第12話 涙に溺れて

 どのくらいここにいたんだろう。もう、部屋の中も外も真っ暗で何も見えない。先輩に好きな人がいたことも、自分じゃ幸乃先輩の代わりにはなれないことも、みんなわかっていたじゃない。私、応援したい気持ちなのにどうして涙が出るんだろう。なんでこんなに涙が出て止まらないんだろう。

「ひみこ!なんだよ電気もつけないで。みんな心配してるぞ」

「だめ剣士、電気つけないで。私、悲しいわけじゃないの。悲しいわけじゃないけど涙がいっぱい出るのよ」

 私の目からはよくもこんなに出るもんだと思うほど後から後から涙があふれた。

「ひみこ!ここにいろよ。親父さんにちゃんと見つかったって言って来るからな。心配してるから。ここにいろよ!どこにも行くんじゃないぞ」

 そう言い置いて剣士は出ていった。ここにいろよって私はどこへも行かない。初めからずっとここにいたじゃない。

「良かった。調べ物してるって言っといたから。お前泣くなよな、失恋したくらいで」

 言った後剣士が慌てた。慌てて私の横に座わりこんだ。

 そして、タオルを渡して言った。

「告白した訳じゃないから失恋でもないか」

「いいよ気を使わなくても」

 剣士のくれたタオルに顔を埋めた私の声はすっかり鼻声になっていた。

「あっち、こっち探したんだぞ。公園とかバス通りとか、探してるうちにお前が泣いた時のこと思い出した。俺と喧嘩するとよく上の物置にこもって出てこなくなっただろう。物置は俺が取り上げちゃったからな、ひよっとしたらここかなと思って、良かったよいて。あ、これおばさんが持たしてくれた」

 剣士が持ってきた皿の上におむすびが乗っていた。

「親父さんがつくったんだよ。ちょっと大きいか?」

 剣士は一人でずっとしゃべり続けていた。

「もういいよ。ほんとにもういいんだよ。失恋なんて大げさなもんじゃないし……私、無理してないよ。先輩のこと、応援してあげたいと思ってるんだ。だから大丈夫。私のこと心配してくれる剣士もいるしね。ただ悲しい時この臭い落ち着くんだよね。そうか……子供の頃から好きだったんだ」

 私はちっともおぼえて無いことを剣士は何でも覚えている。寝返りうつのもお座りするのも私のほうが早かったって母さん自慢してたけど、物覚えは剣士のほうが上だったって私は思った。

「俺が小笠原に行くって聞いた日。お前、屋根裏部屋にこもって泣いたんだぜ。おばさんや親父さんがなだめてもすかしてもだめでさ、切なかったな……

 お前のこと置いて小笠原なんかに行きたくなかったのに、今のお前みたいに俺良い子だったんだよ。嫌って言えなくてさ、向こうに行って無性に悲しくて、俺は良い子を止めた。

 それでいつかこっちに帰ってこようとずっと思ってた。お前と同じ高校受けてどこかに下宿していきなりお前の前に現れて脅かそうって考えていたのに、詰めが甘かったよな。

 最後は生活力なくて親父さんに頼むはめになちゃって、そこまで格好よく出来なくて残念だった。

 あの日、竹下桟橋でお前を見つけた。お前ちっとも変わって無くてドキドキした。でもなんて言えばいいのかわからなくてそのまま通り過ぎた。お前は俺のことわからなかったし。……残念だった…」

「あの時、剣士にはわかってたの私たちがいたこと?」

「ああ、俺イメージ全然ちがってただろうからな。ま、わからなくてもしかたないけど……俺にはひみこがすぐわかった。俺の中のひみこはちっともかわってなくて顔見たとたん平常心ではいられなかった……」

 私は剣士の話しを聞きながら、これってこの話ってもしかすると私のもっとも苦手とする方向の話へ発展していくんじゃないかって、それは困るって、慌てて下らないことを探して剣士の話しを遮った。

「ねえ、ねえ、剣士!あんたなんで母さんのことはおばさんで父さんのことは親父さんなの?」

 そう言うと、剣士は勢いをそがれて、それから先の言葉に詰まって口の中でもごもごしながら私をにらんだ。

 だけどあのまま、あの話しが続いたら私、何も言えなくなる。剣士の気持ち受け止める自信がないよ。今は…ごめん……

 剣士はそれでも私の心が落ち着くまで黙ったまま横に座っていてくれた。ずっと長いこと。剣士の優しさは私にもわかる。見た目とはかなり違うってこと私にも伝わってくる。自転車の練習だって剣士がいたから出来たんだ。茶パツにびびって口も利けなかった剣士がとても身近に感じた。剣士の横は温かくて気持ちが良くて私の心は包み込まれてホッとする。

 ずっと昔もこうやって私は剣士に我が儘ばかりぶつけていたんだろうか?でも、私は自分の心がわからない。剣士に適当に合わせていい加減なことなんか言えない。剣士の横は居心地良いよ。

 だけど、それが何なのかよくわからない。

 しかし、ほんとに剣士の横は温かい。……イヤ熱いよ。これ?

「剣士、剣士!」

剣士の心が温かいと思っていたらそうじゃなくて熱いのは剣士の身体で、私のせいでまた熱をぶり返してしまった。

「私が心配かけたから風邪が長引いちゃったね。私もっと強くなるよ。剣士に心配かけないように」

って笑ったら、剣士も熱で上気した顔で力無く

「ああ」

と笑った。

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