19.「そんな言えないことなわけ?」

「だっ」

 野太い声が出た。

「あ、すんません!」

 するとすぐに後ろからぞろぞろと一列に連なった男子生徒が走ってくる。私に手を差し伸べた男子が着ているユニフォームを見て、私は思わず「げ」と声を出してしまった。

 白い道着に黒い帯。空手部!


「うわ静葉なにしてんの」

 後ろから顔をのぞかせたのは、今一番会ってはいけない人物だった。

「町屋さん、すんません。自分が不注意でぶつかりました」

 彼はおそらく後輩なのだろう。私と隼人を見て交互に頭を下げている。

「いいよ、次気をつけろ。ケガないか、どっちも」

「うん」

「大丈夫す」

 隼人が後輩の前に割り込んで私を立たせる。密着した道着の胸元から隼人のなんともいえない香ばしい匂いがして、一瞬脳みそがグラッと揺れた。昔はこんな匂い、しなかった。


「おいばか、なにしてんのこんな所で」

「なにもしてない」

 後輩と隼人を置いて、白い軍団は通り過ぎていく。

 かたくなな私を見かねた隼人は、ちいさくため息をついた。


「ナオ、こいつ一応保健室連れてくから、戻っていいよ。わりいな」

「いえ、こちらこそ、すんませんしたっ」

 ナオと呼ばれた後輩はかちっと直角に礼をすると、猛ダッシュで列に戻っていった。

「忘れ物? にしてはなんかすげーことになってるけど」

 隼人は私を見て言った。きっと髪とか服が雨でぬれているからだ。きっと今の私はかなりひどい有様だろう。ただ事ではない雰囲気が漂っているはずだ。


「いや、もう大丈夫。解決した、ほんとうに」

 私は手ぐしで前髪を直して早口でまくし立てるが、隼人は一向に離れてくれない。

「二人でばーちゃんの花瓶割ったときと同じ顔してるわ」

 私はほっぺに両手を当てる。

「え? 嘘」

 隼人はこらえきれなくなって、ふき出した。

「いやめっちゃ動揺してんじゃん。ぜってーなんかしたべ」

「な、なにもっ……」


 二人で話すのは、私が嘘をついて帰らされた日以来だった。

 それなのに、つい昨日会ったばかりみたいな雰囲気で、隼人は話してくれる。

「そんな言えないことなわけ?」

 だって、あの中には手紙が入っている。正確には、手紙になる前の卵みたいなもの。

 でも、ぱっと見ただけじゃたぶん、わからない。それに隼人は無理に中身を見るようないじわるはしないだろう。


「青いファイル……」

「何?」

 もう、隠しごとは通じないな、と腹をくくった。

「青いファイルに、大事な紙が入ってて! たぶんかばんの中身だしたとき玄関に落としたんだけどなくて、どこにも落ちてなくて、職員室に聞いたけどだめでっ……!」

 私は決壊したダムみたいに、次々とまくし立てた。


「そもそもかばんに入れたん?」

「うん、たぶん」

 隼人はうーん、とあごに指を添えている。

「意外とそういうの、思い込みっていうパターンあるんじゃね。一回自分の教室見てみたら、案外入れ忘れとかあるかもよ」

 私は尻もちをついただけだったので、保健室に寄らず隼人とそのまま教室へ向かった。

(というか、仮に負傷していたとしても、おしりを見せるわけにはいかない)


「え~あるかなあ」

「一応見てみろって」

 私は自分の机に向かう。もちろん、机の上には何もない。

 おそるおそる机の中に手を差し入れる。

 すると、つるつるした何かに触れた。

 取り出してみると、それはまさに青いファイルだった。


「あったー!!」

 私はファイルを抱きしめた。

「おう、よかったじゃん」

「えーん良かった、あった、死ぬかと思った。あー本当によかった」

 私は柄にもなく、その場でくるくると回った。


「じゃ、戻るわ」

 隼人はすぐにきびすを返して走っていってしまった。

「あ、待ってよ」

 まだお礼を伝えていない。

 私も負けじと走るけど、隼人はあっという間に曲がり角を消えてしまった。

「待ってって! はやとっ」

 私は壁に手をついて、肩で息を整える。


「隼人、ありがとー!」

 廊下の向こうに向かって大きな声を出すと、隼人は右手をあげて答えた。そしてあっという間に階段を下りて見えなくなった。

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