絶望
「狂ってるわ……!」
後ろでシキガミを見守っていたクレアが顔を青ざめさせながら呟く。
あまりの事態に全く理解が追いついていないが、ただ一つわかることは、あのシキガミという男が狂っているということだ。
村を守る為に頑張る、騎士団が守るべきか弱き農夫だと思っていた人物は、頭のネジが外れまくった殺人者だった。
「もうこれ以上見ていられない、あいつを止めるわ」
「お待ちください」
さっきからこれの繰り返しだ。
目の前で繰り広げられる凄惨な光景に、クレアは何度もシキガミを止めようと影から飛び出そうとした。しかし、その度にセドリックから待ったがかかるのだ。
自分たちの存在を気取られないよう、極力声を出したくないという理由から今までは大人しく引き下がっていた。だがもうそれどころではない。
クレアは掴まれた腕を払ってから振り返る。
「さっきから何で止めるのよ。あんなのただの虐殺じゃない」
「止むを得ない場合は殺してもいいと言った手前、多少は致し方ないことかと」
「確かに言ったわ。でもあれは、手加減しようとして殺されてしまうくらいならしなくていいって言う、あいつを守る為のものよ」
「理解しています」
最初からシキガミがあそこまでの力を持つ人物だとわかっていれば、殺していいなどとは口が裂けても言わなかった。
「なら、どうして」
「出て行ったところであれを止めることが出来るとお思いですか?」
「私の『盾』なら出来るかもしれないわ」
「確かにクレア様の魔法は強力ですが、それですら防ぎきれない可能性がないとは言い切れません。もしそうなればあなたまで……」
『正義の盾』で防げなかった攻撃は今のところない。もしあれを貫通するとなるとそれこそ魔王や勇者くらいの力が必要なのではないか。
ではあいつは一体何者なのだ、という疑問は口に出さず飲み込んだ。今はそんなことを議論している場合ではない。
クレアは両の拳を強く握りしめ、突然に力を失った声音で呟いた。
「じゃあ、ただ見ていることしか出来ないの……?」
セドリックはそれについては答えず、先ほどの話の続きを述べる。
「それに、騎士団が苦戦していたマデオラたちを討伐してくださるのです。このまま彼の力を利用するというのも一つの手でしょう」
「でも、」
「あの盗賊たちはこれまでに数多の罪もない人々を歯牙にかけるなど、裁かれて然るべき所業を繰り返してきました。生きて捕らえたところで大半の者が最終的に極刑になることは免れません」
セドリックの言っていることは正しい。
しかし、クレアは何もマデオラたちを救おうとしているのではない。極悪人でも死に方くらいちゃんとしたものを与えてやるべきだと、そう考えているのだ。
例えば極刑なら、大切な人たちに別れを告げる猶予があるし、死を以て罪を償うことだって出来る。むしろそうしなければ誰も救われない。
最期に罪人に己の罪と向い合わせ、悔い改めさせることで被害者の死や、遺族の悲しみ、怒りも行き着く場所を見付けられるのだ。
だが目の前で繰り広げられる惨劇に人としての尊厳も何もない。自分が死ぬことすら認識する暇もなく、人間としての原形を留めることも許されず、誰に看取られることもなく朽ち果てる。
死による救済すら許されない地獄。
「クレア様?」
もっと、もっと自分に力があれば。
不甲斐ない己に対して悔しさが込み上げてくる。だがクレアはそれをぐっと抑え込みながら今、自分が出来ることを探した。
「わかったわ。せめて、死者に祈りを捧げましょう。彼らがあの世で罪を悔い改めてくれるように」
「かしこまりました」
これまでに横たわっていた盗賊団員たちは全員死亡していた。応急処置も拘束する手間もないのなら時間はある。
祈りだけ捧げてすぐに追えばシキガミの戦いを見届けることは出来るはずだ。
