グレーライン

如月 凪

舌禍

「いつまで寝てるつもりだ」


 煌びやかな洋館のドアを開ければ、その先だけ異様だった。開けた瞬間にむせ返るような酒気の混ざった煙草のにおい。床には脱ぎっぱなしの服や下着、果てにはよれよれでシワがついたグレーのスーツが散らばっている。まるで服のバラバラ殺人事件の現場だ。他にも両手で回収しきれないほどの酒瓶や、机の上にある灰皿には煙草が雪山のように積まれていた。他の部屋に比べて壁が煙草のせいで黄ばんでいる。その汚部屋の中心にはベッドではなくソファに突っ伏している男が居た。彼こそが、この惨状を生み出した部屋の主である。


「何故一日でこうなる……?」


 この部屋に立ち入った青年の名は守堂 遵しゅどう じゅん。この寮を有する神無月という資産家、兼半妖の地位向上を目指す活動家に雇われている家令だ。オールバックに固めた鮮やかな金髪は軽薄さが一切なく清廉さを演出している。燕尾服には無駄なシワは無く、左の視力を補助するモノクルが特徴的だ。どこからどう見ても人間と同じ見た目をしていたが、彼もまた半分は人間の血、半分は妖怪の血を汲む者だ。

 流し目が映える切れ長の翠眼は、ソファで寝こけている男を冷ややかに見下ろしていた。


「明護、仕事を持ってきてやったぞ」


 守堂は男の肩を揺らす。それでも部屋の主は寝ぼけたまま守堂の手を払う。そんな制止を振り切り仰向けにひっくり返すと、ようやく男――明護 靖志あけもり やすしは目を覚ました。

 元々癖毛の黒髪は寝癖でどこもかしこもはねていて、やっと開いた橙色の目も虚ろだ。無精髭のせいで不審者感が増している。男は昨日酔ったまま寝落ちたのか、クタクタになったワイシャツのボタンの半分以上が外れていた。細身だが決して筋肉質とは言えないし、部屋の惨状が語る不摂生な生活を送っているせいでちょっとしたビール腹にすらなっている。守堂は反射的に「みっともない」と呟いた。


「……朝から随分な挨拶だなぁ、守堂」


 酒焼けして枯れた気怠げな低い声。光の無い瞳は守堂を睨みつけたが、すぐに伏せられた。


「頭ガンガンする……」


 二日酔いの頭痛に苛まれているらしい。明護は頭をおさえながら再びソファに寝転がった。


「酒の飲みすぎだ。自業自得だな」

「心配の一言とか、水持ってくるとか……友情は無いのか〜」

「お前にやる情はとうの昔に尽きた」


 言い返そうとする明護の言葉を遮るように、守堂は燕尾服の内ポケットから写真を一枚取り出して突きつけた。そこに写っていたのは十代半ばくらいの少年だった。


「今回の執事候補だ。写真の少年を"スカウト"してこい」

「俺、めっちゃ頭痛いんだけど……」


愚図る明護は無視して守堂は続ける。


緋柳 隼ひのやぎ はやお。黒川高校1年の15歳。身長は170cm。帰宅部」


 守堂が語る概要をしらーっとした表情で見つめたまま、明護は写真を受け取ろうとはしない。


「最近、巷では異臭騒ぎが多々起こっている。それくらいはお前も知っているな?」

「まあ。他の執事とメイドの姉ちゃん達が噂してるの聞かされたし。肉が焼けた臭いだの腐乱臭だの……ってやつだろ?」

「そうだ。それらの騒ぎが起こる前後に緋柳少年と思しき目撃情報が何件もある。本人は顔を隠しているつもりのようだが……」


 守堂が緋柳少年の写真をずらすとその後ろにもう一枚の写真が。お世辞にも解像度の高くない防犯カメラの切り取りだ。そこには黒いパーカーのフードを目深に被って歩いている人物が映っている。これが緋柳少年だと言いたいのだろう。


