第二章

四月八日 水曜日


 翌朝、起きるとミケが俺の部屋で寝ていた。


 今いても朝じゃ忙しくて捨てにいけないじゃないか。


 俺は朝食をとると家を出た。


 母さん、今日も無事でいてくれよ。


 いつもの角で秀と落ち合って高校へ向かう。

 途中で雪桜も合流した。


 学校に着くと相変わらず虎の話で持ちきりだった。

 昨日の虎狩りでは虎は見付からなかったらしい。

 いくら戸山公園が広いと言っても都会のど真ん中なのだ。

 一日あれば十分捜索出来る。


 見付からなかったと言うことは誰かの家に匿われているのでない限り、いなかったと言うことだが……。


 ミケは人間の男に化けていた。

 だとしたら虎に化けることも出来るのではないだろうか。


 てか、ミケが巨大化したらそのまま模様違いの虎じゃないのか……?


「あの猫のこと考えてるの?」

 秀が訊ねてきた。

「まぁな」

「猫って?」

 伊藤拓真が訊ねてきた。

 こいつは猫の話になると会話に加わってくる猫ヲタクだ。

 北新宿で猫の住民票を作ってるとか、猫の集会に参加しているとか噂されている。

「孝司が猫を拾ったんだよ」

 秀が伊藤に答えた。


 すぐに捨てるけどな……。


「どんな猫?」

「耳と顔はチョコレート色で、背中はミルクコーヒー色……」

「それでしっぽと足がチョコレート色ならシャム猫だね。でも、高価なシャム猫を捨てる人なんていないだろうし……」

 伊藤が首を傾げた。

「迷い猫とか?」

「いや、しっぽはチョコレート色だけど白い縞模様が入ってて足と腹は白だ」

「え……小早川さんの猫と同じだ……」

「小早川って?」

 名前を聞いたことがあるような気がした。

「A組にいた子よ」

「しばらく前に交通事故で亡くなったの」

「あの子、結構人気あったのにね」

 近くにいた女子が口々に言った。

「一昨日お葬式に行ったら、小早川さんのお母さんが猫がいなくなったって言ってたよ」

 伊藤はそう言ってから、

「でも小早川さんちは早稲田だけど……」

 と首を傾げた。


 早稲田の猫は話すのか?


