第6話

順調に事がすすんだ。狩りのまえの遠吠えも、また波長が合いだした。葉擦れの音をきいているようで、気持ちがいい。

山の頂上では、雪が積もりはじめた。木枯らしが顔に直撃し、口のしわがひっぱられる。

軽く口をあけて、呼吸がしやすいようにした。

人間が使用している道がまたみえてきた。それと同じくらいに、ムースの懐かしいにおいもした。

ブランは嬉しくなって尻尾をふった。足取りが軽くなる。しばらくはマロンのことを忘れて、鼻の孔にムースのにおいを思いきり吸いこんだ。

ロストアイがおどけた鳴き声をあげた。心が躍ったブランは、ロストアイの背中をとびこえた。

ロストアイは尻尾を地面と平行にのばした。身体を少し低くしてじゃれるように吠えた。

シルヴァーもブランに軽く体当たりして、甘噛みをしてみせた。

喉をぐるぐるならした。息をはずませる。久しぶりに遊びで連帯感がうまれた。

「ムースを探そう!」

ブランは遊びを中断した。待ちきれない気分で舌を口から垂らした。ふたりとも賛成の印に尻尾をふっている。

オオカミは大型動物を仲間と一緒に狩るのがなんぼの世界だ。オオカミのプライドを取り戻してから、つくづく実感した。

ブランは遠吠えをした。ムースを追いはじめた。

人間が近くにいるせいか、他のオオカミはここを拠点にしていない。対抗するような遠吠えは返ってこなかった。

このムースは、オオカミより大きいのに逃げ足がはやい。これほど苦戦したのははじめてだ。

ムースの目が鋭くひかった。逃げるのが遅れた。蹄がわき腹に勢いよくあたった。

ブランは苦痛な鳴き声をあげた。横腹近くの骨が折れたように痛んだ。

地面に転がって、もがいた。視界のはしで、ムースが逃げていく。

シルヴァーが心配するかのように鳴いた。

呼吸をこころみた。横腹近くの骨が痛む。やっとの思いで立ち上がると、シルヴァーに肩をかしてもらった。

足取りがおぼつかない。落ち着ける場所をさがした。人間が近くにいないことを確かめる。

人間が使用する道からそれた。変わりに、新しいオオカミの群れのにおいがした。

ブランは呼吸が苦しかった。全身がズキズキする。

ふたりともどうすることもできず、気の毒そうに視線をかわした。

ぐるぐると、新しいく激しいうなり声がした。

ブランは痛みに耐えた。気を張ってうなり返した。灌木と茂みのまざった場所で伏せると、目を凝らした。

ロストアイのように黒いオオカミと、茶色の混ざったオオカミたちが姿をあらわした。

ムースにやられた跡を負っているオオカミがいる。

ブランは牙をむき出しにした。シルヴァーとロストアイがブランを守るように両側で、敵を威嚇していた。

「ひどい顔だ」敵の誰もがせせら笑った。「怪我もしている」

もうひとりの意地の悪いオオカミが目を細めて威嚇した。

群れのリーダーは静かにブランを観察をした。そのあと、引き下がるように仲間に命じた。

「手を貸してやろう」

「いいえ」

ブランはきっぱりと否定した。

「それなら、はやく失せろ。ここのムースは俺たちのものだ」

ブランはしぶしぶ仲間たちに尻尾をふって合図を送った。足を動かすと、痛い。

負け惜しみなく威嚇する元気はなかった。代わりに、シルヴァーが鋭くにらみを効かせてくれた。


敵の群れが視界から消え、また草原を横断するかのような、道がひろがった。

ブランは弱音を吐かないようにふんばった。

シルヴァーが気を紛らわせられるように、優しく頬をなめてくれている。

「どうしてあの群れに助けてもらわなかったんだ?」

「悔しいけれど、ロウラやマロンの意見が正しい気がするからだ」

