午睡 あなたが目覚めたら

来住野つかさ

第1話 マリーの一人語り

 疲れていたのね、あなた。

 お寝坊さん、まだ眠っているのね。


 あなたが目覚めたら、話したいことがたくさんあるのよ。



 たとえば、今年はプラムジャムがとてもうまく出来たこと。


 そうよ、あの私達の泉の側にあるプラムの木。あれが今年は豊作だったのですって。この頃は親切な村の人が届けてくださるのよ。

 新婚当時はお砂糖の量が少なくって酸っぱい出来で、あなたは毎朝顔をしかめて食べていたわね。無理して食べなくってもよかったのに、『君の味に慣れたい』って言って。

 我慢してたのでしょう? あのせいで眉間のシワが生まれたのかもしれないわ。

 私は酸っぱいくらいのが好きだったのだけど、あなたの好みを調べつつ、お互いの味覚のちょうどいいところを探って、年を重ねるごとに我が家の味が決まってきたのよね。

 あのしかめっ面、今思い出しても笑ってしまうわ。



 あなたが初めてのデートで贈ってくれたシードパールのネックレスの糸替えをしたこと。


 ネックレスを贈ってくださった時のあなたったら、とっても素敵だったわ。

 初めてお目にかかった時の印象でね、剣術に明け暮れてる無口な男の子だと思っていたから、こんなに繊細で美しいネックレスをご自身で用意なさるなんて思わなかったの。

 いい意味で裏切られたわ! それ以来私の宝物よ。

 軽いから乗馬の時に着けていても気にならなかったもの!

 でもね、大切に大切にしていたけれど、次第に糸が弛んでしまったの。

 お出かけ中に切れてしまったらと思うと怖くって、着けられないまましまい込んでいたのよ。

 そしたらビヴァリーのジュエリー店で、パールの順番もそのままに丈夫な糸に替えてもらえたの。あんなに細かなパールなのによ!

「奥様の思い出のお品ですから、一粒だって思い出を動かないように気をつけました」って、ビヴァリーの宝石職人さんたらなんて素敵な心意気でしょう。

 これからも贔屓にさせてもらうけど、坊やのファーストジュエリーもやはりこちらでと思いましたわ。



 息子のマークに子が生まれ、あなたがおじいちゃまになったこと。


 びっくりした? そうなのよ、あんなに腕白さんとお転婆さんだった私達は、この間めでたく坊やのおじいちゃまとおばあちゃまになったのよ!

 ええ、ええ、もちろん、早速ビヴァリーの店で坊やの瞳の色に似た石を注文したわ。

 男の子よ。ロイって言うの。そうね、お顔の作りはマーク似というより、お嫁さんのスザンナに似てるんじゃないかと思うわね。

 マークはあんまりにもあなたにそっくりでしたわね。特に朝になると前髪がピコっと立ってるところが似ていて、寝癖を直す使用人たちまで吹き出して面白かったわ。

 大きくなるとすぐに剣に興味を示して、少し言葉足らずでぶっきらぼうで、でもとても優しくて。マークはミニチュア版辺境伯様ね、とどこでも評判だったの。覚えてる?

 まだロイ坊やは二歳よ。子どもの顔は変わっていくから、これからマークにもあなたにも似てくるかもしれないわね。

 ロイ坊やもね、あなたやマークと同じ綺麗な黒髪なんだけど、スザンナは「将来禿げなさそうな髪質を引き継げてホッとしました」なんて言うのよ! 面白い子なのよ。

 今じゃあすっかり体もがっしりして、辺境伯当主として立派にお役目を務めているマークだけど、ロイ坊やが生まれた時には号泣してね。その横でそんな事を言うスザンナがおっかしくって。

 辺境伯家も安心ね。うふふ。



 大好きだった刺繍や編み物をついに止めたこと。


 残念に思う? 細かい作業は難しくなったのよ。

 あなたには婚約時代から数えても本当にたくさん贈ったわね。練習作のハンカチ刺繍は我ながらひどいものだったのに、あなたったら鍛錬後に汗を拭くのに使ってらしたって聞いたわ。

 無表情で私のヘンテコ刺繍のハンカチを使い出した時、辺境伯騎士団がざわめいたんですって。

「坊ちゃんが、何柄かは分からないけど手作りらしきハンカチをお使いに!」

「ある勇者が『そのハンカチは?』って伺ったら、『婚約者からだ。シンプルで実用向きなのが良い』って。動物ではあるようだけど、結局何柄かは分からなかったそうだ」

「あのベストも! ものすごく目の詰まった······詰まり過ぎのようなカッチリとした婚約者様作のニットベストを、坊ちゃんは『暖かい。シンプル・イズ・ベストだ』と気に入っておられて。······思えばこの頃から冗談らしきものを仰るようになりました」

 こんな話を結婚してからよく伺ったわ。人に見せていたのね、あれらを。


 私もよく分かっていないで、ただあなたが「マリーのお手製品は助かっている」って言って使ってくださるものだから、張り切ってどんどん渡していたのよね。そのお陰で自然と腕が上がったのだから、結果的にあなたに鍛えてもらったようなものね。

 ······それにしても、当時ははあなたの大事な猫ディーネを模した刺繍を量産していたはずだけれど、あなた以外誰もモチーフが猫だって分からなかったなんて!


