宿敵を失う
ユリアは再び書類に目を落とした。私も隣で同じように内容に目を通す。
ジリアムが私達に伝えていた事のほとんどは嘘だった。やはりそうか、それしか頭に思い浮かばなかった。
想像していなかった事は他にあった。
(アイラ・ハイヌベルド、王女、ハイヌベルド王家)
王女が妹という事は。私はオズロを見上げた。彼の目元からは今、どんな感情も読み取れない。
「あなたの本当のお名前を聞いてもよろしいですか?」
「オズロ・ハイヌベルド。各地の調査に赴く時は、ハインクライスという名を名乗る事にしています。身分を知られると何かと面倒な事が多いですから」
身分が高そうだとは思っていた。でも、身分が高い貴族と王子では格が違い過ぎる。滞りなく調査を進める為とはいえ、私は王子に向かって『対等な関係』など、とんでもない要求をしてしまった。口走るだけで不敬だと首を刎ねられても不思議ではない振る舞いだ。
同時に、ジリアムがどれほどの罪を犯したのかを理解する。
「今までの非礼を深くお詫びします。また、不肖の兄に代わって心からお詫び申し上げます」
ユリアが深く頭を下げ、私も同じく深く頭を下げる。
「あなた方の罪ではないのに謝罪をされる謂れはない。頭を上げて下さい」
私は思い切って聞いてみた。
「妹さんは、まだ苦しんでいらっしゃいますか?」
オズロは少しだけ目元を緩ませた。
「妹は幸いな事に、元の婚約者に支えてもらい再び婚約に至りました。近いうちに二人は結婚するでしょう。傷は生涯癒える事が無いと思いますが、支えてくれる人がいるので安心しています」
隣でユリアも安堵の息をつくのが分かった。
「お恥ずかしい事ですが、あれだけの罪を犯したにも関わらず兄が悔い改めたとは私にも思えません。でも、リリイナと一緒に必ず悔い改めさせます。――お願い出来るわよね、リリイナ。私と一緒にジリアムを支えてくれるでしょう? ずっと傍にいてくれるでしょう?」
ユリアのすがるような瞳が私の心に突き刺さる。
「タイラーが言っていた事は私が言って聞かせたから。もう二度としないって誓ってくれた」
ジリアムは私にも誓ってくれた。あの言葉に嘘は無いと信じたい。
「ちゃんと、お義姉さんとも縁を切るって約束してくれたから。私がもうあんなことさせないから」
(お義姉さん)
香水の甘い香りを思い出す。考えたくなかった疑いが、はっきりとした形になる。足元がぐらりと傾いたような気がして私はユリアの腕に掴まった。
「リリイナ?」
ちらりとオズロの顔を見ると、私を気遣うような表情が見られた。
(ユリアもオズロも知ってたんだ。みんな知ってたんだ)
私は固く目を閉じて深呼吸をした。昨日のジリアムの涙に濡れた瞳を思い出す。寂しかったと言う言葉を思い出す。
(大丈夫、私が変わればきっと大丈夫。触れさせなかったから、寂しい思いをさせたから。大丈夫、私はきっと変われる)
私は目を開けて、出来る限りの気力を振り絞ってユリアに向かって微笑んだ。
「分かってる」
私はオズロの方に体を向け、はっきりと言った。
「ユリアと一緒に、ジリアム・グーデルトを悔い改めさせます。どれほど時間がかかろうとも」
オズロは目元を険しくしていた。とても不愉快だと思っている時の顔。きっとジリアムが悔い改められると信じていないのだろう。
「今日は平常心ではいられないでしょう。調査は明日から再開する事にしましょう」
私は頷いてお礼を言った。家から出る私にオズロは言った。
「森での約束はあなたが言い出した事です。逃げたりしない、そう信じています」
◇
逃げたりはしない。ジリアムの事と調査の事は関係ないし、色々と目こぼししてもらう代わりに協力すると約束した。失ったのは森の相棒ではなく、宿敵オズロだ。
翌日から調査を再開した私たちだったけど、ぎこちなさが残ってしまった。どうしても距離をおいてしまう私に苛立ちを感じるのだろう。オズロは足を止めた。
強い風が木に残った葉を揺らし、私たちの体温を奪う。
「君の態度の変化は不愉快だ」
目元が険しい。私は緊張して手を握り締めた。
「首を刎ねますか?」
「何だって!」
オズロは ひどく驚いたようで、珍しく目元だけじゃなくて顔全体に驚きが現れている。
「本気で言ってるのか?」
「だって、不敬罪は首を刎ねられるって教わりました」
「いつの時代の話をしてるんだ! 一体、誰がそんな事を君に教えた」
私はお義母様から聞いた話を思い出しながら伝えた。
王族に少しでも不快な思いをさせたら不敬罪で首を刎ねられる。同じくらい婚家の家風に沿わないような振る舞いは罪深くて、首を刎ねられてもおかしくない。
「グーデルト家は寛容な家風だからそこまではしないけれど、そのくらいの罪だと覚えておきなさいって」
オズロは深いため息をついた。
「不敬罪はもう100年以上前に無くなった。不愉快だと思う度に首を刎ねていたら、あっという間に王家は転覆して、逆にこちらの首が刎ねられる」
「そうなの?」
「大体、裁判無しで人の首を刎ねるなんて、国王にだって出来ない」
「本当に?」
オズロは再び深いため息つく。
「そんな事出来るくらいなら、ジリアム・グーデルトが生きている訳ないだろう」
「確かにそうね」
「君は、何歳の時にここに来たんだ。7年前だから⋯⋯」
「11歳の時よ」
「その年からずっと、そんな事を吹き込まれて来たのか。勉学については、それほど無教養とも思えないが教師に付いていたのか」
実家にいた時もグーデルト家でも教師を付けてもらって勉強はしていた。偏っているんじゃないかと疑われた私は、オズロに勉強した内容を色々と質問される。
「勉学については、王都の学校で習う内容と遜色ないな。動植物や地質、気候などについては、むしろ高度な内容を学んでいるだろう」
そうだったのか。私は勉強は嫌いじゃなかった。勉強を教えてくれる先生達は、努力すればしただけ褒めてくれたし、私の数少ない話し相手になってくれた。それに勉強している間は森への収穫に行かなくて済んだ。
「問題はあの意地悪婆だな。俺にそんな権力があるなら、息子ともども、あの婆の首を刎ねてやりたいくらいだ」
(息子ともども。生涯何があってもジリアム・グーデルトを許すことは出来ない、そう言ってたのはずっと変わらないのね)
私の様子を見てオズロが少し慌てる。そんな様子も珍しい。
「すまない、言い過ぎた。⋯⋯とにかく、首を刎ねたりしない。今まで通りに接してもらえないか」
「分かった。森の相棒ね」
「そうだ」
気を取り直して、冬の植物の採取に取り組んだ。気分が少しだけ軽くなった気がする。
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