第18話 ちゅー……して
「――はい。ってことで皆さん、こんばんは。伊波です。何か久々な感じしますね」
:こんばんはー
:待ってました!
:初見です
:ハクさんが私服着てる!?
:伊波そこどけ、ハクさんだけ映せ
配信開始早々、コメント欄は既にお祭り状態。
猫宮さんに貰った服をいまだに着ていることに、多くのリスナーが狂喜乱舞している。
「どくわけないでしょ。ってことでね――」
:むしろ伊波さんをもっと映して
:逆に伊波さんがスーツ着て料理するとか?
:あり!!!! 超あり!!!!
:スーツ代出すので着てください!!
:いっそ私をスーツにして
:じゃあ私は革靴がいいです
熱狂的なハクさんファンに対抗するように、俺へのコメントが加速した。
そしてなぜか、スーツ代と称して投げ銭合戦が始まる。……いやいや、まだ何も始まってないんだぞ。勘弁してくれ。あと、何人かやばい奴いないか……?
元々うちのチャンネルは女性リスナーが多かったが、カップルチャンネル扱いされ始めてから更に増加した。それも二十代以下の若年層が増え、コメント欄が放課後の教室のように騒がしくなっている。
「皆、伊波のお話聞いて? 伊波が困ってるよ?」
:おいお前ら、ハクさんがああ言ってるんだから黙れよ
:正座しときます
:ごめんなさい伊波さん
:すみません
:ハクさんの正妻力が眩し過ぎる
:さすが嫁
:さす嫁
一瞬で静まり返ったコメント欄。
ハクさん、すげぇ。
たった一回一人で配信しただけで、リスナーの調教の仕方を身に着けてしまった。
……ただ、気になるコメントがチラホラ。
何だよ、正妻力って。付き合ってすらないんだぞ、こっちは。
「今日、本当はハクさんに料理を教える予定だったんですが、色々と事情がありまして。これらを食べながら、ゆるーく話していこうと思います」
「私、これ食べたい! ずーっと気になってたの!」
そう言って、卵焼きが入ったプラのパックを指差した。
輪ゴムを取って蓋を開け、中身とご対面。
綺麗な黄金色の卵焼き。
本当は包丁で切った方がいいのだが、面倒くさいので箸で豪快に一口分だけ取る。
たっぷりと出汁を含み、今にも崩れ落ちそうなほどぷるぷる。
バクッと頬張ると、程よい塩気と卵の甘みが口いっぱいに広がる。
……あぁ、すごい。
流石は専門店。このレベルに到達するまで、どれほどの苦労があったか。
俺には到底再現できない逸品だ。
「うんまぁあああああ!? 何これちょーうまっ! こ、これがジャパニーズオムレツ……!! こんな美味しい卵料理があったなんて……!?」
ガタガタと震えるハクさん。
それほどまでに美味いという証拠。
うん、わかる。わかるぞ、これは美味い。
ただ、その……もうちょっと俺の分を残しておいて貰えると……。
そう思った矢先、ハクさんの箸が最後のひと切れ攫ってしまった。……まあいいか。また今度買おう。
:そんなに美味しいの?
:どこのお店ですか?
「丸富士屋というところです。興味があったら買ってみてくだ――ごふぅっ!?」
ハクさんが俺の口に卵焼きを捻じ込んできた。
突然のことに目を白黒させていると、彼女は「あ、ごめん」と眉尻を下げた。
「伊波の分まで全部食べちゃいそうで、悪いなと思って。……私が一口食べちゃったけど、それで足りる? もっと食べたかったなら、ごめんね?」
「えっと……いや、大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」
:間接チューだ!!
:チューした!!
:チュウチュウ!!
:今すぐ吐け。言い値で買い取る
うるさいな、こいつらは。ネズミかよ。
こっちは大人だぞ。間接キスくらいで何を……ま、まあ、ちょっとドキドキするけど。
「伊波、これも食べなよ。すっごく美味しいから!」
「いや、あの、自分で食べられ――」
もごっとメンチカツを口に放り込まれた。
冷めているのに、サクサクジューシー。
精肉店の揚げ物はどうしてこんなに美味いのかと感服するが、食べさせられるという行為が恥ずかしくて反応に困る。
「俺に構わなくていいですよ。自分で食べられますし」
「へへー。だって楽しいんだもん。伊波、わかりやすく照れてくれるし」
わかった上でやってたのか……。
よし。ここは一つ、お仕置きしてやろう。
「じゃあハクさんも、ほら、口を開けてください」
コロッケを箸で持ち上げて、ハクさんの口元へ持っていく。
題して、同じことを自分もやられたら恥ずかしいだろ作戦。
俺と同じ気持ちを味わえば、彼女も以後は自重するだろう――と、そう思っていた。
「ありがとう! いただきまーす!」
ハクさんは満面の笑みを浮かべ、コロッケを頬張った。
み、微塵も効かない、だと……。
:伊波顔真っ赤で草
:ウブな伊波さん可愛い……!
:照れるならやらなきゃいいのにww
仕方ないだろ。
ここまで恥じらいがないと思わなかったんだから。
「伊波ー、伊波ってばー」
「はいはい、何ですか?」
「んあー」
燕の雛のように、ハクさんは口を開けて待っていた。
……あぁ、なるほど。
もっと食べさせて、という意味か。
:えっっっっろ!!!!!!
