#04 作りたいんです!

【4月10日】


「よし、じゃあ入るよ」


 コンコン。と、わたしは音楽室の真っ白な扉を二回ほど叩く。


 後ろには、どこか緊張した面持ちのユキちゃんとトッくんが今か今かと待っている。


 するとすぐに中から『はーい』という返事が返ってきた。


 わたしたちは扉を開けて、音楽室の中に入る。木のような、独特な植物の香りがわたしたちを迎え入れてくれた。


「どうしたの?」


 奥からやってきたのは、五十代くらいの初老の女性だった。人の良さそうな笑みを浮かべ、落ち着いた雰囲気で品性のありそうな人。


「あの、急に来てごめんなさい」


 この人が、音楽の授業を担当している北上先生だ。


「わたしたち、吹奏楽部を作ろうと思っているんです。だから、北上先生に顧問になってもらいたくて来ました」


 わたしは緊張と不安を胸の奥に隠し、ハキハキと言葉を紡ぐ。


 すると北上先生は一瞬、驚いたような顔をした。まぁそれは当然だろう。


「……一年生よね?立ち話もあれだし、ここに座って」


 が、先生はすぐに優しい表情に戻る。『こっち』と、前の三つ並んだ席に案内された。


 突然やってきたわたしたちを、北上先生は拒否することなく受け入れてくれたのだ。


 北上先生はさっと机を三つ並べ、それに対面するよう机をもう一つ置いた。まるで三者面談のような机配置だ。


 わたしたちはその席に座り、北上先生はその前の席に座った。


「えっと、部活を立ち上げたいとのことよね?」


 北上先生はわたしたちの顔をそれぞれ平等に見渡す。


 ふと隣を見ると、ユキちゃんがとても不安そうな顔つきで、膝の上に置いている手をぎゅっと握りしめていた。


 わたしはユキちゃんの手をそっと握った。


「はい。音楽系の部活を作りたいと思っていて。だから音楽の先生の北上先生に顧問になって貰いたくて、来ました」


 部活を立ち上げるなら、部員もそうだが顧問が絶対に必要だ。 


 顧問が居なければ、部活を作りたいと校長に直訴してたとしても、速攻で却下されるだろう。


 北上先生はこの学校で唯一の音楽教諭だ。だから、この先生に頼むのが最適だと考えたのだ。


 北上先生はわたしの話を遮ること無く、最後まで聞いてくれた。


「なるほどね。そう思って実際にここまで来るの、相当勇気が居るでしょう」


『凄いと思うわよ。』と、北上先生はわたしたちの行動を褒めてくれた。


 わたしは嬉しくて、目を輝かせる。先生のこの雰囲気からして、本当に頼みを引き受けてくれるかもしれない。


「でも…」


 と、北上先生は気難しそうな顔をした。ふぅ、と息を吐くと、わたしたちの顔をじっと見る。


「あなたたちのその心意気は素晴らしいと思うの。でも、部活を一から作るというのは難しいのよ。私もこんな年だし…申し訳ないけど、私にはできないな」


『ごめんなさいね』と、北上先生は申し訳無さそうに頭を深く下げた。


 わたしたちの頼みは断られてしまったのだ。



【♪♪♪】



「どうしよう?断られちゃいましたよ!」


 音楽室を出て早々、トッくんが叫ぶ。この世の終わりのような顔をして頭を抱えていた。


「……いや、ここで諦めたら意味ないよ!」


 しかし、この展開はわたしの中ではなんとなく想定内のことだった。


 そりゃ、急に来て『顧問になってください』って、そんなめちゃくちゃなお願い断られるに決まっている。そう分かっていた。

 

 でもだからって、わたしは諦めていなかった。


「えっまさかまた頼みに行くの?」


 ユキちゃんはわたしを見て驚愕している。

 

「そうだよ!そりゃ、一回だけじゃ聞き入れて貰えないと思ってたよ。ここで諦めたら意味ないよ!」


 わたしは笑顔でそう言い切る。


 もしかしたら、『吹奏楽部を作りたい』という気持ちの大きさが、あまり伝わらなかったかもしれない。


「何度断られたって、諦めずどれだけ本気なのが伝え続ければ、きっといつか分かってもらえるよ!」


 わたしはそう言って笑うと、両手でガッツポーズを決めた。


 するとトッくんが『断られても諦めないなんて、流石です!』と、キラキラとした瞳でわたしを見た。


「えー、ちょっと気まずい…」


「てことで、明日も行こうね!」


 ユキちゃんは苦い顔をしていたが、わたしたちは半ば無理矢理そう決意した。



【♪♪♪】


 という訳でわたしたちは諦めることなく、次の日からも音楽室に通い続けた。


「わたしは小さい頃からピアノを習っていて、音楽が大好きなんです。美しい音楽を奏でることは、心の豊かさを育むし…」


「ぼくは、音楽にずっと興味があったんです。でも家にお金が無くて、楽器を習えなかったんです。だから、ぜひ吹奏楽部で音楽をやりたいと思ってて…」


 わたしたち三人は、それぞれの吹奏楽部への思いの強さをひたすら北上先生に語り続けた(ユキちゃんはほぼ無言)。


 わたしたちが決してお遊びではなく、ちゃんと本気で部活を作りたいと思っていることを知ってほしかったのだ。


 端から見ればわたしたちは相当しつこいだろうし、迷惑なことをしていたかもしれない。


 だが北上先生は、そんなわたしたちに嫌な顔一つ向けず、しっかり話を聞いてくれた。

 

