六話 ゼルダ

 ぼんやりとした世界が広がっている。見えるものすべてが何枚もの極薄の布を通して見ているような、そんな感覚は初めてだ。どこかのんびりと、ゆっくりと穏やかな時間が過ぎていく。何もなく忘れてこのまま身を委ねていたい。そんな感情に支配されそうなソレルはそれでも現実に戻っていく。厳しい、苛酷な現実へ。

 ぱっと目を開けるとまたもや寝台に横たわっていた。ここはパルナ? それともクリーニ館? まだ自分のピィロ?

 いいえ違う。

 言葉を封じられ、外の音も遮断されて、自分の体なのに自分の意志で動かせなくなっていった。そうやって連れて来られた。そう確信している。

 ここはどこだろうと窓の外を見てみるが薄暗く何の情報も得られない。見通しが悪いのと僅かに湿気を感じて霧が出ていると思った。霧がなければもう少し建物も良く見えたのに。しかしこうも霧があるのはどうしてだろうと思案する。霧が発生する事が珍しいと考えを巡らせていると扉が開いて誰かが入って来た。

 一歩一歩踏みしめるように入って来た老女がソレルに鋭い眼差しを向けて口を開いた。

 「まもなくお嬢様がお見えになる。失礼のないように」

 しわがれた厳しい口調だった。お嬢様と聞いて成人前の女の子を想像したソレルだった。違った、と思ったのはそのお嬢様が現れた時で、親くらい歳の離れた痩せた人で淡い金の髪を見た時には懐かしさを感じた。

 「わたくしはミレイシャ・ナル-ゼイラー」

 ナル-ゼイラーと聞いて心臓が大きく波打つ。この人に会った事はないはず、と心の中で呟いた。

 「これからそなたを必要とする方に会わせる。支度をしなさい」

 一方的に言ってくるりと背を向けて戻ろうとするところにソレルは声をかける。

 「待って下さい。ここはどこで、どうして私はあのように連れて来られなければならなかったのですか?」

 ソレルの問いかけにミレイシャは面倒だと言いたそうな表情で答えた。

 「全てあの方が教えて下さるだろう。わたくしは連れて来るように頼まれただけだ」

 それでもあのような方法を取るべきではないと思いながらはっきりしない彼女に不満を覚えた。

 今度こそミレイシャは退出し、代わりに侍女らしい二人が入って来る。手早く服を着替えさせられて初めて気づく。乾いた服を着ている自分。もしかしたら彼女達が着替えさせてくれたのかと、尋ねてみた。二人はソレルを一瞬見て僅かに頷いた。

 その後ミレイシャに導かれて廊下を進み大きな円柱の前で止まった。柱の前で何をするのだろうと不思議に思っていたらそれは柱でなく昇降機だった。大きく開いた扉はソレルを食べようとする口に見えて入ってしまっても大丈夫なのだろうかと思ってしまった。初めて乗る昇降機に目を見張りながら平静を装い後に続く。

 昇降機は数人乗れるくらいの広さで特に装飾があるわけでもなく、ただ人を乗せて目的の階へ運ぶだけという感じだった。それでも宙に浮く感じが落ち着かなく、落下しないか気が気でならない。

 昇降機から別の階へ出て渡り廊下へ進む。どうやら今までいた所は別棟で向かっているのは居館か。こんな城を持つ国はどこがあるだろう、と記憶を呼び起こそうとしたところでそっと柔らかな花の香りがソレルの感覚をくすぐる。

 覚えのある香り。

 ソレルは香りと味の記憶には自信がある。集中して記憶をもっと手繰ると、ある光景が浮かんで来た。女の子がソレルに気付くと手招きしながらこっちこっちと綺麗な声で呼び、走って来たソレルを見て僅かに微笑む男の子。

 ───この花園にあるのはみんなお母様が作ったここだけのお花たち。自慢の花たちなんだよ───

 そう言って自慢する女の子。二つ年上の彼女は初めて会った時から明るく気さくで色々なものを見せてくれた。そして常に守るように寄り添っていた彼は三つ年上で彼女の兄。綺麗でどこか神々しくナナツボシのアリネストを祀る社にある彫像を思わせた。

