3-10.ぜいたくになってしまったのね
木々が生温い風に微かに揺れていた。草や木の香りは爽やかで、幾分か
「君は昔、こがねがつつかれていたところを救ったのだったな」
「はい。ただ、こがねがまつろわぬものだとは知らず……」
「あれは感謝している、と思う。名も気に入っているくらいなのだから」
「あなたさまには、蛇たちの声が聞こえるのですか?」
煉瓦で舗装された道を歩く
「強いものの声ならば、多少」
「強いもの、ですか」
なぐさめるように側にいてくれたり、喜びを分かち合ったりと、本当に唯一の友には世話になっている。
「こがねはわたしの昔を知っているんです。ですが今の状態になっても、変わらず接してくれて」
「君によくなついているからだろう……蛇を表す怪異のことを知っているか?」
「いいえ、知りません」
「
「まあ……こがねはメスだったのですね」
「一般的な
「オスでも、その蛇帯という怪異になるのでしょうか」
「こがね自体が特別な蛇、まつろわぬものだ。下手な
「わたしにはまだまだ知らないことがありそうです」
「大丈夫だ。これからゆっくりと覚えていけばいい」
柔らかな口調でいわれ、
だが――これから、というものがあるのか、少しだけ不安になる。
優しさは毒にもなる、とみつやは言った。真綿で首を絞められる、そんな気持ちが少し、ある。それでもありがたいのに、きっと喜ばしいことなのに、思いのひとかけらもおもてに出せない自分が歯痒い。
「あそこだ」
道を上った先、そこには江戸時代頃のものらしき
店の側には、黒や黄色いくちばしを持った天狗たちがいる。せわしそうに書簡を持ち、宙に跳んでは姿を消す彼らに、
「やや、これは
「手紙を頼みたい、と思ってな。少し早いが
「そうでござったか。さ、席へ席へ」
目ざとくこちらを見つけた
(仕方がないわ)
そう、心の中で割り切る。
誰もに認められているわけではないのだ。幸いにして
それでも一人で出た際には、未だ好奇の視線を投げつけられている。密やかな噂話もされていた。あるじと認める男の配偶者として、未だ認められていない自分が悪い。
「これを
「承知。
「座ろう。君も疲れたはずだ」
「……はい」
「
「少しお待ちをば」
いないことにされている、と
(ぜいたくになってしまったのね、きっと)
落とした視線をつと上げれば、視界の片隅に巨大な岩があることに気付いた。
「あの……あなたさま」
「どうした。
「いいえ。あれはなんでしょうか」
指で指し示す。しめ縄で巻かれた岩を。
その大きさは加賀男の背丈を倍にしてもなお、余りある。横にも縦にも大きく、巧みに草藪と木々の梢で隠れていた。
「あれは、
「
「そうだ。
「
小首を傾げて問えば、
「
「魂に含まれるものが
「君の考えているとおり、死ぬ」
「なぜそのような、怖いものがここに?」
「満月の際、いささか
「よかった……少しの間なら大丈夫なのですね」
「ああ」
胸を撫で下ろす
「
「何か?」
刹那、手紙を持った
「
「そうか。紙と筆を貸してくれ」
「中にございますゆえ」
「わかった。……君はここで、少しゆっくりしているといい」
「はい」
うなずき、店に入る
しばらくして、
「ありがとうございます」
頭を下げたが、無視された。それでも茶をかけられたり、殴られないだけ、ましだ。
だが、胸に針が刺さったような気持ちに陥る。
(不思議ね。たった一ヶ月で、一体わたしに何が起こっているの?)
動機がしたり体がほてったり、気落ちしたりと忙しい、と思った。
それに対する気持ちも、痛みに対する感情も、何もわからないまま。
(わからないことが、こんなにも恐ろしいものだなんて)
湯飲みを置き、そっと店の中をうかがう。
手紙を書き終えたらしい
「待たせてしまった。俺も、食べることにしよう」
「は、はい。お茶がとても美味しいです」
「
「わたしも好きです」
「あなたさま?」
「いや……その、はじめて、君の好きなものを聞いた気がするから」
嬉しそうにうなずく
ぱぁん、と大きく花火の音がした。
闇夜に輝くのは見事な牡丹、千輪菊、蜂。真鶴が最初訪れた際に上がった区画からではない。ここからだとよくわかるが、
どうやら花火は、ここから右側にある区画からのようだ。
「どうしてまた、花火が……?」
「輿入れの際、盛大に花火を使うことになっている。
「誰かが
「そうだな」
優しさは毒かもしれない。知らないことは恐ろしい。だが、それらがあり余ってもなお、
人はそれに、なんと名前をつけるのだろう――
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