200×年 4月某日 初日



200×年 4月某日 初日


株式会社〇〇産業の業務は朝8:30に始まる。

その日は簡単に総務の私と、あと何人かの同期の新人の紹介をして終わった。

もうその何人かの名前も覚えていない。

私より1つ年上の総務の先輩が仕事を教えてくれることになった。

この人もいまとなっては名前を覚えていないので、先輩から連想して、ここでは仙波さんと呼ぶ。


てっきり初日は下働きから始まるものだと思ったらいきなり本物のレシートや領収書の計算を任された。

慣れない作業に手間取っていると

「資格持ってるんじゃなかったの?」

と仙波さんと元総務さんに怪しむような目で見られた。

そう言われても初めて使うパソコンだしソフトも学校で教わったものより2つぐらい前のバージョンだ。

マウスも古くてがたがたで使いにくい。

書類もどこにあるか、必要なものがどこにしまってあるか、そういう説明は全くなかった。

それなのに「あれ取ってきて」「これ取って」「これ片づけて」と言われる。

手間取ったり手順を間違えると

「先にこっちの書類を持ってきた方が効率よく計算できるでしょ、そう思わない?」

とダメ出し。

結局午前中は私が入力した仕事に仙波さんと元総務さんがダメだし、これのくり返しだった。

両側を二人に睨まれながらのレシート計算はものすごくやりづらかった。

まともな説明は一度も無かった。

午前中だけでさっそく気分が滅入った。

途中で逃げたくなってトイレに行ったが、あまり清潔とは言えない和式トイレ、しかも男女共用でますます気が滅入った。

短大の時バイトしていたファミマなら最初に入った時ちゃんと研修があって研修期間も時給があったのに。

やっぱりあそこで働いていた方が良かったんじゃないだろうか…

あのお店は店長もお客さんもみんないい人ばかりだった。

でもそれを許さない人がいた。

父だ。

「コンビニでフリーターなど許さん、ちゃんとまともなところに正社員として就職しろ」

「外に出ろ。外を知ってこい」

可愛い子には旅をさせよ、よその飯を食わせろ、お前は世の中を知らなすぎる、お前が男だったらバックパッカーでもさせたいぐらいだ、俺もそうやって育ってきたんだ。

それが父の口癖だった。

しばらくするとショー子さんが「これおねがいします」と書類を持ってきた。

昨日の私に「オンバイケンも知らないんですかぁ」と言った人だ。

ショー子さんは私と同期で入った制作の子たちにあれこれ指示している。

仙波さんが言った。

「ショー子ちゃんは制作部のチーフなのよ」

へえ、若く見えるけどチーフなのか。

すごいな。

きっと有能なんだろう。


そうこうしてやっと昼食の時間になった。

仙波さんの話だと、この会社では車通勤の人が多い。

なので車に何人か乗って近くのスーパー「ほりはら」さんまで行ってお弁当を買うのが常らしい。

私も今日はお弁当を持ってきていなかったので、仙波さんの車に乗せられてとりあえずそのスーパーに行く事にした。

私の短大時代のランチは昼休みは毎日学校近くの職場のファミマか行きつけのカフェだった。

もちろん金欠のときはお金がない時はお弁当だけど。

コンビニは、一人で行っても友達と行っても楽しかった。

別に何も買わなくてもコンビニ雑誌の立ち読みだけでも楽しかった。

寒い日に学校近くのファミマに寄ったら、同じクラスだけどあんまり話す事がなかった子達がいて、なんとなくみんなで駐車場で肉まん食べながら部活の事や好きな音楽の事を話して、その子たちも洋楽好きでそこから話すようになった。

あれは本当にいい思い出だ。

あの子達、今どうしてるかな…


「ほりはら」さんは良く言えばこじんまりとした、素直に言えばしょぼいスーパーだった。

とにかく売ってるお弁当に種類が少なく、パンも簡単な食パンとなんかアンコを挟んだケーキみたいなものしかない。

お菓子に至ってはいかにも年配者向けの和菓子しかない。

また気分が滅入った。

午前中は慣れない仕事で心身ともに疲れたのでなにか甘いもの食べて回復したい。

私は仙波さんに聞いてみた。

「あのう」

なぁに、と仙波さんがお弁当を選びながら言った。

「このへんて、コンビニとかカフェってありますか」

するとそばでお弁当を選んでいたショート子さんがぽかんとした顔でまじまじと私の顔を見つめて来た。


「…そんなとこで、何をするの?」


「え?」

何って…

高校では朝のうちに通学路の途中にあるミニストップでランチ用のハンバーガーとジュースを買って登校し、短大では休み時間は購買か近くの職場のファミマに寄ってファッション誌やスイーツを毎日のように買っていた私からしたら、ショート子さんの反応はかなり驚くべきものだった。