 彼らとの付き合いは一年くらいでお互いの国を行き来したものだ。

 そう、ここは彼らの故郷ゼルダ、隣国パテロ-ゼルダだ。

 こんな近くに来ていたなんて。

 衝撃と共に目の前の女は彼らの叔母だと確信する。彼らと同じ淡い金の髪。何故彼らの叔母が私を───と聞くのが怖い疑問が胸を締め付けてくる。そしてこの先で待っているのは間違いなく彼らの。

 彼らは戻って来ているのだろうか。今回の事はあの子が考えた驚かせる為の余興で、特に意味はないのかもしれない。留学してから最初のうちは連絡もとれたがそのうち居場所が分からなくなり、かなり寂しい思いもしていた。

 そうこうするうち居館の入り口へ。

 入り口を守る護衛兵がミレイシャを認めて重そうな扉を開ける。彼女はただの客ではない。ここに身を寄せているのか。それとも何かしらの協力関係があるのだろうか。

 さらに靴音を響かせて廊下を進んで飾り気のない部屋に入った。そこは館の家族が食事をする部屋で、長テーブルの中央に一人の男が座り、彼の前には既に皿とカップが置かれている。

 食事の相手として呼ばれたのだろうか、と一瞬思った。

 しかし男の表情がそうではないと言っていた。初めて会った時より歳を取った、ゼルダ国王が陰気な空気を纏ってそこにいる。

 彼の暗い視線が一瞬ソレルに向けられると寒気を感じたが、それはこの場が暖められていないからだと思い直す。ああいう感じの人ではなかったはずだ。あの、粘つくような気持ち悪い空気を纏ってはいなかったはずだ。ソレルは急に腹の底が捩れた感じがして腹部に沿わせた腕に力を入れて堪えた。


 「よく来た」

 ミレイシャが勧めた椅子に座ると同時に声がかけられた。顔を上げて正面にいる王を真っすぐ見る。椅子に座らされた事で挨拶も無しで良いと判断したソレルはうちうちの話だろうと考えた。しかし久し振りに会う王に失礼だと思い、公の時に見せる笑みを向けた。

 「お久し振りでございます、国王陛下」

 ソレルの声に口角を僅かに上げて舐めるように視線を這わせてきた。気持ちの悪さを感じて目の前の人物は本当にグランサ王なのだろうか、と思う。その疑問は次の言葉ですぐ消えた。

 「無事に十八歳を迎えたようで、実に喜ばしい。ところでそなたは我が息子を覚えているかな。今のそなたを見れば息子も喜ぶだろう」

 「帰って来ているのですか?」

 ソレルは思わず希望を持たせて聞いてしまった。

 グランサは話に乗ってきたのが愉快なようで笑みを返してから答えた。

 「いや、今は重要な時期でな、まだ帰れないが・・・間もなく帰ってこよう」

 一度言葉を切り、もったいぶるように言ってきた。

 「そこで急なのだがそなたに息子の手助けをしてほしいと思っている。どうだ?」

 「私に出来る事なら喜んで」

 彼の役に立てると思うと心が浮き立ち、明るく答えた。

 「重畳。ではハルストへ行ってもらおうか。明日には砕壁船さいへきせんが来る。それに乗ってあるお方の下へ行ってもらおう」

 グランサの言う事が急すぎなのと良く分からない人物が出来てソレルは不安を覚える。

 「すぐ、ですか?」

 「勿論、気が変わっては困るしな。何せそなたは人身御供として行くのだ。ある有力者がそなたのイゾをお求めなのだ。そなたも息子の役に立てれば嬉しかろう」

 グランサの言葉にソレルの心臓は凍り付きそうになった。理解し難い、初めて聞く言語のような。強張る顔を彼に向け、何を言ったらいいのかソレルには分からない。返す言葉は見つからなかった。

