招いた未来

 エレノアの制止を無視して、人魚退治に向かったジェームズ達。彼等はそのまま船を駆り出し、沖へと向かった。

 漁師達の作戦は、まず幾つかの船が大きな網で魚を取る。魚を取ると人魚が現れ、船を攻撃してくる性質を利用した。

 彼等の思惑通り一体の人魚が現れたら、周りで控えていた漁師達が銛で人魚を浅く突く。

 銛で突かれた人魚は、痙攣するように身体を震わせる。何が起きたのか、どうして身体が言う事を効かないのか……人魚自身分かっていないようで、困惑を露わにしていた。

 人魚はそれでも船を襲ってきたが、それこそ思う壺。手や顔にどんどん傷を付けていく。致命傷というほど深手を与える必要はない。オロマタギの毒は強力で、ほんの僅かでも魚にとっては猛毒となる。人魚の身体はやがて動かなくなって海に浮かび、後は簡単に貫けた。

 銛で串刺しにされた人魚を見て、漁師達は一気に湧いた。

 今までただ逃げ惑う事しか出来なかった相手、これまで討ちたくても何も出来なかった家族の仇。それをついに討ち取ったのだ。

 喜んだ漁師達であるが、その一体だけで満足はしなかった。人魚は危険な存在だ。少しでも数を減らさなければならない。

 倒した人魚をバラバラにして海に捨てると、新たな人魚が続々と現れ、襲い掛かってくる。それもオロマタギで作った銛により返り討ちにしていく。数が増えると怪我人も出たが、どの漁師達も怯まない。家族の仇を取り、これ以上家族が失われないように――――誰もが大いに奮闘し、敵を倒していく。

 日が沈むまでのたった数時間で、五十体以上の人魚が駆除された。

 その報せは町をたちまち駆け巡った。多くの町人は、喜びを露わにする。人魚に困らされていたのは漁師だけではない。漁師の家族や友人、漁師から魚を買っていた商人達も、人魚を嫌っていたのだから。

 人魚に同情したのはごく一部の町人だけ。その一部も、自分が少数派である事はよく理解している。言葉に出して反発した者など片手で数えるほどしかなく、その反発は町人の総意により

 エレノア第二王女が来ている事を知っている、町を治める貴族も町人の行為を好ましくは思っていなかった。しかしそれはあくまで、姫の意向にそぐわないというだけ。エレノアが(公式の回答ではないという形だが)町人の行動に文句を言わない以上、貴族も町人達を取り締まる事はしなかった。漁師もまた領民であり、何より漁業で成り立つこの町にとって基盤のようなもの。貴族もまた人魚を疎ましく思っていたのだ。駆除が上手くいくのなら、それに越した事はない。

 人魚狩りの手法は、漁師達の中で広く共有された。最初は消極的だった漁師も、人魚を比較的簡単に倒せるとなれば意見を変える。人魚狩りの方法を採用し、大多数の漁師が人魚を殺すための銛を船に積んだ。また漁師達はこの方法を独占せず、人魚と敵対している他の村や町の漁師にも伝えた。オロマタギは肥沃で水気の多い地域であれば、邪魔になるほど見付かる木。銛作りに困るところはなく、多くの漁村でも採用された。

 誰もがやれば、それだけ駆除数も増える。港町ヴェイスでは半年で何千という数の人魚を駆除する事に成功。これで漁は安全に行なえ、町は更なる繁栄を遂げる……誰もがそう信じた。

 翌年、早くも異変が起きた。

 魚が取れなくなった。一種類だけではない。町に隣接する海に棲む魚(正確には甲殻類も含めた魚介全般)の大半が、殆どいなくなったのだ。漁獲量は前年とくらべて十分の一。変わらなかったのは、岩礁地帯など沿岸部に生息する魚だけだった。

 一部の者達が噂をする。これは人魚の呪いなのではないか、と。

 しかし大半の町人は、呪いなんて『非科学的』なものだと笑った。百年前なら信じただろうが、今や世界のあちこちに鉄道が敷かれ、エルフやドワーフが観光に来る時代。いくら学がなくとも、非科学的な呪いを信じる者など殆どいない。

 何より、漁獲量というのは元々年によって大きく変動するものだ。沖における全漁獲量が十分の一になったのは前代未聞だが、岩礁地帯では普通に魚が取れている。今回もそういった自然の変動に違いないと考えられた。