「で? このガキンチョが何したんだよ」

「死体の処理をさせられているようだ。近頃、ヤクザ者がこの町に顔を出しているから、そういった連中に利用されていると考えられる」

「悪いおじさん達に捕まって闇バイトにズブズブってワケね。そりゃかわいそーに。お先真っ暗だねぇ、俺みたいに」

「緋柳少年の犯行は流石にカメラ等には映っていない。だが何をしているのかは大方予想はつく」

「肉の焼けた臭いがどうのこうの言ってたけど……マジで焼いてんの?」

「そうだ。骨だけではない、焼いた時に出る灰さえもな」


 明護はしばらく黙って寝転がっていたが、バッと起き上がって守堂から写真を奪った。守堂は追加で茶封筒を押し付けながら言葉を続けた。


「皆、腐乱臭に気を取られている。まあ焼却炉もない路地で荼毘が行われてるとは思わないだろう。普通の人間ではまず不可能だものな」

「緋柳ってのは何の血が混ざってんだ?」

「現状は不明だ。火の妖怪というのは多いが、人型になれる者はほとんど居ない」


 守堂の話を聞きながら、明護はワイシャツのボタンを閉めていく。ネクタイを探すのは諦めたのかベルトを締め直して、床に落としていたシワだらけのジャケットを肩に掛けた。


「……まさかその格好のまま行くのか」


 有り得ないものを見るような守堂の視線をかわして、明護は振り向かずに手を振る。

 明護 靖志――彼は、半妖専門のスカウトマンである。半妖の地位を向上させるため、日夜活動する神無月家に明護の力は必要不可欠なのだ。


◆◇


 黒川高校が放課後になるのは午後の三時半。ターゲット・緋柳隼は部活に所属していない為、必ず最初に校門を出るとのこと。


「分かりやすくて助かるねぇ」


 ガードレールに座っていた明護が携帯で時間を確認したあと立ち上がる。ちょうど、校門から写真の少年が出てきたのが見えたからだ。

 灰色の短髪。つんつんとした髪はおそらくそういう髪質なのだろう。左の髪だけ上げており、赤いピアスがよく見える。そのピアスと同じ色をした真っ赤な瞳も印象的だ。


「そこの少年。ちょっといいかな」


 隼は不審な男に声を掛けられてギョッとしながら足を止めた。


「なんすか?」

「そんな警戒しなくて良いから。おじさん、善良なおじさんだからね〜いやほんと。君にぴったりの良い仕事を持ってきたんだけど……」

「……悪い大人は皆そう言って近付いてくるでしょ」

「前にも同じこと言われた?」


 隼の表情が凍りつく。


 ――ビンゴ。守堂の情報も、推測もほぼ当たりだな。


「おじさん、そういう人達とは違うからさ安心して」

「……」


 無言だが、視線は品定めしているような、あるいは何かを訴えているように見える。


「あ、超ホワイトな求人票見せよっか? 君にぴったりの仕事あげようと思って来たんだよね」


 明護がくたびれたスーツのポケットを漁っている隙に隼が駆け出す。逃げるためガードレールを飛び越えて最小距離を往く自由な走りはパルクールだ。元々怠惰な上に、呆気にとられていた明護が追いかけられるはずもなく。


「たしかにあの身体能力は妖怪の血ィ混じってるかもなぁ……」


 ポケットにせっかく取り出した求人票を再び突っ込み、明護は緋柳少年が走り去った方向へ歩き出した。


◆◇


「よ。今日もきっちり5分前行動だな」


 夕方を超え、夜の闇が空に広がる頃。闇を恐れない都会の灯りはギラギラとその男達を照らしていた。片方はサングラスをかけた上にド派手な黄色地に青のハイビスカス柄のアロハシャツを着た男。もう片方は対照的にフードを目深に被って、口元以外を見せないようにしている男だ。


