ザ・グレート・プリン

スーパー・ストロング・マカロン

第1話

こないだから俺が住む3階建てアパートは外壁工事が行われている。


50代くらいの親方を中心に数人の作業員が組み立てられた足場を行ったり来たり歩いているからどうにも落ち着かない。

そのうえ作業員の指示で朝は窓を開けるのはおろか、雨戸を開ける事さえ禁止されている。

朝、電気をつけないと部屋は真っ暗。

ようやく暖かくなり白い息とお別れ出来たかと思ったら今度は工事か。

爽やかな春の日差しを部屋いっぱいに迎え入れたかったのに。


工事が始まる以前は8時に起床して少し遅い出勤をしていたけれど、現在は7時に起床して朝ごはんを食べている。


食後、同棲していた元カノが置いていったコーヒーメーカーを使い砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲む頃ちょうど工事が始まる。

なぜ1時間早く起きるようにしたかというと、工事の騒音で目覚めるのは自分がまるで受刑者になり刑務官に強制的に叩き起こされてるかのようで不愉快だからだ。

或いはアメリカのミリタリー映画に登場する恐ろしい軍曹に口汚く罵られているかのようでもある。


大袈裟ではなく本当にそんな気分になってしまう。

目覚まし時計もスマホのアラームも毛嫌いするのはそのためだった。

嫌味な刑務官や恐ろしい軍曹には朝から会う必要はない。


仕事に向かう為、蛍光灯を消してつけっぱなしだったテレビも消そうとしたら、画面はお天気コーナーだった。


ネットでも天候を確認出来るけどつい観てしまう。

決してお天気お姉さんがお目当てではない。

「今朝の関東地方は春本番のポカポカ陽気、日中は21℃まで上昇するでしょう。」

彼女は微笑を浮かべ春の訪れについて可憐な唇で熱弁している。


ふと部屋から窓を見るとこの部屋には、お天気お姉さんが話した春本番とやらは一切届いていなかった。

閉ざされたままの雨戸のせいで監禁されている気がした。


先ほどまで人口的な電気の明かりに頼らなければならない現状が虚しく感じて、すぐテレビの電源を消した。


このお天気お姉さんは過去に既婚者のIT企業の社長と不倫疑惑があった。


そういえば彼女の不倫疑惑をネットのニュースで知った時、大型台風の影響で街中が停電して部屋が真っ暗になったのを不意に思い出した。


玄関を開けるとパイプだらけの足場が目の前に飛び込んでくる。


ハチワレの野良猫がこちらに向かって走ってきた。

ニャアと可愛い声で鳴くと目を細めながら俺の足に身体を擦り寄せてくる。

玄関横の棚に置いてあるキャットフードを地面に山盛り置いてハチワレにあげた。


もう一年くらいこれが毎朝のルーティンになっている。

可愛いハチワレとスキンシップをとるとささやかながらも幸福を得られる。

辛い野良生活をしているであろうハチワレは常にストレスにさらされているはずだ。


カラスにからかわれたり、道ゆく人に威嚇されているのを何度か目撃したことがある。


空腹を満す為キャットフードを夢中で食べているハチワレに行ってきますと挨拶を交わし最上階である3階の階段を降りて2階に到着した時、下に見知らぬ男が2人いた。


2人とも40代前半くらいで海外ブランドのジャージに身を包み歩いていた。


そのうちの1人は金髪のツーブロック男で片手で手摺りを掴みながら階段を上がってきている。


髪の色よりもっとキラキラした金の高級そうな腕時計をしているのが分かった。


このアパートにこんな住人はいないはずだ。

俺と最近302号室に引っ越してきた母子以外は皆、老夫婦だし3階に住むのは俺とその母子だけだ。


母子はアパートの工事が行われる前に引っ越ししてきた。

夫や彼氏と思われる人物は今日まで見た事がない。


シングルマザーだろうか?


残業で帰宅が遅くなった時、一度だけ玄関先で見かけた事があった。

俺が玄関の鍵を開けようとしていたら門灯をつけていない母子が住む302号室のドアが少しだけ開いた。


ドアチェーン越しにこちらを見ている事に気づくとこんばんわの挨拶を交わす暇さえ与えないほどの素早さでドアを閉められてしまった。


引っ越しの挨拶もなかったのもあり第一印象は不気味な人が越してきた、であった。


それきりライフスタイルが異なるのもあってほとんど顔を合わす機会はない。


たまに深夜に寝ていると彼女が誰かに深刻な声で電話をしているのが薄い壁を通して聞こえてくる。


詳しくは分からないけれど誰かに頼み事をしているような話し方だった。


それと男の子が食べ物をこぼして母親にヒステリックに怒鳴られて泣きじゃくる声も時々聞こえてくる。


男2人と階段ですれ違う、お互い無言だ。

金髪のツーブロック男は鋭い目つきで俺を見たが対照的にニューヨーク・ヤンキースのニューエラを被った小柄な男はスマホを見ながら歩いていてチラッと俺を見るなり金髪のツーブロックの真後ろに行き俺に階段を降りるスペースを譲った。


不審に思い俺はなるべく足音を鳴らさないように静かに階段を上がり後をつけた。彼らは3階に辿り着き母子の住む殺風景な玄関先で黙って立っていた。

警戒心の強いハチワレは彼らに気づくと朝ごはんを食べ残し急いで俺のいる階段側へと走り出した。


ヤンキースのニューエラを被った男はスマホに夢中だが、金髪のツーブロック男はハチワレを目で追い無表情で見ている。


彼の目線が地面にいるハチワレから上に上がり次は俺を見た。


すかさず俺は顔を逸らし再び階段を降りた。一緒に階段を降りているハチワレは朝ごはんを全て平らげる事が出来なかったので、いつもと違う朝に動揺したかもしれない。


一階に着くとハチワレはチラッと俺を見て、俺とは反対方向の駐車場へと向かい俺は最寄り駅へと歩き出した。


あの2人組は何を目的に俺の住むアパートへ来たのだろう?


母子の友達なのだろうか?と考えながら歩いた。


春のポカポカ暖かい日差しをいっぱいに浴びていたら、先ほどの2人組なんて次第にどうでも良くなった。

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