第2話

 まず、私は物心ついた時からネグレクトの状態で放置されていた。オムツも十分に替えてもらえず、いつもお尻が痒かった。


 兄弟たちは時々新しい服を買ってもらえるのに対して、私だけは夏と冬もの一着づつしかなく、滅多に洗濯もしてもらえなかった。普段から汚いと蔑まれていた。


 たまに洗濯してくれる時は、一日裸で過ごさなくてはならず、いやらしい父親や兄弟たちの視線や猥褻な言葉に耐えながら過ごさなくてはならなかった。


 しかも、私は幼稚園や学校などに通わせてもらえなかったのである。なぜ、両親がそのような判断をしたかと言うと、私が他の兄弟に比べて理屈っぽくてかわい気がなかったのだと思う。それに、私を学校に行かせることで知恵がついたら自分たちより上の学歴を手に入れてしまう可能性があり、それが怖かったのだろう。


 家族で最も知的な存在である私を最下層に位置付けることで、サディスティックな喜びを感じていたのだと思う。


 家族から受けた理不尽な使いや虐待には、目をそむけたくなるだろう。

 しかし、下記にあげるすべてが実際に行われていたことなのである。


 1.家族で出かける時も私だけ連れて行ってもらえない。

 2.私の食事だけ床に置かれていて、家族と同じテーブルにつかせてもらったことがない。

 3.大好きだった祖父母が病気の時も見舞いに行かせてもらえず、葬式にも呼ばれなかった。

 4.写真がほとんどない。

 5.学校に行かせてもらえない。

 6.客が来た時は私だけ別室に隠されていた。私のことが恥ずかしいからだそうだ。

 7.病院に連れて行ってもらったことがない。

 8.兄弟からは性的な悪戯をされ、それによって怪我をすることもあった。両親はそれを知っていたが、見て笑っているだけだった。

 9.「臭い」、「汚い」というような言葉の暴力は日常茶飯事で、身体的な暴力もあった。「お前は捨てられていた子だ。家があるだけありがたいと思え」そして、常に「早く〇んでほしい」と言われていた。

 10. 食事は残飯のようなものが多く、家族とはいつもメニューが違っていた。

 11. 服がいつも同じだった。

 12.完全な引きこもりで外部との接触はほぼなかった。

 13.お菓子などを食べさせてもらったことがない。

 14.滅多に入浴させてもらえなかった。


 一番屈辱的だったのは兄が家に友達を呼んでみんなの前で私を裸にして性的な悪戯をして見せたことである。みな私のことを「気持ち悪い」と言いながら、性的な興奮を示していたことが余計に私を苦しめた。


 私はそれからすっかり病んでしまって、自傷行為をするようになってしまった。


 これを読んだ人は、私がどこの誰かを調べて、児童相談所に通報しようとしてくれるかもしれない。


 しかし、もう手遅れだ。

 善意というのは常に一歩遅れているのである。


 世の中に自分の味方になってくれる人がいるというのを知ったのはつい最近だ。

 つい最近までは、所詮私の話など誰も聞いてくれない、私は外の世界でも最低ランクの人間だと本気で思い込んでいた。

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