第2話



 若葉高校はスポーツに力を入れている全国でも有名な男子高だ。各地からそれぞれのスポーツの有力な選手が集まる。スポーツ特待生は寮に入って生活することになるのだが、虎太郎の兄、伊吹はバスケットの有力選手で特待生だったにもかかわらず寮は嫌だと言って学校の近くのアパートで一人で暮らしたいと言い出した。

『今年は豊作で特待生が多いから寮もいっぱいなんだよ。他にも一人暮らしの奴はいるしさ。いいだろう父さん』

 八歳からバスケを始めその才能をめきめきと伸ばし常にキャプテンとしてチームを引っ張ってきた伊吹。そんなしっかり者の伊吹なら一人でもちゃんとやっていけるだろうと両親は伊吹の一人暮らしに許可を出した。両親の期待通り、伊吹は一人で生活しながらも勉強も部活も頑張り一年生にしてレギュラーにも選ばれた。両親にとっても弟の虎太郎にとっても伊吹は尊敬出来る素晴らしい人間だった。

 三年生になって当たり前かのようにチームのキャプテンとなった伊吹。さらに生徒会長にまでなったという伊吹からの連絡は減ったものの、それは無理もないことだと両親もこれといって心配することはなかった。


「兄ちゃんが住んでたあのアパートの部屋、もうすぐ空くんだって。不動産屋さんが言ってた」

 どうせ一人暮らしをするなら兄、伊吹が住んでいた部屋で暮らしたい。そう思った虎太郎は両親に相談する前に不動産屋を探して調べていた。

「そこまでして……なんだ、その、お前がどうしてもと言うのなら考えてみても」

「ちょっとお父さん!」

 母親は慌てて父親の腕を引っ張った。

「母さん、俺たちだってまだ諦めたわけじゃないだろ。目撃者もいないし遺書もなかった。屋上に伊吹の靴が置いてあっただけだ。それだけで自殺と決めつけられるのも納得いかない。たとえ自殺だったとしても伊吹がなぜ自ら命を絶たなければならなかったのか、伊吹の本当の気持ちが知りたいのは俺たちだって同じじゃないか」

「でも……」

 困惑した表情の母親にさらに虎太郎も詰め寄る。

「母さん、大丈夫、何も心配することないよ。無茶して調べたりしないし勉強だってちゃんとやる。ただ僕はどうしても自分が納得いくまで兄ちゃんがあそこでどうやって過ごしてきたのかを知りたいんだ。兄ちゃんと同じ学校に行って同じ景色を見て同じ空気を吸ってみたい。何もわからないかもしれないけど、それでも僕は若葉高校に行きたい」

「虎太郎……」

 その時の母親の青ざめた顔、父親の心配そうな顔を懐かしく感じていた。

 最初はしぶしぶだった両親も虎太郎がいざ受験に合格し慌ただしく引っ越しの準備に追われたりしているとだんだんと虎太郎に対する不安も少なくなってきているようだった。それよりも伊吹がいなくなってずっと引きこもっていた虎太郎がよく会話するようになりたまに笑顔をも見せるようになったことが両親には嬉しかったのだろう。


 若葉高校から徒歩二分ほどの場所にある若竹コーポの二階の奥。虎太郎は二〇一号室の鍵を開け中に入った。三月の初め頃まで前の入居者が住んでいたために虎太郎が引っ越してきたのはつい十日ほど前の四月に入ってからだった。まだ開けてもいない段ボールもいくつか残っている。狭い玄関で靴を脱ぎ、狭い廊下に置かれたままの段ボールをまたいで奥へ進んだ。ベッドと小さなテーブル、勉強机と本棚があるだけのワンルームの部屋。おそらく両親は気付いていただろうが何も言わなかった。この家具の配置は伊吹が住んでいた時とそっくり同じようにレイアウトしていたのだ。ここまでする必要はなかったかもしれない。だが虎太郎は少しでも兄の、伊吹の気持ちに近付こうと思っていた。兄がここで何を考えどう過ごしてきたのか。そして何があったのか。大好きだった伊吹の胸のうちを知りたい。そう思いながら虎太郎は机の上に置かれたノートパソコンを開き起動した。少し待ってパソコンが立ち上がると虎太郎はデスクトップのファイルをクリックした。何百ページにもおよぶファイル。その中身はスマートフォンから転送して保存している兄、伊吹との三年間に渡るメールのやり取りだった。

 虎太郎は伊吹がいなくなってからというもの部活も辞め学校からすぐに帰ってきては毎日毎日自分の部屋にこもって繰り返しこのメールを読み返していた。伊吹が若葉高校に入学してからの約三年間のメールでの会話。両親も知らない二人だけの秘密。伊吹は自分に何かを伝えたかったのか、何かを知ってほしかったのか。もしも伊吹が自分に何か助けを求めていたかもしれないと思うと虎太郎は悔やんでも悔やみきれなかった。なんとしてでも伊吹の最期が知りたい。伊吹と同じ環境で生活してみれば何かわかるかもしれない。やっと今その環境を手に入れることができたのだ。

 (待ってろよ兄ちゃん……)

 これから三年間住むことになるこのアパートで、兄が暮らしていたこの部屋で、虎太郎は大好きな兄の笑顔を思い出しながらまた兄とのやり取りを思い出しながら、ファイルの中の会話を最初から繰り返し読んでいた。





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