 その様子に満足したのかグランサはさらに、

 「良きイゾを持った事よ」

 と言い放つ。

 その言葉に強い反発を覚え、勢いよく立ち上がる。

 「それは彼が望んでいる事ですか?」

 「無論」

 グランサの簡潔な返事に驚きと絶望が沸き起こり、目眩がしてきたソレルはもうここには居られないと強く思った。何の為に連れて来られたのか、漸く理解した。震えそうな手を強く握りしめた。

 「この話はお断りします。ごきげんよう」

 そう言ってくるりと背を向けて出て行こうとした時、ある事が起こった。

 ソレルはある箇所から一歩も踏み出せない。

 何もないのに何かに阻まれたようにそれ以上進めずにいる。必死に前へ進もうとするがピグマが柔らかく彼女を捕らえて離さない。

 不思議そうにしているとくぐもった笑いが背中に投げつけられる。 

 「それがハルストで見つけた面白いものか」

 グランサが何を言っているのか、ソレルは視線を巡らす。

 部屋の隅に静かに立っているミレイシャの手にある筒が目に入った。それは別邸から連れ出された時にも持っていた物。

 ソレルが何か言おうとするとまたも言葉が封じられた。音は聞こえているが自分の声だけが聞こえない。口を開いて閉じてを繰り返す様子が面白いのかグランサはさらに笑う。

 「いいぞ。そのまま明日船に乗せろ」

 笑い続けるグランサにミレイシャは冷静に尋ねる。

 「グランサ殿。約束のものを頂きたい」

 「無論だ」と答えるとミレイシャの足下に何かを放り投げる。ミレイシャは一瞬不快な表情を見せたがそのまま足下のものを拾う。それからソレルの側に来ると「戻る」と囁いた。操られるままソレルは退出する。グランサにも目の前のミレイシャにも何も言えず、抵抗も出来ずにもといた部屋へ戻された。



 ソレルは寝台に寝転び、天井を見つめながらもう一度脱出方法を考えていた。

 先ほど窓から出られるか探ってみたがさっきと同じような感じで外へ出られず、扉の外も十歩ほど進むとまたもやピグマに阻まれてそこで終わり。

 どうやらソレルは決まった範囲だけ自由に動けるようで、それ以外はピグマに阻まれる。だから拘束されず、見張りはいるが何度も欠伸をしていたのか。

 こんな時シャトウィルドがいてくれたら、などとのんびり考えてしまった。だが彼はソレルがゼルダにいると知らないし、助けようと動いているかもしれないが、間に合うかという問題があった。グランサは明日ハルストへ向かう船に乗せると言っていたので砕壁船さいへきせんの駅へ行くのだろう。その時に隙をついて逃げ出せるか。まさかここへ砕壁船さいへきせんが来るのか? 普通ならありえない事だ。それならどのくらいの猶予があるだろうか。次々と算段が浮かんでは自分は何てこんなにも弱いのか、と気持ちが崩れてしまいそうになる。

 (兄さんもいたし、シャルが探してくれていたらいいのだけれど)

 ソレルは体を起こし、耳、首もとを探る。何も着けていない。ソレルの装身具にはシャトウィルドが細工を施してくれている。それは彼女がどこにいるか分かるものだったり、たわいない小者を楽に退治出来るものだったり、時には無害な煙や光を出して惑わしたり。色々なシャトウィルドの発明が組み込んである。

 どうしてこんな時に身に付けていないのだろう、愚かな自分を責めるソレルだったが、別邸では眠ってしまっていた事を思い出す。今度から何か一つは身につけておこうと強く決意する。そんな先があれば、の話だが。

 長く息を吐くと、これからの自分を思い浮かべてみた。本当に彼は自分のイゾを誰かに贈ろうとしているのだろうか。彼は、何かしらの対価を求めてでも得たいものがあるのだろうか。そんな人になってしまったのだろうか。ソレルの記憶の中の彼は決してそんな事はしないはずだ。もし、そうなら、せめて自分で頼んでほしかった。きちんと説明をして自分を納得させてほしかった。少しの寂しさが去来する。

