はらぺこ令嬢は侯爵様を満たしたい

@Wacana

第1話 まるいドーナツ

「おなかが空いたなぁ……」

 地方の子爵令嬢であるエルヴィラは、なぜかいつもお腹を空かせている子供だった。両親は心配して食事をたくさん与えていたが、一向に満腹にはならないし、太る気配もない。

 やせっぽちのお腹を空かせた子供なんて、周りからみたら『食べさせてもらえない子供』としか思われないため、子爵夫妻は必死になって原因を探し、お医者さんを渡り歩いていた。しかしある日訪ねた医者が元神官で、おかしなことに気づいたのだ。

「この子の魔力量を計測したことはありますか?」

「いいえ、まだ」

 両親がそう答えると、医者は小さなエルヴィラの両手をそっと支えるように下から握った。

「この年ではありえない量の魔力をお持ちのようだ。おそらく、お腹が空くのはこれが原因です」

「「魔力が?」」


 王国アルドスは魔法国家だ。国民は大なり小なり、みんな何かしらの魔法を使う事ができるくらいの魔力を持って生まれてくる。比較的、貴族や王族にその量が多い傾向が見られるが、まれに平民にも強い魔力を持つものが現れる事がある。このため、王国の主要機関は平民でも受け入れられるような学校や仕事のシステムを構築しており、諸外国に比べて落ち着いた国に成長していた。

 その中で子爵令嬢として生まれたエルヴィラに『ありえない量の魔力』があると言われ、両親は驚いて教会の門を叩く。

「なるほど。それでは計測してみましょう」

 両親と医師の説明を聞き、あまり小さいうちに計測しても出るかどうかわからないため、通常であれば物心がつくころに行われる検査を3歳ですることになった。

 果たしてエルヴィラの数値は、王族のそれと遜色ない、もしかしたらそれを凌駕するものだと結果が出る。

「このお小ささでこの魔力量は驚異的です。おそらくですが、この魔力を保つためにお嬢さんはエネルギーを使っているのです。それで、ずっとお腹が空いている」

『きゅるるるるぐうぅぅ』

 その間、何も食べていなかったエルヴィラのおなかは轟音で鳴り響いていた。

「おかぁさま、おなかが空きました」

 周りの大人は呆気にとられ、これからの相談をすることになる。


「それで色々試した結果、なぜか料理をすると魔力が一次的に開放されるとわかったのかい?」

「そうです。どうやらお料理に魔力が移るとわかって、それからは自分で作るようになりました。でも、そのお料理を自分で食べると私にまた魔力が戻ってしまうので……」

「それで子爵家は皆さん、ふくよかになったんだね」

 こくり、と頷く。

 エルヴィラ・オルセー(23)子爵令嬢。なんと18歳の時に離婚歴あり。あまりに食事を作りすぎることに相手の家族が悲鳴をあげたため、3ヶ月で実家へ出戻った過去がある。

「そのままこの騎士団の厨房へ来たんだから、あんた丹力があるよ」

 そういってカラカラ笑ってくれるマシューさんは、騎士団の厨房を統率するおばさまだ。

「あんたの作った料理で騎士様たちは魔力の底上げができる。あんたは魔力を開放してそんなに腹が空かなくなる。いいことばかりだね」

「そう言ってもらえると心強いです」

 本当にそう思う。騎士団で料理をして魔力を発散するようになり、ようやく人前でそんなに大きくお腹の音を出すことはなくなったのだ。

「思う存分お料理したら、もっと普通になるんですかねぇ」

「今でも十分な量を作っているとは思うんだけどねぇ」

 大勢の分を作っているのだからそれなりに出しているとは思うのだけど、なんとなく作り足りない=魔力を放出したりない、気がしているのだった。

「ここ以上に料理を作らせてくれるところも、ないと思うけどね」

「そうなんですよね……」

 実のところ、大皿料理的なものだとそんなにたくさんの魔力は乗らないことがわかってきた。それでも家族に作るよりはたくさんの魔力を消費できるので、ありがたい。

「濃く乗せてしまうと、食あたりになるしねぇ。難しいもんだね」

「ええ。他人の魔力って消化しにくいものなんですねぇ」

 料理で発散できるとはいえ、渡った先でも問題があるとなれば調整が難しいものなのだ。と、そこへ第三騎士団の隊長が表れた。

「エルヴィラ、いるか?」

「はい、隊長さん。何か御用でしたか?」

「今日の間食は何だ?」

「今日はドーナツです」

「そうか。じゃあ、後で二人分、私の部屋に持ってきてくれるか?」

「はい。えっと、私が運ぶ感じですか?」

「うん、それでな。」

 そこで隊長さんがこそっと耳打ちをしてきた。

「ちょっと多めに魔力を乗せてもらえるか?」

「……?はい、わかりました、それでお持ちします」

 ちょっと珍しいお願い事をされたけれど、まぁいいかと請け負う。生地は自分で仕込んでいるし、揚げる時に少し多めに足せばいいかな?