片膝をついて祈りを捧げる。それを全ての遺体の前で行った後、クレアは立ち上がってから口を開いた。
「そういえば、これが終わった後はどうするの?」
「シキガミさんの処遇ですか?」
「そうよ。一人の人間としては正直、今後は関りたくないところだけど、騎士団長としてはそうはいかないわ。あんな危険人物を野放しにしておくわけにはいかないもの」
セドリックは顎に手を当てて思案する。
「彼が何者かはわかりませんが、グラスの為にこの案件を受けたというのは本心からの行動と見て間違いないでしょう。でなければ彼にメリットがない」
「そうね」
「ならば、いくつか案はあります。彼が私たちの敵になることを避けつつ、関りを保つことは出来ると思います」
「……」
しかし、クレアはそこで押し黙り、何やら考え始めた。
「クレア様?」
「いや、何でもないわ。先を急ぎましょう」
「そうですね」
そして二人が奥へと足を向けた瞬間、洞窟が揺れた。
「始まったみたいね」
〇 〇 〇
奥に向かってゆっくりと歩みを進めていく。
これまでいくつかの部屋を通過したがどこにも人影はなく、全員がマデオラがいる方へと逃げていったらしい。
このまま一番奥の部屋で生き残った盗賊全員と戦うことになるだろうか。それだとさすがに厳しいかもしれないな。
そう考える徹の目の前に二人の男が現れた。
「おいガンド、やめとけって! ボスの言う通りにしろよ!」
「お前らビビり過ぎなんだよ」
奥から現れた二人のうち、前を歩いているガンドと呼ばれた男は身体が大きく、身長はニメートル弱といったところだろうか。
おまけに全身が引き締まっていて、恵まれた体格にあぐらをかくことなく、日頃から鍛錬を積んでいるであろうことが窺える。その努力を世の為人の為に使っていればと思わないこともない。
ガンドは徹を視認するなり、不敵な笑みを浮かべる。
「ほら見ろ。侵入者ってこれだろ。こんなのに俺が負けるわけがねえ」
「見た目で決めつけるな! 仲間の死体は悲惨なことになってたんだぞ」
「まあいいから見てろよ」
「おい。俺は知らねえぞ!」
必死にガンドを説得していた男は、そう言うなり奥へと戻っていった。
「ちっ、腰抜けがよ」
徹は逃げた男を腰抜けだとは思わなかった。
彼我の戦力を冷静に分析した結果、他の盗賊たちと一緒に戦うべきだと考えたからこの場では撤退しただけだ。もしくはそう言う「ボス」の指示か。いずれにせよれっきとした作戦的行動だ。
勇気だけあったってどうにもならないこともある。
ガンドはこちらに向き直ってから一歩前に出た。
「よう、中々派手に暴れてるらしいじゃねえか」
「恐れ入ります」
「俺はガンド。ここでは『熊殺し』のガンドなんて呼ばれてる」
「式上徹と申します。よろしくお願い致します」
丁寧にお辞儀をする徹だが、ガンドはそれには構わず自分語りを続ける。
「ちょっと熊を殺したくらいで『熊殺し』なんて大袈裟だよな。確かにちょっと強かったけど、頭を狙えば一発よ。知ってるか? 熊ってのは頭が弱いんだ」
などと頭の弱そうな発言をするガンド。
脳があるから急所としては間違ってはいないのだろうが、発言が大雑把なので本当にそう言ったことをわかっているのかどうかは疑問だ。
まあ、異世界の熊は自分の知っている熊とは身体の構造が違うのかもしれない。これ以上考えるのはやめておこう。
「勉強になります」
「おうおう。そうだろ? もっと色々教えてやりたいとこなんだがよぉ、どうせてめえはここで死ぬし無駄だからやめとくわ」
「残念です。博識なガンドさんにもっと色々とご教授願いたかったのですが」
「時間を稼ぐのがうまいやつだなぁ。いいぜ、ならもう少しだけ教えてやるよ」
「……」
こういった輩と会話をするのは疲れるので早く終わらせたい。
