第8話 自覚した想い

 その後は、僕にとって奇跡の時間が続いた。


 アルドンサ嬢はこまめに薬を作って、届けてくれる。

 薬を妄信するわけではないけれど、どうせ失うものもない。


 優しい心遣いとアルドンサ嬢に会えることが嬉しくて、僕は彼女を受け入れた。

 


 そのうちに、見違えるように体が軽くなってきた。

 始めはいぶかしんでいた屋敷の人間たちも、次第にアルドンサ嬢に親しみ、二週間後の往診では主治医を驚かせることになった。


 病状が快方に向かっている、と。


 

 アルドンサ嬢の薬は、劇的に僕を癒していった。



 彼女へのお礼には全然足りないが、日々の感謝の一環として、僕はよく彼女を誘うようになっていた。

 美味しいお菓子のお店に、評判の料理店。買い物に観劇に絵画鑑賞、そして女の子の好きそうなお店巡りに、花咲く庭園……。


 どんな場所でも目を輝かせて喜んでくれるアルドンサ嬢に、僕のほうが嬉しくなってくる。

 "次はどこに行こうか"と計画を練るだけで、勝手に頬が緩んでいる自分に驚いた。

 これまで感じたことのない充実感。


 唐突に理解した。


(僕はアルドンサ嬢のことが好きだ)


 ひとりの女性として。


(もうひとつ、医者に治せない病にかかってしまったな)


 苦笑が漏れた。



 アルドンサ嬢は眼鏡を外すことが多くなっていたが、外出時にはやっぱり丸眼鏡と古風ドレスで身を固めている。

 いわく、眼鏡を外したら知人に気づいて貰えなかったらしい。


(それは、そうだろうな……)


 眼鏡のあるなしで、ここまで印象が変わる女性も珍しいと思うくらい、オンオフの差が激しい。


 僕はすでにどちらのアルドンサ嬢も可愛く見えるようになっていたから、彼女の自由意思に任せていたけれど、知れば知るほど、その魅力を存分に引き出してみたい欲求にかられるようになっていた。

 他の男に見せるのは癪だし不安だけど、アルドンサ嬢が今風に着飾れば、きっと咲き誇る花以上に可憐に違いない。


(いつか僕がドレスを贈る権利を得たなら、プレゼントしたいブランドは山ほどあるな)


 病をわずらううちは、無責任なことは出来ないから自重している。けれど、未来を恐れず将来を夢想することが出来るようになったのは、すべてアルドンサ嬢のおかげだ。



 楽しい日常の中、わずらわされることもあった。

 カタリナ王女だ。



 アルドンサ嬢の訪れをウキウキと待つ僕の様子を伺いながら、ある日、控えめに使用人が伝えてきた。


「"なぜ定例の衣装選びに来なかったのか"と、カタリナ王女殿下から抗議の使者が参っております」


「? 定例の?」

 

「毎月、婚約者との逢瀬として設けられている時間でございます」


(何の話だ?)


「それなら行くはずない。むしろ行けば場違いだ。僕はもう、王女殿下の婚約者じゃない」


 僕とカタリナ王女の婚約がなくなったことは、公式に発表されていた。


 破棄ではなく、解消という表向きだが、口さがない貴族たちが憶測で様々な噂を広めていて、原因は王女の浮気だと、おおむね的を射ている。


 僕の返事に、使用人はなおも言いにくそうに口ごもった。


「まだ何かあるのか?」


「ドレス代の請求書も、支払いがたまっているらしく……」


「それもおかしな話だろう。婚約相手でもない女性のドレス代を支払ったりしたら、互いに不名誉な噂しか流れない。そうお断りしておいてくれ」


 いささか憤慨しながら、僕は言った。


 カタリナ王女は一体どういう心づもりなんだろうか。


 僕たちの関係は終わっている。

 ドレスが欲しいなら、マルケスとか言う新しい恋人にねだって欲しい。

 男爵家の彼は、奢るより奢られるほうが得意そうだったが。


(自分から婚約を破棄しておいて、まさか今まで通りに僕を使えるとは思ってないだろうな?)


 カタリナ王女なら、あり得る。

 長年僕を下僕のように使ってきて、そういうものだと思い込んでいそうだ。


 だが婚約が消えた今、無条件に応じる義務はない。

 僕とカタリナ王女はそれぞれ、公爵家次男、第一王女という立場の違う他人だ。

 

(何を考えているんだ)


 おそらく何も考えてない。それが正解だろう。

 ため息が出た。

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