 でも、命をあげるわけにはいかないが。

 鬱々とした感情に支配されながら頭の中も空っぽにしていたら、お腹が空いていると気づく。

 「おなかすいた」

 言葉にしてみたけれど、そうすればすぐ食べ物が出てくるわけではない。

 空腹であると自覚するともっとお腹が空いてくる。ソレルは叫び出したい衝動を堪えた。本当は叫びたかった。お腹空いた、お菓子食べたい──と。

 次にきた衝動は怒りだった。

 (イゾが欲しいって、どうやって? 見えないし、掴めるものじゃないし、莫迦じゃないの?)

 心の中で思いっきり罵ってみたが意味は分かっていた。イゾを欲するとはイゾを傷つける事。悪意や何らかの意図をもって殺害するとイゾは傷つく。あの本の通りになりそうだと思う。ダルーナの先生から記念にと譲られた、蔓模様の背表紙本。

 あの本にはルミータイゾの再現者は短命のうえ残酷な死が来るであろうと書いてあった。先生は何故あの本をソレルに譲ったのか、その真意は分からないが、今のソレルの役には立たない。むしろ追いつめているような。

 ぼんやりと壁を眺めていても空腹感しかない。もう食べ物の事で頭が一杯になり、自分のイゾを欲しがる誰かなどどこかへいってしまっている。

 頭の中では今まで食べた美味しいものたちが列をなして思い起こされている。その一つ一つにこの味がどうの、あの食感がどうの、あっちよりこっちの方が好みだとか、いやそれよりやっぱりあの職人は凄いだとか間欠泉のように吹き出している。それを静める為に寝台に突っ伏してただただ我慢していた。あるいは拷問ともいえる。


 「飯だ」

 そう言って見張り役がお盆を持って入って来た時、ソレルはひどい空腹に襲われており、不機嫌になっていた。

 見張り役はお盆を置いてさっさと出て行き、湯気のでている器を凝視したソレルはゆっくり近づいて、不快な顔をした。汁物からの強い刺激臭に眉間に皺が寄る。薄焼きのパンのようなものは黒ぐろとして焼きすぎのよう。野菜のようなものは形が崩れて、これも強い香りの何かがかけられている。器をじっと見つめ、

 「美味しくなさそう」

 とひと言。

 未知のものを見ているような目つきで用心しながら汁物をひと掬い。口へ運ぶと間髪入れず、

 「まずい」

 本心から出た言葉だった。

 結局口へ入れたのは水だけで、ソレルは空腹を抱えて一晩過ごした。

 翌朝も水と果物しか食べられるものがなく、餓死が目的なのだろうかと思いようになっていた。それなら自分を殺せる、と自暴自棄に陥る。



 空腹とハルストへ送られるという恐怖を抱えて窓の外を眺めたが霧の為見通しが悪い。まるで今の自分のようだと思っていると、風に乗って花の香りが漂う。

 いつここを出されるのだろう。いつ来てもおかしくない。結局シャルは、兄は間に合わなかった。どこにいるのか、何の為に連れ去られたのかもしらぬまま、彼らとは永遠の別れになってしまうのだろう。

 朝になって<ルーシ>による脱出を試みたのだが、ソレルの<ルーシ>は弱い為ピグマを破るという荒業は無理だった。小さな穴を開けるのが精一杯で、本当に自分は役立たずだとさらに気落ちしただけだった。

 そんな時、一人の少年がソレルを訪ねて来た。はて、何の用だろう。ここで知り合いがいるはずもなく、見張りが通したのなら害はないだろう。そう思って会ってみる事にした。

 少年は籠一杯の果物を持って現れ、俯き小柄で痩せた体を震わせている。まるでソレルに怯えているような。それでも少年は顔を上げて籠を差し出した。その表情は泣き出す寸前でその直後、勢いよく平伏し、ひたすら謝罪を繰り返した。

