第26話 肉と骨


 分かったことが二つある。


 まずはぼくの『あらすじ』は『気絶』でも発動すること。できれば二度とやりたくはない。


 もうひとつはフェイスマンが萩野先生殺しの犯人ではないことだ。


 ぼくが視たのはフェイスマン――莉桜の過去だった。莉桜を止めるため、ぼくは同盟やぼくたち自身について洗いざらい全てを話した。ぼくや靖菜の能力、ぼくが靖菜を殺す未来が待ち受けていること、同盟はそれを阻止するための集まりだと言うこと。萩野先生殺しの犯人を捕まえるためにも活動していること。そして、ぼくが視た莉桜の過去も。


「いいでしょう、信じます」


 莉桜の返事にぼくは大きく息をつく。信じてもらえなかったりするのも怖かったが、仮面のヴィジランテが殺人予定のぼくにひとまずは制裁を加えないことに安堵した。

 意識を取り戻した史音も最初こそ取り乱していたが、フェイスマンの中身がヤバいおっさんとかではないからか、ビビりながらもこの状況を受け入れていた。


「あっさり信じてくれるんだね、莉桜ちゃん」

「ええ、千昭さんは自分しか知らないことを仰ってました。信じるに値すると考えます」


 莉桜は光の宿らない目で、靖菜から手当てを受けるぼくを見る。莉桜の視線はぼくに痛みを思い出させ、体を震わせるのには充分だった。決して暗くはないが、どこか人間味を感じさせない莉桜の声もぼくの恐怖心を煽るのに一役買っていた。震えたぼくの頭にハンカチを当てる靖菜が言う。


「ごめん、痛かった?」

「いや、大丈夫。こっちこそごめん、ハンカチ汚しちゃって」

「気にしないで。千昭のせいじゃない」

「自分のせいですからね」


 靖菜の手が止まる。正義感の強い靖菜はぼくをボコボコにした莉桜に強い怒りを感じているのだろう。靖菜が莉桜を見る目は厳しいままだ。でも、この出会いは千載一遇のチャンスだ。


「莉桜さん、提案があるんだ」

「なんでしょう」

「きみに、ドラマフリー同盟に加わって欲しいんだ」

「は?!」「えぇ?!」


 驚いたのは靖菜と史音だ。二人は小声でぼくを追及する。


「千昭。それ本気で言ってる? 彼女はあのフェイスマンなんだよ」

「そうだよ。莉桜ちゃんが萩野先生殺しの犯人じゃないにしても、ヤバい人には変わりないじゃん……」


 二人の懸念はもっともだ。事情があるとはいえ、莉桜はこの街で、いや日本全国で見てもトップクラスの危険人物だ。でも――


「でも人は殺してない」

「そうですね。社会生活ができなくなるくらいには壊しましたが」


 莉桜は少なくとも一線は越えていない。ぼくの視た『あらすじ』は不便だし嫌なものを見せる。だけど事実しかぼくに視せない。莉桜は――フェイスマンは人を『壊す』だけ。莉桜はその規範コードを順守している。


「自分も、楽しい学校生活を送りたかっただけです。それを邪魔をされて腹が立ったので犯人を捜しているところでした。ある意味、史音さんと同じですね」


 顔を歪ませて「違うから」と言いたそうに史音はしていた。残念だけど、きみの懸念は無視して話を進めるからな。


「ぼくたちには戦闘経験がない。もし犯人と対峙したときに、百戦錬磨のフェイスマン。莉桜さんがいれば頼りになる。ぼくたちも莉桜さんの持っていない情報を提供できる」

「確かに。こうやって校舎を見張ってみたり、自由に動ける放送部に入って探りは入れてました。でも兄の時とは違って犯人捜しは難航しています。互いにメリットはあるようですね」