 鍋の油の温度を見てから、そっと型抜きした生地を泳がせていく。ふわりと浮きながら、ドーナツの種たちは油の上をくるくると回る。まるで舞踏会のダンスをしているみたい。熱が入ると甘い香りが漂い始める。

「あ~いい香り、美味しそう!私も食べたいわぁ」

「でも、マシューさん前に酔ったじゃないですか」

「そうなんだよねぇ!本当に残念」

 揚げ色を見ながら、そっと魔力を付与しつつ丁寧にドーナツをひっくり返していく。しゅわしゅわと上がる泡の向こうに、きつね色のドーナツが美味しそうに揺れている。発酵だねを使ってふわふわに仕上がったドーナツに粉糖をまぶすと、さらに甘い香りが強くなった。見た目は普通に、おいしそうなドーナツだ。ただし、魔力が強め。

「じゃあ、お届けしてきます」

「うん。あとはこっちのみんなでやっておくよ」

「戻ったらお手伝いしますね」

 お茶とドーナツをワゴンに乗せ、隊長さんの執務室へと向かう。

「失礼します。間食をお持ちしました」

「ああエルヴィラ、ありがとう。そこの応接に頼むよ」

 そう言われて応接セットを振り向き、この時初めてソファにひとりの男性が座っていたことに気づく。この方とお茶がしたかったのね。

「まぁ。気づかずご無礼を……。おひとついかがですか?」

「……ああ、もらおうか」

 長めの銀の前髪の向こうの目が見えにくいが、澄んだ声と延びた背筋、漂う雰囲気は上流貴族そのものだ。

「へぇ、これが……」

 そう言って彼は私のドーナツを一口かじった……と思うと、そのままソファへ倒れこんでしまった。

「えっ!!あの、大丈夫ですか?」

「ああ、目が回ってしまったかな」

「た、隊長さん?」

「大丈夫、すぐに目を覚ますと思うよ……でもちょっと、彼についててもらえるかな」

「私がですか?」

 どうして、と疑問符を飛ばしまくっているうちに、「へーきへーき」と言いながら隊長さんは部屋を出ていってしまった。この状態のこの人を放置するわけにもいかないですよね……。


 ***


「あ。……大丈夫ですか?」

 目を回した件の方を介抱していると、ぱちりと目を開けた。深い緑の瞳がちらりと見える。

「ああ、大丈夫……のようだ」

 横になっていた身体を起こし、足を曲げ伸ばしした。

「俺は……どうしたんだ?」

「寝ておられたみたいですが……ご気分はいかかですか?」

 なんといっても自分のドーナツを食べて気を失ってしまったのだから、と責任感と罪悪感でいっぱいだ。

「きみの」

「は?」

「君のドーナツ、すごいね」

「ああ……魔力酔いされたんですね。大変申し訳ございません」

「いや、いいんだ。あれは酔ったというより、吸収される刺激に負けた感じだった」

「……吸収?」

 魔力が強すぎたせいではなくて?

「君のドーナツの中に入ってた魔力を、僕の身体がすっかり吸収してしまったみたいなんだ」

 そう言って手のひらを眺め、握ったり開いたりしている。

「あのう……大丈夫ですか?」

「ああ。とりあえず、今日はありがとう。僕は帰ることにするよ」

 そう言いながら起き上がったので、目深だった髪が流れ、その瞳がはっきりと見えてしまう。

 深いグリーンの瞳に煌めく金が宿る。この方は。

「ラウル殿下……?」

「よくわかったね。でももう『殿下』ではないよ」

 少し前、王太子のランドルフ様が王位を継ぐことが決定した際に、ひっそりと王位継承権を放棄した王の末弟の殿下がおられた。それがラウル様だ。

「ぼくはもう普通の貴族だからね。君と同じだ」

「お、同じではないと、思います……!」

 我が家は地方のしがない子爵家。片や王家の直系である。

「どちらにしても、僕は君に助けられたようだ。また連絡させてもらうよ」

「助け、っていやどちらかというと……え。連絡、ですか?」

「うん。じゃあ、またね」

 彼は少し齧ったドーナツを持ち、ふらりと部屋を出ていった。。


 ***


「ええ?ラウル様に会ったの?」

「ええ。なんだかとても……痩せて見えたわ」

 その痩せ方は、まるで昔の自分を思い出すようだった。

「あの方はあんたと反対なんだよ」

「はんたい?」

「魔力量が少なすぎる上に、何を食べても消化しにくいんだとさ。誰も口には出さないけど、城の中で長く働いたものなら誰でも知ってる、公然の秘密ってやつだね」

「王族なのに?ああ、だから……」

「そうだね。まぁそういう理由で御降下されたんだと思うよ」

 なるほど、と腑に落ちた。

「今日のドーナツが少しでも助けになればいいのだけど」

「ああ、そうだね確かに……」

 そう言ってマシューは私を見つめる。

「なんですか?」

「……いや、まさかね。なんでもないよ。さて、一休みしたら夕食の支度にとりかかろう!」

「ええ、そうですね」

 お茶を飲みながら夕飯の相談をして、いつものように仕事にとりかかる……はず、だった。


「エルヴィラ・オルセー。いるか?」

「はい。あら、隊長さん……また何かありましたか?」

「ああ。ちょっと君に頼みがある。明日の昼食を3人分、私の部屋へ運んでほしい」

「3人ですか?」

「ああ。私とラウル、それと君の分だ」

「……えっ?」


 [続く]

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