁忌を犯したが故に人の形を失い、子猫の姿にされてここに囚われてしまった。

 

 だからナツメは、「猫では無い」と言い続けていたわけだ。

 理解した私の顔を見て、ナツメはコクリと頷いた。


「ニャニャミャイは、永遠なる夜を彷徨い続ける運命さだめの囚人。因果応報。自業自得の大罪人なのさ。ニャニャミャイは体感にしてもう数十年、同じ夜を過ごしている。繰り返す世界ゆえ、それを数えることはあまり意味をなさぬことだがな」

「す、数十年? ナツメっていくつなの?」


 どう見ても子猫なんですけど。


「数え続けるのに飽いて良く分からん。四季もなく、年の巡りを把握するのは難しいからな。ここでは時間が繰り返し、前へと進んでいかない。そういった物が無意味な世界なのだ」

「じゃあいくつでここに来たの? 進んでないなら、それから変わってないってことで良くない?」

「ここに来たのは十一の時だな」

「えぇ? ナツメ、もしかして小学生なん? うげー……年下じゃん。なんかショック」

「まあ……ニャニャミャイも、今更十一だと言われてもしっくりはこんが」


 どうりで見た目と喋り方が不一致なわけだ。

 妙に大人びて見える時と、見た目通りに子供っぽいと感じる時があるのも、そのせいなのかも知れない。

 時間が前へと進んで行かない特殊な空間で長時間過ごしているせいで、どこかアンバランスな部分があるのだろう。


「じゃあここにいる、喋れる動物たちってみんな?」

「ニャニャミャイの同胞はらからということになろうな」


 ナツメはもう一度深く頷いた。みんな似たような境遇の者たちなのだろう。


「だが、お嬢だけは違う。ニャニャミャイらと違い、あの娘は決して咎人などと呼ばれるべき存在では無いのだ」


 ナツメは今度はあの、親切なネズミの話をしてくれたのだ。

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