第40話 止まらぬリカの通知音:三桁オーバー

 リカは浮き足立っていた。修学旅行当日を迎えたきょう、学年全体の興奮は最高潮に達したといっていい。


 新幹線のホーム内は、そんな生徒たちで埋め尽くされている。黙りこくるわけにもいかない。ざわついている。


「あれもいって、これもいって、それに――」

「興奮するのはまだ早いよ。始まってすらいないんだ」

「修学旅行は家を出た瞬間から始まっているの。そして、一番期待に胸が膨らむのは、行動の直前なの。なんら不思議じゃない」


 直前の胸の高まりの方が、実際に行動したときの気持ちを上回ることは多い。リカはまさしく、期待の方が上をいっていたのだろう。


「理解したよ。ただ、初っ端から飛ばしすぎると、途中でぷつりと切れるんじゃないかと不安で」

「平気、平気。マサくんと一緒にいれさえすれば、出力三倍から四倍は出ちゃうもの。ここからさらにぶち上げていくよ?」

「体力お化けは恐ろしいってもんだよ」


 予定の新幹線が到着するとのアナウンスが流れた。車両はクラスごとだ。ここでいったん、リカとはお別れになる。


「いかなくちゃ、だな」

「離れたくない。隣に座ってほしかった……」

「一生会えない、ってわけじゃない。七夕しか会えない、織姫と彦星でもない。たかだか数時間じゃないか」

「だよね。忍耐力が皆無だよね。ダメだな、私ったら」

「自分を貶めることはないよ。リカは悪くないし、そう思うこと自体、否定しちゃいけない。ありのまま受け入れて、うまく折り合いをつけるんだよ」


 うん、といういささか不満げな答えとしゅんとした表情が答えだった。


 リカと離れてしまえば、クラスの空気に取り込まれる。座席の隣はお調子者の七瀬だった。


「おっと、浮かない顔をしてる。修学旅行には似つかないんじゃあないかな?」

「うるさい。いたって平常運行だよ」

「嘘だ。彼女さんと同席じゃなくて、拗ねてるってのが僕の算段なんだけどね」

「憶測はやめてくれよ」


 拗ねているのは、どちらかというとリカの方だろう。乗る寸前まで、一緒にいたいとボソボソ独り言を漏らしていたし、態度からして明らかだった。


 やれやれ、と小さく肩をすくめようとしたところ、スマホが震えた。


「おっと、通知か?」

「どうせ勧誘メールとかそのあたりだろうけど……」


 ポケットの中を探る。手に触れた途端、またしても通知音。一度だけでなく、三連チャンだ。


「ほう、よく鳴るね」

「連絡ってのは、待ってないときに限って同時にどんどんくるってもんだ」


 誰からのものか確かめる。


『リカ:新幹線乗ったかな? 私はマサくんと隣の号車だね』

『リカ:いまなにしてるのかな、私はマサくんのこと考えてる』

『リカ:不在着信』

『リカ:きっと暇だよね、こっそり電話してよ? ここにいる限り、ずっと』


 すべてリカだ。


「顔が歪んだ。ちょっと喜びを含んでた。こりゃあ彼女さんかな?」

「はてさて」

「せっかくの通知なんだろう? もうちょっとウキウキしてもいいんじゃあないのかな」


 前のシートに座る男子がニヤニヤとしながらこちらに目線を送っている。


 七瀬たちよ、君たちはなにもわかっちゃいない。


 リカからの着信はうれしいさ。なにごとにも変えられない。


 しかし、連続でくると圧迫感がある。文字だけだと、細かいニュアンスは伝えきれない。いまの俺は、獣に一歩ずつ追い込まれる標的のようだ。


 不在着信、いくつかのメッセージが俺をむしばむ。甘い毒だ。喰らうのは悪くないが、体に取り込まれると悪さをしだす。


 ある程度なら薬にもなりうる。連続してメッセージが届くと、過剰摂取になり、悪影響及ぼす。そういう類のものだ。


「物事は、単純じゃあないんだよ」

「自分だけわかってますアピール、嫌いじゃないぜ? 思うところはあるようだ。だがしかし!」


 七瀬はビシッと指を立て、俺に向けた。


「長井がリア充であることは動かぬ事実だ。この純愛ボーイめ、満たされているものから放たれるオーラを知らないか」


 前後の座席から少々悪意を含んだ視線が刺さる。心が痛い。


「無意識だ。出しているつもりはない」

「どう思おうと、幸せオーラが出てるのに変わりはないんだぜ? 歓迎はするが、無自覚系に甘んじていると、俺たちの逆恨みがマシマシになることを忘れないでほしい!」

「真面目になーにふざけたこといってんだ」

「わからないなら、トランプでわからせてやらぁ! 前後四人でトランプ対決。長井、負けたらジュース奢りだ」

「そんなのちょちょいのちょいよ」


 結果、圧倒的敗北!


 最初から最後までババを保有し、心理戦に敗れ、ずっと残ってしまった。


「これでわかったはずだ、幸せ者!」

「俺が全員分奢るんだっけな」

「勉強料だと思っておくんだな、長井。幸せになれよ!」


 三人全員から笑顔とサムズアップをいただいた。くすぐったいものだ。


 十数分後、車内販売でジュースを仕入れた。おめでとうの乾杯をもらった。ちょっとからかわれることはあるが、基本的に歓迎ムードだった。あたたかい。


 よく考えたら、なに乾杯の対象に奢らせてるんだっていう素朴な疑問が去来した。忘れるとしよう。


「で、通知、確認っと」


 他の三人が会話に気を取られているのを見て、すっとスマホを確認する。


 音をつけっぱなしともいかないので、マナーモードにしていた。振動は何度かあったが、果たして何件の通知になっているかまでは不明だ。


 それなりに多かったとは記憶している。頻繁に鳴ったのだから。


「どれどれ……」


 スマホをつける。


『リカ:気づいて?』

『リカ:どうして無視するの?』

『リカ:スマホがすぐそばにあるのはわかってる。だから答えるだけでいいの』

『リカ:不在着信』

『リカ:出て』

『他330件の通知』


 ワオ。


 リカを不安にさせてしまったようだ。幼馴染失格だ。きょうのテンションぶっ壊れリカのことだ、ヤンデレゲージが振り切れているのはいうまでもあるまい。


 変に隣の号車にいきすぎるのも不自然だし、ずっとスマホをいじっちゃあ七瀬たちに失礼ってもんだ。

 ともかく一度、リカに会って落ち着かせるのが先決といったところだろう。


「悪い、トイレ」

「彼女さんと会いにいくの?」

「トイレだ」

「なるほどねぇ……」


 七瀬たちはお見通しらしい。急ごしらえの粗末な嘘なんかじゃあ通用しないのか。


「ともかく、いってくるよ」


 車両連結部には、そこそこのスペースがある。待ち合わせさえすればいい。


「えーっと……連絡できなくてごめん。いったん車両連結部で落ち合おう、っと」


 瞬きもしない間に既読がついた。


『うん、すぐいくから、すぐきてね♡』


 律儀にハートまでついている。よっぽど感情が昂っていたのだろう。


 俺は車両連結部に向かって歩き出した。そこへとつながるドアを開けるまでは、ほんの十数秒を要するだけだった。


 扉をガラガラと引くと、もう待ち人は立っていた。


「待ってたよ、マサくん?」


 車両の振動で、リカの髪は微かに揺れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る