第5話 ハリネズミ


 事情聴取の翌日、ぼくたち全校生徒は講堂に集められていた。

 今回の集会の名目は『萩野先生とのお別れ会』。萩野先生の遺族の意向で、葬儀は親族だけで執り行われたため、遺体はない。ぼくらが手を合わせるのは、講堂のステージに掲げられた、萩野先生の遺影になる。

 お別れ会のはじめ、校長は「亡くなった先生との最後の時間」というお題目でこの会の意義を語った。だけど、学校側としてはこの行事で事件への区切りをつけたいという思惑があることは、ぼくたち生徒から見ても明白だった。


 ただ、ぼくもここで斜に構えるような人でなしではない。周囲と同じように、黙とうを捧げ、萩野先生の魂の安らかな眠りを祈る。


 そう、失ったものは、過ぎ去ったものは、過去は変えられない。毎朝、過去を視続けるぼくはその事をよく分かっているし、その痛みも分かっているつもりだ。


 黙とう中も周囲からはすすり泣きが聞こえてきた。会が終わり、皆が講堂から退出するときも、まだ泣いている生徒はいた。

 その泣いている生徒の中に見知った顔を見かける。史音だ。ぼくの少し先を、彼女は他の同じクラスの女子生徒に背中をさすられながら歩いている。

 グループでぼくと靖菜に絡んでくる彼女をうっとおしく思わないかと言われれば、答えには窮する。だがこういう時に、誰かの死を悼み、それをきちんと悲しめる彼女のまっすぐな人柄を、他人であるぼくと靖菜のトラブルの仲介をした人の良さを、ぼくは嫌いになれないでいた。


 その史音と友人たちが、講堂の出入り口付近で二人のの生徒に呼び止められていた。眼鏡をかけたやたらと声のデカい男子生徒と、ハンディカメラを構えている、長い金髪をポニーテールにした女子だ。


「放送部だ! 協力してもらっても良いかな!」


 と、声のデカい男子生徒がいった。声をかけられた史音は目に見えて動揺していた。


「えぇと、なにを?」

「申し遅れた! 俺は放送部、部長の連坊れんぼう 道士郎どうしろうだ。今回の事件を追ったドキュメンタリーを作っている!」


 なんて下世話な連中だ、とぼくは内心吐き捨てる。


 現在、事件の影響で我が校の部活動は原則停止しているが、その例外で活動している部活がふたつある。野球部と、史音たち女子グループの目の前にいる放送部だ。

 野球部は部活動の花形でもあるし、一昨年までは甲子園に出場している。昨年は市内の別の私立高校に敗北を喫し、出場を譲ったのだが。

 また放送部は昨年、震災からの復興をテーマにしたドキュメンタリーで学生映画祭で賞をとっている。

 ようは実績がある部は例外が認められているのだ。私立高校にとっては生徒の有名大学への進学率と並んで、部活動の実績も宣伝材料として重視される。その仕組みには納得できるが、この状況には目くじらをたてざるえをえない。目の前の放送部はあまりにデリカシーが無かったし、史音も目に見えて嫌がっていた。


「ごめんなさい。そういう気分じゃなくて」

「何を言うんだ! その『気分じゃない』がどういう状態なのか、ありのままを記録したいんだ! これはドキュメンタリーなんだから!」


 カメラを構える女子生徒は、流石に強引な取材要請をしていることを分かっているのか、連坊部長へちらりちらりと目を向ける。だが彼女は連坊部長を止めるようなことはしなかった。

 なんとかしてあげたいが、ああ、押しが強い人間はぼくも苦手だ。史音がダメなら、ぼくがどうにかできる相手ではない。そう諦めて彼らの横を通り過ぎようとしたとき、聞き覚えのある声が聞こえて、思わず振り返った。靖菜の声だ。


「やめなよ。嫌がってるじゃん」


 靖菜は女子グループと放送部の間に入り、キっと連坊部長を睨みつけていた。


「誰だ、きみは」

「誰だっていいでしょ。嫌がってるからやめろって言ってるの」

「彼女たちはそんなこと一言も言ってない。変なやつだ、決めつなんかして。邪魔しないでくれ」

「あんたたちこそ、人が喪に服すのを邪魔しないでよ」


 靖菜は一歩も引かず、連坊部長を見上げ続けている。史音も含め、後ろの女子たちが援護射撃をしないのに大したものだと感心してしまう。連坊部長はそんな靖菜を見てなにかに気づいたように「ああ」と声をもらす。そしてすぐに下衆な笑みを浮かべ、靖菜を見下ろした。