 そうそう! スザンナはあんな風でいてとても手先が器用で、センスもいいのよ。

 若い人風のアレンジが効いていて素敵なのを作るのよ、彼女。

 なのにマークの時に作ったおくるみやケープを、ロイにも使ってくれたりして、「お義母様のノーブルな美しい構図は憧れです」なんて褒めてくれるの。

 マークはいい人を見つけたわよね。なんて、私を持ち上げてくれるからいい人って言ってるのじゃないわよ? マークとお似合いでいいってことよ! 本当よ?






 あなたが目覚めるのを待っていたら、何だか私まで眠たくなってしまったわ。


 そう、婚約者時代から遠駆けして、いつもの泉のほとりでピクニックランチを摂った後、よく二人でお昼寝したわね。お腹がいっぱいになって陽の光がポカポカ暖かいと、どうしてもうとうとしてしまうのよ。

 先に寝た方が負けよっていっても、結局二人とも眠ってしまって勝ち負けが分からなくなっちゃったのよね。あなたが時々指で鼻をちょんちょんと触ってきていたけど、それも良い心地で眠りに落ちるの。

 お日さまの下であなたの髪の毛もポカポカになって、それを撫でているのも気持ち良くって好きだったわ。


 覚えてる? いつかのピクニックであなたが言ったこと。

『どうやらこれが恋みたいだ』って。

 今にして思うとあなたが正解だったのよ。

 知らない内に私たちは恋のただ中にいたのね。


 馬達もここに来ると楽しそうにしてたわよね。

 泉の水面は陽光を受けてきらめいて、ほとりに生える猫じゃらしまでもが光を含んで金色にけぶって見えて、私こんな素敵なところにお嫁に来るのねって嬉しく思っていたのよ。

 山の向こうでは紛争が続いていたけれど、あなたを支えてこの地を守ると決めたの。

 何度でもあなたとここでお昼寝出来ますようにって。


 そうだ、あなたの相棒のトビーも、私のアディとの間にたくさんの子馬に恵まれてね、その子馬達も子供を生んだの。おじいちゃま、おそろいね。



 あなたとのダンスが好きだったこと。


 馬が好きで、体を動かすのが好きで、それを見込まれて辺境伯家にお嫁入りすることになった私だけれど、一番好きだったのはダンスだったのよ。

 それもあなたと踊るのが最高!

 ダンス! ステップ、ターン、楽しいダンス! ダンス!

 娘時代に戻れたら、またあなたとたくさん踊りたい。

 今? そうね、まだ私だってなかなかのものだと思うけれど、あんな風に全身でバネを使い、しなやかに軽やかに、淑女の嗜みも忘れずに踊れるかしら?

 お気に入りの淡いピンクのドレスを着てあなたと踊ると、背中に羽があるように体が軽かったの。

 どんな曲でも二人なら踊れるわ、なんて万能感まで。おかしいわね。

 知らなかった? ダンスの相性で確信したのよ。私とあなたはぴったりだわって。



 あなたのお陰で長かった紛争が終わったこと。





 私の髪が真っ白に輝くようになったこと。


 あなたはずっと黒髪のままなのに恥ずかしいわ。

 あなたがプラムジャムでこさえた眉間のシワよりも、今の私には多くのシワが育ってしまったの。

 あなたがたくさん眠っている内に、私の年輪が広がったわ。

 あなたは嫌かしら? おばあちゃまの私は、あなたのマリーではない?

「マリーの黄金の髪は俺の宝だ」っていつも褒めてくださっていたけれど、白の髪でも宝物だと思ってくれる?

 マークより年下なのにおじいちゃまのあなた。

 あなたは自分だけ未だ羽が生えているのでしょう?

 嫌ね、いつもマリーと一緒だって言っていたくせに。




 あなたが目覚めたら踊りましょう。

 ゆったりしたバラードでいいの。



 それまで私も少し眠るわね。

 なんだかとても暖かくて、陽の光のせいかしらね、瞼がトロンとしてしまうわ。ディーネもほら、膝で丸くなって寝てしまったし。



 お菓子作りはジャム以外才能はなかったこと、当家に伝わる各祈り毎の紋様を誰でも刺繍などに使用できるようにパターン集としてまとめたこと、麦が不足した時用に泉に育つ猫じゃらしを穀物として食用に活用できないかの研究が進められたこと、マークもロイ坊やも親子で人参が少し苦手なこと、あなたが守ってくれた西の国境地での林業が災害予防にも役立って山火事が減ったこと、あなたのベッドには季節ごとのカバーを付けて私とお揃いににしてること、あなたの使っていた洋服なんかもマークは時々使うのだけど私があなたに編んだベストだけは着ないこと、スザンナは美人なのにひょうひょうとしたところが面白くって、あなたのお陰で領地は今日も穏やかなこと、   ······私はあなたに会いたい、平和なのに会えな いの?  たくさん会いたい、たくさん話したい、たくさん好きだと言ったけどまた言いたいこと、   言葉の少ないあなた が 短く褒めてくれるあの声が聞きた いことも みんな、ゆっくり聞いてほし い。


 眠たくて溶けていきそう。うふふ。

 眠りに入るそばから寝ぼけてるなんて子どもみたいね。


 そうね、私も次に目覚めたら、羽が生えているかしら?

 あの泉は、猫じゃらしは、今日もお日さまのもとで金色に輝いているかしら?



 おや すみな さ い、あな た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る