徹がそんな風に考えてファイティングポーズを取ると、ガンドは口の端を大きく吊り上げた。
「おいおい、もうやるのか? そんなに死に急ぐこたぁねえだろ」
「誠に残念ではございますが時間が迫っています。そろそろあなたを倒させていただきたいと考えているのですが、よろしいでしょうか?」
「まあ聞けよ。いいか、戦いにおいて体格差ってのは大事だ。それで勝負が決まると言っても過言じゃねえ」
「体格差、ですか」
「そうだ。魔法って例外はあるがな、あんなもん邪道だ。やっぱり男は拳よ」
またここでも魔法の話が出て来た。そろそろ魔法に関する情報を収集しておきたいところだが、今はそれをするべき時ではない。
「体格差にも例外はありませんか? 小さい人が大きい人を倒す、と言ったような」
「魔法以外でもないことはないが、稀だな」
「では、大変失礼ではありますが。私がガンドさんを倒す可能性も存在はしているわけですよね?」
徹の質問を聞いたガンドは、露骨にため息をついた。
「いいぜ、そんなに言うなら試してみろよ」
「よろしいのですか?」
「ああ。ほら、時間が迫って来てるんだろ? さっさとやれよ」
親指で自分の腹をクイクイ、と示す。願ってもない提案に徹の心は色めきだった。
「ありがとうございます!」
感謝の言葉と共に放たれた拳がガンドの腹を突き刺す。
「ぐぼぉっ!」
ガンドの巨体が後ろに吹き飛び、壁にぶつかって転がった。わずかに洞窟が揺れる。
「うぶっ」
わずかに身体を起こすもその場で嘔吐してしまう。
徹は驚いていた。身体が原形を留めた他の盗賊は起き上がることすらもなかったと言うのに、意識があって立ち上がろうとまでするなんて。
大柄で引き締まった体躯は見せかけではないということか。
「へへっ、中々やるじゃねえか」
しかも、まだやる気だ。
ガンドは青ざめた顔でゆらりと立ち上がると、徹と似たようなファイティングポーズを取る。
「よし、次は俺の番だな」
「えっ?」
この戦いはターン制だったらしい。
そんなこと言ってたかな、と記憶を探る徹だが、いずれにせよしっかりと確認を取らなかった自分が悪いと、受け入れる決断をする。
まさか死ぬことはないだろうと思いながら腹に力を込めた。
「いっくぜええええぇぇぇぇ!」
走り出したガンドは、あっという間に徹との距離をゼロにする。そして、眼前で拳を強く握りしめ、徹の腹に向かって突き出した。
「うらあ! ……ああああぁぁぁぁ!」
しかしどうしたことか。絶叫しながら床に転がったのはガンドの方だった。
「いってええええぇぇぇぇ!」
「あの……」
何がなんだかわからない。拳を抑えながら地面をのたうち回るガンドを眺めつつ、徹はただただ困惑するばかりだ。
しばらくして立ち上がると、ガンドは涙目で徹を指差しながら叫ぶ。
「お前、卑怯だぞ! 腹に鉄板を仕込むなんて、男の風上にも置けねえやつだ!」
「そのようなものは仕込んでおりませんが」
「嘘つけ! 確かめてやる!」
ガンドは大股で徹の方へと歩み寄る。
しかし、ある一定の距離まで近づいたところで止まった。
「おい、ただ確認するだけだからな? 俺も攻撃しないから、お前も攻撃して来るんじゃねえぞ?」
「かしこまりました」
「絶対だぞ? 女神マリアに誓えよ?」
「誓います」
女神マリアが誰かは知らないが、早く済ませて欲しいのでそう返事をしておいた。
しかし、地球では「押すなよ、押すなよ」は「押せ」という言葉の裏返しだったが、これも攻撃しろという意味なのだろうか。
そんなことを考えている内に徹のローブが捲られた。
「は? まじで鉄板も何もねえ!」
「ご理解頂けたようで何よりです」
「ていうかこの腹筋、すげえなお前。バキバキじゃねえか」
「恐れ入ります」
互いにすごい部分を認め合う。何だか不良と不良が喧嘩した後みたいになって来たがあまり慣れ合っているわけにもいかない。
