第46話 武術大会 その3

 3日間が過ぎた。2回戦、3回戦を順調に勝ち進めた俺は、最後の125人のうちの1人に残っていた。……正確には残り126人だ。シード枠として皇帝の代闘士が参加しているのだ。


 朝9時から始まった第一試合は、その代闘士と1人の騎士の戦いだった。――結果は激闘の末、代闘士の勝利。健闘を称え合う2人に万雷の拍手が送られる中、紋章官は大音声で観戦席に語りかけた。


「惜しくも破れたクロイツタール卿の奮闘を称え、皇帝陛下は宝剣と銀盃を贈ることをご下知なさいました。この宝剣は――」


 宝剣と銀盃の由来を聞き流しながら、観戦席に座った俺はぼやく。


「組み合わせ次第ではああいう得があるのか。羨ましいことだぜ」


「ね。あの代闘士と戦えば、必然的に皇帝陛下の目に留まるもん。……でもああいうの、こっちが勝っちゃったらマズいのかな」


 ヘラがそう言うと、彼女の隣に座った、生傷の真新しい男が答えた。


「いや、その場合は代闘士と勝者、その両方に恩賜が与えられるんだ。ようは皇帝陛下の寛大さを知らしめるのが目的だからな」


 俺は顔をしかめた。


「なんなんだコイツは」


「情報通だってさ」


「昨日お前にブン殴られてた奴だよな。なんで今日も隣なんだ?」


「さぁ……」


「……まあいい。ともあれ、皇帝の代闘士レベルでもあの程度なら、ここまで楽勝だったのは頷けるな」


 2回戦と3回戦は、両方とも相手は騎士だった。だが倒せた。エリーゼと比べれば祝福の量が断然足りないのだろう、膂力差で剣を抑え込み、慎重に格闘戦を進めて勝利を収めた。


 だが次はそう簡単にはいかないだろう。係員から貰った今日の対戦表には、第20試合目に俺とエリーゼの名が書かれていた。奇妙なのは、先程の代闘士の試合のようにフィールド全面を独占する見世物試合としてではなく、同時進行で幾つも行われる試合の中の1つとしてこの試合が組まれていることだった。


「てっきり姫様の試合は全部見世物になるのかと思ってたぜ」


 ここまでエリーゼの試合は全て見世物試合として行われ、彼女が登場するたびに紋章官が「ドイツのジャンヌ云々」と紹介し、彼女の名声を高めてきたのだ。


「うーん。この組み合わせって、興行的に面白くなるように組まれてるんだよね? でもこの組み合わせは意味がわからないな。……どういうことだと思う?」


 ヘラは情報通に尋ねた。すると情報通は胸を張って答えた。


「ヴォルフが予想外に強かったからじゃないかね。だって兄ちゃん、あんた一回戦があのスヴェンだろ? いとも簡単に倒してたが、二回戦と三回戦の相手だって、武勇で鳴らした騎士だったんだぜ?」


「そうだったのか?」


「そうだとも。俺には、主催がアンタを蹴落とそうとしているように思えるね。だがアンタは勝ち残っちまった。このまま決勝まで勝ち上がって、『注目される試合』でエリーゼ様と当たるほうがマズい……主催はそう考えたんじゃないかね」


「その意図は?」


「ジレンマなんじゃないかね。『ドイツのジャンヌ』とその元従士を当たらせたくないが、このままだと決勝で当たる。だがそれもまずい、誰もが注目する場で万が一にでも『ドイツのジャンヌ』が平民に負けたら困るからな。フランスのジャンヌはともかく、こっちのジャンヌはお貴族様なんだから」


 従士じゃなくてただの護衛だぞ――と訂正しかけて、やめた。情報通なるコイツがそう思っているのだ、世間的に俺はそう思われている……思われるように皇帝か大司教が仕組んでいるのだろう。


「……気に入らねえな」


 どいつもこいつも、人の夢に余計な手出しをしやがる。……だが皇帝や大司教にとっては、俺こそが「人の夢に余計な手出しをする」異物なのだろう。勿論エリーゼにとっても。


 誰もが目的を持って動いている。それが上手く噛み合えば協力できる。噛み合わなければ、戦いになる。そういうことなのだろう。そして俺はもう戦う覚悟を決めていた。どんな妨害があろうとも勝ち上がる。勝ち上がって、皇帝や王侯貴族に俺の姿を見せつけてやる。


「そろそろ行ってくるわ」


 フィールドが10区画に区切られ、10試合が同時に進行され始めたのを眺めながら、俺は立ち上がった。


「頑張ってね、ヴォルフ」


「ああ」


 ヘラに片手剣を預けると、彼女は背伸びして唇を重ねてきた。甘い香りがふわりと漂うと同時、瑞々しく柔らかい感触が唇に伝わり、すぐに離れていった。彼女は頬を染めてはにかんでいた。


