第3話「最悪のエンカウント③」

 片桐さんに指定され、やってきた喫茶店は、全国チェーンにもなっている有名なコーヒーショップだ。

 外観から見るだけでお洒落な雰囲気を醸し出しているので、僕みたいな日陰者には少々眩しすぎる。


「ほら、遠慮しないで行きましょう」


 しかし彼女は強引に僕の手を引っ張り、ずけずけと店の中に入った。

 入った瞬間にコーヒーのいい匂いが僕らを出迎えて、不思議とそれだけでリラックスしてしまう。

 片桐さんは僕の分までコーヒーを注文する。

 まるでどこかのファンタジーの呪文かと思った。


 注文したものがカウンターから出され、片桐さんは両手でコーヒーを持ち、店の隅の席に座った。

 僕も彼女と向かい合う形で座る。


 慣れない場所だからとても緊張する。

 周囲は8割方女性客だから余計に。


「で、私とは付き合ってくれないんですか」


 えい、えい、と彼女はつま先で僕の脛をつつく。

 本気の蹴りではないみたいだからそこまで痛くはない。

 ただ、鬱陶しいとは思うけれど。


 僕はため息交じりに彼女の質問に答えた。


「君のような人と付き合うなんて、よほどのもの好きじゃないとできないと思うんだけど」

「そんなことないと思いますよ? 私、学校での立ち位置はそれなりに理解しているつもりですから。自慢に聞こえるかもしれませんけど、私って人気ありますよね」

「否定はしない」


 本当に自慢かと思った。

 一体今日だけで彼女の化けの皮はどのくらい剥がれただろう。


「確かに君はクラスだけじゃなくて、学校でもかなり高い人気を集めていると思う。生徒からはもちろんそうだし、先生からもかなり信頼されているんじゃないかな。僕もあの現場を見るまではいい人だなって思ってたし」

「あら、お褒めに預かり光栄です」

「褒めてないよ」


 むしろ失望したんだ、と言いかけたけど。多分言っても彼女には通じない。

 片桐さんとは根本的に価値観が合わない。

 僕が捻くれているのもあるだろうけど、彼女も彼女でなかなかネジがぶっ飛んでいる。

 でなければ援助交際なんてやらないだろうから。


 僕は彼女が頼んだコーヒーに口をつける。

 苦い。

 ブラックだ。

 飲めないことはないけれど、できるならミルクをつけてくれたらよかった。


「聞いていいのかわからないけど、なんで、あんなことしてたの?」

「あんなこと、とは?」

「ほら、えっと、その……援助交際」

「今はパパ活が主流ですよ。ほら、恥ずかしがらずに」

「言えるわけないだろ、そんなこと大声で」


 どうして彼女は辱めもなくそんな言葉を平気で吐き捨てられるのか。

 僕には理解しがたい。


 ふふ、と僕を掌で転がすように、彼女は微笑んだ。


「愛されたいんです、私」


 きっと、僕の質問に対する答えだろう。

 僕を試すように片桐さんは顔を覗き込んでくる。

 その黒い瞳には魔性の力が込められているようで、ただ見ているだけで彼女の瞳の中に吸い込まれそうになってしまう。


 けれど、僕をこの現実につなぎ留めてくれたのは、他ならない「愛」という言葉だった。

 それは僕がこの世界で最も忌み嫌う言葉で、クラスの人気者である彼女にはそんな悩みなど全くの無縁だと思っていたから。


「夜の営みは愛情表現の一種だと聞いたことがあるので」

「どこ情報? それ」

「ネットです」


 あんまりネットの情報を鵜吞みにするのもどうかと思う。

 それに、書いてあることは間違いないのだろうけれど、それはおそらく恋人がいる前提での話だろう。

 今の片桐さんのように不特定多数と関係を持つことは、きっと「愛」とは呼べない。


「片桐さんの求めているような愛なんて、そんな気軽には出てこないと思うよ」

「でも、私を抱いてくれている間は、皆さん愛してくれます」

「それは一時的なものじゃないか。みんな、君の身体に興味があるだけで、君自身に興味なんてない」

「でしょうね。わかっています。けど、ないよりはマシだから」


 そう呟き、彼女はコーヒーを飲む。

 片桐さんも僕と同じブラックコーヒーだったけれど、苦いという表情は一切出さなかった。

 ひょっとしたらやせ我慢をしているだけなのかもしれないけれど、ブラックを難なく飲める彼女のことをほんの少しだけ尊敬した。

 ほんの少し、だけだけど。


「僕を恋人にしようとしたのも、それが理由?」

「はい。村山くんの言う通り、今まで受け止めてきた愛は一時的なものです。だけど長い目で見た、恋人という普通とは少し違った関係からの愛は、どこまで違うのか、少し試してみたくなりまして」

「ひょっとして、僕のことをモルモットだと思ってる?」

「まさか」


 クスリと微笑みながら彼女はコーヒーの入れ物をテーブルに置く。

 どうやらもう飲み干してしまったらしい。


「まずは良き友人から始めませんか? クラスメイトではなく、友人」

「……それなら、アリかもしれない」


 正直彼女に対する不信感は残っている。

 しかしそれよりも僕の中にふつふつと生まれていた邪な欲望の方が勝った。

 きっと彼女とはこれ以上関係を持つことなんてないのだけれど。


 ありがとうございます、と片桐さんは微笑んだ。

 その笑みが異様に妖艶で、ドキリとしてしまった。


 結局僕も欲にまみれた人間だということが分かった。

 それを知って少し悲しいとも思ってしまった。

 

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