 そして町は対策として、沖での禁漁を行った。魚の数が減っている時に捕れば、もっと減ってしまう。故に捕らずにおく。そうすれば来年、何百万と生まれた卵が孵化して魚で満たされるのだから。町は漁師達に補助金を出し、漁に出なくても良いように生活を補填。また岩礁地帯でも、稚魚や甲殻類をあまり捕らないよう漁獲制限を行った。

 この年も漁師の人魚狩りは続けられたが、それは誰も止めなかった。魚と同じように、捕らなければ増えるに違いないのだから。

 翌年、漁獲量は前年の百分の一……二年前の一千分の一まで減った。

 明らかにおかしい状態だった。禁漁をした。生活保障もしたから、殆どの漁師は漁などしていない。また小魚を食べる大型魚が顕著に減っている。捕食者が減った分だけ小魚は繁殖出来る筈なのに、その小魚が猛烈に減っていた。半数以上の種の漁獲がゼロととなったのも、単なる激減ではない事を物語っていた。

 更に異変は漁獲量だけではなくなった。

 海から腐臭が漂い始めたのだ。船を出せば、鼻を摘まずにはいられない。おまけに水が濁り、今まで以上に海中を見渡せなくなる。どうにか捕れた魚も腐った水の中にいるからか、臭くて食べられたものではない有り様。

 止めとばかりに赤潮も頻発。赤潮は水に溶けた空気を奪い取る事で、魚を窒息死させてしまう。この海でも魚達は息が出来なくなり、僅かな生き残りの腐乱死体が浮かんでくる。しかもこの赤潮は沖だけでなく岩礁地帯にも到達。昨年は漁獲量が変わらなかった、貴重な漁業資源も壊滅した。

 魚は捕れず、海は臭い。こんな場所に観光客が来る訳もない。観光業も壊滅し、町には失業者が溢れ出す。

 この年には、もう人魚は見られなくなった。人魚がいなくなったから、人魚狩りも行われなくなった。来年こそは良くなってくれ、観光出来る海になってくれ……誰もがそう祈り続けた。

 人魚狩りから三年後。状況は更に悪化した。

 赤潮はなくなった。いや、区別がなくなったと言うべきか。海は常に赤く、腐臭が陸地をも満たす。捕れる魚の数は更に減り、捕れても臭くて食べられない。それどころか何をどうやっても食べれば腹を下す。水の中を漂うなんらかの毒素を、生き延びた魚や甲殻類が溜め込んでいたのだ。

 岩礁地帯の生態系も壊滅した。雑多だけど豊かな生物相は、押し寄せてきた赤潮に飲み込まれて消えた。そこで捕れるのは、腐った水に湧く蛆と、その捕食者である不気味な軟体生物ぐらいなもの。試しに食べた者もいたが、不味い以前に体調を崩した。

 更に、他の漁村から批難されるようになった。

 人魚狩りを伝えた村も、港町と同じく魚がいなくなったのだ。何が起きたのか、港町ヴェイスの住人達にも分からないが……人魚狩りの影響だと言われても、反論は出来ない。自分達の町もそうなのだから。

 町の財政も悪化した。魚が捕れず、失業者に溢れれば、何処も金など生んでいないのだ。漁師だけでなく他の町人への生活保障も必要で、たった三年で財源が尽きてしまう。統治する貴族が資材を投げ売ったところで焼け石に水だ。もう、助ける事など出来ない。

 長い失業が続けば、生きるためには犯罪をするしかない。財政が破綻した事で治安維持の自警団も残らず、いるのは王都から派遣されている僅かな衛兵だけ。これでは逮捕する数より、新たに罪を犯す人の方が多い。治安は著しく悪化し、町は急速に荒廃していく。

 仕事がなく、生活も出来ず、犯罪が蔓延る。こんな町で暮らす事は無理だ。次々と人々は町を出ていく。人が減れば町はどんどん廃れていった。

 人魚駆除から四年後。町から人の姿は消えた。

 王都から派遣された衛兵を除けば、町に住んでいるのはもう数える程度……町を捨てられない老人やその家族、引越し先の宛がない者や移住のための資金がない者、そして犯罪者や犯罪組織だけ。