激痛がして、ろれつが回らない。ブランはそれ以上何も言わなかった。

「ブランのための獲物を探してくる」

ロストアイは短い沈黙をやぶった。

「あの群れに出くわさないように、気をつけて」

シルヴァーの声に、ロストアイの耳がうごいた。


ウサギを飲みこむにも、一苦労だ。口の中が動くたびに、わき腹が波打つように動く。そのたびに横腹近くの骨がうずいた。

ブランたちは、人間の住処の近くで身を隠した。

たまに人間の理解できない声がする。とても耳障りで、休めない。

来た道の方面から、敵の群れの遠吠えがきこえてくる。

ハエを追いはらうかのように、耳をうごかした。

何週間か安静にしていると、全治した。それでもまだ大きな獲物を狩る自信はなかった。

ブランが身体の熱を逃がそうと口を開きかけた。鼻に煙たいにおいがとびこんだ。毛が思わず逆立つ。

「逃げよう」

近くに建った人間の住処から、火が燃えている。雑木林に、炎が燃え移った。

ブランはその光景にぞっと片目を見開いた。炎の熱さと、激しい音を感じた。

ブランたちは走って逃げた。ふたたび骨が痛む。それでも気にしない。

炎の音は、激しさを増す。人間たちの戸惑った声もきこえる。

前方に、敵の群れがみえた。

「火事だ! 人間の住処から雑木林に炎が燃え移った!」

ブランは苦しまぎれに警告した。息を吸うたびに横腹近くの骨が痛い。

敵の群れのおどおどとした足音がする。

ブランは必至に、逃げるようにうながした。敵のリーダーが、ブランの必死の覚悟を汲みとり、群れを安全な場所へ避難させた。

「お前たちも、こっちだ」

渋くうなる声がきこえた。ブランは敵のおしっこのにおいが一番濃い境界線をとびこえた。

ぶり返した痛みに、思わず鳴き声がもれた。近くに川があったおかげで、炎はここまでよってこなかった。

誰もが肩で息をきらす。敵のリーダーが息をととのえた。

「警告をしてくれて助かった」

感謝をこめて喉をならした。

「まだお前の怪我は本調子ではなさそうだ。ここに少しとどまるといい」

「ありがとうございます」

ブランは目上のオオカミに頭をさげた。

「顔をあげろ。この場では平等だ」

ブランはそう言われても顔をあげなかった。

「そういうわけにもいきません。我々はオオカミですから」

「それもそうか」

敵のリーダーが肩をすくめた。そのあと、仲間たちに狩りをさせるように合図を送った。

ブランたちのために、黒いオオカミのリーダーは間に合わせの巣穴を用意した。

洞穴と違って心地は良くはないが、文句はいえなかった。

「三匹だと少しせまいだろう」

「いいえ、大丈夫です」

しばらくすると、黒いオオカミの群れからムースの肉の端切れをもらった。

ブランは痛みに耐えてちまちまと食べた。ロストアイたちは飢えたように飲みこんだ。

恋焦がれていたムースの味に、力がもどってきた。

ブランは口周りを上品になめた。黒いオオカミのリーダーを尊敬した面持ちでみあげた。

「ありがとうございます」

「礼にはおよばない。お互いさまだ」

安静にできるように、リーダーは巣穴からはなれた。

ブランはまだ口のなかに残っているムースの味を堪能した。

「やっぱり、この群れに助けを求めて正解だな」

ロストアイが小さな声でいった。

「何も、全てロウラたちの意見が正しいとは思えない」

「ぼくは、オオカミのプライドはとっくの昔に捨てていた。だから群れに平等を求めていた。けれど、それではうまくいかない気がして。だからロウラやマロンの意見を参考にしようとしたんだ」