「そうか。きみのことか、ハリネズミ」


 瞬間、靖菜の目が大きく見開かれた。


「どおりで我々に突っかかってくるわけだ! ちょうどいい、こういうトラブルはハリネズミさんは良く知ってるだろうから、ぜひ代わりに話を聞きたいね!」


 カメラのレンズが靖菜へ向く。靖菜は少し離れた場所で見ているぼくにも分かるくらい、拳を強く握っている。


 まずいことになる。平穏な生活を求め培われた、ぼくの中のなかのドラマフリーセンサーが危険信号を発している。関わると面倒なことになる。退散しろ、関わるな、ぼくが間に入ったらより事態がややこしくなる。センサーはそうぼくに告げている。


「この件に関しては、きみが関わってきたいじめや精神の問題について――」


 連坊部長の質問は最後までされなかった。靖菜が彼目掛けて拳を突き上げたからだ。

 そして、靖菜の拳は連坊部長に届かなかった。ぼくが間に入って、連坊部長の代わりに彼女のアッパーを顎に受けたからだ。

 彼女の力は強くなかったが、勢いと角度がよかったのか、ぼくの顎の関節がメキッと音を鳴らした。ぼくは痛みで思わずその場にうずくまる。周囲の視線が僕に注がれる。ああ、ぼくは大馬鹿野郎だ。自分からドラマフリーな生活を捨てやがった。ぼくが後悔の念に駆られていると、野太い救いの声が聞こえてきた。


「お前たち! なにしてる!」


 それは事件当日に誘導にあたっていた男性教師だった。彼の横には細身で長身の男子生徒がいて、二人でぼくたちの方へ向かってくる。長身の男子生徒は教師に先駆け、連坊部長に詰めよる。


「道士郎! 無茶な取材はやめようって、昨日決めたじゃないか!」

「バカもん。そんな体たらくで、真のドキュメンタリーが撮れるか!」

「きみの熱意は認めるよ。だけど、こんなやり方じゃ良い画は撮れないよ。それに、断らないのをいいことに、新入生の莉桜りおにカメラを回させていることだって、僕は怒ってるんだからな」


 連坊部長はふんと鼻を鳴らす。ぼくは男性教師に助け起こされる。


「大丈夫か? 血が出てるぞ」

「だ、大丈夫です、その……」


 ぼくは靖菜をちらりと見た。下唇を噛んで俯いていた。人生経験の乏しいぼくには、彼女がどんな気持ちでいるか分からない。ただ、


「ぼくも取材してほしくて、間にはいったらぶつかっちゃって」


 靖菜は驚いてぼくを見る。彼女はぼくを山刀で滅多刺しにしようとしてきた。そして今は暴力でもって相手を屈服させようとした、ヤバイ奴ではある。でも、それでも、英雄的な――少なくとも日和見を決めようとしたぼくよりは英雄的な行動を取ろうとした靖菜が、教師から罰を受けることや、こんなクソ眼鏡のせいで罪を負うのは何か違うと思えた。だからぼくは間に入り、嘘をついた。そう思うことで、自分とじんわりと響く痛みを納得させようとした。幸いにも現場を見ていない教師は、ひとまずはぼくの拙い嘘で納得してくれた。


「とりあえず、取材は中止だ。全員解散」


 教師の号令でその場から


「まったく、せっかく良い素材が撮れると思ったのに」


 連坊部長、


「えー、なんかやばかったねさっきの人」

「史音大丈夫?」

「てか、殴られてたやつ誰?」


 史音たち女子グループ、


「……」


 そして、ぼくに何度も視線を向けてから靖菜が立ち去った。自分から勝手にトラブルに首を突っ込んで場をかき乱したのだから、当然だが誰からも感謝の言葉はなかった。ちくしょうめ。

 その場に残っていた、教師を呼んできた男子生徒が内心腐しているぼくの方を見て教師に言う。


「念のため、彼を保健室に連れていきます」

「そうか、頼んだ雨宮あめみや

「いや、大丈夫ですよ、大したケガしてないし」


 ぼくは雨宮と呼ばれた、上級生と思しき男子生徒にに断りを入れたが、彼は首を横に振って、教師に聞こえないよう小声でささやいた。


「きみ殴られてたでしょ。一応、手当したほうが良いよ、それに――」


 雨宮は申し訳なさそうに右手を縦にして頭を下げる。


「実はきみに取材をしたいんだ」

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