 でも、どれだけ毎日通い続けても、北上先生が『いいよ。』と引き受けてくれることは無かった。

 

『ごめんなさい』『やっぱりできない』と言われるばかりだった。

 

次の日も、その次の日も、またその次の日も同じ。

 

 結局、何も変化のないまま二週間近く過ぎた。


「次断られたら、あたしはもう行かないから!」


 ユキちゃんはいよいよ限界が来たのか、げっそりとやつれた顔でそう宣言した。


 わたしも、流石にこれ以上頼んでも無駄だろうな、と諦めかけていた。


 それはトッくんも同じで、最後に一回だけ行き、そこでまた断られたらもう諦めよう。三人の間でそう決まった。



【♪♪♪】



「先生、今日断られたらもう来ません。だから、最後にわたしたちの思いを聞いて下さい。」


 もうすっかり見慣れた音楽室。わたしたちが北上先生に向き合うは何回目だろうか。


「わたし…」


 わたしは膝の上で手をぎゅっと握りしめる。


「わたし、小さい頃は友達が居なくていつもひとりだったんです。そんなわたしと初めて仲良くなってくれたのが、今隣に居るユキちゃんなんです。」


 わたしはユキちゃんを見る。


 ユキちゃんは驚いたような顔でわたしを見た。この話をここでするのは、初めてだったからだ。


「わたしが教室でひとりでオルガンを弾いてたとき、気が付いたら隣でユキちゃんが居て。ふたりで連弾をしていくうちに、わたしたちは友達になりました。」


 北上先生はわたしの話を聞きながら、真剣な顔で頷いている。


 わたしは呆気にとられているユキちゃんの顔をしっかり見つめながら話した。


「わたしがユキちゃんと仲良くなれたのも、音楽が繋げてくれたからだと思っています。中学に入ってトッくんとも知り合って、この三人が出会えたのは音楽のおかげだと思ってます。音楽は人と人を繋ぐ力があるって、そのおかけで笑顔になる子が居るって知ったんです。」


『だから、』と、わたしは北上先生の目をじっと見た。


「だからわたしは、吹奏楽部を作りたいんです。吹奏楽部を作って、もしこの学校にひとりぼっちで笑っていない子がいるなら、その子に仲間を作りたい。そして、笑顔にしたいんです。」 


 わたしは自分の思いを、吹奏楽部に対しての思いを、目の前に居る北上先生に全部ぶつけるつもりで話した。


「あたしも…」


 すると、これまでほとんど黙っていたユキちゃんが口を開いた。その声は憶病に震えていた。


「あたしも、吹奏楽部を作りたいです。最初はカナに無理矢理誘われただけだったけど、今は違います。あたしも、カナやトッくんと一緒に演奏してみたいなって心から思えてます。」


 ユキちゃんがそう言うと、北上先生はしばらく黙り込んで俯いていた。


 やっぱり、駄目だったかな。先生のその表情を見て、わたしは自然と『諦め』を覚えた。もう充分過ぎるほど思いは伝えた。それで無理なら、もうきっと駄目だろうな。


 横のふたりと顔を見合わせて、『もう大丈夫です』と帰ろうとした、そのとき。


「私ね、若い頃は吹奏楽部の顧問をやっていたのよ。」


 北上先生は顔を上げ、わたしたちの顔をしっかりと見渡した。


「それなりに年重ねてこの学校に赴任してきた時、まさか吹奏楽部が無いなんて、と残念だった。でもどうせもうすぐ定年退職を迎える身だしと思って、諦めてたわ。でも…」


 北上先生はふっと微笑んだ。どこか憑き物が取れ、晴れたように。


「あなたたちには根負けしたわ。わかった。行けるところまで、行ってみましょう。一緒に。」


 北上先生の言葉に、わたしたちは揃いも揃って目を大きく見開いた。信じられない、というように。


「やっ…やったぁぁぁ!」


 心の底から喜びがふつふつと湧き上がってきて、わたしはガタッと立ち上がって喜びを露わにした。


『やった!やりましたね!』と満面の笑みのトッくんの横で、驚いて呆然としているユキちゃんが居た。


 こうして、ようやく第一段階をクリアした。 


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