:もうちょっとアップで見せて
:できればこう、舌も出してもらったり……
「……ハクさん、ちょっと待ってくださいね」
「え? うん、わかった!」
ニッコリと微笑みかけて、スマホに手を伸ばす。
その手のコメントをした奴らを、問答無用でブロックする。
可愛いだの綺麗だのと騒ぐのはいいが、露骨な下ネタは流石にアウトだ。俺は何を言われてもいいが、ハクさんへのそういったコメントは見ていて気分が悪い。
「どうしたの伊波、顔怖いよ? 私、何かしちゃった?」
「ハクさんに悪いところなんて一つもありませんよ。ただちょっと、下ネタが目に余る感じだったので。皆さん、気をつけてくださいね」
:了解です! 気をつけます!
:ちょっとさっきのは気持ち悪かったよね
:流石彼氏、仕事が早い
:さすカレ
:付き合ってどれくらいなんです?
:二人目の彼女、欲しくないですか?
俺の言動に皆が賛同してくれたのは嬉しいのだが、何やら妙なコメントが目立つ。
「えーっと……今一度このあたりを整理しておきたいんですが、俺たちはそういう関係じゃありません。ただの友達ですから」
「ふ、二人目とか作っちゃダメだよ! 仮に付き合ってたら、私一筋じゃなきゃ嫌だからねっ!」
「あの、今そういう話をされると非常にややこしいことに……」
:やっぱり付き合ってるじゃん
:何で隠すの?
:事情あって表沙汰にできないとか
:訳ありの恋ってこと……!?
ハクさんが意味ありげなことを言ったせいで、おかしな憶測が生まれてしまった。
「だから違いますって! 訳ありとかそういうことではなく――」
その後、十分、二十分と、俺たちが付き合っていないことを懇切丁寧に説明した。
しかし、誰も聞く耳を持たない。
……訳ありとか思われたら、もう否定するだけ無駄だよな。
訳があるから肯定できない、って理屈になるんだし。
はぁ、頭がズキズキする。
一旦クッキーでも摘んで落ち着いておこう。
――ボリ、ボリ、ボリ。うん、美味い。
ナッツの食感、チョコチップの甘さが最高だ。
この店の焼き菓子、どれも絶品なんだよな。
「いなみー」
「はい?」
「いーなーみー」
「何ですか?」
「いなみー!!」
「だから何ですか――って!?」
返事をしつつもクッキーを貪っていた俺は、彼女があまりにしつこいので手を止めて視線を横へ流した。
とろんと蕩けた、銀の瞳。
ふやけたお麩のようなやわらかな笑み。
その顔には既視感があった。
以前、二人で焼肉をした時に見せた顔。酔った時のハクさん。
何でだ、酒なんて買ってないだろ!?
……あっ。
これ、もしかして……。
「ハクさん、これ全部食べたんですか……?」
「うぅん! おいしかったー!」
くしゃくしゃに丸められたウイスキーボンボンの包み紙を見て、俺は察する。
これは買っていない。おそらく、どこかで貰ったのだろう。
いやしかし、前回のことで酒に弱いことはわかっていたが、ウイスキーボンボンで酔うとは。
……ま、まずいぞ、これは。
「うにゃーーー!!」
「ちょっ!? は、ハクさん!?」
:えっ?
:大丈夫これ?
:BANされちゃいますよ!?
:うぉーいけいけー!!
俺を押し倒して、ハクさんは馬乗りになった。
そして俺の胸に手を置き、切なそうに眉を寄せる。
「うぅー……うぅー、なんでぇ。なんでさぁー」
「な、何がですか?」
「付き合ってない、付き合ってないって……何でそんな、必死にゆーの? わたしのこときらい?」
:そうだぞ! 言ってやれハクさん!
:どんな訳があるかは知りませんが、彼女の前で変に誤魔化すのは可哀想ですよ
:もう正直になろうぜ
……勝手なことばっかり言う奴らだな。
しかし、本当に困ったことになった。
元々この人は人懐っこい性格だが、酔うとそれがブーストされアクセルがぶっ壊れる。好き好き暴走列車になってしまう。
「す、好きですよ。ただそれは友達としてって意味ですし、現に付き合ってないわけじゃないですか。だったら勘違いは正さないと、ハクさんに失礼だと思いまして」
「――……ないもん」
「は、はい?」
「失礼じゃないもん! わたしうれしいもん! いなみと、そーゆーふうにみられるの、わたしうれしいもんっ!!」
:うぉおおおおおおおおおおおおお!!!!
:ハクさん言ったぁああああああああああ!!!!
:ここ切り抜き確定
:伊波さんが逃げられないよう、あちこちに拡散しときます
おいおいおいおい!!
やめろ! この人は酔ってるだけなんだぞ!
もうダメだ。配信を切るしかない。
これ以上続けたら、本当に後戻りできなくなる。
「痛っ!?」
配信用のスマホに手を伸ばすも、すぐさまハクさんに手首を掴まれた。
「うぅー……どこいくのさぁー……」
「ど、どこも行きませんよ。ちょっとスマホのバッテリー残量を確認しようと思って」
:こいつ嘘ついてます
:ハクさん騙されないで!
:配信時間からして、まだまだバッテリー残ってるはずですよ
「……みんな、バッテリーはだいじょうぶってゆってるよ」
ふざけんなお前ら!
そこはちょっとくらい協力しろよ!
「わたしから逃げるの……?」
「に、逃げませんよ。そんなことするはずないでしょう?」
「うーそー! うそつきー!」
「じゃあ、どうやったら信じてくれるんですか……?」
赤く焼けた頬。
こちらを見つめたまま震える瞳。
銀の髪がハラハラと零れ落ち、俺の鼻先をくすぐった。
朱色の唇は躊躇いがちに何かを紡ぎかけて飲み込み、一拍置いてもう一度動き出す。
「……ぎゅってしながら、ちゅー……して……っ」
視界の端に映るコメント欄は、過去類を見ない速度で加速していた。
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