晴飛先輩、教えてください!

 朱琴、って急に呼び捨てされて、びっくりした!

 男の子に呼び捨てされるのは「三国」の方だし、すっごくドキドキするんだけど!

 私の表情を見て、晴飛先輩はすぐに両手を横に振った。


「あ、ごめん、やっぱやめ」

「呼び捨てオッケーですっ!」


 晴飛先輩が言い終わる前に、私は思わず声をあげた。なんでだろう、呼び捨てがうれしかった。


「せんぱーい、あたしのこともきららって呼び捨てしてくださーい」


 きらら、いじってくるじゃん!

 私が顔を赤らめていると、晴飛先輩は小さく首をかしげた。


「えっと……佐木島さん、でしたっけ。佐木島さんは、朱琴とはどういう?」

「おい、朱琴の身内ヅラすんな」


 つまらなそうにきららが顔をしかめる。

 ていうか……私だけ呼び捨て、しかも下の名前。


 わけがわからなすぎる。晴飛先輩は何を考えているんだろう?


「まぁいいや。あたしと朱琴は幼なじみってやつで、昔から朱琴の家に入り浸ってるの。誠さんと智枝美さんは、あたしの実の祖父母だといっても過言ではないのですよ」


 先生のような口ぶりできららが言う。


「そうなんですね。じゃあ、みんなで協力して三国ベーカリーを盛り上げましょう」

「センパイが仕切んな」


 自己紹介も終わったところで、どうやってお客さんをお店に呼び込むかのマーケティングの話をしなくては。


 私は図書館の本をめくる。


「晴飛先輩、この完全競争市場とか、非価格競争とかってどういう意味ですか?」


 私が身体を近づけて本を見せると、晴飛先輩はびくっとのけぞる。


「あ、ごめん。朱琴が近すぎてびっくりした」


 なんだか意識されてるー!

 晴飛先輩は、小さく咳払いをしてから口を開いた。 


「えっと、完全競争市場っていうのは、分かりやすく言うと価格競争だね。同じようなアンパンを売っていたら、少しでも安い方を買いたくなるでしょ?」


「そうですね」


「うちは弟たちがめっちゃ食べるから、安ければ安いほどありがたいっす」


 きららの双子の弟はいくらでも食べるらしくて、いつも三国ベーカリーの売れ残りのパンを持って帰ってくれる。捨てるのはもったいないから助かる。


「非価格競争は、希少性を作って価値を高めることで、通常よりも高い値段でモノを売るための仕掛けだよ」


「希少性……期間限定とか、SNS映えとかのオリジナリティってことですか?」


 私は、カバンからノートとペンを取り出して、メモしながら聞いた。

 ノートの表紙は、可愛いパンのイラストが描かれていて今の状況にぴったりなんだ。


 希少性やオリジナリティか……。


 頭の中に、「ネットで話題の!」とか「行列のできる店!」といったワードが思い浮かぶ。


「えっと、たとえば……かき氷なんかでも、価値があれば並んででも何千円出してでも食べたい人がいる、っていう感じでしょうか?」


「その通りです。とはいえ高すぎると売れないから、値段もちゃんと考えないといけないんだけど」


 頷く晴飛先輩に対し、きららが「そーいえば」と口を開く。


「最近さ、近くのパン屋さんがリニューアルオープンしてからすっごい人気店になってたじゃん。あれも希少性ってヤツだよね」


 私は頷く。


「『くまさんち』のことだね。敵のお店にお金を使いたくないから行ったことないけど」


 くまさんちという可愛い名前のパン屋さんがある。すっごいイケメンの店員さんが映えるパンを売っているって話で、わざわざ電車に乗って来店する人がいるらしい。

 「くまさんちに行けば、素敵な店員さんに会える」「くまさんちなら見た目の良いパンが買える」そういう価値を感じている人が多いから、人気店になったってことなのかな。


 私たちのやりとりを聞いて、晴飛先輩が口を開く。


「ライバル店は視察した方がいいよ。マーケティングの基本は、まず敵情視察から始まるからね。敵を知るための出費は惜しまない方が良いよ」


「じゃあ、このあと行ってみようかな」


「うん、行こう! センパイも行きましょーよー」


 きららが誘うと、晴飛先輩は少し気まずい顔をして、小さく首を振る。


「パン屋さんは夕方に行くとほとんど商品がなかったりするから、もう少し早い時間が良いよ」


「確かにそうですね」


 個人商店では、作ったパンを余らせるほど余裕がないから、ランチタイムが終わるともう新しいパンを焼かなくなることが多い。三国ベーカリーもそうだ。


「敵を知ることがマーケティングの基本なんですね。じゃあ、そのあとは?」


 本を見るとライバル店のことを知ったら次は戦略をたてる、と書いてあった。戦略、ってなんだろう?


「敵を知ったら、今度は三国ベーカリーのことを知るんだ」


 自分のお店のことを知る?


「えー、三国ベーカリーのことなら、あたし達なんでも知ってるけど?」


 私の疑問を代弁するように、きららは挑戦的に晴飛先輩に言う。


「なんとなく知っているだけじゃダメなんだよ。得意分野はなんだろう・お客さんはどういう人が多いだろう・どんな人にお客さんになってほしいんだろう・どういうお店作りをしたいんだろう……こういうことを、全部ハッキリさせて戦略をたてないとライバルとの区別はつかなくなる。ただ価格競争をするだけになってしまい、個人商店は売り上げを落としてお店をやめてしまうんだ」


 晴飛先輩の言葉に、私もきららも言葉がない。


 聞いたことがある。売るために商品の値段を下げて一時的にお客さんが増えても、売れば売るほど赤字になってしまい、値段を元に戻したら誰も買いに来てくれない、とか……。


「自分たちのことは、知っているつもりで実は全然知らないものなんだ。これが経営の基本だから、しっかり考えてみてほしい」


「わかりました!」


 私は、晴飛先輩に言われたことをメモしながら頷いた。


 晴飛先輩は、スマホを取り出すとしばらく黙り、意を決したように顔をあげた。


「あの……朱琴のインスタアカウント教えてもらっていいかな? 連絡とりやすいように。わからないことがあったら、いつでも聞いて」


 きららもいるのに、私だけ連絡先聞かれてる! 気まずい!

 慌ててスマホを取り出す。


「何も投稿していないですけど……」


 コードを表示して、お互いのアカウントをフォローする。

 男の子と、連絡先を交換するのが初めてで、ドキドキして手が震えちゃう。


「せんぱーい。あたしはいいの?」

「佐木島さんは、大丈夫」


 冷静に、晴飛先輩は断った。


「朱琴の特別扱いエグくない?」


 きららは、別に不機嫌になっているわけではなく、面白そうに晴飛先輩をイジっていた。


 特別扱い……なの?

 なんで特別扱いされてるの、私。


 マーケティングのことも晴飛先輩のことも、わからないことだらけ!

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