第26話 二十五章 季節がいくたび変わろうと、解けない謎もあるもんだ

 加藤が星空を眺めていると、どこからか「うっ! ほっ! うっ! ほっ!」という掛け声が聞こてきた。

 いや、掛け声というより、獲物を狩る前の合図のようだ。

 その声を確かめようとした加藤が足を踏み出すと、奇怪きっかいなシルエットが見えた。


 小柄な人物が、片手でダンベルを振り上げている。どう見ても、五十キロはありそうなダンベルだ。上腕二頭筋が異様に盛り上がっている。

 

 ああ。

 阿吽像の今野だ。

 ちょうど良かった。


「こんばんは」


 加藤が阿吽像に声をかけると、彼は頭上でダンベルを振り回した。

 

「いやあ、日が暮れても暑いねえ。兄さん、何しているの? ノゾキ? 盗撮?」


 するか!


 今野は首にかけたタオルで汗を拭うと、加藤に向かって手招きする。


「水分補給するから、あんたもおいで」



 今野の家は、都市伝説を一つ生みだした、古ぼけたアパートの裏にあった。

 今野宅も外観は昭和だったが、なかに入ると、何故か宇宙船の指令室のようだった。

 部屋中に、大小新旧様々なパソコンと、オシロスコープみたいな器材。無線も完備されている。


 何してるの? このじいさん……

 スパイ? 


 怪訝な表情で、室内を眺める加藤を気にすることもなく、今野はテーブルにコップを並べた。


「まあ、飲めや」


 今野はヤカンから液体を注ぎ、加藤に勧めた。

 まるで泥水のような色であり、湿った靴のような匂いがする液体である。


「なんすか、コレ?」


「ドクダミと甘茶蔓の合わせ技。夏バテに効くぞ」


 諦めて加藤は一気に飲み干した。

 意外にも、飲めない味ではなかった。

 でも悔しいので、あとで白根澤にも飲ませよう。


「ほお、良い飲みっぷりだな。もう一杯いくか」


「いえ、結構」


 今野は笑いながら、ふと真顔になる。


「で、お前さん、何が知りたい?」


 直球の質問は、センターへ打ち返す。


「アパートに出る、首無し幽霊の真相」



 今野は黙ってドクダミ甘茶蔓の液体を飲む。

 ふうっと息を一つ。


「霊能者だった……」


「はい?」


「件のアパートの部屋に、長らく住んでいたのは中年の女性だ。中年というか、老年にさしかかっていたというか。とにかく占いとか霊視とか、そんな生業なりわいの女だった」


「その女が首無し幽霊? なんで? 呪い?」


 今野は軽く笑う。


「まあ、そう急かすな。女は烏が嫌いだと言ってたよ。ギャアギャアうるさいって。そこで、公園側の窓に、カラス除けのグッズを並べていた」


「じゃあ、カラスのタタリか?」


 今野は加藤の質問を、まったく無視して話を続けた。


 その占い師だか、霊能者だかの女は、大きな目玉が描いてあるようなバルーンを窓に吊るし、昼間は部屋にこもっていた。

 時折、そんな女の部屋を訪れる、相談者もいたという。そろそろインターネットの利用者が増え始めた時代、女に救いを求める相談者の数もまた、徐々に増えていった。


「ポツリポツリ、マスコミの取材申し込みもあったな。女は断っていたけど。そんな時だった」


 今野の顔が引き締まった。


「火事が起こったんだよ、女の部屋で。ガラスが割れ、炎は天井を焦がした。すぐに消火され、大ごとにはならなかったんだが……」


 柱時計が鳴った。

 加藤はビクっとする。


「火事のあった日から、女の姿は消えてしまった。忽然と」


 消火後の現場検証で、火元は女が消し忘れた、ロウソクではないかと推定された。

 ただ気になる箇所があった。

 燃え残った壁に、血の跡があったのだ。

 血液型は、消えた女のそれと一致した。


「よって、火事を起こしてしまった女が、自責にかられ出奔したか。あるいは……」


 加藤はたまらず今野に言う。


「誰かの手で女は害され、女を害した犯人が、証拠隠滅を図ったか」


 十年近く経過した今も、女の行方は不明のままである。

 

「で、今も部屋は誰か住んでいるのか?」


 加藤の問いに今野は頷く。


「住んではいないが、女の身内だという奴が、家賃を払って借りているよ」


 加藤はもう一つ、今野に訊いた。


「なあ、その火事の時、公園でも何か騒ぎがなかったか?」


「ああ、そういやあ、あの音竹の息子が、すべり台から落ちたとかで、救急車呼んでたな。いや、音竹の息子がギャン泣きしてたから、近所の人が火事に気付いたんだっけ」


 今野のセリフこそ、加藤が欲しかった答えだった。

 そう、以前今野は意味深なことを言った。


『音竹少年は、誰かに落とされたという噂がある』


 加藤の脳内に、空白だった部分の曼荼羅が構成されていく。


「あんた、音竹の家に踏み込むなら、覚悟が必要だぞ」


 いきなり今野の目が猛禽類のような光を放つ。


「たとえ子どもが可愛くても、教師には出来ないことがあるだろう」


 加藤はニヤッと笑う。


「それはあんたが警官だった時にも、踏み込めなかったものなのか?」


 今野は一瞬たじろいだ。

 初見で今野は加藤を教師と見抜いたが、加藤もまた、今野の前職を把握していたのだ。


「知っていたのか……」


 今野は呟く。


「いや、カンだ。だが、この部屋を見て確信したよ。あんた、今も警察、いや公安かな。それらと繋がっているんだろ?」


 それには答えず、今野は加藤のコップに、新しいドクダミ甘茶蔓の液体を注いだ。

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