6話 死ぬよりも惨烈

 銃声は一発だけだった。

 トニーは複数の乱れた足音とともに顔をあげる。

 リザヴェータがステンレス製ゴミ箱で、敵の頭をフルスイングしたところだった。

 足の片方が裸足になっているルブリが駆け寄ってきた。

「ギリ間に合った⁉︎」

「遅い!」

 ルブリが走る先に、ハイカットタイプのビジネスシューズが転がっている。ルブリが靴を投げつけて銃口をそらし、リザヴェータをサポートしたようだった。

 ルブリはもちろん、リザヴェータとも仕事で組むことが多い。ゲームの参加者に選ばれたのは、ブリーフィングなしのぶっつけでも連携がとれるだろうバイロンの算段だ。

 妙なのは得物を持っていない手ぶらであること以上に、ふたりのその姿だった。

「泳ぐ季節には早すぎだよ?」

 ふたりとも頭からずぶ濡れになっていた。

「いやあ、出番を待ってるあいだがヒマでさ! 敵チームと寒中水泳で親睦してた!」

「さぶいッ‼︎ ルブリのジョークが寒くて凍死する! そこの上家うわやを燃やして暖とりたい!」

 ヤケクソみたいな咆哮をあげて、リザヴェータがトップスを脱ぎ捨てた。

「マッチ持ってないから無理! サイズ違いは構わないよな⁉︎」

 ルブリも海水が滴るコーチジャケットやシャツを脱ぎ捨てていた。倒れている敵から服をむしりとってリザヴェータにわたす。

「アントニアさん、撃たれました! みてください、早く!」

 ソニに言われると意識していなかった痛みが襲ってきた。

 傷口を押さえている手が鼠蹊部そけいぶ近くにあることを見たリザヴェータの顔色が、蒼白から白くなる。

「な! なんでこんなんでジョーク言ったのよ!」

「えっ、深いのか⁉︎」

「あたしのは慌てなくていい。それより、ダークブロンドの女がリーダー格。姿が見えないんだけど、どこにいる⁉︎」

 バックアップのふたりを相手にするうち、姿が消えていた。

「あたしと同じぐらいの歳と背格好……右脚刺してやったから、まだ遠くには行ってないはず。探して!」

「おれが行く! リーザ、こっち頼んでいいか?」

「頼まれた」

 リザヴェータがソニに向き直った。 

「流花を見なかった? ほら、店の奥にいた『顔、悪そう』な人!」

 ソニが首を横にふる。

「歩実も? いつもスニーカーはいてるドライバー」

「いません! カイシャの人、ほかいません」

「おかしいな、遅れてるのかな……」

 言いつつも、すぐに切りかえた。

「歩実たちも、すぐ来るはずだから、あたしが誘導してくる。ソニがアントニアのガード役だよ。任せていいよね?」

「あたしはいいからソニを一緒につれて——」

「できます、働けます!」

 トニーをさえぎってソニが主張した。

 倒れている敵のハンドガンを拾いに走る。セイフティレバーと残弾数を確かめると、周囲を警戒しつつ駆け戻ってきた。

 セオリーどおりの銃操作を見るトニーの眉間に、苦みをふくんだ色がうかぶ。



 中央突堤の手前、走行車線の反対側でリザヴェータの姿を見つけた歩実は、カーゴバンをUターンさせた。公園に横付けして停める。

「五分ですませる。エンジン点けたままで、よろしく」

 助手席から飛び出した流花が言ったとおり、そこから撤収までは早かった。

 動けなくなっている相手メンバーを流花が両手に一人ずつ、わしづかんで走った。

 周囲に人影がないのをいいことに、敵の悲鳴は無視する。公園の段差や柵にぶつけながら乱暴に引きずってくると、バンのバックドアから、これまた強引に投げ込んだ。先客の仲間の上に積み上げる。

