賑わう観光地

「ひゃあーっ! すっごい賑やかねぇ!」


 一人の少女が、明るい声ではしゃぐ。

 彼女の眼前には、大勢の人が行き交う町並みが広がっていた。

 家々は煉瓦で作られたものが多く、一階建ての平屋が多い。煉瓦は様々な色に着色されており、春の日差しが一番強く降り注ぐ昼時というのもあって、どの家も明るく鮮やかに見える。この通りは幅が三ハイト(つまり成人男性三人分ぐらいの)あるぐらい広いのだが、埋め尽くされるほどに人で溢れていた。人々は大半が笑顔で、また仕事をしている様子はない。

 それも当然だろう。この道を往来している人の多くは、観光客や旅人など、この町の外から『遊び』に来た人間なのだから。

 いや、人間だけではない。

 明らかに普通の人間よりも耳の長い美男美女や、子供ぐらいの背丈なのに髭を生やした男など、『亜人』の姿もちらほらと見られる。それら亜人も、この町の外からやってきた者達だ。

 明るい声ではしゃいだ少女も、彼等と同じく町の外からやってきた。

 少女は一見して、齢十三ぐらいに見えるほど幼い。実年齢は十八で成人(付け加えると女子はそろそろ婚姻を真剣に考えた方が良い年頃)なのだが、無邪気なはしゃぎ方もあって見た目相応の低年齢に見えるだろう。

 着ている服も、成人というより少女趣味だ。リボンやフリルが多い、可愛らしいワンピース。少女自体が大変愛らしい容姿をしているため、似合ってはいるのだが……十八という歳ならば、もっと落ち着きある格好をするのがマナー、或いは常識だ。尤も、着ている少女はそんな世間の目などまるで気にしていないが。


「エレノア様。流石にはしゃぎ過ぎではありませんか」


 そんな少女・エレノアの傍には、お洒落とは全く無縁の女がいた。

 女の名はイリス。成人した男性にも引けを取らない高身長と、少女と見紛うエレノアとは違う大人の身体付き……豊満な胸とくびれた腰つき、艶やかな肢体の持ち主だ。顔立ちも端麗で中性的な、間違いなく美人と呼べるものである。

 しかしその美貌を、彼女は無骨な鎧で隠していた。無骨と言っても肩にはマントがあり、胸には勲章が幾つもあるなど華美な装飾は施されている。だが男でも簡単には着こなせない、重装の鎧は身体のスタイルを完璧に隠してしまう。兜は被っていないため顔は出ているが、持ち前の中性的な顔立ちというのもあって、声を聞かねば彼女が女だとは……聞いたところで半分は気付かないだろうが……思わないだろう。

 そして彼女の腰には二つの武器がある。

 一つは大きな銃。鉛弾を撃ち出して相手を射抜くこの凶器は、『軍人』以外は特別な許可なしに外での所有が禁じられている。全身を鎧で包んだ彼女は間違いなく軍人であり、その武器の所持を不審がる観光客や市民はいない。

 仮にこの銃を奪おうとしても、その時には反対側にある大剣が不埒者を真っ二つにするだろう。鍛えていなければ大人でも振るうのに一苦労しそうな大きさの剣であり、収めている鞘には名門貴族の家紋が刻まれていた。

 一般市民は家紋を見ても、何処かの貴族かと思うぐらいでしかない。されど歴史ある名家の一員……貴族であれば、その家紋が王国騎士団を統括するフェレナンド公爵家のものだと一目で理解するだろう。歴史と地位と力を有す、此処王国領で王族に次ぐ権威を持つ名門貴族だ。

 イリス・フェレナンドとはそれだけの権力が後ろ盾に付いている女である。それが『騎士』という立場とはいえ一人の少女に付き従う様は、知る者が見れば異様な光景だ。尤も、此処にいる者の大半は名のある貴族などではなく、ちょっと裕福な市民ばかりなので、その異様さに気付く者など殆どいないが。

 ましてやエレノアの、無邪気を通り越して気品も何もない態度を見れば、抱いた疑問も勘違いか何かと思うだろう。


「だってだって〜。こんなにも人がいるなんて、思いもしていなかったもん! まるで王都みたいな賑やかさ! 正直、港町が此処まで賑やかとは予想外ね! 言い方は悪いけど、もっと廃れた田舎の町ってイメージだったわ」


