第三章 鱗粉印鑑

3−1 駄々こねる家と糸屑拾い

「これは……新手の婿いびりだろうか……?」

「……そのようですね」

 一応のところ新婚夫婦である戦火の聖人と静謐の魔女が目を向けた先にあるのは、ベッドだ。

 女性向けの優しい色合いをしたシーツの掛けられた、ひとり用・・・・のベッド。

 がこん、ばきんと壁の向こうで木材の割れる音がして、リヴェレークは今朝届いたばかりの大きなベッドの末路を思う。

(家が、過保護すぎる)

 魂を宿した魔女の家は、例外なく、主を全力で守るものであった。


 ふたりの同居が決まり、過分なほどの広さがあるというルフカレドの本邸へ移るつもりであったリヴェレークは、しかしそこで家の猛反対を受けた。

 魔女の家というのはたいてい喋るもので、とはいえ静謐を司る主に寄り添っているつもりらしい彼女の家は今まで気配だけで語るに留めてきたのだが、ここへきて駄々をこねるという強硬手段に出たのである。

 これまでの引っ越しでは必ず一緒に移動してきたリヴェレークお気に入りの家具を固定したり、書斎を書の迷い路に繋いで気を引いてみせたり、はてはリヴェレークを家から出さないよう物理的に閉じ込めたりとやりたい放題な家を見て、リヴェレークが折れるより先に苦笑したルフカレドが自分が移ることを提案したのだ。

 魔女の家は、一軒一軒が離れているために住宅地というよりも別荘地のような雰囲気のする丘に建っている。ユスタッチェ国立書庫を擁する街まで歩いていける距離で利便性も悪くなく、ルフカレドの家には劣れど広さも十分。静謐の魔女による影渡りであっという間に引っ越しを終えたのは今朝のこと。

 そうして始まった新生活の、初夜がこの惨状であった。

 もちろんふたりとて本当の意味での夫婦の夜を今日いまから過ごすつもりなどない。しかし魔女と聖人の婚姻はなにかと制約が多く、かたちだけでも整えておくことに意味があるのだ。

 魔女の家もそのことを理解しているはずなのだが、どうやら憤りが上回ってしまったらしい。

 なにがなんでも同衾は許さないという気配に、リヴェレークは小さく息を吐く。

「しかたありません。ルフカレドには客間を用意しましょう」

「……なるほどな。どうやらこの家は、君の優しさにつけ込んでいるらしい」

「ルフカレド?」

 冷ややかな声色はたしかに人ならざる者らしいが、彼が仕事以外でその冷酷さを武器にすることはほとんどないのだということをリヴェレークは知っている。しかし引っ越し早々にこれではさすがに先が思いやられると、愛想を尽かされてしまったのかもしれない。

 それでは困る、なにか他の案はないかと考える魔女の隣で、とん、と聖人の靴が床を鳴らした。すると家からは「ぞんざいに踏むな」と言わんばかりの気配がするではないか。

「そもそもだ。ここはもう俺の家でもあるということを理解しているのか?」

 続く気配は「許可したわけではない」といった拒絶。まるで戦記を読んでいるかのような緊迫感である。互いに譲らぬ張り詰めた空気に、リヴェレークはきゅっと両手を握った。

 言葉による返事のない家に語りかける聖人の図はなかなかに珍しいものであるが、それ以上に無言でイヤイヤ期を表現する家というのはその筋の研究者が知れば目の色を変えてやってきそうな奇観である。

