第2話 幼馴染との再会

 下野マテリアルズの工場は静寂に包まれていた。 

 いつもなら機械音がうるさく響き渡る工場も、休みである土曜日は静かだ。


 工場の2階にある自室で、下野夕貴は勉強していた。

 景気がいいころなら土曜日に休日出勤することもあったが最近はなくなり、平日も昔なら6時過ぎても機械音が鳴り響いていたが、今では学校から帰ってくる4時過ぎには静かになっている。


「来週までに300万用意しないと、手形が不渡りになる」

「あなた、どうするの?何かあてはあるの?」

「ない。銀行の追加融資は断られた。あとは商工ローンしかない」


 工場が静かなことで廊下を挟んで反対側にあるリビングからから、両親の会話が漏れ聞こえてきる。その会話の内容は、僕を絶望的な気持ちにさせた。

 手形が不渡り、商工ローンからお金を借りる、その意味は高校生の僕にはわからないが、両親が暗い感じで話しているところをみるとかなりまずい状況であることぐらいは分かる。


ピンポーン―——


 チャイムの音が鳴った。


「ごめん、夕貴出てきて」


 来客に対応する気力も失った母から頼まれて夕貴は1階に降りて、玄関のドアを開けた。


「下野君、久しぶり」


 黒く艶のいい長い髪を後ろで一つに結び、スラリとした長身の体形に、整った顔立ち、一目見た印象は国民的美少女。

 なんで、こんなかわいい子が僕の名前を知っているのか疑問に思った。僕は必死に記憶の糸を手繰った。

 中学が同じなら、こんなにかわいい子の名前を忘れるはずはないし、となると小学校時代。順に記憶を遡っていく。

 顔の輪郭などは大きく変わっていて、唇は厚みを増してふっくらとしていたが、そのキリっとした目に見覚えがあった。


「ひょっとして、上園なのか?」


 上園葵。その名前を口にした途端、封印していた記憶がよみがえった。

 事あるごとに僕の頭やお尻を叩いてきて、上靴や音楽のリコーダーが隠されたのは一度や二度ではない。

 給食の時、食べかけのプリンをちょっとよそ見していた隙に奪われたときには、5年生だったにもかかわらず泣いてしまった。


 もちろん、担任に虐められていると何度も訴えたが、僕以外の前では優等生な彼女は先生を味方につけており、「きっと下野君のことが好きなのよ」としか言われず虐められていることを信じてもらえなかった。


 中学から彼女は私立の中高一貫に行くと聞いた時には、これで離れられるとほっとしたものだった。

 そんな彼女が、5年ぶりに僕のもとに戻ってきた。


「ようやく思い出してくれたようね」


 前髪を耳にかける仕草が色っぽい。5年間という時間は、女の子を女性に成長させるには十分な時間だったようだ。


「それで、なにか用か?」

「まあ、ちょっとね。お父様いらっしゃる?」

「まあ、いるけど」

「じゃ、お邪魔するね」


 そう言って、彼女は僕の同意も待たずに玄関を上がっていった。彼女一人かと思ったら後ろにスーツ姿の男性が二人いて、その二人も彼女に続いて玄関を上がった。


「初めまして、四菱銀行の半沢と申します」

「上園電工の橋本です」

「どうもはじめまして。下野マテリアルズの下野です」


 3人の後を追って2階のリビングに上がったころには、父と男性二人の名刺交換が行われていた。

 有名企業相手に父親は緊張で固まり、母親はお茶を淹れてくると逃げるようにリビングから出て行った。

 僕も部屋の片隅に座り、事態の成り行きを見守ることにした。


「そのような大手銀行と、一流企業の方がこんな町工場に何か御用でしょうか?」

「銀行からは1000万円の融資と上園電工からは仕事の発注よ」


 上園葵は大人である父親相手にも臆することなく、はっきりとした口調で要件を述べた。


「融資と発注!?それは助かりますけど、なんで?」

「まあ、人助けかな。幼馴染の工場が経営危機って聞いて、祖父にお願いして助けてもらうことにしたの。じゃ、あとの詳しい話はお願い」


 男性二人はカバンから書類を取り出し、契約条件について説明を始めたのを見届けた後、彼女はリビングのテーブルから席を立ち、リビングの端の方にいた僕のもとへと近づいてきた。


「なんで助けてくれるの?小学生のころ、虐めていた償いのつもりか?」

「もちろん、条件はあるわよ」

「条件って?」


 彼女は僕の返事を待つことなく、電話を始めた。通話を終えると、僕の方を振り返った。


「条件は、夕貴が私と同じ学校に転校することよ」


 転校?いや、そのまえに葵の通う学校って、たしか。そこまで思いが至ったときに、再び玄関のチャイムが鳴った。


「鮫島さん、2階にあがってきて」


 家の主を差し置いて葵が声をかけると、階段を上がってくる音が聞こえてきた。

 タイトスカートのスーツをかっこよく着こなした中年の女性が段ボールを抱えて、リビングに入ってきた。


「夕貴、プレゼントよ」

 

 段ボールを開けてみると、制服っぽいプリーツスカートと紺色のブレザーが入っていた。


「これって?」

「そうよ、桜ノ宮女学院うちの制服よ。月曜から通えるように転校の手続きは済ませてあるから」

「なんで、男の俺が女子高には入れるだよ」

「夕貴のことは、体と心の性が一致せず悩んでいる高校生ということにしておいたから。LBGTでダイバーシティな時代に合わせて、学校側も受け入れた方がいいよってアドバイスしたら、OKもらえたよ。もちろん、これはちょっとかかったけど、気にしないで」


 葵は右手の親指と人差し指で輪っかを作った。上園家の財力を使って、強引に言い分を通したようだ。


「女の子に成りたいと思ったことはないよ」

「そういう設定だから、役になりきってね。もしトランスジェンダーじゃないってバレたら、女装して女子高に潜入した変態がいるって、面倒なことになるよ」

「途中でボロがでそうだし、そんなリスクをとりたくないよ」

「夕貴に選択権があると思う?」


 両親の方はすがるような表情でこちらを見ている。イヤな話だが、受け入れるしかなさそうだ。


「わかったよ。でも、なんでこんなことをするんだ。上園おまえにとって、こんな町工場どうなってもいいだろう」

「どうしてって、面白そうだからよ。平凡な学校生活も飽きてきたから、なにか面白うな事して青春の一ページを彩りたいの」


 こうして、上園葵かねもちの道楽に振り回されて、僕の女子高生活が始まった。



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