「……確かに、十年前まではエレノア様の予想通りの状態だと聞いています。ここまで観光客が多くなったのは、近年鉄道が通った事が大きな要因でしょう」


 イリスが語る説明を聞き、なるほど〜とエレノアは納得する。

 今からほんの百年前に、石炭を燃料にして進む『乗り物』……蒸気機関車が生まれた。

 機関車は馬よりも大きな力を持ち、また速さも出る乗り物だ。大量の物資と人の輸送を可能とする、正に物流の革命である。とはいえ走るためには鉄道が必要で、鉄道には多量の鉄がなければならない。

 鉄を得るには鉱山が必要だが、そういった鉱山は亜人の一種であるドワーフが専有し、人間は中々需要を満たす輸入が出来なかった。ドワーフは人間の半分ほどの背たけしかないが、力は大男が如く強い種族で、更に鍛冶に長けるため武具にも優れている。このような力関係なのに一部の無能な為政者が侵略を試みた(そして返り討ちに遭った)所為で、外交関係は極めて劣悪。鉄の輸出は大きく制限され、人間側は慢性的な鉄不足。平時の武器や家具すら不足気味なのに、多量の鉄を使う鉄道の敷設を行う余裕など全くなかった。

 そのため開発当初の機関車は都会などごく一部だけで使われていたが……しかしここ五十年ほどでドワーフ側に人間と同じ貨幣経済の概念が根付き、交易が本格化。多量の鉄が得られるようになり、また貨幣経済が身に付くとドワーフが人間の都市にも住むようになり、相互理解が進んだ事で関係が改善。輸出制限の解禁により鉄需要が満たされ、本格的に鉄道が普及し始めた。

 鉄道が出来れば、大勢の人間の往来が容易になる。利用客が増えれば一人当たりの利用料を下げても利益が出るので、企業間の競争もあって運賃が低下。運賃が下がれば更に多くの人が利用し、また遠くまで足を運ぶようになる。それも仕事以外の、観光や遊びなどで。

 鉄道網の発達による、観光ブームの到来だ。今王国はかつてない早さで鉄道の敷設が進み、誰もが国中を旅出来るようになった。そして鉄道の恩恵は、人間だけが受けている訳ではない。ドワーフなどの亜人も鉄道を利用し、旅行を楽しんでいる。

 王国の辺境に位置するこの港町も、十年前に鉄道が開通し、多くの観光客が訪れるようになった。鉄道事業は今も右肩上がりの成長をしており、王国全体の観光客数も増加傾向。今後しばらくの間、この町の景気は良いものになるだろう

 そして観光客達の笑顔を見るに、この町――――港町ヴェイスはよい観光地なのだとエレノアは確信した。


「エレノア様。念のために言っておきますが、我々は観光に来た訳ではありませんよ」


 まるでその気持ちを読まれたかのように、イリスが窘めてきたので、エレノアは思わず身体をびくりと震わせてしまう。


「いやいやまさかそんな。国民の安全に関わる重大な使命を、この私が忘れている訳がないじゃなき」


「妙に早口で言わないでください。一層怪しいですから。あと今回の事は機密ではないにしても、軽々しく口に出すのは如何なものかと」


「……そんな小五月蝿いから、公爵家令嬢なのに嫁の貰い手がないのよ」


「良かったですね。もしもあなたの立場が並のものなら、今の一言で脳天から叩き割っていましたよ。この剣の柄で」


「柄で!?」


 鋭利な刃物ではなくより手応えのある鈍器での殺傷を仄めかす辺り、割と本気で怒っているらしい。エレノアとイリスは長い付き合いで、彼女の方がイリスよりも年上ではあるが……だとしてもそこまで怒るとは。

 尤も、もしも話し相手がイリス以外であれば、例えエレノアがどれだけ無礼な事を言ったとしても笑って誤魔化すだろう。

 公爵家令嬢であるイリスであっても本来先の発言は大問題だ。それが言えるのは、エレノアの身分を知る者がこの港町には殆どおらず、そしてエレノアの周りにイリス以外の付き人がいないため。何より、本当の姉妹のように付き合ってきた彼女達にとって、この程度の『じゃれ合い』は日常茶飯事である。このぐらいの会話で、不信だのなんだのを抱く間柄ではない。