 ここまて荒れると、本格的に町を捨てる動きが出た。

 土地を治める貴族は王国に打診。数年間の支援と引き換えに、住民の移住を推進していく。老人達の反発は強いものの、家族がいる者達は比較的早期に移住を始めた。強制ではないため、中々移住を決断しない者もいるが……町は少しずつ、人を失っていく。

 町に『死』があるとすれば、住人が完全にいなくなった時。

 港町は着実に死へと向かっていた。死んでいく故郷から、次々と人が出ていき、故に死は加速していく。誰もその流れは止められない。止めようともしない。老衰する老人の行く末を見守るように、静かに町は衰えていく。

 そして人魚駆除が始まってから五年後――――町の住人は数えるだけとなった頃。

 ジェームズは、未だこの町に残っていた。


「……………」


 彼は船着き場にいた。しかし船には乗らず、ぼんやりと、虚ろな眼差しで正面……腐臭漂う海を眺めるだけ。刺々しい覇気もなく、まるで抜け殻のよう。

 その手には、たった五年でボロボロになり、数多の血を吸った事で黒ずんだ銛が握られている。一見しておどろおどろしいが、されど腑抜けたジェームズが持っていても、見た目が仰々しいだけの『ハリボテ』に思えてくる。実際銛はかなり劣化が進んでおり、少しでも丈夫なものを突けば、簡単に砕けてしまうに違いない。

 オロマタギは乾燥すると一気に脆くなる。だからこそ、今まで使い道のない木と言われていた。オロマタギで作られた銛も、例外ではない。

 いずれこの銛も土に還る。これまで貫き、殺してきた人魚達と同じように。

 そしてこの船着き場や側に建つ市場も、何十年、何百年と経てば、自然に飲まれるだろう。人の管理を失った建築物の劣化は早い。船着き場に放置された木造船は、既にフジツボやカビなどに蝕まれ、幾つかが沈没している。船を繋ぎ止めるための係船柱も錆び付き、脆くなりつつある状態だ。

 今ならまだ劣化は小さいので、建て直しも可能だろう。しかし腐臭漂う海の船着き場を再建して、なんになるというのか。魚なんて一匹もいないのに。

 もう、誰もこの町を助けない。助けられないし、助ける価値もない。

 町は滅びる。誰に攻撃された訳でもないのに。


「……どうして……」


 ぽつりと、ジェームズが呟く。

 腐った海は、潮風と共に悪臭を運ぶ。それは責める声なのか、単なる死臭か。自然の意思表示は、ただの人間には分からない。

 人間の問いに答えてくれるのは、人間だけ。


「ようやく、その疑問に答えられるようになったわ」


 ジェームズの背後から、声を掛ける者がいた。

 ジェームズは酷く緩慢な、死にかけの老人のような動きで振り向く。最初は生気のない目だったが、そこにいる人物が誰なのか理解するや大きく見開く。

 そこにいたのは、エレノアだった。

 五年前と比べて身長が伸びるなど成長していたが、可愛らしい顔立ちと屈託のない笑みなどは変わっていない。ジェームズも一目でエレノアだと気付いただろう。

 傍にはイリスもいる。しかし、イリスだけ、ではない。

 イリスの背後に、何十という数の兵士が控えていた。彼等は臨戦態勢を維持し、荘厳な威圧感も発している。重々しい鎧を着込み、大剣を腰に備える姿は、如何なる刺客であろうとも『任務』の実行を尻込みさせるだろう。

 そしてエレノアの格好もこれまでジェームズに見せてきた、作業着姿なんかではない。

 豪華絢爛なるドレスだ。綺羅びやかな宝石を幾つも取り付け、幾重にも生地を重ねた重々しい装飾は、走り回るなどという『はしたない』真似を許さない。ドレスには王家を示す紋章が刻まれており、言い換えればこのドレスがのものである事を示す。

 いくら王族の顔を知らずとも、この国の紋章ぐらいは誰でも知っている。それを身に着ける立場が誰であるかも、想像が付く。ジェームズが驚くのも無理ない。

 最早説明は不要だろう。しかし何も言わないのは誠意がない。だからエレノアは堂々と名乗る。


「こんにちは。今日は海洋生物学者ではなく、王家の一員として訪問したわ。少し、王女の戯れに付き合ってくださる?」


 エレノア第二王女が、直々に現れたのだと――――

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