5章 No Home 帰る家はなく

1話 おまえが殺した

 ソニのボディバッグから、フロラに贈ったはずのブックマーカーが出てきた——。

 トニーは、問い詰める視線をソニに浴びせた。

「……引き受け……て……探して」

 説明する気はある。しかし、ソニの口から出てくるのは、切れ切れの単語がやっとで意味をなしていない。

 厳しく追及したい気持ちをおさえこみ、トニーは立ち上がった。

 ブックマーカーをパンツのポケットに入れ、いったん駐車場を出る。黙っていてもソニはついてきた。

 トニーは歩く。頭をクールダウンさせようとした。

 ソニにも必要だった。動揺がすぎて、伝えようとする事柄に言葉が追いついていない。

 隣接する小さな緑地公園にむかった。

 その入り口の自動販売機で足を止めた。所在なさげにソニも後ろで立ち止まる。

 何か飲めば落ち着くかもしれない。それだけの判断だった。ソニに何がいいか訊くこともなく、米国ブランドのソファンターダ缶を買った。

 取り出し口から冷えた缶をソニに手渡す。十二月の吹きさらしの海風が吹く公園で飲むものとして。

 自分用にも買っておく。最初に目についた、茶・白・赤の三色を組み合わせたデザインの缶UCCコーヒーのボタンを押した。

 冷たい缶を手に、冷静になろうとする。

 バイロンから、リザヴェータから、ルブリから、フロラのことになると感情的になると言われている。ソニを責め立てても、フロラが生きていた過去に戻ることはできない。フロラと接点があったらしいソニから、ブックメーカーを持っている経緯をただ知ろうとした。

 夕暮れが近くなり、気温も下がってきている。コンテナの普及とともに利用されなくなった上家うわやが、海への視界をさえぎって眺めも悪い。冬の公園に人の気配はほとんどなかった。

 散策していた中年過ぎの男性が入れ替わって出ていく。続いて、ベンチで談笑していたカップルも立ち上がった。軽やかな笑い声だけを残して去っていった。

 無人になった公園で、トニーはベンチにすわる。少し離れてソニもならった。

 無言のまま時間が流れる。


 

 座っているベンチの周囲に重い空気が沈滞する。

 ソニは、隣に座っているだけのトニーから、刺すような威圧を感じていた。

 プルトップを開けるでもなく、コーヒーの缶を握りしめては緩めてをくりかえしている。たぶん、苛立ちを逃しているのだろうと思う。

 早く話そうとするものの、緊張が心臓をおさえつけた。

 息が苦しい。

 口を開いたものの、また閉じた。声が出なかった。舌で湿らせから、もう一度口を動かした。

「妹さん……殺しました。わたし、かもです。違うかもです」

 喉がはりつき、声がかすれた。言葉に出すのが痛い。

 トニーは黙ったままでいる。何を考えているのか、気になっても見ることができなかった。

 ソニは前をむいたまま、声をしぼりだす。彼女──フロラと居合わせたときの状況から、最期の言葉と、ブックマーカーを受け取ったところまで。思い出せる限り、正確に。

 途切れながら話すソニに、トニーは口を挟まなかった。

 ソニにはまだ、適切な言葉がわからなかった部分がある。トニーが知りたかったことを全部つたえられたか心許ない。

 ただ、やっと話せたことに安堵を感じた。細く長い息をつく。ソーダ缶をずっと握りしめていたから、手がすっかり冷たくなっている。その冷たさで、かえって落ち着いた。

 これ以上、心地いい場所にいてはいけない。責められることをも覚悟していた。

 なのにトニーは静かなままだった。停滞する時間のなかで、何も言われないことへの不安が大きくなっていく。

 不意にトニーが立ち上がった。ゆっくり歩き出す。出口と反対側、上家うわやの壁で空間が塞がれているほうへ。ソニも慌ててあとを追った。

 トニーが振り向いたのは唐突だった。

 襟をつかまれ力任せに押し倒される。受け身でどうにか頭は守ったが、背中を冬の冷たい地面で強く打った。

 仰向けになったまま押さえ込まれる。

 ソニは抵抗しなかった。できなかったのではなく、何もする気がなかった。どんなことをされても抗うつもりはない。

 トニーの手が首にかかる。圧迫される息苦しさより、その手の冷たさが苦しかった。

 したいようにしてほしい。

 四肢を投げ出したまま、穏やかな瞳で、ただトニーを見つめ返した。



 細い首だ。

 このまま左手一本で折れる。そうトニーは思った。

 右手でヒップホルスターからハンドガンを抜く。ソニの眼前でセイフティを外した。

 眉間に銃口を突きつけられても、ソニは抵抗の素振りを見せなかった。硬い地面に仰臥し、四肢をだらりとさせたままでいる。

 首に手をかけられ、殺されようとしている場面にそぐわない穏やかな表情が、トニーにいくぶんかの落ち着きを取り戻させた。

「確かめておきたい。誰の銃弾がフロラの命を奪ったのか、わからないと?」

「わたしの他にふたり、追いかけてました。みんな同時、撃ちました。妹さん、倒れたところ見てません。誰の銃弾……答え、むずかしいです」

「おまえの銃弾の可能性もあるか?」

「……はい。わたしは、追いかけていた人むけて、照準しました。でも、外してしまいました。はずれた銃弾、壁で跳ねたかもしれません。跳ねた先、予想がつきません」

「巻き添えにする気はなかった、仕方がない?」

「わたしの気持ち、意見、関係ありません。殺したこと、変わりません。

 走りながら撃つ。外すほうが多いです。でも、跳弾、考えていませんでした。

 妹さんがいる、走っているところから見えませんでした。ぜんぶ言い訳、言い訳ゆるされません」

 トニーは大きく息を吸い、絞るように吐き出した。

 平静であろうとする。まだ訊きたいことがあった。

「なぜ、ブックマーカー形見を受け取ったの? わざわざ面倒を背負い込まずにすんだはず」

 首にかけられたトニーの左手は、緩められていない。最低限の呼吸が許されるだけの苦しい息のまま、ソニは言葉をつなげていく。

「わたしの国、子どもの死体、何度か見ました。

 最初はとてもショック。でも見るたび、感じること、なくなりました。

 対象を処分する仕事、最初は怖かった。だんだん、気持ちが……昂奮? スリル、出てくるとき、ありました。

 アントニアさんのボス、言ったとおりです。残酷な人間に変わったみたいです。

 だから、思ったかもしれません。死ぬ前、人らしいことしたい。人に戻る。それから死にたい」

「ブックマーカーをあたしに渡して、それからどうするつもりだった?」

「頼まれた役目、果たせました。満足です」

「つまり、死んでもいいってことね」

「はい」

 ソニの返答に、ためらいはなかった。

 射殺すようなトニーの視線を受けとめながら、怯えることもない。はっきりと肯定した。

「そう……」

 トニーは銃口をソニの頭蓋に押し付ける。

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