 ――彼女を「貴族の妻」にする。それが今の俺の夢で、レオ爺さんが押し付けてきた贖罪のかたちで、俺が迷宮に潜り続けた理由だ。そのためにエリーゼを、倒す。


 拳を握りしめ、俺は控室へと向かった。




 紋章官が声を張り上げた。


「最終日、第20試合。東方、エリーゼ・フォン・ローゼンハイム様。西方、姓なしのヴォルフ。相違ないか?」


「ありません」


「ない」


 午前10時頃、10区画に区切られたフィールドの一角で、俺とエリーゼは対峙していた。兜の奥、彼女の瞳を見る――冷徹に俺を見返してきた。情の揺らぎなど一切ない。彼女の甲冑に反射した陽光が、鋭く光った。


「――両者、エンチャントを」


 エリーゼが唱える聖句が響く。俺は無言で武器甲冑にエンチャントを施すと、小盾と片手剣を構えた。エリーゼは左手で長剣の柄を、右手で剣身の根本を持って構えた。


 観客たちの声がよく聞こえる。彼らは他に面白い組み合わせがあるのか、俺の知らない騎士の名を叫んでいた。エリーゼが登場したことに気づいた者は多くないようで、彼女の名を呼ぶ声は下品な野次1つだけだった。それもすぐに悲鳴とともにかき消える。


「……どういう意図なんだろうな、この組み合わせ」


 戯れにそう声をかけてみると、意外にもエリーゼは返答をよこした。


「さぁ。しかし、ことです」


 勝手にエリーゼに願いをかけて、それでいて彼女が負けることを勝手に危惧している皇帝や大司教。――ああ、そうか。彼女も俺となんだ。


「そう思うよ、俺も」


 一瞬、兜の奥でエリーゼが笑った気がした。だがすぐに穏やかな雰囲気は消え失せ、彼女は肩肘から余計な力を抜いた。――自然体で戦えるようになったのか。素振りの時に見せた、「自然すぎて予備動作が見えない攻撃」。ここまで見世物試合に参加させられて、緊張を克服したのだろう。


 勝てるか? ――勝つんだ。どんなに醜く足掻いても。


 紋章官が白杖を振り上げた。ぐっと時間感覚が遅くなる。観客の喧騒の中で、エリーゼの鎧から発せられる僅かな金属音すら聴き取れた。それでいて、自分の心臓の音もよく聞こえる。ふと「なんだ、あれは」という叫びが聞こえた気がしたが、無視する。


 紋章官が白杖を振り下ろそうとする、その動きすらゆっくり見えた。彼が口を開こうとした――その瞬間。


 がん、と何かが砕ける音がした。僅かに地面が揺れる。


「……地震? いや、あれは!」


 紋章官が目を見開き、白杖で観戦席の一角を指した。気勢を削がれた俺とエリーゼは一瞬視線を交わしてから、渋々その方向を見て――驚愕した。


 魔物の群れが、雪崩込んできていた。ゴブリンなど地下1階の魔物から、地下2階を駆ける馬型の魔物、地下3階に潜む鋭い牙をもつネズミ型の魔物。地下4階、木々の間から遅いくる鳥型の魔物、地下5階で見慣れたオルトロスや大蜘蛛アラクネー。


 そして少数ながら、本来は地下6階に住んでいるオーグル。それらが観戦席の市民たちに襲いかかり、壮絶な混乱を引き起こしていた。


「誰か、誰か助けてくれーッ!」


「きゃあああああああッ!?」


「衛兵、衛兵! ここに集結しろ!」


 悲鳴と怒号、僅かな剣戟音が響く。魔物たちが非武装の市民を爪や牙で引き裂き、衛兵や大会の選手たちが声を張り上げながら必死に魔物に立ち向かう。


「……なんだ、これは」


 思わず喉から漏れ出た言葉は、それだった。「もしかしたら」迷宮から何かが解き放たれるかもしれない、とは思っていた。だがそれは、異形の民のことだと思っていた。


 しかし実際に出てきたのは、迷宮の魔物たちだ。その魔物たちが観客を殺しながら、一部はフィールドに降りてきた。試合を行っていた選手たちは戸惑いながら応戦するが、木剣では分が悪く、また数の差に圧倒されて後ずさってゆく。


「ッ、そうだ、ヘラは!?」


 ヘラのいた観客席のあたりを振り返った俺の眼前に、何かが飛び込んできた。思わず掴んだそれは、俺の片手剣だった。これを投げてよこしたのであろう、ヘラがフィールドに飛び降りてくるのが見えた。