「あの、申し訳ありませんが、そろそろ」
「ん?」
徹が手を優しく払って構えると、ガンドは慌てて後ろに下がりながら手の平をこちらに向けてきた。
「いやいや、ちょっと待てよ。話せばわかる」
「交渉の余地があると?」
「そ、そうだ。お前がどういう経緯で俺たちを殺しに来たのか知らねえが、逃がしてもらえるなら何でもするぜ」
戦力差を悟ったのかガンドが弱気になっている。
徹も無闇に人を殺したいわけではない。話し合いで解決するのならそれが一番いいのだが、クレアからは拘束するか殺すのが依頼の達成条件だと言われている。
「申し訳ありませんが、その場合投降した上でこちらで拘束させていただくしか、選択肢はありません」
「拘束してその後はどうする気なんだ?」
「それは……」
しまった。騎士団との関わりを秘匿しろと言われている以上、この先をガンドに説明することが出来ない。
どうしたものかと思索を巡らせていたところに、背後から声が響く。
「投降しなさい」
徹が振り返ると、そこにはクレアとセドリックの姿があった。
打ち合わせ通りならこれまで物陰に隠れて様子を窺っていたはずだが、出て来ても良かったのだろうか。騎士団との関わりがばれてしまう。
ガンドがギョッ、と効果音が出そうな様子で目を見開いた。
「き、騎士団!?」
「私たちのことを御存知なようで光栄だわ」
「シキガミだったか? お前、騎士団の人間だったのかよ」
「こいつは違う。私たちが雇った傭兵よ」
クレアが徹の方に目配せをする。
話を合わせろ、ということか。確かにただの農民だと説明するよりは話が早い。
それはいいとしても、クレアとセドリックの足が震えているのが気になる。彼女たちですらもガンドのような大柄の盗賊は怖いのだろうか。
「じゃあ拘束ってのは騎士団に連行されるってことかよ」
「そうよ」
「冗談じゃねえ! そんなの死んだ方がましじゃねえか」
「本当にそうかしら? よく考えてみなさい。シキガミと本気で戦えば確実に殺されるけど、私たちに捕まれば助かる可能性はゼロじゃないわ」
セドリックが一歩前に出て補足をする。
「マデオラファミリーは大半の者が極刑になると思われますが、ただの団員であればそれを免れることもあります」
「そんな虫のいい話、信じられるかよ。それにこんな抜け方したら牢から出たところでボスに殺されて終わりだ」
「それはないわね」
「どうしてそう言い切れる?」
「マデオラファミリーは今日、恐らくは全員死ぬからよ」
「何だと? シキガミが殺すってのか?」
クレアもセドリックも無言を貫くことで肯定する。
二人とも何故反論してくれないのだろうか、と徹は内心でもやもやしていた。結果的に何人かは死んでしまったかもしれないが、殺す気はなかったのに。それに本人たちから許可だってちゃんと頂いている。
「待てよ。確かにこいつが強えのは認める。だがボスまで倒せるほどか?」
「ここに来るまでにシキガミと戦った団員は全員死亡してる。遺体が原形を留めていないものもあるわ」
徹は少しだけ驚いた。全員死亡してしまっていたのか。
「は? そりゃあダラーやボノ……今日見張りについてたやつらもか?」
「名前は知らないけど、見張りとその先の部屋にいたやつら全員ね」
「あ、あいつらまで」
団の中でも指折りの実力者だったということなのか、ガンドは本気で驚き、また狼狽している様に見えた。
俯いたガンドはやがて顔をあげて口を開く。
「わかった、投降する」
その瞳は解雇を告げられた会社員と同じ光を湛えている。そう言えばかつての同僚たちは元気にしているのだろうかと、徹はぼんやりと考えていた。
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