「我が家が戦火に呑まれるのは困ると思って調整するつもりだったんだが、家にその気がないなら諦めることもやむなしか……」

 しかしここで繰り出されたルフカレドの脅しに、びくりと家の気配が揺れる。

 これは決着の時も近いぞと少しばかり気を抜いた魔女であったが、安心するには早い。まだこの家はリヴェレークの貞操を守ろうと諦めていないのだ。

「そうか、折ったベッドの脚が治らないんだな? ……リヴェレーク」

「は、はい」

 そもそもなぜ初対面の家と意思疎通を図れているのだと訝しんだ直後。

「丈夫な柱のある、使っていない部屋はあるか? 崩れても問題ないくらいに物の少ないところがいいんだが」

 やはり苛烈な聖人なのだ。ベッドを修復するという建前で物理的な制裁を与えようとする彼の発言に、リヴェレークはそう結論を出した。

 いかにも慌てているといったようすで、隣の部屋から壊れたベッドらしき木材の動く音がする。


 とててて、と目の前を裁ちばさみが過ぎていった。

 そのあとを針山やボビンなどの裁縫道具がついていく。

 なにかを探すようにきょろきょろと寝室を見回した彼らは、得心したようすで入ってきた窓とは反対――廊下へ続く扉から出ていってしまう。

「なんだ、今のは……」

「糸屑拾いの一家を知りませんか?」

「……は、あれが精霊なのか…………」

 どう見ても裁縫道具であるが、かなり古い時代から存在し、人ならざる者のあいだでは名の知れた精霊である。

 もっとも知られているのは姿ではなく、彼らの製作物であるが。

「家が壊してしまったベッドからほつれた糸を拾いにきたのでしょう。一度も使っていないので大した力も宿っていないはずですが、彼らにとってはよい使い道があるのかもしれません」

 必ず五人家族で現れる彼らは、人ならざる者が身につけた衣服や物から落ちる糸屑や毛玉を拾い集め、糸に紡ぎなおし、新たな布を織る。

 糸屑拾い自体に精霊としての力はさほどない。が、さまざまな要素を含んだ糸屑たちを独自の方法で重ねた布は、普通では考えられない組み合わせや重量の要素が緻密に織り込まれている。今まで誰も再現できたことがないことから、最強の布、人外泣かせの布など情緒のかけらもない呼び名がつけられているほど。

 それが糸屑拾いの一家の真価だ。


「ちょうどいいところに来てくれましたね。彼らに寝具を頼みましょう」

「は……?」

 幻の存在のように語られるいっぽうで、一家の気に入った者の前にはよく現れる。迷い路で着るための服はすべて彼らの織った布で仕立てることにしている静謐の魔女もそのうちのひとりだ。特別な織りを生かした仕立てにこだわり、また迷い路の要素を服いっぱいに染み込ませて帰ってくるのだから、糸屑拾いにしてみても上客のような扱いをしたくなるのかもしれない。

 とはいえこちらから呼ぶことはできないために、引っ越し時の物入りに依頼をかける候補としては考えていなかったのだが、来たなら話は別だ。

 とててて、と戻ってきた裁縫道具たちもとい糸屑拾いの一家はめいめいがほわほわの糸屑を抱えていたが、リヴェレークの前に並ぶとぴしっと姿勢を正す。

 裁ちばさみが敬礼を思わせる鋭い音を立てた。

「今回はなにがご入用でありましょォ?」

「見てきたでしょう。家が新しいベッドを壊してしまったのです。ひとり用でよいので、寝具をお願いできますか」

「お安いご用ですよォ」

 五人は壊れたベッドから拾ったであろう糸屑をどこかへしまい、また別の糸屑の山をいくつも取り出した。それぞれ微妙に色が異なるからには宿る要素もさまざまなのだろう。

 身を寄せあっていると部屋に放置された裁縫道具一式そのものだが、実際はごにょごにょと作業の相談をしているのである。

「どこが口なんだ……?」

 この世に精霊ほど謎めいた生き物はいない。すべてを解明しようとすればたとえ長命なリヴェレークであっても時間が足りないだろう。ゆえに今までは気にしないようにしてきたのだが、「ここですよォ」と裁ちばさみが見せてきたのが指をかける大きいほうの輪っかであったため、さすがに戸惑いを隠せない。

