颯空と舞

@kuraburu

第1話 奴

「今、フェリーを降りたところだ。これから富良野を回っていつもの道で行くよ。そっちには三時間くらいで着くと思う」

 昨夜、オートバイで東京を出発した松田駿まつだしゅんは、大洗からフェリーで苫小牧に来ていた。港を出た先のガソリンスタンドでバイクに給油をしてから、学生時代からの友人である茅森広大かやもりこうだいに電話をかけていた。広大は北海道で牧場を経営している。

「駿、気をつけて来いよ。もう若くないんだから峠で無茶するなよ」

「若くないとはなんだ。まだ三十六歳だぜ。お前と同い年じゃないか。今日は荷物満載だし、バイクはアドベンチャーだから飛ばしたくてもできない。心配するな」

「三十六歳は、もう十分オッサンだけどな」

「俺はお前と違って独身だからいろんな部分が若いのさ」

「ははっ、わかったよ。ところで今年は何に乗って来た?」

「ヴァルシス1000だ」

「それはいい。昨年はヴォルカン650だったな。毎年、新しいモデルに乗れて羨ましいよ」

「それはどうかなぁ。維持費は会社持ちだけど、仕事のために無理やり乗らされているから、嬉しくはないさ」

 駿は、柴咲重工の二輪部門の広報部に勤めている。十八歳のとき、サーキットの走行会で他を圧倒的する速さで駆け抜ける走りを評価され、柴咲のワークスチームにスカウトされた。大学に通いながら柴咲の指導で走りを磨き、プロデビューを果たす。国内のレースでは全く他を寄せ付けず、二十歳から三年間にわたり国内連続総合優勝を達成する。翌年には海外のレースへ挑戦する予定だったが、シーズンの最終戦で同僚が事故死したのをきっかけにモチベーションを失い二十四歳で引退した。その後は、柴咲重工の広告塔として新車のインプレッション記事を書く仕事を続けてきた。北海道へ来たのは、会社から与えられたバイクの試乗記事を書くためであり、それを理由に、有給休暇を消費しない一か月の特別休暇を得ていた。今はお盆がおわる八月の後半。野営道具をバイクに積んで毎年のようにこの地へ訪れ、キャンプ地を移動しながら北海道を周遊する。この旅の始めに必ず広大の住む牧場へ寄ることにしていた。

 駿は電話を切ってヘルメットを被りなおした。黒いヘルドのグローブをつけてバイクに跨り、誰もいない国道を牧場のある東へ向けて出発した。

 果ての見えない幅広の直線道路。免許が何枚あっても足りないほどのスピードを出していても、視界が広い北海道は景色の変わり方が速度に追いついてこない。体感的には時速八十キロくらいで走っているつもりでも、メーターの針は百キロを軽く超えていた。

 勝狩峠のゆるい下り道。ジャケットの中に乾いた風が流れ込み、汗と熱を奪って後ろへ抜けていく。かなりの速度が出ていたので風圧に苦しむと思ったが、ライト周りに装着したセミカウルが、風をうまくさばいてくれていた。

 あと信号三つ。そこを左折すれば目的地の牧場へ到着する。駿は速度を更に上げた。そのスピードに追従する車はいない、はずだった。

 長い下りの直線を流していたとき、一点の光がバックミラーに差し込んだ。目をやると一台のバイクが写っていた。車種はわからない。そいつはライトをハイビームにしたまま、ぐんぐんと近づいてきた。光がミラーに反射して眩しい。速度計は百三十キロを指している。追いついてくるということは、それを更に上回る速さで走っているということだ。

「何のバイクだ。 無茶な奴だ」

 緩い右コーナーに差し掛かり速度を緩めた。体を移動して車体を傾ける。バイクはセルフステアを維持しながら、センターラインに沿って旋回した。続く直線に向けて車体を起こしたとき、既に奴はすぐ後ろにいた。

 ミラーの中にいたときは、ずっと後方にいた。そう簡単に追いつくはずはないと油断していた駿は、何が起きているのか理解できずにいた。

「なんて無茶な奴だ。死にたいのか」

 直線に入り、一気に引き離してやろうとアクセルを全開にした。戦闘態勢に入ったヴァルシスの排気音は雄叫びとなり峠に響き渡る。

 前輪が浮くほどの加速をしたが、突き放すには距離が足らず次のコーナーがすぐにきた。今度は左だ。奴はぴたりと後ろに張り付いている。

「俺を抜くつもりか? 面白い」

 駿は左膝を前方に突き出し、ハングオンの姿勢を取った。イン側を塞ぎ限界速度でコーナーに突っ込む。膝パッドがアスファルトを擦った。激しい走りに暴れだす車体を無理やり抑え込む。あとは立ち上がって一気に加速すればいい。

「楽勝だ」

 自分の走りには絶対の自信がある。峠で素人に抜かれることはないと確信していた。だが、後ろを走っていたはずの奴は、さらに加速して外側から追い抜きをかけてきた。

「なにっ、アウトだと。曲がり切れないぞ」

 外側から抜くには、内側を走る駿をはるかに凌ぐ速さが必要だ。しかし、速度が出すぎればコーナーの出口で体勢を戻せず、そのままコースアウトしてしまう。

「危ない、止まれっ」

 素人相手にムキになり、限界速度で内側を塞いだことを今になって後悔した。並走する二台。外側を駆ける奴はアクセルを緩めない。その速度に耐え切れなくなったタイヤは能力の限界を超え、車体は外側へと滑り始めた。それでも姿勢を戻そうとはしない。奴はそうなることをわかっていたのだ。

 前後のタイヤが横滑りしながら奴のバイクは高速で曲がり続けた。車体は絶妙のバランスを保っていた。そしてコーナーの後半、奴は高速を維持したまま、あっさりと駿を抜き去り前に出た。直線に戻ったとき、二人の間には車体二台分ほどの差が開いていた。

 駿はアクセルを緩め路肩にバイクを停めた。その場で遠ざかる奴の背をじっと目で追った。今から追いかける気力はとっくに失せていた。叫び続けていた排気音は消え、峠には静寂が戻った。

「なんだよ、抜かれちまったじゃないか。奴は誰なんだ。それに、あの走りは・・」 

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