第37話



 長谷川は若葉高校の屋上にあるプレハブ小屋のドアをノックした。

「おっさん、俺」

「どうぞ」

 中から声がするのを確認して長谷川はドアを開けた。

「失礼します」

「坊っちゃん、どうしました?」

 管理人に扮して学校に潜入していた岸谷刑事は長谷川を見るとその後ろに視線を泳がせた。

「今日は俺ひとりだぞ」

 長谷川はそう言うとドアを閉めた。

「なんだおっさん、撤収か?」

 プレハブ小屋の中にあったテーブルや椅子は片付けられており壁一面にある監視カメラのモニターも電源が切られていた。床には段ボールがいくつかあり岸谷は荷物をまとめているところだったようだ。

「ああ、それどころじゃなくなりましたからね」

「校長の逮捕か?」

「いやあ、正直私も驚きましたよ。まさかアイツがねえ」

 岸谷は荷物を片付けながら話していた。

「おっさんの同級生だろ? いつからの付き合いなんだ?」

 長谷川はドアの前に立ったままでその様子を見ていた。

「アイツ、猪狩とは小学生からのくされ縁ですよ。あの頃の猪狩は体も小さくて痩せていてよくからかわれていました。助けたと言うと大袈裟ですけどね、私はそのからかう連中をよく怒ってました」

「へえ、おっさん意外と優しいじゃねえか」

「はっはっ。優しいと言うよりは見てられなくてですね。中学生になって私が柔道部に入る時に猪狩にお前もやれと言ったんです。最初は渋々だったアイツも気付けば私より体が大きくなっていくし強くもなりました。ああ、性格はずっと昔のまま、気が弱いというか心配症というか、変わらないですけどね」

「ふん、なるほどな。なあおっさん。そんな校長が書類を改ざんして学校の金を横領すると思うか?」

「えっ? まあ……アイツも金に困ってたのでしょう。確か父親の借金があったとか」

 手を動かし続ける岸谷を長谷川はじっと見つめていた。

「それにしてもあの校長が自らやったとは思えないな。誰かに話を持ちかけられた。ちょっと帳簿に手を加えるだけで多額の金を自分のものに出来るんだぞってね」

「……さあ、どうでしょうかね。私にはわかりませんけど」

「もちろん校長は断った。あんな性格だ。慎重で心配症、学校の金に手を付けるなんてとんでもない。ところがだ。そんな校長の弱味を握っている者にしつこく言われた。言う通りにしないとどうなるかってね」

 岸谷は手を止めると真っ直ぐ立って長谷川を見つめた。

「坊っちゃん、何が言いたいのです?」

「はっはっは、やっとこっちを見たかおっさん。俺が何を言いたいのかもうわかってるだろ?」

「誤解です」

「ふーん。いいのか? 校長が口を割るのも時間の問題だぞ? 今ならまだ間に合う」

「たとえそうだとしてもアイツは何も話しませんよ」

「えらい自信だな。でもなおっさん。よく考えてみろよ。校長はすでに逮捕されてるんだぞ。もう校長には失うものは何もなくなった。それでも口を割らないと言いきれるのか?」

「……」

「なあおっさん。俺が子どもの頃からおっさんは本当に俺のことを可愛がってくれてただろ。優しくてよく一緒に遊んでくれて、ある意味家族みたいに思ってたんだけどな」

 そう言った長谷川は哀しそうな顔で岸谷を見ていた。岸谷は無表情のまま目をふせ何も言わなかった。

「おっさん、あんたは校長を脅してこの学校の金を横領させた。そしてそれに気付いた菅谷誠と水沢伊吹、それに猪又先生を殺した。違うか?」

「違う!」

「何が違うんだ。教えてくれおっさん」

「くっ……」

 岸谷はうつ向いたまま両手を力一杯握り締めて体を震わせていた。

「坊っちゃん、ひとりじゃないですね? 外には何人います?」

「あ? おっさんならそれくらいわかるだろ」

「もう、そこまで調べたのか」

「まあな。でもわからないのは菅谷誠と水沢伊吹をどうやって殺して自殺に見せかけたのかだ。猪又先生にはどうせ無理矢理酒を飲ませたんだろう。禁酒している状態で飲めば酔いはすぐにまわるだろうからな。それで運転させた」

「あの男は黙って酒でも飲んでいればよかったんだ。なのに禁酒なんかしやがって。自分がまともになったからと言ってわざわざ警察に連絡してきた。たまたまその通報を受けたのが俺でね。校長の不正を告発すると言ってきた。俺はわざわざあんな田舎にまで行ってまた酒を飲ませてやった。注射器に酒を入れて直接体にな。後のことは俺のせいじゃない。あの男は運が悪かったんだよ。勝手に事故をおこして死んだのさ」

「ひでえ、酷いなおっさん。直接じゃなくてもそんなのおっさんが殺したのと同じじゃねえか!」

「あの男にも金は渡してあったんだ。それを今さら騒ぎ立てる方がよっぽど酷い」

 長谷川は顔を歪めながら首を振っていた。

「本当にいかれちまったんだなおっさん。で? 菅谷誠は?」

「出納帳の記載がおかしいから調べてみてくれと校長に言ってきた。そのまま放っておくわけにはいかないだろう。何もしないのも逆に怪しまれる。校長は校長でびびって俺に泣きついてきた。言い訳なんていくらでもできるだろうによ」

「それで殺したっていうのか? 何もしてない真面目で立派な生徒会長を? おっさん自分が何をしたのかちゃんとわかってるのか?」

「わかってるさ! そうだよ俺が殺したんだ! 校長に言ってそいつを屋上に呼び出してもらった。俺が行って後ろから頭を殴った。倒れたそいつの靴を脱がせ抱え上げてフェンスから落とした。その時ちょっと服が引っ掛かったが結果自殺となった」

「だから外傷は落ちた時の傷だけだったのか。意識のない人間は頭から落ちる。頭の傷は落ちた時の傷で見えなくなる」

「その通り。うまいこといってくれたよ。俺は運がよかった」

「ふざけるな……」

 長谷川は深いため息をついた。目の前にいる岸谷は自分が子どもの頃からよく知っている岸谷とは似ても似つかない、まったく知らない別人のように思えていた。





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