 明治から続く伝統の早稲田特産『しゃべる猫』


 とはいえ、あの小説の猫もミケもあまり可愛い性格ではないから売り出しても大して人気にんきは出なさそうだが。

〝沈黙は金〟とは至言しげんだ。

 黙ってるから可愛いのである。

 口がける猫などろくなものではない。

 猫が話せるようになったら今以上に捨て猫が増えるだろう。


「大森君ちは西新宿じゃなかった?」

「北新宿だよ。けど一昨日の晩、早稲田の従兄弟の家に行ったんだ」

「そうなんだ」

 伊藤が納得したように頷いた。

 小早川の猫なら堂々と返せる。


「伊藤、お前、小早川の家、知ってるか?」

 葬式にまで行ったんだからきっと知ってるだろう。

「知ってるけど、どうして?」

「小早川の猫なら返さなきゃならないだろ」

 飼い主に返したなら姉ちゃん達も文句は言えないはずだ。

「小早川さんのおばさん、猫がいなくなって良かったって言ってたよ。小早川さんを思い出すからって。可愛がってくれる人が飼ってくれればいいって言ってた」

 伊藤はそこで言葉を切ってから、

「小早川さん、猫をすごく可愛がってたから」

 と付け加えた。

「そうか」


 返品作戦は失敗か……。


 俺は肩を落とした。

 それから、ふと思い付いて伊藤の顔を見た。


「伊……」

「ゴメン」

 伊藤は手を合わせた。

「欲しいけど、うち、マンションだから」

「そうか」

 いくらなんでも無関係の伊藤に化猫を押し付けるわけにはいかないだろう。

 伊藤が喰われてしまったら罪悪感にさいなまれるだろうし。

 予鈴が鳴り、俺達は席に着いた。


 授業中、

「あ……」

 声が聞こえた。

 振り返ると白い着物を着た十歳くらいのおかっぱの女の子が椅子の陰に落ちているパスケースを指している。


 この高校にいる化生けしょうの女の子だ。

 小学校もそうだったが中学校にもいた。

 どこの学校にもいるものなのだろうか。


 俺は女の子が指したパスケースを拾うと、

「これ、誰のだ?」

 と訊ねた。

 女子の一人が顔を上げた。

「あ、私の。大森君、有難う」

 女子が礼を言って俺からパスケースを受け取った。

 俺はおかっぱの女の子に目顔で礼を言った。


 放課後になり秀と雪桜と三人で下校した。

 新宿中央公園で綾と合流するために立ち止まった。

 桜の花びらが降り注いでくる。

 まるで淡紅色の雨だ。


「綾さん、この辺にいる筈なんだけどな」

 秀はそう言って辺りを見回した。

「あ、いた」

 秀はそう言って中央公園と道路を挟んで向かいにあるビルの屋上を指す。


 高層ビルの屋上に綾が立っていた。

 綾は俺達に気付くとビルから飛び降りた。


「おい……!」

 次の瞬間、綾は俺達の横に立っていた。

「あんなところから飛び降りて平気なのか!?」

「あれくらいなんでもないわよ」

「人に見られたらどうするんだよ!」

「ちゃんと姿は消したわよ」

「うん、僕、飛び降りたところは見えなかった」

「私は今、見えるようになった」

 秀と俺では見える度合いが違うらしい。

 そして降りてきてから姿を現したから雪桜にも見えるようになったのだ。


「なんであんなところで待ってるんだよ」

「山が見えるのよ。山を見ると昔を思い出すの。この辺り一帯が田んぼや畑で空には白鷺しらさぎ朱鷺ときが飛んでいて、川には川獺カワウソがいて、夏になると蛍が沢山飛んでいた。冬には雪が積もって辺り一面真っ白になって……」

「それ、昔、祖母ちゃんがよく言ってた……」

「これもあったんだ。綾さんが孝司のお祖母さんだって信じる理由」


 そう言うことはもっと早く言え!


 綾は本当に俺の祖母ちゃんなのか?


 俺が考え込んでいると、

「じゃあ、行こうか」

 秀はそう言って歩き出した。

 綾の今日の服装は昨日とは違う白いブラウスに薄紅色のスカートだった。


 俺達は中央公園に沿って十二社通りを北上し、途中まで来たところでファーストフード店に入った。


「そうだ、孝司、猫のこと、綾さんに相談してみたら?」

「そうよ、お祖母さん、狐なんでしょ。化猫にも詳しいんじゃない?」

「猫? 一昨日、孝司が拾った猫のこと?」

 綾が言った。

「なんで知ってるんだ?」

「見てたからよ」

「跡けてたのかよ。ストーカーか?」

「お酒飲んでたみたいだったから心配だったのよ」


 彼氏でもないのにわざわざ尾行したりしたのは俺が孫だからか?


 彼氏の友達程度なら跡をけるほど心配したりするだろうか。


 それとも彼氏の友達がまともなヤツかどうか気掛かりだったとか?


「そりゃどうも。それよりあの猫、ホントに俺が拾ったのか?」

「そうよ」

 綾の答えに俺は肩を落とした。


 やはり俺が拾ったのか……。


 全然覚えがないのだが。


「あの猫って化猫だろ」

「最近、猫又ねこまたになった子ね」

「人を喰ったりしないか?」

「さぁ? 本人に聞いてみたら?」


〝人〟じゃないだろ……。


「ホントのこと言うと思うか?」

「どうかしら」

 俺は更に落胆らくたんした。

 自分で思っている以上に綾に、あの猫は人を喰ったりしないと言って安心させて欲しかったらしい。

 俺は綾が祖母ちゃんだと信じているんだろうか?


 確かに祖母ちゃんの口癖を知ってたが……。


 それだけでは祖母ちゃんの証拠にはならない。

 俺達は店を出ると帰途にいた。


 家に帰るとミケが俺の部屋にいた。

 本棚の上から俺を見下ろしている。


「おい、お前、小早川の猫なのか?」

『あやを知ってるの!?』

「小早川の名前も〝あや〟って言うのか」

『そうよ』

〝あや〟が多いな。


 まぁ割とありふれた名前だからな……。


「小早川の家に帰りたくないか?」

『嫌。あやのいない家に帰りたくない』

 小早川の家に帰りたいと答えたら、小早川の親がなんと言おうとミケを突き返すつもりだったのだが……。

 流石さすがに飼い主は喰わないだろうし。


 しかし、可愛がってくれたのは小早川だけじゃないはずだが……薄情なヤツだな。


 もっとも、飼っていた猫がいなくなったのに探そうともしないばかりか、いなくなって良かったなんて言ってる小早川の親もかなり無責任だと思うが。


 夕食が終わり、居間でTVを見ていた。

 ふと気付くと――。


 ミケが姉ちゃんの腕をかじってる!


