波の下の国(二)

 仕事で営業なんてやってると色々な人に遭遇する。それなりに対人スキルを伸ばしてきたような気がしてたけど、どうやら私はまだまだ修行が足りていないようだ。

 うまい返しが出てこない。


 困惑する私を見て、その人は楽し気にふふ、と笑った。


「まあ祭壇は冗談として。……ふむ、そうさな。わらしを助けたそなたのその心根に褒美をやろう。久方ぶりにこうして人と言葉を交わすのもまた気分が良い。我に名を付ける誉れをくれてやる。ほれ、なんぞ好きに呼んでみよ」


 なにそれ。

 酔った部長ですらなかなかしないぐらいの無茶振りですけど。

 正解が見えないし。そんなご褒美全然欲しくありません。いらないです。


 これは、なんて答えるのが正解なんだろう。私如きの営業スキルでは太刀打ちできない感じがする。


 またまたー、とかって冗談で流していい……やつではなさそう。

 なんかすごいわくわくした目で見られている気がする。すごい期待されてる。


「ほれほれ」


 期待しています、とその全身が告げている。これまで横を向いていた身体を私に向けて座り直し、やや前傾姿勢。


 明るい色の瞳が爛々としているような気すらしてきた。綺麗な色。カラコンだろうか。


 これは、辞退とか許されないやつだ。

 いいや、なんかもう、適当な名前を言って済ませてしまおう。


 とはいえ、相手は命の恩人。太郎とか一郎とかいかにも適当ですみたいなことで済ますのも、微妙に良心が咎める……めんどくさい……!


 なんかすごい美人さんだから、それっぽい……なんかこう、絵みたいな……。

 こんな風に追いつめられると焦って何も出てこない。

 なんかもう既存の名前でいいや。誰か、そう、画家の名前とか。


「……じゃあ……えーと、アルフォンス・ミュシャで……」


「うん? ある……?」


「ユメジ。夢二ゆめじでいきましょう」


 平安貴族にアルフォンスは無かった。

 秒で微妙な空気を察知した私は、画家繋がりで咄嗟に出てきた日本人の名前に言い直した。


 竹久たけひさ夢二ゆめじの夢二。


 歌麿うたまろよりありだと思う。


 うん。悪くない。なんかこう、儚げな感じも夢二って感じだし。

 咄嗟に出てきたにしては悪くない気がする。


「竹久夢二の……えっと、眠る時の夢に、数字の二、で、夢二ゆめじ


「なるほど、言い得て妙じゃの」


「じゃあ夢二さん」


「さんはいらぬ」


「夢二」


「うむ」


 満足げに頷く顔に、思わず笑みが零れた。

 平安貴族みたいな姿に喋り方、おかしな人だと思うのに、ちょっとだけ可愛らしい気がする、とか成人男性相手に言ったら、気分を損ねてしまうだろうか。


「じゃあ夢二。改めて、助けてくれてありがとうございました」


「……」


 じっとこちらを見たまま黙り込んだ夢二に、何か粗相があっただろうかと首を傾げる。

 眼福、なんだけど。なんだろう。謎の緊張感がある。


「……いや、そうか。これはなんとも、面はゆいものよの。いやはや、思いのほか、悪くない気分だ」


 おっと、これは……。

 いえいえ、むしろ、こちらがごちそうさまです。

 美人さんが素っぽく笑う表情に、ここまでの破壊力があろうとは。


 うっかり、ときめいてしまいそうだ。

 傾国とか、人外の美貌とか、普段決して使うことのない言葉が浮かぶ。それでいて、妙に親しみやすさがあったりして。


 うん。なるほど。

 もしかしたら私はこういう人が好みだったのかもしれない。

 難儀なことですね、と他人事のように思ったりする。


 考えてもしょうがないことから意識を反らすために、周囲を見渡した。

 まあさすがにいつまでもこんなところでびしょ濡れでいるわけにもいかないし。


 目の前には穏やかに流れる川がある。

 堤防もなく、石や岩が転がり、草地が続く川岸。

 こちら側は草地と、その周囲を竹やぶに囲まれている。

 対岸の向こう側には、やや時代がかった、趣のある街並みが見て取れた。


 この辺に、あんな場所あっただろうか。

 景観指定区域とか、映画のセットのような。


「あの、ここはどの辺りでしょうか。荷物も全部失くした、というか置き去りにしたというか……、交番とか近くにあるとありがたいんですけど」


 立ち上がりながら訪ねると、夢二は私を見上げ、少しだけ首を傾げた。


「……ここに、そなたの望むものはなかろうな」


 立ち上がると、裸足の足の裏に草がちくちくする。濡れてるからなんか色々貼り付くし。何よりこれ、歩いたら小石で足の裏切りそうだな。

 ちょっとぐらいは、しょうがないけど。


「もうしばし大人しゅう待っておれ。そのうち迎えが来よう。ここはアレの庭のようなもの。外から入れば必ず気付く」


 今度は私が首を傾げた。

 何を、言っているんだろう。さっきから、いや、初めから、言われることがわかりそうでわからないことばかりだ。


 気付けば、夢二の表情から親しみやすさが消えている。


「一度しか言わぬゆえ心して聞け。名の礼だ」


 美しい所作で、夢二も立ち上がった。随分と背が高い。たぶん180cm以上優にある。

 真っ白な着物もまたとても綺麗だと思う。着崩した衿や袖から除く、下に着ているらしい着物の、深い青の布地は海のような色だ。


 高い位置から見下ろされるその眼差しが、私を落ち着かなくさせる。先ほどまでのゆったりした、風変わりなお兄さんではない。


「茶は、飲むな」


 閉じていた扇が再び開かれる。


「そなたにとって、ここは異界だ」


 口元を隠した夢二の表情は、もう分からなかった。


 言われた意味も、咄嗟には分からない。


 少し離れたところから物音が聴こえてくる。

 映画やドラマで聴いたことがある、馬の蹄の音。


 ……え、馬?


 夢二が私を見据えたまま、一歩後ろに下がった。


 複数の人の足音が近付いて来る。

 音がする方を向いた。

 馬の嘶きが聴こえる。竹藪が大きく揺れている。


「ここはわれえがきしうつし世の国。泡沫うたかたの夢の果て。波の下のみやこ。……どうかゆるりと、していくがよい」


 目を離したのはほんの僅かな時間。

 振り返ったそこに、夢二はもういなかった。


 それなのに、明瞭な声だけが耳元で聴こえてきた、そんな気がした。


 声だけを残して、消えてしまった。

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