「あなたは今、誰かの意見に言い振り回されている気がする」

ふたりの名前をきいて、シルヴァーが不愉快そうに鼻を鳴らした。

「そうなのかも。何が正解なのか、わからなくなってしまった……」

「わたしは、何があってもブランの味方よ。だから、無理に背伸びする必要なんてない」

ブランはシルヴァーにそういわれて、気持ちが落ち着いてきた。気丈にふるまっていた尻尾も、前のように下げてみた。

「ロウラたちの意見を取り入れて、恥ずかしいよ。悪かった。マロンの、この群れにとってズレた考えも、ロストアイたちの意見も。もっとはやく気がつくべきだった」

「後からわかってくれたのなら、それでいいのよ」

シルヴァーがなぐさめるように喉をならし、ブランの頬をなめた。


黒いオオカミたちの群れの異変に、気がついた。深いため息がきこえる。

ブランはシルヴァーと視線をかわした。シルヴァーは怪訝そうな表情だ。

ロストアイが巣穴に戻って来た。少し顔をしかめている。

「老リーダーが亡くなってしまったそうだな」

「僕たちを受け入れてくれた、あのリーダーが?」

「若きリーダーに、僕たちも埋葬に参加したらいいって言われたんだ」

ロストアイがそう言ったあと、シルヴァーと共にブランがどう行動に出るか、返事を待った。

「行こう」

僕は、シルヴァーやロストアイにとったら、小さな群れのリーダーなんだ。

老リーダーの死を身近で見ることで、大切な何かが手に入る気がした。それが何かはわからない。今、僕の心に必要なものが待っている。

ブランは緊張して筋肉がこわばった。それでも気にせず前へ進む。身をかがめて、若きリーダーに挨拶した。

ロストアイが見間違いをしていることは、すぐにわかった。老リーダーは、まだ微かに息をしている。コバエがくすんだ毛に、まとわりつきはじめた。だんだんと衰弱していく様子に、ブランは息をつめた。

「ブラックシャドウ……」

息の下から弱々しい声がもれた。

「リーダーになっても、支えてもらっていることを忘れるな……」

そう息をはいたあと、静かに息を引きとった。穏やかな顔つきをしている。

父とは正反対の死に、ブランは胸を打たれた。父にも、老いで穏やかに死ぬような運命を歩んでもらいたかった。

自分に本当の死がやってきたら、このリーダーのように立ち向かえるだろうか?