「姉ちゃん、腕、喰われてるじゃないか! 放せ! この化猫!」

 俺が腕を振り上げると、姉ちゃんのげんこつが飛んできた。

「痛っ!」

 俺は殴られた頭を押さえた。


 姉ちゃんを助けようとしたのに……。

 ひどいじゃないか……。


「ジャレてるだけじゃない。なに大袈裟に騒いでんのよ」

「でも……」

「猫ってジャレて興奮すると噛み付くことがあるのよ。知らないの?」

 とてもそれだけとは思えない。

 俺には姉ちゃんを味見しているようにしか見えないのだが、これ以上言っても無駄だろう。

 姉ちゃんが喰われないことを祈るしかない。


四月九日 木曜日


 朝、学校へ着くと、伊藤がこちらに、ちらちら視線を向けているのに気付いた。

 話し掛けたいのに話し掛けられないという感じだ。

 俺はえて放っておいた。

 ホントに大事な用なら言ってくるだろう。

 伊藤とはクラスメイトというだけで特に親しいわけではないのだ。


 トイレへ行って教室へ帰ろうとしている時、

「おい」

 男の声に呼び止められた。


 振り返ると男子生徒が立っている。

 胸章の色は俺と同じ黄色。

 俺と同じく二年生と言うことだ。


「オレはD組の高樹たかぎのぞむだ」

 雪桜と同じクラスか。


 高樹は俺より背が高く、体格が良い。

 そして、なんとなく不良っぽい顔付きをしている。


「俺は……」

「知ってる。B組の大森だろ」

「何か用か?」

「ここじゃ、ちょっと……いてきてくれ」

 高樹はそう言うと歩き出した。


 まさか、行った先にこいつの仲間がいて袋叩きにされる、なんて事はないだろうな。

 俺は誰かに恨まれるようなことをしただろうか。


 お礼参りをされるようなことをした覚えはないが……。


 高樹は人気ひとけのないところ――ホントに誰もいなかった――屋上へと俺をいざなった。

 綾によれば俺は普通の人間よりは頑丈らしいが殴られたり蹴られたりしたら痛いのは同じである。

 仲間が来る様子はないが高樹は一人でも十分強そうだ。


 殴り掛かられたりしないといいのだが……。


「昨日、帰りに一緒にいた女はお前のなんだ?」

 屋上で二人きりになると俺の向かいに立った高城が質問してきた。

「女って?」

 一緒にいたのは雪桜と綾だ。

 女だけではどちらのことか分からない。


「ビルから飛び降りただろ。どういう関係なんだ?」

「見えたのか!?」

 俺は驚いて問い返した。

「当たり前だろ」

「当たり前じゃない。秀や雪桜は飛び降りるところは見えなかったって言ってた」

「そうなのか……あの女は狐だろ」

「なんで知ってんだよ!?」

 俺だって狐と言うところまでは確認してない。

「狐があの女の化けるのを見た」


 やっぱ、あの姿は化けてるのか……。


 それなら祖母ちゃんと見た目が違う事の説明が付く。


「こんな都会に狐がいて、よく騒ぎにならないな」

 新宿駅の狸はニュースになったし、猿の時は出没地の近くでは緊急放送があったと聞いている。

 野生の猿というのは意外と凶暴で危険らしい。

 流石さすがに新宿には野生の猿はいないから聞いた話だが。


「狐の時は人に見えないようだ」

「もしかして、お前も化生けしょうが見えるのか?」

「お前もか?」

「ああ」

 見えざるものが見えるという理由で仲間外れにされていたことを考えると迂闊うかつに人に教えてはいけないような気がするのだが――今日初めて会った相手だし――秀と俺以外にも化生が見える人間がいたのが嬉しくて、つい頷いてしまった。


「それで、あの女のとの関係は?」

「秀の彼女だ。あと、俺の祖母ちゃんだって言ってる」

「お前、狐の孫なのか!?」

 高樹が目をいた。


 化生の孫だなんて言ったら普通は驚くだろう。

 これが正常な反応だ。

 傷付くが普通だ。

 秀や雪桜のように平然としているのは例外なのだ。

 お陰で傷付かずにすんだが。

 ホントにいい友達だ、秀と雪桜は。

 俺は友人に恵まれた。


「向こうはそう言っている」

 俺はそう答えた。

「坊主姿の連中のことは知ってるか? 時々化生をいじめてるのを見掛けるが」

「妖奇征討軍だと名乗ってるらしい」

「はぁ?」

 高樹は眉をひそめた。

『なんだそれは』という表情を浮かべている。

 これもいたって正常な反応だ。


 袈裟けさを着た自称退治屋とかこじれさせすぎてるよな……。

 お坊さんでもないとしたら、お坊さんみたいな格好で歩き回るとか痛々しすぎるし……。


 二人組らしいのに『妖奇征討』とか言う名前も厨二クサい。


「家はどこだ? 良かったら今日一緒に帰らないか?」

 俺は高樹をさそった。

「構わないぜ。方向は一緒だ」

 確かに、綾が飛び降りたのを見たと言うことは十二社通りが通学路だと言うことだし、それなら住んでるのは西新宿か北新宿辺りと言うことだ。


 教室へ戻ると伊藤が躊躇ためらいがちに話し掛けてきた。


「大森君、ちょっといい?」

「なんだ?」

「大森君ちの猫、見せて欲しいんだ」

「いいよ」

「じゃあ、今日、大森君ちに行ってもいい?」

「あ、わりぃ、今日は約束があるんだ。明日でいいか?」

「うん、有難う」

 伊藤はほっとしたような表情を見せると自分の席に戻っていった。


 放課後、高樹と秀、雪桜、俺の四人で連れ立って帰途にいた。

 新宿中央公園で綾と落ち合う。

 高樹を見た綾が驚く。


朔夜さくや!……じゃないわね。朔夜の息子ね。じゃあ、あんたがぼうね」

「ぼう? 朔夜とかって言ってるってことは朔望月の望か?」

「そう」

「オレは『ぼう』じゃなくて『のぞむ』だ」

「そ」

 綾がどっちでもいいと言いたげな表情で肩をすくめた。

「朔夜ってのがあんたの知り合いなら人間じゃないよな」

「そうよ。神奈川の……なんて言ったかしら」

 綾は考え込むように首を傾げた。


 しばらくしてから、

「山の天狗のおさよ」

 と言った。


 山の名前、思い出せなかったんだな……。


「神奈川に天狗がいるの!?」

 秀がびっくりした様子で声を上げる。

 と言うか、俺も驚いた。


 だよな……。

 神奈川って言ったら首都圏だもんな……。


 そんな人の多そうなところに天狗がいるなんて思わなかったから俺もびっくりした。

 もっとも、綾は〝山〟と言っていたが。

 神奈川だって山の中まで都会というわけではないだろう。


「東京にだっているわよ」

 綾が言った。


 東京って言うと高尾山辺りか?