 莉桜は深く頷く。問題ないようだ。ぼくは靖菜の方を見る。彼女は悩まし気に目を閉じて唸っていたが、


「彼女は信用できない。でも彼女を信じる千昭を信じる」


 そう言って、ぼくの肩に手を置いた。ぼくは頷いて莉桜さんに向き直る。


「よろしく、莉桜さん」

「こちらこそ、同盟のみなさん」

「え、あたしの意見は?」


 戸惑う史音に向けて口元を――恐らく笑ったつもりで歪ませる莉桜。目が笑っていない彼女に、史音は一瞬体を震わせたあと尋ねた。


「と、ところで莉桜ちゃんにもあるんだよね『ドラマフリー能力』が」


 それはぼくも聞きたかった。ぼくのあらすじでも『能力』があるというところまでしか分からなかったし。


「もしかして、莉桜ちゃんがめっちゃ強いのも能力のおかげ?」

「いえ、それは鍛錬によるものです。腹筋もバキバキです」


 莉桜はそう言うと、白いシャツをたくし上げて恥ずかしげもなく、見事に割れた腹筋を――待て。

 さっきまで莉桜はマスクは取ったものの、黒い戦闘服を着ていた。だが今はどうだ。莉桜はいつの間にか学校指定の制服姿になっている!

 驚いていたのはぼくだけじゃなく、他ふたりも同じだ。史音は口をパクつかせながら、莉桜を指さす。


「え、あ、あれ、いつのまに着替えたの?」

「いえ、保管場所にある服と『入れ替え』ました。自分の所有している衣服であれば、こうやって入れ替えることができます」


 莉桜の姿が次々に変わる。


 ラフなストリートスタイル

 ガーリーで柔らかい色合いのワンピース

 大きなリュックを背負った食品配達員

 黒基調の地雷系ファッション

 上下灰色の清掃員の制服

 そして、使い古した服を組み合わせた浮浪者風

 

「自分はどこにでもいて、どこにもいない。自分は『街』です。誰も自分を認識できません」


 街という戦場に特化した、変幻自在の迷彩服。それが莉桜の能力。


 どうりでフェイスマンが警察に捕まらないわけだ。莉桜が犯行現場付近にとどまっても、フェイスマンとかけ離れた姿の莉桜をフェイスマンとして警察は認識できない。監視カメラによる追跡も、こうポンポン姿が変わったら無理だ。ヘルメットの塗料が消えたのも、瞬時に汚れたヘルメットとスペアと『入れ替え』たからだろう。


「これが自分の能力です。自分は『衣装棚クローク』と呼んでいました。皆さん風に言うと『ドラマフリー能力:衣装棚クローク』ですね」

「そうだねぇ、かっこいいねぇ」


 微妙そうな顔をするな史音。ぼくと靖菜もきみと初めて会った時、同じ気持ちだったんだぞ。気の抜けたやり取りがされる中、靖菜がぽつっと漏らす。


「安心した。わたしの視た未来で史音が死ななくて」


 ぼくも頷く。当初の予定とは変わってしまったが、結果的に仲間が増えた。それに容疑者の候補もひとつ減らせた。一歩前進だ。もしかすると、ぼくの抱えてた疑問もひとつ解決したかもしれない。


「あのさ。怒らないから正直に答えて欲しいんだけど、莉桜さんってぼくたちのことつけてた? 特にぼくと靖菜」

「ええ。お二人は有名人でしたし」

「そっか、じゃあ水曜日に買い物にいたときにぼくたちを見ていたのも莉桜さん?」


 莉桜の表情は作り笑いで分かりづらい。だが、ぼくの質問に対して少し困っていることは分かった。


「心当たりがありません。その日は放送室で撮った映像の編集をしていましたから」


 しぼみかけていた疑問と不安の種が、大きく膨らむ。


「お二人をつけていたのは、部長からの指示でドキュメンタリー用の――」


 莉桜は話すのをやめ、教室のドア目掛けて警棒を投擲した。視線がドアの方へ向く。


 警棒はドアにはめこまれたガラスを派手に音で割りながら、その向こう側にいた『何か』に当たり、うめき声を上げさせた。『何か』の影はドタドタと音をたてながらその場から走り去る。


衣装棚クローク


 莉桜が一瞬にしてフェイスマンに変身し、駆け出す。ドアを蹴破る彼女のあとをワンテンポ遅れて、ぼく、靖菜、史音が続く。


「なにないなにぃ?! いまのぉ!」

「「わかんないよ!」」


 ぼくと靖菜は泣き出しそうな史音に怒鳴りながら、上階へ上階へと向かう人影とフェイスマンを追う。人影は教室棟最上階の非常階段に続くドアを開けるとその場にとどまった。人影とはまだ3メートルほど離れていて、ぼくたちはまだ校舎の中にいた。だが街の明かりは人影の正体をあらわにするには充分で、その様相に、ぼくは声を上げて驚いた。


「愛宕先輩?!」


 非常階段の踊り場にいた愛宕先輩は、怯えきった表情でぼくらを見ていた。彼の左手にはスマホ、そして右手には包丁が握られていた。


「来るなぁ!」


 愛宕先輩はぼくたちを遠ざけるかのように包丁の切っ先を向け、


 バァン!