「ヴォルフ、大丈夫!? 姫様も!」


「そっちも無事だったか!」


 再会を喜んだのもつかの間、エリーゼが鋭く叫んだ。


「オーグル!」


 振り返るや、オーグルが石斧を構えてエリーゼに突進を仕掛けていた。しかしエリーゼが持っているのは競技用の木剣だ、あまりにも分が悪かろう――そう思って即座に加勢しに行ったのだが、エリーゼは石斧をひょいと避けると、木剣でオーグルの膝を砕いてしまった。


「……!?」


 俺は戸惑いながらも、倒れ伏したオーグルの首筋に片手剣をねじ込んだ。魔素があふれ、全周囲に飛び散っていった。それを眺めながら、エリーゼは怪訝そうな顔をしていた。


「なあ、こいつ妙に……」


「ええ、動きが鈍かった」


 エリーゼの言う通り、このオーグルは妙に動きが鈍かった。しかし一瞬のことで記憶が定かではないが、油断していたようにも見えなかった。


 周囲を見渡してみれば、あちこちへと飛び散ってゆく魔素が、ほとんど砂埃のような有様で吹き荒れていた。殺された者から生ける者へと、魔素が分散してゆく。


 魔素で遮られる視界の中で目を凝らしてみれば、どうにも全般的に魔物たちの動きが鈍いように見えた。オーグルやゴブリンなど人型の魔物に至っては、その顔は苦悶に歪んでいた。


「地上で、上手く動けていない……?」


「姫様、考察はいいですから逃げましょうよ! ヴォルフも! これじゃ武術大会もクソもないでしょ!」


 ヘラに言われてハッとする。そうだ、これでは大会なんて続行不可能だろう。……夢の舞台がぶち壊れた喪失感が襲ってくる。だがそんな感慨を拭うかのように、急にエリーゼが笑い出した。


「ふふ、ふふふ……そうですねヘラ、武術大会は続行不可能でしょう。でも」


 エリーゼは木剣で、斜め上――皇帝専用席を指した。そこには立ち上がり、何やら各方に指示を飛ばしている皇帝の姿があった。彼の周囲を固める近衛兵や貴族たちに向かって魔物が襲いかかるが、今のところ全て撃退されている。


「皇帝陛下は逃げていません。当然ですよね、自分の面子をかけた大会の場なのですから。ふふ、これはチャンスですよ、ほら」


 続いてエリーゼは、フィールドの一角を指した。――異形の民が、そこにいた。


 彼女は黄金の剣を片手に、空を見上げていた。太陽の輝きに金色の目を細め、涙を流していた。だがそれも数瞬のことで、彼女が周囲の魔物に向かって剣で指図すると、魔物たちは指された方向へと向かっていった。……指揮、しているのか?


「どう見てもあれが首魁です」


「それがどうしたって言うんですか!?」


「倒しましょう、あれを。皇帝陛下の眼下で」


 異形の民の実力は未知数だ。ひどい賭けになるだろう……だがよく見てみれば、異形の民もまた、若干ながら苦悶するように眉根を寄せていた。やはり地上では何か不都合があるのだろうか? 勝機があるとすれば、そこか。


 そんな事を考えていると、ヘラが助けを求めるように俺を見てきた。エリーゼに視線を移してみれば、兜の奥に覚悟の決まった瞳が見えた。その瞳の中に、ふつふつと湧き上がる怒りの色が伺えた。


「……はは、ははは」


「ヴォルフ?」


「……そうだよな姫様、異形のクソ女にどんな意図があるのか知らねえけどよォ……俺たちの夢に水を差して良い理由なんてひとッつも思いつかねえよな? 気に食わねえ」


「ええ。気に食わないです、本当に」


「じゃあ落とし前つけさせるしかねぇわな。んでもってアンタの意図はこうか? 『皇帝陛下の前で魔物の首魁を撃退した聖女サマ』になろうってか?」


「ご明察です。そしてあなたたちは、その聖女と肩を並べて戦った英雄になるわけです。……もうこれしかないでしょう、私たちが願いを叶える方法は」


「ここで逃げたら『125位以内に入った奴』で終わりだもんな、つーかこれじゃあ記録が残るのかも怪しいか。……いいぜ、やろう。ヘラ、悪いけど手ェ貸してくれ」


 そう言うと、ヘラは本物の馬鹿を見たかのような呆れ顔になり、それから頭を抱えた。


「……なにこれ、結局どっちに賭けてもダメだったじゃん。なんでこう……ああ」


「ヘラ?」


「わかった。やっぱりヴォルフが正しかったんだね、誰かに夢を託しちゃダメなんだ。道は自分で切り拓かなきゃね」


「おう」


「あたしは英雄の妻で、ヴォルフは女英雄の夫。それでいこう」


「おう……?」


「よぉし、皆でなるぞ英雄! 異形のクソ女の首を皇帝陛下に献上だ!!」


「よし!」


 ヘラは近寄ってきたゴブリンを捕まえるや、その胴を素手で引き裂いて雄叫びをあげた。全員の覚悟は決まったのだ。

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