 東京にいるなら神奈川にいても不思議はない。

 そう言えば箱根は神奈川か。


「埼玉にだっているし」

 綾が言った。

 埼玉は奥秩父があるからいても不思議はない。

「じゃあ、オレは天狗なのか?」

「半分だけね」

「本当なのか?」

 高樹が念を押すように訊ねた。

「本当よ」

「…………」

 高樹は動揺したようだ。

 それはそうだろう。

 いきなり人間ではないと言われたら誰だってそうなる。


 俺の場合、綾の孫だというのが半信半疑だというのもあって、あまり衝撃は受けなかったが……。


 まぁ、俺は四分の一だけと言うのもある。

 綾の言うことが本当だとしてだが。


「元気出せよ。半分は人間なんだ」

 九オンス入りの水差しってヤツだな。

 四・五オンス入ってる九オンス入りの水差しを半分しかない、と思うか、半分もあると思うか、で悲観主義か楽観主義か分かるというアレだ。


「半分化生けしょうだって言っても今まで普通に生活してきたんでしょ」

 秀が言った。

「それはそうだが」

「特に怪力とかで困ってるとか言うわけじゃないならいいじゃないか」

 俺は高樹の肩を叩いた。

「力は普通より強いみたいだが」

「それで何か困ったことがあったか?」

「いや、特に。喧嘩するときは気を付けないと大ケガさせるから手加減が必要だが」


 見た目が不良っぽいと思ってたが殴り合いの喧嘩をすることがあるのか……。


 こいつは怒らせないようにしよう。


「あとはウェイトリフティングに誘われたことがあったな」

「どっちにしろ特に困ってはいないんだろ」

「まぁな」

「なら今まで通り人間だと思っていればいいじゃないか。ていうか、人間だろ」

 

