5話 お姫さまの馬車はクーペ

 ビルがひしめき、看板が空を隠す街の中心部から港湾にくると、空の開放感がはんぱない。中央突堤に立ったソニが、いつものむつむきがちな姿勢から一転、胸をひろげて海を見わたしていた。

 少し離れたベンチにトニーは腰を落ち着けている。

 トニーから見たここの景色は、埠頭に並ぶガントリークレーンや、長年の風雨で汚れた倉庫といったぐあいに、無機質に感じるものばかりだ。夕日や夜景ならおもむきがあるのかもしれないが、夕暮れにはまだ時間がある。なんの感慨も覚えず、ただ座っていた。

 周囲には遮るものが、まったくなく、海風に吹きさらされるままだった。

 年末に向けて慌ただしくなってくる時期でもあるから人影もない。その点では、くつろげた。

 ソニの身の安全だけでなく、トニー自身も人から恨みをかっている。バイロンの配下であることで、安全な面もあれば、狙われる危険もあった。周囲への警戒は、呼吸をするぐらい当たり前のことになっていた。

 いささか用心深いを通りこしている気はしている。それでも、良い職業病だと思うことにしていた。何もおこらなければ、笑い話にすればいいだけだ。

 バイロンからのバックアップもあった。

 銃の使用許可をくれた。逃げたソニを追う組織が体面をかけているなら、強硬な手段でくることも考えられるからだ。

 バイロンはソニが狙われたとして報復の口実をつくり、カウンターで一気に潰しにかかる気か……と思ったが、同僚の援護がつく気配はない。

 銃の使用も反撃目的ではなく、逃げ出すチャンスをつくるため。使用は最小限にというのも、いつもと変わりない。潜んでいる敵を誘い出す好餌にされるというより、念の為の備えを持たせてくれたようだった。

 マリーナが近くにあるのでボートも少なくない。フェリーや観光船、コンテナ船にまじって、白い船体が視界を横切っていく。ぼんやり眺めるトニーは、微妙な解放感のなかにあった。

 フロラを亡くしてから、忙しくしていないと落ち着かなかったはずなのに、この気分はいったい……。

 妹のことは相変わらず思い出していた。気持ちがさほど乱れることがなくなったのは、転がり込んできた新入りの存在が大きい。ソニが一緒にいると、気が紛れる以外の何かがある。

 その内弟子が、あまりに静かだった。

 突堤だから、砂遊びも波打ち際でたわむれることもできない。本当にただ立っているだけ。胸元にあるボディバックに手をそえ、打ち寄せてくる波を真剣な眼差しで眺めていた。

 愛用のボディバッグは、身体がまだ小さく、服の下に武器を隠せないソニの携帯場所である。

 やはり外に出ると、以前の組織からの報復を意識せずにはいられないのか。ボディバッグに手をおいたままで、横顔にも緊張がうかがえる。

 往路の車中でみせた明るい表情をもっと見れると思っていたのだが。



 ここに来るにあたって、トニーは特別な車をあてがわれた。

 港湾への出発直前、銃を受け取るために<テオス・サービス>に立ち寄ったときのこと。

 寒空の駐車スペースには、休憩に出てくる社員もいない。そのなかでひとり洗車作業をしていた歩実が、ソニに声をかけてきた。

「まえの髪もきれいだったけど、染めた濃い色もソニの顔立ちにあってるね」

「いい……ですか?」

「うん。それにコートの淡いグリーンが、髪色と黒のニット帽で引き締まって見えてると思う。全体的にいいね。似合ってるよ」

「アントニアさんの帽子です。似合う、ですか?」

 気恥ずかしいのか、ソニが顔を隠すようにニット帽を引き下げた。

「ニットが伸びちゃうからやめな。褒められたんだから、堂々としてればいいの」

 あと、そんなボロい帽子で喜んでいるのをみると、ファッションセンスが心配になってくる。

「これから出かけるんでしょ。これ」

 トニーが答える前からキーを投げてよこした。

「わたしの車、貸したげる」

 歩実が視線でさした先、流麗なフォルムのクーペが、すでに出口に鼻先を向けてめてあった。 

「足回りが硬いから極上の乗り心地とはいえないけど、重心が低い。港湾の風が強いところでも安定して走れる」

「いいよ」

 トニーはキーを投げ返した。

「歩実の車、ガソリンをドカ食いするし、スリキズつけたら海に沈められそうだし。ステアリングついてたらなんでも乗りこなす歩実と違って、あたしは慣れた車が無難でいい」

「タンクは空のまま返してくれていいし、中央通りの道幅でスリキズつけるとこなんかない。いくら乗り慣れてるからって、お姫さまの馬車が、葬儀社の社用車じゃあんまりでしょ。いつもと違う体験させてあげなよ」

 キーをまた投げ返す。

 鍵のキャッチボールを目で追って、頭を左右にふっていたソニがきょとりとなった。

「お姫さま……」

 キーを受けたトニーは納得する。

「あたしのためじゃないと」

「そ。クリスマスプレゼントとか思いつかないから、その代わり。頑張ってるソニを喜ばせて、わたしも良い気分にひたりたいの」

「……じゃあ、借りるよ。ありがとう」

 歩実が自分の車の運転席に他人をすわらせる——。

 普段なら絶対ありえないことでも、クリスマスの奇跡と、勤勉なソニへの褒美という合わせ技で実現したらしい。



 駐車場から出ていくクーペの後ろ姿を見送った歩実は独りごちた。

「クリスマスプレゼントは嘘じゃないよ」

 洗い流しただけの社用車に気持ちを残しながら、急いで防水エプロンをはずした。

 トニーと入れ替わりに現れた流花ルカが、洗車道具を片付けてくれる。その間にスニーカーにはきかえる。

 ショートコートを手に、送迎用バスの隣にとめていたカーゴバンに乗り込んだ。

 バイロンは基本、単独行動をさせない。助手席にはパン屋ではない流花がすわった。ぱっと見ではわからないが、レザーシース革鞘におさめた大型ナイフをどこかに持っているはずだ。

 カーゴバンの全長は、たっぷり五メートル以上あった。

 ラゲッジスペースには窓がなく、広い荷室にどんなものを積んでも周囲の視線を遮ることができるから、葬儀社の仕事はもちろん、<ジュエムゥレェ掘墓人ン>の仕事でも活躍していた。

 今回の仕事の帰り道、ラゲッジスペースに収納されているのは、どちらの死体になるか……。

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