不安だった。ムースに横腹を蹴られただけでも、死を覚悟したのに。

小雨が気重な空気をつくっている。コバエはもっと遺体に集まっている。

その様子を見て、ブランは目をつむりたい思いだった。

ブラックシャドウはそのコバエを追い払った。

「手伝ってほしい。父の遺体を埋めることを」

ブランは彼と目が合った。骨が痛くて気にも留めていなかったが、彼は最初は攻撃的だったことを思い出した。

ブランはシルヴァーたちに合図を送り、黒いオオカミの群れを手伝った。

老リーダーが土の盛りあがりで、黒い毛が見えなくなった。

夕暮れ時に、長い影が伸びる。そのブラックシャドウから伸びたオオカミの影は、老リーダーを思わせる風格があった。


老リーダーの死によって、ブラックシャドウは大きな変化をとげたのを目の当たりにした。

ブランはブラックシャドウの鼻面を触れ合わせた。

「俺は、影のように仲間たちを支える。誰もが輝く人生になれるように。小さなもの、ささいなものにも目を向けて、仲間と共に立ち向かわなくては」

「本当にそう思う。僕も、ブラックシャドウの意見を尊重して、そんな人生を歩んでみるよ」

「いい旅を」

黒いオオカミの群れとは、短い期間だったが友情が育まれた。

仲間の群れのリーダーがほがらかに吠えた。後のオオカミたちも、それにならった。


秋の深まった山がそびえたつ。ブランたちは人間の住処を用心しながら山を超えた。

緊迫した空気がつづいた。また人間の住処がまばらになってくると、その空気は緩和された。

落ち葉の積もった森にはいった。パリパリと自然の音がして、いい気分がもどってきた。

風で運ばれてきた琥珀色の葉を、シルヴァーがキャッチしようとした。失敗したシルヴァーに対して、ブランはふざけて笑ってみせた。

シルヴァーが怒ったふりをして、ブランにうなる仕草をした。ブランたちはシルヴァーの顔をみて笑い合った。

「確かに、ロウラもこんな感じだった!」

「あら、やめてよね。ロウラと一緒だと、何もうれしくないわ」

「冗談だよ」

「やっぱり、あの群れの意見もそうであったように、ぼくらの意見が正しいよ。だって、お互い助け合えて、犠牲者も出なかったじゃないか」

ブランは嬉しくなって喉を鳴らした。

「また快く助け合えることが、できたらいいわね」

シルヴァーはそういいながら、おどけて口角をあげた。遊んでほしいかのように、シルヴァーがのびをした。

ブランは近くにあった泥に、思い切ってとびこんだ。少し汚れた白い毛が、さらに汚くなった。

そのしぶきがロストアイにかかった。不満げな、少し甲高い鳴き声をあげた。

汚れを落とすかのように、落ち葉で転がった。

シカのにおいがした。森のなかにいたシカを狩り、すばやく飲みこもうとした。

「クマの糞だ」

久しぶりに、胃がむかつくようなにおいがした。ブランの毛が逆立った。

「ここは危険なのかも。はやく山に入ろう」

ブランたちはシカを食べて気分がよかったため、クマがいることにおろおろとした。足ももつれてしまう。

身体に響くような低いうなり声がきこえた。クマの吠え声で、空気が微かに震える。その震えで、最後の葉が落ちた。

ブランの背筋に冷たいものが走った。

「草原のほうへ!」

ブランを先頭に、必死にあがくように森を駆け抜けた。落ち葉は滑り止めの役割をはたしてくれた。

オオカミの何倍もクマは大きい。脅威的なスピードで追いかけてくる。

ようやく、草原へと出ることができた。秋空からの光が背中にあたる。

ブランは太陽の位置を確認した。追ってくるクマの形相は恐ろしかった。父の無残な死を思い出す。それでも頭を働かせた。

ブランは太陽のまぶしい方角へ走った。クマをどうにか光のあたる方へ追いこんだ。

クマの目がくらんだ。シルヴァーとロストアイが攻撃をした。

まだ混乱している。クマはもがいている。おぼつかない足取りで森に逃げた。

ブランは信じられない気持ちでクマの消えゆく背中を見送った。

「おどろいたわ。ブランの戦法が役に立った」

「正確にいえば、ぼくの父親のね」

ブランは知恵をわけてもらった父に、心のなかで感謝をした。

しばらくまとわりついていた父の怒りのような靄が、少し薄れた気がする。

誰かの視線を鋭く感じた。クマとの攻防に必死だったため、気がつくのが遅れた。不思議に思い、あたりのにおいをかいだ。何もにおわない。

「誰かに見られている」

ブランは声量を落とし、あちこちへ視線を向けた。

「いいじゃない? 勇士のような姿をみてもらえて」

「ああ。お前たちの戦法は大したものだ」