 俺は口に出さずに付け加えた。


「それはそうだが」

 高樹は納得いかない顔をしていた。

「内藤も見えるんだよな。内藤も化生の子孫なのか?」

「そうよ。先祖の中の誰かにいるのよ」

 綾が言った。

「血が薄くなりすぎて誰の子孫なのかは分からないんだけど」

「で、大森が狐の孫か」

「そうだ」

 まだ完全に信じていたわけではないのだが、半分化生と言うことに衝撃を受けている高樹の前で否定するのも可哀想だろう。


「あ、そうだ、明日は友達を連れて帰るから、もし会った時は普通の人間っぽく振る舞ってくれよ」

 俺は綾に言った。

「普通の人間っぽくね」

 綾が皮肉っぽい口調で言った。

 俺の祖母ちゃんだというのが本当なら、半世紀以上も人間として暮らしていたのに誰にもバレなかったからだろう。

「とりあえず、帰ろうか」

 俺は誰にともなく声を掛けた。


 俺達は十二社通りを北上していつものファーストフード店の近くに来た。


「どうする? 寄ってくか?」

「高樹君、どうする?」

 秀が訊ねた。

「寄っていきましょうよ」

 雪桜が誘う。

「そうだな。まだ話を聞きたいし」

 と言うことで寄っていくことになった。

 それぞれ飲み物を買って席に着く。


「母さんは親父が天狗だなんて言ってなかったけどな」

「普通の人間だって言われてたのか?」

「いや、父親は分からないって。ある日気付いたら妊娠してて親から勘当されたって言ってた」

「マジ!? それ……」

 ヤバくね? と言い掛けて慌てて口をつぐんだ。


 マズった、と思ったが、高樹は気にしてないらしく、

「オレもそう思ってた」

 と言った。


 身に覚えがあったならともかく、記憶がなかったのなら青天せいてん霹靂へきれきだろう。

 しかもそれが理由で親から勘当かんどうされたとなると母親は相当苦労したに違いない。

 というか高樹はまだ未成年なのだから今もかなり大変なのではないだろうか。


「朔夜は人間、つまりあんたの母親との付き合いを一族に反対されて、あんたの母親の記憶を消した。けど、その時にはもう身ごもってたのよ」

 一族に反対されて別れたため、朔夜は高樹や高樹の母親とは関わることが出来なかったらしい。

 それはそれで高樹を出産した後、高樹を引き取った上で母親の記憶を消した方が良かったのではないかと思うのだが。

 若い女性が子供の父親からも、自分の親からも助けを受けられずに一人で子供を育てるのは容易ではないだろうに。

 高樹の母と朔夜との関わりがなくなってしまったから綾も朔夜が息子に望という名前を付けたという事しか知らなかったらしい。

 記憶を消されたのにどうして朔夜が望んだ『望』という名前を付けることが出来たのかは知らないそうだ。

「…………」

 高樹は複雑な表情でコーヒーを飲んでいた。


 家に帰ると、また俺の部屋の本棚の上にミケがいた。


「お前、またそこにいるのか。そのうち捨てるからな」

『出来るもんならやってみなさいよ』

「見てろよ」

 明日、伊藤にミケを見せなければならないから今日は捨てにいけないが、その後、絶対捨てにいってやる。

「孝司! 着替えたら降りてきなさい! 夕食よ!」

 階下から母さんの声がした。


 ミケが先に部屋を出て台所に向かう。

 俺は着替えると階下に降りた。


 その夜、ふと目を覚ますと――。


 見た!


 見てしまった!


 目が合ってしまった!


 幽霊と……!


「うわぁーーーーーー!」

 俺は絶叫を上げてベッドから転げ落ちた。

 幽霊は女の子だった。

 悲しげな風情で俯いている。


「孝司! 何時だと思ってるの!」

 姉ちゃんが向かいの部屋から飛んできて怒鳴った。

「ね、姉ちゃん! お、お化け……」

 俺はっていって姉ちゃんの足にしがみついた。

 いくら化生が見えるといっても、幽霊は怖い。

 どうして化生が平気で幽霊が怖いのかなんて分からない。

 理屈ではないのだ。

 怖いものは怖い。


寝惚ねぼけるんじゃない!」

 姉ちゃんは俺を足蹴あしげにした。

「本当なんだ! 見たんだよ!」

「うるさい!」

 姉ちゃんの声と共に拳が飛んでくる。


 ミケは幽霊がいた場所から胡散臭うさんくさそうにこっちを見ていた。


 ミケが化けていたということはあるだろうか?


 男に化けられるのだ。

 女にだって化けられるんじゃないのか?


 俺に嫌がらせをするためにやったのかもしれない。

 こいつならやりかねない。


「こんなうるさいところじゃ眠れないわよねぇ」

 姉ちゃんはミケに――俺には絶対向けない――優しい声でそう言うと、抱き上げて部屋に戻っていった。


 俺は頭から布団をかぶった。

 幽霊のことは頭から閉め出して何も見なかった振りをして眠りについた。

 夜明けまで途切れ途切れに目が覚めたが、もう幽霊は見えなかった。

 俺は幽霊なんかいなかったのだと必死で自分に言い聞かせた。


 姉ちゃんのいうとおり夢でも見たのだ。

 女の子にたたられる覚えなどないのだから。

 そうだ、そんな覚えはない。

 だから幽霊なんか出るはずがない。


 あれは夢だ。


 夢なんだ……。


四月十日 金曜日


 明くる朝、俺は寝不足の目をこすりながら起きた。

 ミケはおらず、幽霊も見えなかった。


 朝だから当たり前か……。


 今日も西新宿の超高層ビル群は朝日を背にまぶしく輝いていた。


 いい天気だ。

 俺は学校へ行く支度をして階下へ降りた。


 ミケは鮭を食べていた。

 いくら猫だからって毎日同じものはないだろう。

 たまには他の餌もやればいいのに。


 しかし、それを口にしたら俺のおかずが猫の餌にされるかもしれないから黙っていた。

 もっと可愛げのある猫ならともかく、こいつのせいで俺のおかずが減らされるのは割に合わない。

 朝食を終えると、俺は鞄を持って家を出た。


 今日は数学がある。

 夕辺予習をしていたが幽霊のおかげで頭の中から綺麗に消えてしまっていた。


 あの幽霊がミケの仕業だったら絶対許さないぞ……。


 休み時間、誰かが俺のそでを引いた。

 例の白い着物を着たおかっぱの女の子がせっぱ詰まった様子で盛んに俺の袖を引っ張っている。


 俺は女の子が指した方を見て目をいた。

 我が目を疑う。

 身長二メートル以上ある化物が廊下を歩いていくところだったのだ。


 天井に頭がつかえないのか?


 じゃなくて――!


 他の生徒には見えないようだから、それだけなら放っておいたのだが、そいつは死に神が持つような巨大な鎌を持っており、その鎌を振り下ろされた生徒はその場で倒れてしまった。