「いや…何か買って食べようかなって」

「ふーん?」

ショート子さんはいぶかしげにつぶやいて、きょとんとした顔でつぶやいた。


「やっぱ、あなた、変わってるね」



そしてこの日、元総務さんは仙波さんに全て引き継いで定年退職した。

元総務さんは、40年お世話になりました、と泣いていた。

夜は居酒屋で送迎会になった。

同期で入った子達にもお酒がふるまわれたが、今思えばあの子達、高卒だと言っていたのでおそらく未成年だろう。




その日の夜。

虫の同居人の多い社宅に帰って布団に入った。

悪夢を見た。


ごめんなさい、ごめんなさい、申し訳ありません、申し訳ありません……

――こんな可愛い子をいじめるなんて何を考えているんだ!


会社の研修の夢だった。

「まず謝れ」

新人研修1日目、初対面のお偉いさんが私達に初めて言ったのはこれだった。

すごい胸板の筋肉マッチョで、40~50代ぐらいの上司だった。

なぜか足にギプスをつけて松葉杖をついていた。

そのギプスから薬草みたいな匂いがプンプンしててめまいがしそうなぐらい臭かった。

ぽかんとしている私達に

「社会に出たら謝罪も必要だ。大声で頭を下げて土下座をしろ。腹の底から声を出さなかったら誠意を見せてもらうぞ!」

と怒鳴りつけるのだった。

そこから何十分も大声で土下座を続けさせられた。

「ごめんなさいじゃない!社会人は申し訳ございませんだ!」

と怒鳴られながら何度も土下座をさせられた。

他にもみんなで般若心経を暗唱させられたり、いきなり班を決められて良く知らない5人組で人生を思い出した絵を制限時間以内に描けとか一体何をしているのかわからなかった。

制限時間を過ぎると

「納期に間に合わなかったな。顧客に迷惑をかけたな。土下座しろ!」

と上司がウォーと怒鳴りながら松葉杖を振り上げる。

何度も何度も大声で謝罪しながらの土下座を何十分もさせられた。

ある女の子は研修の過程で、同じクラスの友達だと思ってた子にいきなり無視されてそこからいじめが始まって不登校寸前になってしまったなんてセンシティブな過去を白状させられた。

マッチョの上司はその子をひしっと抱きしめた。

「こんな可愛い子をいじめるなんて…!俺にも娘がいるが…娘が同じ目に遭ったらと思うと…」

と言って、ウォーーッ!っと泣きだした。

ある男の子は、この会社の求人票に自動車免許必須と書いてあったが免許の取得が遅れているのでを入社を少し遅らせることはできるかと質問した。

そのとたんマッチョの上司が

「俺はそんな事、言った覚えはないーーーーー!!」と大声で叫んだ。

あまりの大声と、思わぬ展開に私達は震えあがった。

上司は、俺は嘘をつく卑怯者が一番許せん!そういう奴が一番思いやりの心が無いんだ、俺はお前が嘘をついたから殴るんじゃない、お前の思いやりの心がーー!!!とよくわからないことを叫びながらその男の子を殴り飛ばした。

男の子は文字通り、吹っ飛んだ。

人ってマンガか映画みたいに飛ぶんだ、ってぼんやり感じた。

あの時は、私も、周りのみんなも、場の空気に飲み込まれて何も感じなくなってしまった。


そこで目が覚めた。

最悪の夢見、最悪の目覚めだった。

もう夜が白み始めていた。

夢の続きを思い出す。

あのいじめられていた女の子を――

私は―――

あの子を―――

いけない。

それ以上は思い出してはいけない。

私は記憶に蓋をした。

記憶の再生を早送りし、研修から帰宅した時のことを思い出す。

研修から帰宅して求人票を確認すると、確かにそこには「自動車免許必須」と書いてあった。

私は、研修のことを両親に話し、この会社はおかしい、辞退したいと話した。

しかし父が断固それを許さなかった。

「だからってこの就職難に何とする。世の中そういう会社もあるんだ。社会勉強だと思って我慢しなさい」

「そもそもおまえ、他に内定とれたのか。とれてないじゃないか」

哀しい事に、何十枚も書いた履歴書で何とか引っかかったのはここだけだった。



翌日、出社して会社でこんな言葉を小耳に挟んだ。

「※※支店の新卒、もう辞めたんだって」

「はあ!? 初日じゃないか。ったくいまの若い者は…」

辞めた新卒は、あの時抱きしめられた子と、吹っ飛ばされた人の名前だった。


私は――

あの、いじめられていたという女の子を―――

――いけない。

私は悪くない。

私のせいじゃない。

私はそう思い、慣れない仕事に集中することにした。

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