「ところでイリス、そろそろお昼だし、お腹が空いたわ! なのであそこのお店で一旦私達の補給するのはどう?」


「奇遇ですね。私も腹ペコですので異論はありません」


 故に二人は先程までの険悪な会話などすっかり忘れて、観光の楽しみの一つである食事へと揃って向かうのだった。

 ……………

 ………

 …

 エレノアとイリスが入ったのは、とあるレストランだった。

 特に理由もなく選んだその店は観光客向けの明るい装飾が施され、中には大勢の観光客がいる。装飾品は豪華なものではなく、椅子やテーブルもカジュアルな作りだ。所謂大衆食堂の類である。家族連れやカップル、或いは若者が多く、あちこちで気さくな笑い声や話し声が聞こえた。

 エレノアにとって、こういった明るい賑やかさは好きだ。そして店員に表裏がなさそうなのも、彼女にとってとても居心地が良い。


「はい、お嬢ちゃん! こちらだよ!」


 恰幅の良い中年の女性が朗らかに笑いながら一つの料理を渡してきた時も、エレノアはにこにこと笑いながらお皿を受け取った。


「わーい、ありがとうございます~」


「はい、こっちの騎士さんには白魚のフィッシュパイね!」


「いただきます」


 注文した料理を二人で受け取ると、中年女性はそそくさと厨房に戻っていく。今はお昼時。店内には大勢の客がいて、一人一人に構っている余裕はないのだろう。

 そもそも此処は ― 観光客向けのため客単価は少し高めだが ― 大衆食堂。貴族が愛用する高級レストランとは違い、料理について一つ一つ紹介するような文化はない。出された料理が値段相応以上に美味しければ良しの世界だ。エレノアはそうした市民文化に馴染みがあるため、説明されずとも不快感などない。

 また、そもそもエレノアはある程度『魚』に詳しい。例え調理済みでも、魚の種類を見分ける事は可能だ。


「ふむふむ。この魚はマーメイドフィッシュですねー」


 エレノアに出された料理は、大きな皿の上に焼いた魚が一匹と、その周りを囲うようにタマネギとトマトがふんだんに乗せられている。料理には茶色のスープが掛けられており、味見をしていないので断言は出来ないが、マリネなので酢を使った酸味のある味わいが楽しめるだろう。

 そしてエレノアがマーメイドフィッシュと呼んだ魚は、丸焼きなので比較的生きている時の姿を保っている。

 体長は手の長さの倍ぐらい。体型は一般的な魚らしい流線形をしているが、素早く泳ぎ回る姿が想像出来ない程度には丸々と太っている。また胸鰭や尾鰭がとても小さいのも一般的な魚とは異なる特徴だ。口はとても大きく、口内には鋭い歯が見えるため、生前は獰猛だった事が窺い知れる。目は非常に大きく、これもまた獲物を追い駆け回す捕食者らしい特徴だろう。

 焼かれているため体色は(大変美味しそうに)変化しているが、生きている時は青い色をしていた筈だ。鱗は非常に大きいのも特徴なのだが……流石に料理されたものなので、しっかり取り除かれていた。


「……エレノア様。このマーメイドフィッシュというのは、人魚と何か関係あるのですか?」


 エレノアが料理を観察していると、イリスが問い掛けてくる。エレノアにとって、その質問に答える事は難しくない。観察を続けたまま、すぐに答えを返す。


「あると言えばあるわね〜。昔からこの魚は、人魚の近くにいる生物と言われているの。人魚のお付きとか、人魚の手下とか。この魚が見ている前で悪い事をすると人魚に攫われる、なんて伝承も地方によってはあるみたいよ」


「あまり、良い印象ではない逸話が多いように感じられます」


「そうね。実際、人間にとって良いか悪いかで言えば多分害の方が多い魚だし。致死性の猛毒を持っているからね」


 そう言いながら、エレノアはマーメイドフィッシュの肉をナイフとフォークで切り分ける。それなりに教養のある者が見れば、育ちの良さが窺い知れる食器の扱い方で、手早く身を切り分け――――

 躊躇なく、エレノアはその身の一つを食べる。よく噛んで味わい、満面の笑みを浮かべた。


「うーん、青魚らしいしっかりとした旨味が堪らないわぁ。掛けてある酢は少し強めだけど、魚の味が濃いので全く気にならない。新鮮だからか臭みもないし、内陸にある王都では味わえない一品ねぇ~」