 生徒達が倒れた生徒の周りに集まって騒ぎ出した。


 俺は女の子の腕を掴むと廊下に出てD組を目指して走った。

 見えないものを掴んで走っている俺は奇矯ききょうな振る舞いをしているように見えただろうが今はそんなこと気にしていられない。

 生徒達が奇妙な動物でも見るような目で俺を見ている。

 秀も後からいてきた。


 俺はD組の教室に飛び込んだ。


「高樹!」

 高樹は俺の只事ただごとではない様子を見てすぐにやってきた。

 廊下の化物を見て目を見開く。

 高樹もあんな化物は初めて見たらしい。


 後から雪桜もいてきた。

 俺は身振りで雪桜を下がらせる。

 化物はまた鎌を振り下ろそうとした。


 とっさに高樹と秀、俺の三人は化物に飛び付いた。

 しかし秀はすんでの所でけられてしまいその場に転んだ。

 俺は組み付いたものの、あっさり振り払われてしまった。

 廊下の壁に叩き付けられる。

 息が詰まった。


「こーちゃん!」

「来るな!」

 こちらへ来ようとする雪桜を制止する。

 高樹だけが化物の腕を掴んで背後にひねりあげていた。

 これが半分と四分の一の差か。


 俺達の大立ち回りを生徒達が遠巻きにして見ていた。

 まぁ、これが正常な反応だろう。

 嬉しくはないが普通だ。


 しかし、これで小学校の時の二の舞は確実になったな……。


 見えないものと戦っているのだから、俺達の方が化物のような目で見られるに決まっている。

 まだ二年になったばかりで、あと二年近くここに通わなければならないのに仲間外れで過ごす羽目になるのだ。


 さらば青春。

 ようこそ孤立した寂しい学校生活。


 俺の春は終わった。

 夏を飛ばして一気に秋、それも晩秋になってしまった。

 冬はすぐそこ。

 大学生になるまでの二年間は長い冬だ。


 楽しい高校生活もここまでか……。


 また三人、いや今回は高樹がいるから四人か?

 これから四人だけの学校生活が始まるのだ。


 俺が立ち上がりながら溜息をいた時、秀がスマホを取り出して動画を撮影し始めた。


 そして皆の方を向いて、

「自主制作映画を撮ってるんだよ。これ、芝居なんだ」

 と言った。

「高樹君、アクションもっと派手でもいいよ!」

 その言葉に雪桜もすぐにスマホを取り出すと秀に調子を合わせて俺をうつし始める。


「こーちゃん、視線こっちに向けて。高樹君はあっちね」


 苦しい言い訳だ。

 信じる者がどれだけいるか……。

 だが体当たりのフォロー感謝する、秀、雪桜。


 仲間外れにされたとしてもみんな一緒だ。

 少なくとも独りぼっちではない。

 それだけでも大分気が楽になった。


 俺達は化物を引っ立てて屋上へ向かう。

〝達〟と言っても高樹だけだが。

 俺は組み付いてもすぐに振り払われてしまって役に立たなかった。


 秀と雪桜の言葉を――驚いたことに!――信じた生徒達が俺達の後をいてきた。


「ごめんね。ここからは秘密の特訓だから」

 秀はそう言うと屋上から他の生徒達を閉め出した。


「大森、ナイフかカッターを持ってきてくれ。無ければ尖ったものなら何でもいい」

「分かった」

 俺が屋上から出ると、まだ未練がましく残っていた生徒達が、

「何の映画を撮ってるんだ?」

「役者は足りてるか?」

「私、出てもいいわよ」

 口々にそう言ってきた。


 それを適当にあしらって教室に急ぐ。

 ナイフかカッターと言っても俺はそんなもの学校へ持ってきていない。

 高校では図工の時間などないし、小学校の時もハサミくらいしか使わなかった。


 秀の鞄も調べたがやはり持ってきていない。

 自分が持ってきていたらそう言うだろうから高樹の荷物にも無いだろう。

 雪桜はどうだろう?