 一瞬、何が起きたか分からなかった。突如響いた破裂音に耳を塞いだぼくの視界に飛び込んできたのは、ナイフを持っていた右手の指が千切れかかっている愛宕先輩だった。ぼくたちの中で唯一、耳を塞いでいないフェイスマンが伸ばした左手の袖から煙が上がっていることに気づいて、ぼくはようやくフェイスマンが仕込み銃か何かで愛宕先輩を撃ったことを理解した。

 愛宕先輩は長く呻いたあと、ぐちゃぐちゃの右手を自分の腹に何度も押し当てている。現実離れした光景を前にしたぼくの頭は嫌に冷静で、この奇妙な行動が痛みを消そうとしている行動だと即座に理解した。


「なぜ、お前がここにいる」


 フェイスマンが愛宕先輩に近づこうとしたとき、ぼくはとっさに彼女の前に飛び出した。


「待って莉……フェイスマン!」

「なんだ」


 少し苛立ちを感じさせるフェイスマンの声にぼくは生唾を呑みながら、愛宕先輩の様子を見る。


 こういう場面を、サスペンスドラマでよく見た。刑事やなんかである主人公たちが容疑者を追う。高いところに追い詰められた容疑者は武器を構えるが、型破りな刑事は警告なしに発砲して容疑者を武装解除させる。絶体絶命の犯人は大人しく捕まるのか? 否だ。ドラマの彼らは決まってある逃げ道を選ぶ。生者であり、ドラマの主人公たちが行けない場所。彼らの舞台の外。つまり、死だ。


「愛宕先輩」


 ぼくは可能な限り穏やかな声音と表情を作る。愛宕先輩はほとんど嗚咽のような声を上げた。


「な、七北田ぁ」

「そうです。ぼくです。大丈夫」


 すり足で愛宕先輩に近づく。刺激しないよう、かたつむりのように、ゆっくりと。


「ぼくたちは敵じゃありません。もちろんフェイスマンもです」

「嫌だ。嫌だぁ」

「大丈夫、誰も先輩を傷つけません」


 愛宕先輩がどういう理由でここにいるかは分からない。だが、ここで彼が死ねば、ぼくたちが追っている真実が遠のく。そんな直感が、ぼくに彼との怨恨を忘れさせ、安心させるような言葉をなげかけさせた。


「ぼくが危害をくわえさせません。だから、こっちに来れますか?」

「ダメだ、ダメなんだぁ!」

「落ち着いて、深呼吸しましょう。急じゃなくていいんです。ゆっくり、ゆっくりでいいんです」

「違う、違う、違うぅぅ!」


 愛宕先輩の左手はスマホを取り落とし、頼り気のない踊り場の手すりを掴む。彼ほどの背丈なら、すぐに体を乗せて、地面へダイブできる。


「違いませんよ。みんなで最善の道を探りましょう」

「そうじゃない! お前は何もわかってない!」

「ぼくが何を分かってないんですか?」

「……すまない」


 謝罪する愛宕先輩の視線はぼくの背後に向けられている。恐らく、靖菜に対して。


「あんなことしたから。だからこうなった。すまない、すまないすまないすまないすまないぃ!」

「ぼくも一緒に靖菜に謝ります。だから自分を責めないで!」

「アァァァァァァ! 許してぇぇぇぇ! ごめんなさぃぃぃ!」


 そう叫んで、愛宕先輩は踊り場の外へ身を乗り出した。


 世界がスローモーションになる。ぼくは駆け出し手を伸ばした。指先が、愛宕先輩のスニーカーの底に触れて、そのあと、


 絶叫


 そして肉と骨が地面にぶつかって砕ける音


 ぼくはこの音を一生忘れられないと思う。


「千昭! 逃げないと!」


 頭の中で愛宕先輩が生み出した死の音が響くから、ぼくは靖菜が肩をゆすっても、その場から動けない。

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