「……念のため聞いておきますが、猛毒なのに食べて大丈夫なのですか?」


「勿論! 毒があるのは主に卵巣や精巣。身には含まれていないわ。だから内臓ごと取り除けば平気。この地域では二百年ぐらい前から食用魚として使われ、基本的にみんな調理法を知ってるから当たる心配もほぼない。ちなみにこの魚を食べるのは、という願掛けの意味もあるらしいわね」


 自信満々に答えたエレノアは、更に料理を食べ進める。

 端から心配はしていないのだろう。イリスはエレノアの答えを聞くと、それ以上追及はせず自分も料理を食べ始めた。

 二人して他愛ない会話を交わし、一時間ほどで料理を平らげる。もう少しゆっくりしたい気持ちもあったが、今の時間帯は遅めの昼食時。まだ客が入って来る時間帯であり、長居をしても店に迷惑が掛かる。

 会計を済ませ、エレノア達は店の外へと出た。通りは未だ人の数が多く、賑わっている状態だ。観光をするのであれば、まだまだ楽しめる。夜も酒場や劇場が開くため、遊びが尽きる事はない。

 しかしエレノアは、観光客ではない。この町には『仕事』として訪れた。


「さてと。お腹もいっぱいになった事だし、そろそろ行くとしましょうか」


「ええ……少しのんびりし過ぎたようです。急いだ方がよろしいかと」


 懐中時計を開いて時間を確認するイリス。忠告に従い、エレノアはやや早歩きで目的地へと向かう。

 観光客に溢れる大通りを抜け、向かうは海沿いの道。観光客が多かった道と違い、海沿いの町並みは派手な色合いをしておらず、非常に落ち着きのあるものとなっていた。また海が近く、港もあるからか、磯の香りもする。

 磯の香りは、海中に生息する小さな生き物達の活動によって生じると言われている。具体的に何が起きて、どうして臭うのかは未だ不明だが……生き物が豊富という事は、それらを食べる大きな魚も豊かだという事。恵まれた漁場なのだと、風一つで感じられた。そしてその感覚が正しい事は、町並みの更に奥にある海沿い、そこに並ぶ数多くの船が教えてくれる。

 自然の恵みを受けて繁栄する町。エレノアは微笑みながら景色を眺めていたが、足が止まっている事をイリスに窘められる。また駆け足で、町を進んだ。

 港を尻目に北へ北へと進むと、段々建物自体が少なくなる。潮風に強い草が所々に生え、大きな岩も現れた。人の手が及んでいない、原初の風景が少しずつ増えていく。

 やがて景色は大岩の転がる岩礁地帯となり――――その岩礁地帯に建つ、塔のような建物が見えた。

 灯台ではない。塔の頂部に、明かりを放つための場所が見られないからだ。高さは推定五十ハイト以上。長年潮風を浴び続けていたようで、遠目からでも分かるぐらい壁面が老化している。


「んー、聞いていた通りの見た目ね~。ワクワクしてきたわ!」


「でしたら早く行きましょう。待ち合わせ時間ギリギリです」


 塔を眺めながら感嘆するエレノアに、イリスが行動を促す。感動に浸る暇もないが、のんびりしていた自分が悪いと分かっているので、エレノアは反論もなく塔へと向かう。

 塔には大きな木製の扉がある。エレノアは軽く拳を握り、優しく扉をノックする。


「ど、ど、どうぞ!」


 すると間髪入れず、入室を許可する声が聞こえた。

 やたら動揺した声。普通ならば違和感を覚えるところ、エレノアは「あー……」と納得した声を漏らしながら顔を引き攣らせた。何分エレノアには『心当たり』があるもので。


「えーっと、失礼しまーす」


 気持ちを切り替えながら扉を開け、塔の中に入る。

 そこには一人の人物がいた。

 金色の長髪を携えた、若い……少年のようなエルフ亜人だった。そして少年は、見事なまでに平伏していた。所謂土下座状態であり、これでは目の前にいるエレノア達の顔も見えていないだろう。礼儀正しいと言うより、怖い人を前に平謝りしているようだった。


「よ、よよ、ようこそおいでくださいました! !」


 そうした態度も王位継承権二位の王女を前にしているとなれば、王女であるエレノア自身分からなくもない。

 分からなくもないが、これから一緒に仕事をする相手としては好ましくない反応に、どうしたものかと頭を悩ますのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る