「もうちょい時間あるし晩飯でも食うか。奢ってやるよ」

「いや、店長。俺は……」

「パーッと焼肉でも行くか!」


 馴れ馴れしくフードの男と肩を組もうとするアロハシャツ――店長。だが、その腕を掴んだ三人目が現れた。


「死体処理の前に焼肉って趣味悪すぎだろ」


 店長が咄嗟に手を振り払って振り向く。そこにはネオンを背負いながら明護が立っていた。


「見てくれもヤクザなの隠す気ないって感じだな。ウキウキで代紋つけちゃってまあ」


 明護が言う通り、アロハシャツの襟元には光背に梅が描かれたバッジがついている。


「人間のヤクザはこういうの隠す時代。つまり時代錯誤のお前さんは妖怪のヤクザ者ってこと。まあ紋を見りゃ人間なのか妖怪なのか、どこの所属か分かるけどな。半妖を食いモンにしてる白梅組の下っ端さんよ」

「何でそこまで知って……何者だテメェ!」

 明護は店長を無視してフードの男を見据える。

「俺は君と同じだよ。仲間だ」

「!」


 明護がべ、と舌を出すとそこには店長と同じ光背に梅の紋。そして、その上からバツ印が描かれていた。


「俺は言霊使いだった。ヤクザにその能力を目ェつけられて一旦ドン底まで堕ちた半妖だ。でも、自分と同じ道を進む半妖を一人でも減らすために絶縁叩きつけられても神無月って家のスカウトマンになった」

「神無月ぃ……? 半妖の地位向上だのなんだの言ってる頭お花畑のお遊び集団だろ!」


 店長が野次を飛ばす。

すると初めて明護が険しい顔をした。


「遊びじゃねぇよ。雇い主は本気だ。だから俺等も本気だ。本気で半妖が少しでも生きやすい世界を目指してる」


 明護も元とは言えヤクザ者。その眼光はナイフのように鋭く、店長は口を噤んでしまう。


「緋柳少年。君は誰かに助けてほしかったんだろ。証拠が残るような杜撰な仕事をしたのはこの異常に気付いてくれる誰かを待ってたんじゃないか?」


 フードがそっと脱がされる。


「……凄いっすね。正解ですよ」


 灰色の短髪――やはりフードの男は緋柳 隼だった。フードの姿も、フードを外した姿も写真と一致している。ただ、その顔の左半分は御伽草子等で語られる「鬼」と化していた。その顔全てが鬼面ではないのは、半分は人間の血が混ざっている証拠だろう。


「おい、隼。今まで面倒見てやったのは俺だろうが!」


 店長が唾が飛ぶほど激しく叫ぶ。その勢いに緋柳少年も少し気圧されていたが、明護はその肩にそっと手を置いた。


「どんな人生を歩むかは自分で決めて良いんだ。ドン底に居続けるなら俺はそれでも構わねぇよ。でも、這い上がりたいっつーならいつでも引っ張りあげてやる」


 緋柳少年は少し間を置いて、深く頷いた。


「隼!」

「もう、限界なんす。人間も妖怪も半妖も、誰も俺の炎で葬りたくなんてない!」


 鬼面に真っ赤な炎が宿る。緋柳少年は人差し指だけを店長へ向けた。制止の声を振り切り、指先から炎の弾丸を撃ち――それは店長の目の前で激しく閃光を放つ。あまりの眩しさに、発作を起こしたように彼は気絶してしまった。


「お見事」


 明護がヘラヘラと笑いながらも、緋柳少年にあるものを差し出す。それは名刺だった。


「神無月グループ 人材発掘事業部 明護 靖志……」

「えー、うちに来たあかつきには、執事になってもらいます」

「執事⁉︎」

「雇い主の趣味でね。でも時給の昇格あり。寮あり、食事は三食保証……オマケに自分と似た仲間付き。ちなみにおじさんはわざわいっていう妖怪の血が混じってんのね。雇い主もそうだし、他にもそんなんばっか。どう、来る気ない?」


 明護が煙草を一本取り出して咥えた。明護がライターを取り出す前に緋柳少年が人差し指の先から静かに炎を灯す。明護は驚きつつもその炎を煙草の先で拾って、煙を吐き出した。


「良い返事だね、少年」

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