04 2年4組、2時間目

 いつもと何も変わらないはずの、明洋めいよう高校のその日は、小雨にさらされながらも順調に、2時間目の授業時間を迎えていた。

 2年4組の教室は、中途半端な静けさと中途半端な騒がしさがモザイク模様を形成している。誰かが折った紙飛行機が、つい、と教室を横切った。


 すべての原因は、前面の黒板に書かれた「自習」の二文字に集約される。

 日本史担当の宮町みやまち先生は、昨日から急に休んでいるらしい。4組は昨日、宮町先生の授業がなかったので、詳しい事情は不明である。よそのクラスから、なんでも事故に遭ったらしいぞと、信ぴょう性が軽量級の情報が入ってきてはいる。調整がつかなかったらしく、今日の4組にはほかの教師が作成した課題のレジュメが届けられておしまいになった。


「あはは、そーだよねー」

 高い笑い声が上がった。木坂きさか麗人れいとが、数人の女子と数人の男子とで構成されるグループの中で、おしゃべりを存分に楽しんでいる。陽気で人なつこい人柄であり、「勉強なんてしているヒマがあったら女の子口説きたい」と公言する性分だ。将来予定している進路は「高校卒業後に欧米に渡ってプロのマジシャンになり、世界のあちこちに彼女を作って、泊まり歩きつつ巡業する」という、華麗にして身も蓋もないもので、学校の進路調査用紙に堂々と(彼女云々の部分まで)書きこむ度胸も持ち合わせている。そしてこれを実現するべく、いくつかの語学とマジックの技量とナンパのテクニックに磨きをかけている。教師の白眼視など気にしていては、夢には近づけないのである。


「それにしても、今日も蒸し暑いねぇ」

「お前、そんなカッコしてるからだろ」

 一緒にしゃべっていた男子のひとりが、げらげら笑ってツッコミを入れた。

「そぉねぇ、今年もそろそろあきらめて制服着ようかしら」


 麗人は自分自身の服装をつくづくと眺めて、小さく笑った。――つまり、彼が着ているのは学校の制服ではない。そして高校生が日常的に着用するべき服でもない。タキシードなのだ。今日はシルバーグレーを基調としたデザインに、ブルーのリボンタイという姿。これがまた、とてもよく似合う容姿も持ち合わせている。はねが強いが肩まで伸びた髪をきっちり結び、丸くきらめく瞳には明るいエネルギーがあふれんばかりだ。にこにことよく笑う顔は、女子がはっと振り返る程度には整っていて、177センチの身長にすらっとした体型――要するに、制服でなくタキシードで学校にやって来るという、はっきりと「奇人」なのである。当然ながら、学校の先生にはしょっちゅう説教をくらっているが、しおらしく聞く、ということには演出の必要性を感じないらしい。そもそもなぜ高校生がタキシードを着る必要があるかという疑問があるのだが、麗人本人は「着こなせないと、マジシャンとして説得力がないでしょお?」という重大な理由があるていで、説教など鼻で吹き飛ばすのだ。見た目は華奢で陽気な美青年だが、内面は意外にふてぶてしいといえよう。

 あきらめて制服着ようというのは、制服なら合服も夏服も手軽にできるから、である。もっともこの男は、ブレザーの制服を着こなすことも朝飯前にやってのけるのだが。ついでながら、彼はここの理事長の孫という事実があるものの、祖父の七光りで在籍しているわけではない――七光りだと思われるのはまっぴらだった。だからなのか、彼は学校でも私生活でも、祖父に極力近づかないようにしている。


 奇人ぶりなら、男子寮で彼の同室者である黒川くろかわはるかも、負けてはいない。不愛想さは麗人と対照的だ。「女子に関わる暇があったら昼寝する」が信条で、趣味はモデルガンをいじって遊ぶこと。登下校時の服装は、これまた制服ではなく、迷彩模様の野戦服である。目下、彼は離れた席で、日本史とはまったく関係ない英和辞書と和英辞書をロッカーから回収し、枕として存分に活用中である。「弾力が足りねえんだよな」などと文句を言いつつも、枕として気に入らないから寝るのをやめる、という選択肢はないらしい。そして、そばには外したサングラスが置かれている。つまり、学校に堂々とサングラスをかけて来るという、こちらもかなりのふてぶてしさなのだ。


 控えめに表現して「問題児」であるこのふたりの、なぜウマが合ったのか。おそらくそれは誰にもわからないだろう。


「……え、そーなの?」

 談話と呼ぶにはあまりにもくだらないやりとりの後、麗人はさすがに眉をくもらせた。

 一緒にしゃべっている女子のひとり末田すえだの話が、きっかけだった。先日、彼女の父親が何者かに襲われて暴力を受け、1週間ほど入院していたという。


「もう退院したの?」

「うん、知らされたときにはもう、退院してたから……」

 文脈がつかめず、麗人たちは顔を見合わせた。

「あ、意味わかんないよね。うち両親離婚して、あたしは母親と暮らしてるの。だから」

「ああー……」

 ようやく腑に落ちる。末田の父親は、1週間くらいならたいしたことはないと、元妻や娘には知らせてこなかったらしいのだ。


「いやでも、検査入院とかならまだわかるけど、事件に巻き込まれての入院なんて……」

「うん、事件だったから、結局母さんには、警察から連絡来たのよ。母さんも、あたしには知らせないでおこうと思ったみたい。よけいな心配かけるからって。だからあたしが知ったときには、父さんもう退院してたってわけ」

「へえ……先週、って……」

「ほら、梅雨のさなかなのに、からっときれいに晴れた日があったでしょ? あの夜だったんだって。あたし、帰りに2組のマリと一緒にクロッシィ行ったんだけど、あたしがそうやって楽しく過ごした夜に父さんそんな目に遭ったなんて、ってショック受けたから、覚えてる」


「なんか最近よく聞くよね、そんな話」

 一緒にいる、琴弾ことひき元山もとやまというふたりの女子が、声のトーンを落として顔を見合わせた。

「あれでしょ、道を歩いていたらいきなり、後ろから殴りかかられるって」

「やだよね、怖いよねー」

「でもなんか、襲われてるの、男の人だけらしいね」

「珍しいよね、そういうのって、女性の方が狙われやすいのに」


 女子の会話に、麗人はすんなりと介入をはかる。

「でも、まだこれからどうなるかはわからないよ。ほんとに気をつけてよ。なんかあったら助けに行くからね。だからアカウント交換して、連絡とれるようにしとかない?」

「もー、木坂くん、するっと距離つめてくるよね」

「あ、でも、その方が確かに安心はするかも」

 女子が苦笑いしながら応じるのを、一緒にいる男子が「なるほど、そういう手か」と何やら納得顔で、半ばあきれつつながめている。


「ふごっ」と黒川が、一瞬だけ身じろぎした。

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