 しかしD組まで見に行ってる暇はない。

 急がないと高樹の手に負えなくなるかもしれない。

 俺はボールペンを持つと屋上へ急いだ。


「これでいいか?」

「ああ」

 高樹は俺からボールペンを受け取ると化生の左胸の辺りにした。

 化物は咆哮ほうこうを上げるとちりになって消えた。


「やった!」

 秀が声を上げた。

 高樹は自分がやった事に呆然としながら自分の手の中のボールペンを見ていた。


「よくやったな!」

 俺は高樹の背中を叩いた。

「何があったの?」

 その問いに雪桜には化生けしょうが見えない事を思い出した。

 俺は雪桜に今起きた事を説明した。


「へぇ、すごいね」

 雪桜が感心したように言った。

「…………」

 高樹は自分のしたことに動揺しているようだ。

 まぁ普通の人間にはこんな事は出来ないからな。

 おそらく俺が刺しても化物は倒せなかっただろう。

 高樹も同じ事を考えたらしい。

 何とも言えない表情を俺に向ける。


「とりあえず、帰るか」

 俺は言った。

「もうしばらくここにいた方がいいよ」

 秀が俺をめる。

「私達、お芝居の練習してることになってるから」

 雪桜が言い添えた。

「そう言えばそうだったな」

 俺はその場に座り込んだ。

「今まであんなの出たことなかったよな」

「確かにないな」

「綾さんに聞いてみれば何か分かるんじゃないかな」

 秀が言った。

「そうだな。今日の帰りに聞いてみるか」

 高樹が同意する。

「あ、すまん、俺、今日は伊藤を家に連れてく約束してるんだ。お前らだけでいいか?」

「いいぜ」

 俺達が化生が出た理由を推測している間に予鈴が鳴った。


「大森君、ホントにごめんね」

 伊藤はこれで何回目かになる謝罪の言葉を口にした。

 秀達と別れてからずっと謝り通しだった。

「気にすんなって。それより、伊藤……」

「拓真でいいよ」

「拓真は小早川と親しかったのか?」

「何度か猫の話をしたくらいだよ」


 やはり猫の話か……。


 まぁ、こいつが猫以外の話をしているところなど想像が付かないが。

 ただ、拓真の残念そうな表情と、葬式にまで行ったことを考えるとどうやら小早川が好きだったようだ。


 そういえば誰かが小早川は人気にんきあったって言ってたな……。


 俺の家は狭い敷地いっぱいに建つ二階建ての家で、家の壁と塀の間は十センチくらいしか開いてない。

 隣の家の壁――塀ではない――とも三十センチ程度しかない。

 火事になったらこの辺り一帯の家は一蓮托生だ。


「お邪魔します」

 拓真は礼儀正しく言うと靴を揃えて玄関に上がった。


 ミケは居間にいた。

 窓のすぐ側に迫っていてる塀をへだてた隣に建つ、二階建ての家の上から差し込んでいる夕陽を浴びて丸くなっていた。


「お帰りなさい。あら、お友達?」

 母さんが言った。

 今日も無事だったようだ。


「伊藤拓真君だよ」

「いらっしゃい」

「お邪魔します」

 拓真がそう言ってお辞儀する。


「拓真はミケを見に来たんだ」

「まぁ、猫、好きなの?」

 母さんが嬉しそうに言った。

「はい!」

「そう、ゆっくりしていってね」

「ありがとうございます」

 拓真が頭を下げる。

 母さんは台所へ引っ込んだ。


「おい、客だ。起きろ」

 俺はミケを揺すった。

「大森君、いいよ。可哀想だから」

『うるさいわね』

 ミケが顔を上げて文句を言った。

「わぁ、可愛いね。すごく綺麗な顔立ちしてる!」

「そうか?」


 俺には猫の顔は全部同じに見えるんだが……。


「うん、猫はこの世で一番綺麗な動物だよね。だから猫が神様の使いだったり、神様そのものだったりするところがあるくらいだし。エジプトの猫の顔した神様とか有名でしょ。あの神様は――」


