第14話



 いつもなら十九時頃まで長谷川と新聞部の部室で過ごし、どちらからともなくそろそろ帰ろうかと切り出し学校で長谷川と別れる。それから虎太郎はホウライ軒に行くかコンビニで夕食を買って帰っていた。今日は長谷川から部活は休みだと言われ暇になった虎太郎は思い立ってスーパーに行ってみた。帰ったら久しぶりにお米を炊いて炊きたてのご飯を食べようと考えていた。兄が言っていたように食生活も大事にしないといけない。切らしていたお米と美味しそうなお惣菜の中から虎太郎は唐揚げとコロッケを選んだ。レジに向かおうとしてふと何か思いついたように振り返ると近くに置いてあったサラダを手に取りそれもカゴに入れた。

 若竹コーポの部屋に帰って来た虎太郎は着替えを済ませると早速買ってきたお米をとぎ炊飯器のスイッチを入れた。ご飯が炊けるまでの間に最近読み返してなかった兄とのメールを読もうとパソコンを立ちあげた。その時ふと、虎太郎は昔のことを思い出していた。

 あれは虎太郎が小学校一年生くらいの時だったろうか。兄が足の骨折だったかひびが入ったかで入院することになった。虎太郎は兄が家にいないということが寂しくてたまらなくなっていた。兄はどうしているのか、病院でひとりで怖がってはいないか。もしかしたら兄も寂しがっているかもしれない。きっとそうだ、病院でひとりぼっちだなんてそんなの兄が可哀想だ。そう思った虎太郎は母親に頼んで兄と一緒に病院に泊まりたいと言い出した。その時たまたま兄の病室が二人部屋でベッドが一つ空いていたために病院から許可がおりた。自分が兄を助けてあげると意気込んで兄のためにいろいろなオモチャを持っていざ病院に連れていってもらった。夕食の時間も終わり母親は看護士さんらによろしくお願いしますと頭を下げ心配そうにしながらも虎太郎を残して帰っていった。最初は持ってきたオモチャで兄と楽しく遊んでいたがそれも飽きてくると虎太郎はだんだんと心細くなってきていた。父親も母親もいない。兄はベッドから動けない。看護士さんが兄の体温や血圧を計りに来るのも病院のヒヤッとした雰囲気も、消毒薬の匂いも夜の消灯の後の暗闇も全てが怖くなった。寂しかった。こんな場所にいること自体が嫌になってきた。そして虎太郎は家が恋しくなりとうとう泣き出してしまったのだ。

「兄ちゃん、怖い」

「大丈夫だって。人もいっぱいいるだろ?」

「怖い、帰りたいよ」

「大丈夫、明日お母さんが迎えに来るから、な?」

「もうヤダよ」

「大丈夫、大丈夫」

 ベッドから動けない兄は隣のベッドで泣いている虎太郎にずっと「大丈夫大丈夫」と声をかけ続けてくれていた。虎太郎は自分が情けないことはわかっていた。兄が寂しくないように、兄を助けるために泊まりに行ったのに、結局逆に兄に心配をかけて慰めてもらっている。そんな情けない自分が本当に嫌になっていた。それから泣きながらいつの間にか眠っていた虎太郎は朝から迎えに来た母親と一緒に家に帰った。兄をひとり残して帰るのがなんだか後ろめたい気持ちだったのをよく覚えている。

 兄は昔からそうだった。虎太郎を怖がらせないように寂しがらせたりしないようにいつも気を使ってくれていた。不安にさせるようなことは一切口にしなかった。いつも虎太郎に大丈夫、大丈夫と励ましてくれたり応援してくれたりするばかりだった。そう思うと虎太郎は急に不安な気持ちになっていた。今思えばこのメールがそうだ。兄の若葉高校での近況報告は少しはあるものの、ほとんどは自分の心配や応援、そしてバスケットのことだ。もしかすると自分は兄のことを何も知らないのではないだろうか。自分に心配かけさせまいとして兄は何も話してくれなかったのではないだろうか。バスケ以外の学校での兄のことは? 友達は? 彼女は? 嫌なことや落ち込んだ時はどうしていた? 誰かに相談していた? 誰に? 頭の中でそんな疑問がぐるぐると回り始めていた。急に兄の存在が遠いもののように感じていた。自分が知らない兄がいる。そう思うと虎太郎は寂しさを通り越して腹が立ってきていた。どうして兄は何も言ってくれなかったのか。自分はそんなに頼りなかったのか。だったらこのメールを何度読み返そうと何もわかるはずはない。

 ご飯が炊けたという合図の音楽が鳴って虎太郎はふぅっと息を吐いた。パソコンを閉じて夕食の準備をした。ご飯をお茶碗によそいながら電子レンジで温めた唐揚げを一つ口の中に放り込んだ。甘辛く味付けされた唐揚げは少し母親の作る唐揚げと似ていた。虎太郎は先日母親に電話した時のことを思い出した。長谷川のことを母親に説明し兄のことを一緒に調べてもらっていると報告した。母親は心配している様子だったがどうかそっとしておいてほしいとお願いした。警察もいるし長谷川もいるからと。

 そういえば長谷川に、部長にこの兄とのやり取りのことを話してみてはどうか。部長にも小学生の弟がいると言っていた。だったら兄としての目線から何か新しい発見があるかもしれない。そんなことを考えていると虎太郎は何やら遠くから微かにいろいろな音が聴こえてくることに気が付いた。耳を澄ましてみるとそれは若葉高校のグラウンドから聴こえてくる野球部のバッティングの音やサッカー部、ラグビー部の生徒たちの声援やかけ声だった。この時間だとこんなにも学校の音がよく聴こえるのか。ひとり静かで寂しかった夕食の時間も若竹コーポの壁の薄さのおかげで少しは気がまぎれていた。





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