 ほかの者たちも律儀に教えてくれるのはありがたいが、針山の口が端に刺さったぐらぐらのまち針であるというのはいかがなものか。


 呆然と夫婦が顔を見合わせているあいだに、糸屑拾いによる織りは始まった。

 まず彼らは糸屑から糸を紡ぎなおす。古の時代から存在する魔女ですら正確に聞き取ることのできない魔法の音を鳴らしながら、その振動で糸屑をほどいていく。

 鮮やかな綿になったところで、針山から待ってましたとばかりに針が凍て風のごとく飛び出した。やわらかな糸屑の海を縦横無尽に泳ぐと、たちまち追随する糸屑たちが撚り合わさる。撚り合わさりながら、布へ、立体へと織られていく。

 糸屑拾いのものづくりは、ベッド枠さえも糸屑から始まるのだ。

 しかしよく見ると、ふたりが余裕で寝られるほどの大きさがあるではないか。

「そんなに大きくしなくてもよいのですよ」

「うひひ、問題ないでしょォ。婚姻の祝いですよォ」

 きゃっきゃと楽しそうに夫婦のベッドを見せてくるので気が抜けてしまいそうになるが、そもそもふたり用のベッドを認めない存在がいたためにこのような事態になっているのだ。糸屑拾いの織りがそう簡単に崩されることはないが、設置場所が嫌がれば寝るに寝られないだろう。

 しかし家のようすを窺うと、どうやら本当に問題なさそうだ。なぜか逆らう気力すら失せているようで、もしかすると精霊には不思議な上下関係があるのかもしれない。

 謎めいた家の魂を精霊のようなものだと考えているリヴェレークは、ひとまずそうして納得することにした。


 はたしてベッドは完成した。

 寝室の落ち着いた色彩に合わせられた掛け布団と揃いの枕が二つ。触れてみれば、バネの効いたマットにはほどよい弾力があった。とろりとした光沢の美しい毛布は青みがかった火の色で、その艶麗さが夜の営みを彷彿させる。

 試しに斬ってみろという裁ちばさみの提案に、ルフカレドは躊躇いを見せることなく腰から細身の剣を抜いた。

 ぶひゅん、と風の鳴る音だけがして、次の瞬間にはもう剣は鞘に収められている。

「……まるで手ごたえがない。いいものを作ってくれたんだな」

 太刀筋すら見えないルフカレドのひと振りは、凄まじいものであったろう。それでも糸屑のひとつも落とさないこのベッドはどれほどに頑丈なものか。あるいは、彼の言うように手ごたえがなく、斬撃の音すらなかったということは、物体としての質よりも魔法の要素としての質が強く出ているのかもしれない。


       *


 耳のうしろを滑らかな指先がかき分けていき、今朝に結われた髪は魔法を失ってはらりとほどけた。そのまま後頭部を支えられ寄せられた唇が、顎先をかすめていく。

 そのあえかな熱を紛らすように、リヴェレークはルフカレドのまとう不要なしがらみを影へと沈める。

(どう、受け止めたらよいのだろう)

 雨の城での一件でリヴェレークにその手・・・の情緒がないと判断したらしいルフカレドは、男女の触れあいを積極的に取り入れるようになった。

 とはいえリヴェレークは無知ではない。それが婚姻による要素の結びを安定させるのにもっとも手軽な方法であるということも、そこに通うべき心情の正体も理解している。だからこそ、拒むことも、同じ温度感で受け入れることもできないのだ。

 なぜルフカレドはこの手段を選ぶのだろうか。

 思い出すのは、どこか通じるところがあったのか、糸屑拾いの仕事を褒める伴侶と誇らしげに胸らしき部分を張る糸屑拾いの一家が楽しそうに談笑する姿。

(そうか。真の職人というのは私生活を疎かにすることはない。だから)

 仕事で力を発揮するには衣食住が大事なのだと以前に書物で読んだことがあった。ルフカレドが着るものや食べるものに特段のこだわりを見せたことはないので、住む場所へのこだわりだけで調子を保っているのかもしれない。誰か都合のよい相手と婚姻を結ぶつもりだったことからも、その真意は窺える。

 だとすれば共に暮らすリヴェレークの責任は重大ではないか。

 これからも戦火の聖人の住処をしっかり整えていこうと、決意を新たにする静謐の魔女であった。

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