 拓真、猫の話になった途端饒舌じょうぜつになるな……。


『ふぅん、分かってるじゃない。あんたも見習いなさいよ』

「うるさい! 生意気言うな、バカ猫!」

「大森君……」

 拓真が驚いたような表情で俺を見た。

 俺は我に返って口をつぐむ。

 つい、拓真の前で猫と話してしまった。

「あ、いや、これは……」

「猫の言葉分かるの?」

「いや、分かるって言うか……」

「すごいね」

 尊敬の眼差まなざしで俺を見た。

 伊藤は化生などは見えない普通の人間なのに猫の言葉が分かる俺のことを奇異きいだと思わないらしい。

 猫の言葉と言っても普通の猫の鳴き声は分からないのだが。


 まぁいいか。


 雪桜だって見えないし聞こえないが信じてくれている。

 そうこうしているうちに姉ちゃんが帰ってきた。


「ただいま。あら、お客さん?」

「ミケを見に来たのよ」

 母さんが答える。

「まぁ! 猫、好きなの?」

 姉ちゃんが、母さんとそっくりな表情で嬉しそうに言った。

「はい!」

「そう、ゆっくりしていってね」

 姉ちゃんは優しく微笑んだ。

「ありがとうございます」

 拓真が頭を下げた。


「いつでも来ていいのよ。孝司がいなくても気にしないで遊びに来なさいね、ミケのお客さんなら歓迎するから」

「はい」

 そこへ母さんが拓真にジュースを持ってきた。

 そのままそこに座り込んでミケを撫で始める。

 姉ちゃんも、着替えにも行かずにその場に座った。

 ミケは黙って丸くなっているが悪い気はしていないようだ。


 母さんと姉ちゃんは、拓真と猫の話で盛り上がり始めた。

 拓真が自分のスマホで撮った猫の写真を母さんと姉ちゃんに見せる。


 枚数がカンストしてる……。

 どんだけ撮ってんだよ……。


 俺は拓真の相手を姉ちゃん達に任せて二階にある自分の部屋へ上がった。

 拓真と母さん達は意気投合したようだから、これからは俺が連れてこなくても勝手に来るだろう。


 あ、そう言えば明日にでも捨てに行くつもりだったんだっけ……。

 まぁ、捨てたら「逃げた」とでも言えばいいか……。


 どうせ一度小早川の家から逃げているのだ。

 脱走癖のある猫という事で通せるだろう。


 悪いな、拓真。


 拓真が帰った後、入れ違いで秀と雪桜、高樹がやってきた。


「綾さんに聞いてきたよ」

「それで? なんだって?」

「武蔵野が言うには新宿駅を中心とした半径三キロメートル以内のどこかで化生を呼び寄せる儀式をしたヤツがいるらしい」

 高樹が答えた。

「冗談だろ!?」

「迷惑だよね」

 秀も困ったような顔をしている。


「それで? どうすればいいって?」

「儀式の跡を見付けてそれを浄化すればいいって」

「浄化ってどうすればいいんだ?」

 俺が訊ねると三人は黙り込んだ。

「方法は? まさか分からないとかじゃないよな?」

「実は……」

 秀は言いにくそうに答えた。


「分からない」


 と。


「じゃあ、どうすんだ?」

 あんな化物に頻繁ひんぱんに出てこられても困る。

「とりあえず、儀式の跡だけでも探そう」

 高樹がそう言うと、雪桜がスマホで地図アプリを開いた。

 俺達もそれぞれスマホで開く。

「半径三キロメートルってかなり広いな」

 しかもその儀式の跡とやらが、どこかの敷地にあったら見付けるのはまず無理だ。

 一々他人の敷地に忍び込んで、あるかどうかも分からない儀式の跡というものを探すわけにはいかない。

 そもそもオフィスビルなどは忍び込むことすら出来ないだろう。

 そのうえ儀式の跡というのがどういうものなのかも分からないという。

 となると目の前にあっても気付かない可能性が高い。


「あ、儀式をしたのは神社だって」

 かなり絞られるがそれでも神社は沢山ある。

 住宅街の中の小さな神社というのは意外と多い。

 そして新宿の大半は住宅地だ。

 通りに面しているところが軒並みオフィスビルや商業ビルだから分からないだけで、実はその裏のほとんどは住宅街なのである。

 高層マンションも大半は大通りに面していて裏側の住宅は一戸建てばかりである。

 通り沿いのビルが大きいから目隠しになってしまっていて後ろが見えないから分からないだけなのだ。

 住宅地の中は小さなマンションやアパートがある程度で基本的には一戸建てだ。

 そしてその住宅街の中に小さな神社が点在てんざいしている。

 江戸は伊達に『伊勢屋、稲荷に犬のフン』と言われていたわけではないのだ。

 伊勢屋と言う名前の店と稲荷神社は山ほどあった……らしい。それと犬のフンも。

 今残ってる伊勢屋は伊勢丹くらいだが稲荷神社はほとんどが今も残っているようだ。

 まぁ四谷より西は江戸郊外だが。


「綾……には場所が分かるんじゃないのか? 化生なんだし」

 俺には『綾』という言葉が言いにくかった。

 もしかしたら祖母ちゃんかもしれないのだ。

「近すぎて分からないんだって。綾さんは元々ここにいた化生だし」

 秀の言葉にがっくりした。

 しかし俺は祖母ちゃんだと信じてない割には綾に頼り切ってるな。

 それはともかく神社は沢山あるから全部回るには何日掛かるか分かったものではない。


「新宿駅から半径三キロっていったら新宿からはみ出ちゃうぞ」

 新宿駅は新宿の端に近いから西に行ったら中野区だし、南に行けば渋谷区だ。

「新宿には特にこだわってないみたいだよ」

 この近辺ならどこでもいって事か。

「そういえば……」

 雪桜が口を開いた。

妖奇征討軍ようきせいとうぐんって言ってたっけ。あの人達、この前、近くの神社で見掛けたよ」

「どこだ?」

 俺の問いに雪桜が近所の神社の名をげた。


「もしかしたら何かがいたのかもしれないけど――」

 雪桜は全く見えないから何かがいたとしても分からない。

「――化生退治してるようにも見えなくて……。この前の狸さんの時は結構騒いでたでしょ」

 一瞬、あの狸が退治されてしまったのではないかという不安が脳裏をよぎったが、雪桜の言うようにあの時も大騒ぎしながら追い掛け回していた。

 そう言う風には見えなかったなら少なくともあの狸ではないだろう。

「なら、まずそこに行ってみよう。そこで見付からなければ新宿中を回るしかないな」


 それと中野と渋谷も……。


 地図アプリを見たら明治神宮も三キロ圏内に入っている。

 俺は溜息をいた。


 半径三キロを当てもなく彷徨さまようなど冗談ではないのだが……。


「一応、綾さんも誘ってみるよ」

 秀が言った。

 まぁ秀からしたら男同士で一日中歩き回るより彼女が一緒の方が楽しいだろう。

「幸い明日は土曜日だ。早速明日から回ってみよう」

「それしかないようだな」


 仕方ない……。


 俺は諦めて覚悟を決めた。


「あ、雪桜は来なくていいぞ」

「どうしてよ」

 雪桜がふくれた。

「分かってるのか? 半径三キロ以内のところを歩き回るのがどれだけ大変か」

「相当な重労働だよ」

「女の子のすることじゃないぜ」

 俺達が口々に説得すると、雪桜は渋々諦めた。

 翌日の待ち合わせの場所と時間を決めると三人は帰っていった。


 深夜、目が覚めるとまたもや女の子の幽霊が座っていた。

 よく見ると女の子はミケの側にいる。


「おい、ミケ! お前が化けてるんじゃないだろうな」

『何の事よ』

 ミケはうるさそうに顔を上げる。

 幽霊が消えた。

 どうやらミケの仕業ではないらしい。


 じゃあ、本物……。


 顔から血が引くのが分かった。

 俺は慌てて布団をかぶると見なかった振りをした。


 何もいない、何もいない、何もいない、何もいない、何もいない……。


 目をキツくつぶり必死で自分に言い聞かせているうちにいつの間にか眠ってしまった。

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