新しい声に、ブランはどきっと動きをとめた。

黒っぽい岩の影から、ぬっと雄オオカミが現れた。黒と茶色の毛に、白毛が混じっている。

目には生き生きとしたかがやきがない。老いたオオカミのような身体つきをしていた。

ブランは警戒して自分を大きくみせた。

「俺はお前たちに関心している。なにも、怯えることはない」

ブランは半信半疑のまま、老いたオオカミをみつめた。

「あなたは、一匹狼ですか?」

「俺はロックだ。群れから当然のごとく追い出された。群れのリーダーたちは、快く思っていたんだが。これがオオカミというものだろうよ」

「わたしの群れにもいました」

シルヴァーが気の毒そうにうなずいた。

「老いてしまったオオカミは、群れからはみ出されてしまうことがあるみたいだから」

「その通り。俺は今でもあの群れに戻りたいと思っている。だから、お前たちの戦術をみて、それなら未来がみえた。希望のある未来が」

ブランはロックに興味が湧いた。ブランはロックを、まじまじと見つめた。

「詳しく教えてください」

ロックがしかめっ面をした。

「老いた俺に、若者のオオカミに教えることはできそうにもない。実際に島に行くといい。あいつらは、クマを恐れて生活している」

「ロックはついてこないのですか? あの群れに戻りたいんですよね?」

「この体力で湖を渡りきれる自信がもうない。湖まで案内するくらいしか、役に立てそうにない」

クマに遭遇した森からつづいた川は、山を越える手前にある、湖へと繋がっていた。

体力を安全にたくわえられるように、ロックから魚の捕り方、カニの食べ方を教わった。

ロックは魚の頭をちぎって、それだけ飲みこんだ。カニは鋭い刃と殻を、器用にもぎりとっていた。

ブランも真似て、水中に顔を勢いよくつけた。産卵して、お腹がふくらんでいる魚を牙でつかんだ。

頭は少し苦い味がした。試しにお腹まわりを食べてみようとした。ロックにそこは栄養が少ないからと、捨てられた。

獲物は残さず食べていたブランにとって、奇妙な考えだった。

その心うちを読みとったかのように、ロックが口をひらいた。

「魚は捕る時間にエネルギーを費やすが、ムースの狩りほど難易度は高くはない。だから、一番栄養のある頭だけを食べるんだ」

ロックの群れの習性についていけるか、不安になった。ブランはオジロジカやムースを、ずっと主食としてきたロストアイと視線を交わした。

「習うより慣れろ」

ロックはそれだけいったあと、平然と魚の頭を引きちぎって、それだけ飲みこんだ。

ブランたちは唖然とロックをみた。シルヴァーが身体の水滴をとばし、気を引きしめる顔になった。

「わたしたちも、ロックの言う通りにしましょう」

「若い嬢ちゃん、わかっているじゃないか」

ロックの目が嬉しそうに輝いた。

「どんな場所であれ、そこの暮らしの掟にしたがうのがオオカミってものさ」

「オオカミは群れを出て独立し、新しい群れをつくる若者がいます。仲間に入れてもらうオオカミなんて、本当にいるんでしょうか?」

ロストアイがいぶかしげに質問した。

「あの群れがなんと言うかはわからない。けれど、うちのリーダーに、ロックに会ったと言えばいいだけさ」

老いたオオカミだが、まだまだ頭はさえている。クマの被害に遭っているのなら、ロックの知恵や力は役に立つかもしれないのに。湖を渡れないのが非常に残念だ。

「魚とりっていうのは、エネルギーはいるが、リスクは少ない」

ロックは久しぶりに若いオオカミと話せて喜んでいる。また似たような話を続けた。

「お前たちはムースを食べるんだろう? そんな食べ物、湖が凍る冬だけでいいさ」

ロックがひとりで、大きな声をあげて笑った。

「いつになったら、湖を渡っていいんですか?」

ブランはむずむずしてきた。ロックの群れが困っているのに。彼は陽気なおじさんだ。

「ああ。引きとめてしまって、すまない。魚がお前たちの湖に渡れるだけの、パワーを助けてくれるだろう。幸運を祈る」

ブランたちはロックに挨拶をした。ブラックシャドウのこともあり、助けたい想いでいっぱいだった。

泳いでいるうちに、足が水の底につかなくなった。いつの日か渡った湖より、泳ぎにくい。

鼻が水にかぶらないように注意したが、やっぱりせきこんだ。その拍子に、もっと水が口にはいりこんだ。

ブランたちは、島の陸にあがった。パンパンにふくらんだ、お腹と肺で呼吸をした。何度もしていくうちに、呼吸が楽になった。

「これで湖を渡ったのは、二回目だ」

「もう湖を泳ぎたくはないわ」