 その間にリザヴェータがトニーを運び入れ、ソニが落ちていた武器の類をすべて回収した。

 バックドアを閉めた流花が助手席に乗り込んでくる。

 ドアが締まり切るのを待たずに、歩実はクラッチを切り替えた。アクセルを踏み込む。

 怪我人を乗せている。運転は繊細に、かつ速く。

 本谷歩実の役割は、葬儀社<テオス・サービス>でも非合法組織<ジュエムゥレェン掘墓人>でも同じだった。

 一般人を乗せる葬儀社の送迎では、細やかなブレーキング操作による快適ドライブで好評を得ている。

 本業<ジュエムゥレェン掘墓人>での運転になると、もっぱら速さの追求になった。危険からの離脱がもっぱらの目的だが、まれに救急搬送の役目を負うこともあった。

 銃創や刃物での外傷では警察に届けられてしまう。そんなときに備えて、バイロンは治療においても病院と独自の契約を結んでいた。

 ついこの間、ルブリを運んだばかりだったなと思い出す。彼の場合は雑談ができるほどの余裕があったが、たいていは背中で切迫感を感じながらのドライブになった。

 間をあけずにして、今度はトニーを運んでいる。顔には出さないが、焦っていた。

 ここまで手酷い怪我をしたトニーを運ぶのは初めてだった。こいつなら大丈夫だろうという慢心が、どこかにあった。

 こんな仕事をしていて、何も失くさずにすむ人間はいないというのに。

 ドライバーは歩実の天性に合った仕事だが、こういう場面では逃げ出したくなる。

 病院まで間に合わなかったこともあった。

 あのときの不甲斐なさ……。忘れられない。



 ドライバーズシートにすわる歩実の焦燥と苛立ちが伝わってくる。

 流花は、その横顔に思い出すものがあった。ステアリングを握る指も不必要に踊っている。いつもならすいている時間帯の道路が混んでいた。仕事納めにむけてフル稼働している配送や、遊びに行くらしい車が、スムーズな走行を妨げている。

「適当なところで、いったん停めて。先に電話を入れておく」

「医者んとこに?」

 前を向いたままで歩実が訊いた。

「酒呑まれてると困るからさ。あとボスバイロンにも連絡いれとく」

「あのドクトーラ女性医師、腕はいいし口の硬さはお墨付きだけど、そこだけ困るよね」

「連絡入れたら自分の足で帰るから。アントニア、頼むね」

「待って」

 停止する前からドアロックを解いていた流花に、ショートコートを差し出してきた。

「サイズ窮屈だろうけど使って。ふたり揃って風邪ひかれたら、パンの調達に困る」

 流花のジャケットにくるまっているリザヴェータのくしゃみが、ラゲッジスペースからまだ聞こえていた。



 リザヴェータは、トニーの応急手当のために荷室のスペースを確保した。

 下敷きになった敵の手下があげる苦悶の声がうるさい。物理的解決方法で黙らせた。

 意識がまだある手下のひとりが、<アクイラ>から逃亡したソニに侮蔑ぶべつの視線をおくったが、ソニに気にしている様子はない。

 気づいていないといっていい。ソニの目は、トニーしか見ていなかった。

 止血したのに傷口からは新たな血が滲み出し、カーゴスペースの床に小さなプールをつくっている。しっかりしていたはずのトニーの目の色が、バンに運び込まれてから、虚ろになってきていた。

 脚であっても、傷ついた血管によっては命に関わる。早く何とかしないといけない。けれど車の中でできることは、もうなかった。

「血、止まりません……どうして……このまま、トニーがあぶな——」

 動転するソニの頬を鳴らした。強くは打っていない。音で我に返らせた。

 とりすがったリザヴェータに平手打ちされたのだとソニが気付くまで、少しの時間がかかった。

「危ないときこそ冷静にならないと、適切な行動ができないよ? っていうのが、ヘマして動けなくなってる教育係にかわってのお説教。わかるよね?」

 ソニはゆるゆると、けれど大きくうなずいた。

「殴ってごめん」

「痛くありません。力、抜いてくれました。わたしのため」

「動揺するのはわかる。あたしも経験したから。だからこそソニに言っておきたい。できることを最大限やっておかないと、あとで後悔するって」



 この国に来るまでのソニは、生きることに望みを失っていた。

 かといって、死ぬことが怖くないわけではなかった。ルジェタの訓練に耐えられたのは、死ぬという未知の体験への恐怖があったからといえる。

 だがいまは、それ以上に怖いことができた。

 トニーを失うことだ。

 はじめは、ブックマーカーとフロラの最期の言葉を伝えるために近づいた。そして側にいるうちに、自分のなかで変わっていくものを感じた。

 かけられた言葉で決定的になる。

 ——欲しいと思ってこそ、かなうってもんでしょ。欲望が、意欲にも希望にもなることがあるんだから、持ち続けてみて。

 信頼をもてる人から伝えられたことで、自分みたいな人間でも望みを持っていいのかと思えるようになった。

 生きるために、ほかの人間を傷つける。

 これまでいた組織、<アクイラ>では当然のこととされていた。相手が同業者ならまだしも、一般人の場合でも。

 そこまでして自分は生きていたいのか、わからなかった。

 死ぬことが漠然と怖いから、生きることにすがっていた。

 その反面で、死ぬことで、すべての苦しみから解放される期待もある。仕事の失敗からの死は、忌むイメージばかりではなかったから、窮地でも取り乱すことなくやってきた。

 なのに——

 同じような仕事をしていても、一緒にいる人間が違うだけで、その気持ちに変化がおきていた。 

 希望をくれた人、トニーが死ぬかもしれない。

 おいていかれるかもしれない。

 そのことが何よりも、怖い。

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