 「ごめんなさい。ごめんなさい。許してください。どうか許してください」

 突然の事に驚き、何を許してほしいのか理由を尋ねるが少年は謝るだけで何も言おうとしない。

 困ったのでしゃがみ込んで視線を合わせて話そうと少年の肩をそっと上に向かせた。軽く骨ばった肩に憐憫の情が湧いてくる。

 「ねぇ、どうして謝っているの? 私に何かしたの? 覚えがないのだけれど」

 出来るだけゆっくり優しい口調で言った。

 「名前は?」

 少年は少しづつ息を吸いながらじっと翡翠の瞳を見つけ返す。潤んだ黒い瞳はとても澄んでいた。

 落ち着いてようやく話を始めた少年に名は無かった。捨て子か孤児か、とにかく彼に親はいない。物心がつく頃には同じ境遇の子供達と共に下働きをして日銭を稼いでいたそうだ。ある時数人の大人がやって来て、良い仕事があると言って子供を何人か連れて行った。その中の一人だった彼はある女に買われてここへ来た。主に掃除と賄いをしている少年は昨日ソレルが食事を残したのが気になり、見張りの男に聞いたら「まずい」と言っていたと教えられた。大変な事をしてしまったとこうして謝りに来たと説明した。

 何故大変な事をしたと思ったのか、それを尋ねるとなんとここでは女の人に逆らってはいけない、そうだ。女の人とはミレイシャの事か、とソレルは聞く。他にも二人いるがその人達は厳しくていつも怒られていると少年は答えた。

 それで賄いは素人の為、言われるがままの味付けで出しているそうだ。味を楽しむという事は今までなかったので彼には分からないものだった。

 (それなら美味しくなくて当然ね)

 ソレルは心の中で呟く。

 謝罪をして気が済んだのか、少年は驚く事を尋ねてきた。どうすれば美味しいものを作れるのか。勿論ソレルにもそんな技は持っていない。しかし味を見る事には自信がある。そこである提案をしてみた。

 すると少年は目を輝かせて喜び、厨房とソレルの部屋を何度も往復する事になった。

 捕らわれの身でもうすぐ連行されるにも拘わらず、少年との交流が始まった。

 ソレルがハルストへ送られるまで、あと・・・・・




 ミレイシャは秘密の通路を出てパテロ-ゼルダへ戻って来た。厳しい表情で瞳には炎をたぎらせて。

 「姐さん」

 黒髪の女が声を上げて走り寄る。

 「姐さん、来て。サフィが」

 ミレイシャは慌てて彼女と共にサフィ、白髪の女がいる部屋へ向かう。彼女が何の為に自分を呼びに来たのか分かっているからだ。

 サフィがいる部屋は彼女専用に設えた治療室。

 サフィは生まれつき何もかもが白かった。色を持っていなかった。その為実の親に気味悪がられて幼い頃に捨てられ、見世物小屋の主人に拾われる。そこで何をしても色が変わらない特殊な肌を見世物にされた。すぐ逃げ出す事が出来ずしばらく耐えて過ごし、のちに隙を見て脱走する。そして同じく捨て子だった黒髪のガラと出会う。二人は初めて会ってすぐ共感を覚えた。

 その頃ガラは怪しい組織の下っ端をやっていて、組織の作った薬を売り歩いていた。そしてサフィも彼女と一緒に怪しい薬売りを始める。

 そうして薬売りを何年か続けていた時、ミレイシャと出会う。その頃サフィは時々高熱を発していたのだが医者に診せるという事は知識として知らなかった。

 当時ミレイシャはハルストで医学と薬学を学んだ後で、闇市で売られている無認可薬について調べていた。

 ミレイシャが非公式市場で薬の調査をしていた時、近くにいたサフィが突然高熱を出した。一緒にいたガラはどうしたらいいか分からずひたすら名前を呼ぶだけ。それに気づいた彼女は様子をみてすぐに処置が必要と判断。二人はミレイシャが身を寄せている医院へ連れて行かれた。