「じゃあ、一生この群れで過ごすのか? クマを退治するようにロックに言われただけじゃなかったのか?」

「違うわよ。ただの例え話」

シルヴァーがロストアイに少し非難の目をむけた。

「いいじゃないか。黒いオオカミの群れでぼくたちは助け合うことがどういうことか学んだ。だから、助けを求めている群れを放っておけないよ」

近くにいたウサギが、オオカミの存在に気がついた。逃げ遅れないように岩のうえをよじ登ろうとしている。それを、岩に登ったウサギが手をかしていた。

ブランは魚のおかげで、胃もたれになっていた。今はウサギを見ても、魅力的には思えなかった。

ロックに歓迎してもらったとはいえ、敵のなわばりだ。

ブランは落ち葉を踏みこみながら、敵意はないことを、においと身体で示して歩いた。

鼻の孔を大きくひらく。島の独特なにおいに、しかめっ面をした。

「魚をずっと食べているオオカミのにおいって、こんな感じ? ムースやオジロジカを食べているオオカミのにおいのほうが、心地よいにおいだ」

ブランは静かにするようにロストアイに注意した。クマもどこにいるか推測できていない。ロストアイは、故郷の群れのときのなごりがでたのか、尻尾をたらして目をふせた。

ブランは気が引け、ロストアイに謝るように額をそっとなめた。

島の中央に、池がふたつあるようだ。島を横切る川の流れですぐわかった。

その池は、大きな葉っぱの茂みや灌木におおわれている。

「誰だ! 俺たちのなわばりに侵入しているやつは!」

ブランたちを脅すかのように、威勢のいいうなり声がひびいた。緊迫した空地がただよった。相手は、ロウラを思わせるかのような形相だ。

島を横切る川を、平然と超えた。ロックの群れだろうか。薄茶色と灰色の毛が混ざった身体をしている。リーダーはロックとおなじように、老いている。毛が硬くもつれて、毛先がぼろぼろだ。

「ロックというオオカミを知っていますか?」

ブランはロストアイがやったように目をふせて、腰を低くおとした。

「あのおいぼれがどうした!」

群れの中から、やじ馬がとんだ。若いオオカミの声だ。

「あいつ、醜い顔をしているぜ。それも、ふたりも!」

中年くらいの年のオオカミが、意地の悪い目で冷酷に笑った。

「この湖がお前の顔で汚れるから、とっとと失せろ!」

敵のリーダーが激しくうなった。

それを見て、ブランたちの希望は打ち砕かれた。

敵のオオカミが威嚇し、ぱっと前にとびだした。

ブランはふいをつかれた。若い雄のかぎ爪の攻撃で足がもつれ、ブランは横ざまに倒れた。

背後から、また雄たけびがあがった。絶対絶命のピンチだ。

新しい声の持ち主たちは、ブランをとびこえ、敵の群れに攻撃をしかけた。

ロストアイとシルヴァーが、ひっつき虫のように離れない、敵のオオカミを引きはがした。

馬鹿にしてくれたおみまいに、片方の目を傷つけようとした。襲ってきたオオカミに、簡単に逃れられた。

「退却!」

敵の老いたリーダーが悔しそうな声をあげた。敵の群れは尻尾を巻いて逃げた。戦場はすぐに、静かになった。

「大丈夫ですか?」

おしとやかな印象の声がきこえた。ブランが顔をあげると、湖の島の群れのオオカミと視線があった。ブランは慌てて視線をそらす。

「助けてくださり、ありがとうございます」

この雌オオカミは、ロックと似た雰囲気があった。唐突な戦いに、おどおどしていたが、ほっとため息をついた。

「ロックと出会ってから、この島にきました」

「そう。私たちを知っているのですね。わたしはロックを好意的に思っていたけれど」

「オオカミの生きざまで、自然と老いてしまったロックは、群れからはみ出された……」

雌オオカミの言葉を、ブランは引き継いだ。

「そうなのです。でも、それは野生のなかでは誰でも起こりうること。次は、わたしたちの番かもしれない」

「サーブル、先のことを考えても仕方がない」

「いいえ、ルック。わたしたちはクマと敵の群れ、そして人間の脅威にさらされているのだから。未来のことを考えなければいけません」

サーブルが背筋をのばした。誰よりも身体を大きくみせたが、空気感は穏やかだ。

ブランはシルヴァーに抱いている感情とは違う、憧れに似た感情を抱きはじめた。

「ロックに言われました。クマの退治のお手伝いをするために、ここまで来たんです」

サーブルとルックが少しいぶかしげに視線をかわした。

「ぼくたちはオジロジカやムースを狩ります。その戦術が、生きると思います」


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