 そこで詳しく調べてみると非常に珍しい症状で、興味を持ったミレイシャは彼女達を引き取る事にした。

 こうしてガラとサフィは怪しげな薬売りから足を洗う事になった。不思議な事に組織は二人を探そうとも始末をつけようともしなかった。

 サフィの症状は見世物にされていた時の名残のようなもので突発的に体から熱を発するとミレイシャは判断した。それは彼女の白色の肌と何らかの関りがあると思われる。

 サフィを治せるかもしれない薬を作る為、ミレイシャは彼女達を連れてアンダステへ戻る決意をする。

 ミレイシャの故郷であるパテロ-ゼイラーには万能薬の樹と呼ばれる木がある。その名の通り、あらゆる怪我、病を治すといわれるその木から作られた薬の効き目は抜群。そして作り、売るという事を繰り返すうち木は痩せていった。

 薬がつくれないほど弱った木に誰も見向こうとしなくなって何年か経つ頃、一人の少女が木を蘇らせる。彼女は癒しの手を持っていた。その木は癒しの手によってすっかり蘇っているはずだった。


 ミレイシャはサフィの様子をひと目みて、寝台に流す水の栓をひねった。冷たい水が流れるとサフィの息づかいが穏やかになっていく。僅かに目を開けてミレイシャを認めると微笑んで再び目を閉じる。

 寝台は表面に温度を伝えやすい生地を使い、その真下を冷たい水が流れて背中から体を冷やしていくようになっている。

 水が流れて行くのを確認してからサフィの額に手を当ててみると思ったより熱い。高熱を出していても彼女の顔は真っ白で汗もかいていない。寝台に触れると水はぬるくなってきている。

 その様子を見ていたガラは青ざめた顔を向けてミレイシャにすがる。

 「姐さん、サフィは」

 栓をさらに開けてガラを振り返る。

 「ごめんなさい」

 「薬は? 薬があれば何とかなるんでしょ?」

 薬を言われてミレイシャは唇を噛み、

 「木が──薬を作る木が枯れていた」

 喉の奥から言葉を絞り出して続けた。

 「あの状態では薬は作れない。本当にごめんなさい。わたくしがこんな所まで連れて来てしまったばかりに・・・」

 サフィはピグマの壁を越えてから熱が出やすくなっていて、ミレイシャは熱を抑えきれない自分に怒りを覚えていた。

 「あなたはサフィを連れてハルストへ帰りなさい。サフィの体力を回復させてから砕壁船さいへきせんに乗って」

 「嫌だ。姐さんも一緒に行こうよ。一緒に帰ろうよ、ねぇ」

 医療はアンダステよりハルストの方が進んでいる。

 ガラの言葉にミレイシャは母親のような笑みを浮かべてから彼女を抱きしめた。母親というより歳の離れた姉妹といってもいい。今まで医者と患者、その家族として接してきた。自分を慕って信じてくれた。けれどアンダステへやって来てそれ以上に親しくなっていたと今更気付いた。この子達が愛おしい。

 そう思ったらやるべき事は決まっている。

 「わたくしはまだここでやる事があります。わたくしの、わたくしだけの落とし前をつけなければ」

 「だったら待ってる。待ってるから、一緒に帰ろうよ」

 さらに食い下がるガラにミレイシャははじめて嘘をついた。

 「わかったわ。でも先にパテロを出るのよ。待ち合わせ場所は砕壁船さいへきせんの駅ね」

 再び笑みを向けて言う。二人がすんなりと行ってくれるように。

 ガラは納得したようで、頷いて笑い返した。

 それからサフィを寝台ごと運ぶ手配をし、ミレイシャは自分の持つほとんどの物をガラに預けた。先に駅でハルストへ移動する手続きをしておくように伝えて。

 二人をパテロ-ゼルダの港へ送ってからミレイシャに残されたものは二つのもの。一つはソレルを操る為の筒、もう一つは彼女の最高傑作というべきもの。

 筒は見つけやすい所に置いた。厨房の少年がソレルの所へ何度も往復している事に気付いていたから。きっと少年がこれを見つけるだろう。

 そして最後に残ったものだけを手にあの男のもとへ向かった。













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